第22話 勇者、舞踏会に挑む
王宮の大広間は煌々と明かりに照らされていた。
数百もの灯が柔らかな光を放ち、広大な宴会場をまるで昼間のように明るく照らしている。
会場にはすでに多くの貴族たちが華やかな衣装を身にまとって集まり、優雅な音楽が大広間をゆっくりと流れていた。
その時、入口に立つ侍従が声を張り上げる。
「勇者様――入場!」
大扉がゆっくりと開かれる。
エリオスは銀白色の礼服に身を包み、いつもと変わらぬ気楽な表情のまま、ゆっくりと大広間へ足を踏み入れた。
続いて、もう一つの威厳ある声が響く。
「王立魔導塔の主――入場!」
魔導塔の主もその後に続いて大広間へ入る。
濃い紫色のドレスに、魔導塔を象徴する銀色のショール。
成熟した気品を漂わせるその姿は、たちまち多くの視線を集めた。
エリオスは歩きながら、何気なく周囲を見回す。
「へえ。今日は国王陛下が主催する舞踏会だったのか」
魔導塔の主の足がぴたりと止まった。
彼女は振り返り、信じられないものを見るような目でエリオスを見つめる。
「知らなかったの?」
「知らないよ」
「招待状、見てないの?」
エリオスは少し考え、正直に答えた。
「……たぶん見てない」
魔導塔の主は思わず額を押さえた。
エリオスは苦笑する。
「どうせ舞踏会なんだろ?
誰が主催してるかなんて、別に変わらないじゃないか」
魔導塔の主は深々と息を吸い込んだ。
「……よく今まで生きてこられたわね」
二人が宴会場へ入って間もなく。
さっそく多くの貴族たちがエリオスのもとへ集まってきた。
「勇者様、お久しぶりです」
「先日、また戦線を押し上げられたと聞きました」
「勇者様、少々お時間をいただいても?」
「娘が以前から勇者様を大変慕っておりまして。よろしければ一度ご紹介を――」
一人、また一人と人が集まり、あっという間にエリオスは人だかりに囲まれてしまった。
魔導塔の主も最初は彼の隣に立っていたが、いつの間にか人の波に押し出され、外側へ追いやられていた。
完全に貴族たちに囲まれたエリオスを眺め、彼女は呆れたように首を振る。
「……相変わらずね」
エリオスはいつもの穏やかな笑みを浮かべ、一人一人の挨拶に丁寧に応じていた。
すると、一人の年配貴族がふと口を開く。
「そういえば勇者様。
先日、第一王子殿下からお招きを受けたそうですな?」
口調こそ何気ないものだったが、その目はエリオスから離れない。
周囲の空気が僅かに静まった。
別の貴族も笑いながら続ける。
「ええ。
第一王子殿下の宮殿にも随分長く滞在されたとか。
さぞかし重要なお話をされたのでしょうな?」
いくつもの視線が一斉にエリオスへ集まる。
誰もが答えを待っていた。
――やっぱり、この質問からは逃れられないか。
しかしエリオスは、ただ微笑んだ。
「ちょっと挨拶に伺っただけですよ。
殿下も政務でお忙しいでしょうし、
俺も長居するわけにはいきませんから」
貴族たちは互いに顔を見合わせる。
その答えは……何も答えていないのと同じだった。
若い貴族の一人が、さらに探るように尋ねる。
「では勇者様は、これからどの殿下にお仕えするおつもりで?」
その瞬間、周囲の空気が一気に張り詰めた。
何人もの貴族が、さりげなく耳をそばだてる。
エリオスは相変わらず笑顔を崩さなかった。
「俺は勇者です。
王国のためになることなら、どの殿下からの命令であろうと、
できる限り務めを果たします」
そして、ほんの少し首を横に振る。
「誰を支持するかについては……
俺が決めることではありません」
短い言葉だった。
だが、それだけで彼らのすべての探りを綺麗にかわしてみせた。
貴族たちは仕方なく笑顔で頷く。
「勇者様は相変わらずですな」
「ははは、これは失礼いたしました」
エリオスも笑って応じる。
その時。
彼の視線が人混みの向こうへ抜けた。
見慣れた姿がある。
「申し訳ありません。
聖女様にご挨拶してきます」
誰もエリオスを引き止めることはできず、自然と道が開かれた。
エリオスはそのまま彼女のもとへ歩いていく。
聖女ソフィアも、どうやらすでに彼に気づいていたらしい。
今夜の彼女は、普段の厳かな聖衣ではなく、純白で上品なドレスを身にまとっていた。
栗色の長髪は美しく結い上げられ、いつも以上に気品と落ち着きを感じさせる。
エリオスは彼女の前まで来ると、軽く一礼した。
「聖女様」
ソフィアも頷き返す。
「勇者様」
エリオスは周囲を見回した。
「伯爵と夫人は、出席されていないんですか?」
ソフィアは首を横に振った。
「領地で少し問題が起きたの。
父と母はしばらく王都へ戻れそうにないから、
今日は私が伯爵家の代表として出席しているわ」
エリオスは僅かに眉を寄せる。
「何があったんです?
必要なら俺が見に行きますけど」
ソフィアは小さく首を横に振った。
「大したことではないわ。
父と母が対処するから」
エリオスは彼女を見つめ、少し不思議そうな顔をする。
「時間があるなら家に帰れって言ってたじゃないか 。
なのに今日は大丈夫って?」
ソフィアは一瞬だけ黙り、それから淡い笑みを浮かべた。
「領地のちょっとした仕事よ。
あなたがわざわざ出向くほどのことではないわ」
それ以上、彼女は説明しなかった。
ただ、その視線がエリオスの耳元へ静かに落ちる。
灯りを受け、漆黒の耳飾りが僅かに揺れていた。
ソフィアの視線がそこに止まったのは、ほんの一瞬。
しかし、その表情には何の変化もない。
やがて、何事もなかったかのように尋ねた。
「今日は、魔導塔の主と一緒に入ってきたの?」
エリオスは鼻を掻いた。
「ちょっと魔法について分からないことがあって、
先生に教えてもらってたんだ。
話してるうちに、時間を忘れちゃってさ」
ソフィアは黙ってエリオスを見つめる。
その澄んだ瞳が、彼の耳飾りへ一瞬だけ向けられた。
だが、そこに波立つものは何もなかった。
数秒後、彼女は小さく頷く。
「そう」
エリオスは乾いた笑いを漏らした。
彼女が十中八九信じていないことは分かっていた。
ただ、追及しないでくれているだけだ。
ソフィアもそれ以上は何も聞かず、静かに忠告した。
「あとで国王陛下と三人の王子殿下が入場されたら、
まずご挨拶を忘れないで」
「分かってるよ」
その時。
宴会場の入口から、再び侍従の威厳ある声が響き渡った。
「第一王子殿下、第一王子妃殿下――入場!」




