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勇者は魔王討伐より、魔国づくりで忙しい。  作者: 雪沢 凛


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第2話 魔王、勇者を迎える

 森から魔王城まで。

 地形を熟知している者が歩いたとしても、少なくとも丸一日はかかる距離だ。


 だが――古竜に乗って空を飛べば、わずか一時間ほどで到着する。


 銀白色の巨竜が、巨大な翼を大きく羽ばたかせ、雲間を縫うように飛んでいく。

 その巨体からは想像もつかないほど、飛行は穏やかだった。

 高空を吹き抜ける強風も、まるで見えない壁に遮られているかのように届かない。


 竜の背に乗るエリオスは、風圧すら感じていなかった。


 やがて――

 雲の向こうに、巨大な黒い城が姿を現した。

 山肌に沿って築かれた高い城壁。

 天を突くように伸びる無数の尖塔。


 遠目には、まるで山々の中で眠る巨大な魔獣のようにも見える。

 古竜は翼を大きく広げると、魔王城の最上部にある塔の展望台へ、静かに着地した。


 エリオスは慣れた様子で竜の背から飛び降りると、その太い前脚をぽんぽんと叩く。


「ありがとな、父さん。ちょっと行ってくるよ」


 古竜がゆっくりと首を下ろす。

 金色の瞳が、我が子を見守るような優しさを湛えていた。

 そして、低く穏やかな声が響く。


「気をつけるんだぞ、息子よ」


 エリオスは苦笑した。

「大丈夫だって」


「魔王城は危険だ」

「それは知ってるよ」

「この前、廊下の一部が崩れた」

「……あれは老朽化してただけだろ」

「一昨日は東塔の階段も崩れた」

「……そっちは通らないようにする」

「それと、西側の窓が――」

「わかった、わかったって。ちゃんと気をつけるから」


 ようやく安心したのか、古竜は満足そうに頷いた。

「うむ」


 エリオスは手を振る。

「じゃあ、行ってくる」


 そう言って、城内へと続く扉へ向かった。

 重厚な扉が、ゆっくりと開いていく。


 薄暗い大広間。

 その最奥――王座の前には、一人の女が静かに立っていた。


 夜のように黒い長髪。

 血を思わせる真紅の瞳。

 その視線が、大広間へ足を踏み入れた青年を真っ直ぐに捉える。


 両のこめかみからは、一対の黒い角が後方へ伸びていた。

 緩やかな曲線を描くその角は、まるで王冠のようにも見える。

 その姿は、彼女が魔族の頂点に立つ存在であることを、何より雄弁に物語っていた。


 空気そのものが震えるほどの濃密な魔力。

 王座の間には、息が詰まるような静寂が満ちている。


 女が、ゆっくりと口を開いた。

「……ようやく来たか、勇者」


 エリオスは足を止めた。

 そして、口元を僅かに吊り上げる。


「ああ」

 右手を剣の柄へ添える。

「今日こそ、決着をつけよう」


 女――魔王ヴェラの唇が、ゆっくりと笑みを形作った。

「望むところだ」




 魔王城・執務室。


「ここが……こうなってるから……」


 窓際に置かれたソファの前。

 エリオスは、バラバラに分解したオルゴールを前にしていた。

 小さな部品が、ローテーブルの上に綺麗に並べられている。


 その向かいでは――

 先ほどまで王座の間で威厳を放っていた魔王が、見る影もなくしゃがみ込んでいた。

 頬杖をつきながら、エリオスの手元を食い入るように見つめている。


「直せそう?」


「大丈夫。……ただ、歯車がかなり擦り減ってるな」


 エリオスは慣れた手つきで部品を外し、一つ一つ状態を確かめながら答える。


「王都に戻ってから、なかなかこっちに来る時間が取れなかったんだ。

 今日は父さんが送ってくれたから、ちょうどよかったよ」


「そうなの?」

 ヴェラが首を傾げる。

 そして、テーブルの上にあった小さなネジを摘まみ上げた。

「じゃあ、私も手伝う」


「いや、それは触らないほうがいい」


「これ?」

 今度は別の部品を手に取る。


「それはゼンマイ」


「……じゃあ、これは?」


 エリオスは無言になった。

「…………やっぱり、手伝わなくていいよ」


「……そう」

 ヴェラはしょんぼりと肩を落とした。

「ごめんなさい」


「いや、ヴェラが悪いわけじゃないから」

 笑いを堪えながら、エリオスは部品を受け取る。

「俺がやるよ。ヴェラは自分の仕事をしてきな」


「……わかった」

 ヴェラは大人しく立ち上がる。

 そして、執務机へ戻っていった。


 机の上には、山のように積み上げられた書類。

 ヴェラが椅子に腰を下ろした途端――


「……どうしてこんなにあるの」


 一枚目。

 二枚目。

 三枚目。

 書類をめくるたびに、ヴェラの顔から生気が失われていく。


 やがて彼女は、机の上へ突っ伏した。

「今日中に終わらない……」


 そこには、先ほど大広間で勇者を迎えた魔王の威厳など、どこにも残っていなかった。


 その時だった。

 執務室の外から、蹄の音が響いてきた。


 やがて、茶色い短髪の青年が駆け込んでくる。

