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勇者は魔王討伐より、魔国づくりで忙しい。  作者: 雪沢 凛


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第18話 魔王、西境を想う

 魔王城。


 午後の陽光が大きな窓から執務室へ差し込み、机の上には処理を待つ書類が山のように積み上がっていた。


 ヴェラは机の前に座り、眉間に皺を寄せている。


 その傍らでは、半人馬の青年が散らばった書類を必死に分類していた。

 しかし――。


「あっ」

 一枚の書類を引き抜いた瞬間、その隣に積まれていた書類の束まで滑り落ちる。


 バサバサッ。


 紙が床一面に散らばった。

 半人馬の青年は固まった。


「す、すみません!」


 ヴェラが顔を上げ、彼を見る。

 半人馬の青年は気まずそうに笑った。


「やっぱり、こういう整理は苦手みたいで……。

 普段の巡回とか書類を届ける仕事なら問題ないんですけど、分類となると……」


 床に散らばった書類を見下ろし、途方に暮れる。

 すると、何かを思い出したように慌てて話題を変えた。


「そういえば、陛下。

 先日、獣人とゴブリンの食料問題を解決するために、

 集落へ行かれたんですよね?」


 ヴェラは頷いた。

「一応、暫定的には解決した」


 彼女は、ゴブリンの採集区域を定め、人間が指定された範囲でキノコを採れるようにしたこと。

 そして獣人とゴブリンの間に生じていた誤解について、簡