 腰から上は人間。

 しかし、腰から下は馬の姿をしていた。


「魔王様、東部の集落についてご報告が――」

 そこまで言ったところで、青年はエリオスに気づいた。


「……あっ!」

 表情がぱっと明るくなる。

「勇者様! また来てくださったんですか!」


「久しぶり」

 エリオスが手を上げる。


 半人馬の青年は、何かを思い出したように目を輝かせた。

「ということは……!」


 身を乗り出す。

「古竜様も一緒なんですか!?」


「ああ。今は塔のところにいるよ」


「本当ですか!?」

 青年の顔が一気に輝いた。

「俺、古竜様にご挨拶してきてもよろしいでしょうか――」


「……あなた」

 低い声が響いた。


 青年の動きが止まる。

 執務机のほうを見ると――

 ヴェラが、ゆっくりと顔を上げていた。


 その紅い瞳が、静かに部下を見つめている。

 笑っていた。

 優雅な笑顔だった。

 だからこそ――

 怖い。


「あなたの主君は、誰だったかしら?」


「…………」

 半人馬の青年の背中を、冷たい汗が伝う。

「わ、私の主君は魔王様でございます!」


「そうよね?」


「も、申し訳ありません! 魔王様! 出過ぎたことを申しました!」

 半人馬の青年は慌てて頭を下げた。

 それ以上、古竜の話を口にすることはなかった。


 その様子を見ていたエリオスは、とうとう吹き出してしまう。

「はははっ。まあまあ。こいつは父さんに会いたいだけなんだから」

 そして半人馬の青年へ、さりげなく目配せする。

「ほら、報告することがあるんだろ?」


「はっ!」

 まるで死刑宣告を免れたかのような顔で、青年は書類を抱えて執務机へ駆け寄った。


 エリオスは再びオルゴールへ向き直る。

 小さな部品を組み合わせ、最後のネジを締める。


 カチリ。


「……よし」


 修理は終わった。

 だが、エリオスはすぐにはオルゴールをヴェラへ渡さなかった。


 そのまま立ち上がり、執務机へ向かう。

「ああ、そうだ」


 半人馬の青年が姿勢を正した。

「勇者様、何か?」


「さっき一緒に来た王国の兵士たちなんだけど、

 先に国境砦へ戻るように言ってある」


「はい」


「念のため、近くを見回るようにしてくれないか。

 魔境を無事に抜けたのが確認できたら、それ以上は魔境へ近づかなくていい」


 青年は頷いた。

「承知しました。すぐに巡回隊を手配します」


「助かる」


「では、失礼いたします」

 青年は一礼すると、執務室を出ていった。


 扉が静かに閉まる。

 部屋に、再び静寂が戻った。


 そこでようやく、エリオスは完成したオルゴールを手に取った。

 ゆっくりとゼンマイを巻く。


 カチ、カチ……


 そして蓋を開く。

 ――チリン。


 柔らかな旋律が、静かな執務室に流れ始めた。


「はい、完成」

 エリオスは笑いながら、ヴェラへオルゴールを差し出す。


 ヴェラの紅い瞳が、ぱっと輝いた。

 彼女はすぐにオルゴールを受け取り、大事そうに両手で抱える。

 口元は明らかに緩んでいる。

 それでも、照れ隠しなのか、わざと顔を逸らした。


「……ふん。べ、別にあなたに直してほしかったわけじゃないわ。

 たまたま音が鳴らなくなっただけなんだから」


「はいはい。

 役に立てたならよかったよ」

 エリオスは笑う。


 ヴェラはオルゴールを眺めた。

 先ほどまで書類の山に押し潰されていた疲れた表情も、いつの間にか少しだけ和らいでいる。


 そして――

 ふと何かを思い出したように、ヴェラが勢いよく立ち上がった。


「しまった!」


「どうした?」


「今日、会議がある!」

 ヴェラは慌てて執務机の時計を見る。

「もうこんな時間!?」

 顔色が変わった。

「……あの馬、さっき私に教えてくれなかったわね!」


 エリオスは思わず笑った。

「さっきの様子を見る限り、ヴェラに怒られるんじゃないかって、それどころじゃなかったみたいだけどな」


「…………」

 ヴェラが黙り込む。


 数秒後。

 彼女は堂々と言い放った。


「だからって、報告を忘れていい理由にはならないわ!

 まあ、それはそうだな」


 ヴェラは机の上の書類をまとめて抱え上げる。

 そして、ふとエリオスを見る。


「あなたも来て」


「俺も?」


「ここに他に誰がいるのよ?」


 当然のように言われ、エリオスは苦笑した。


「……はいはい。

 じゃあ、もう少し付き合うよ」


 するとヴェラは、ぷくっと頬を膨らませた。

「付き合うんじゃないわ。

 ただ……あなた、今暇でしょう?」


「はいはい」


 エリオスは笑った。

 強がっているのが丸分かりだったが、あえて指摘することはしない。

 ヴェラが先に歩き出す。

 エリオスもその後を追う。


 二人の姿が、並んで執務室から出ていった。


 誰もいなくなった部屋で――

 机の上に置かれたオルゴールだけが、いつまでも静かに、穏やかな旋律を奏で続けていた。

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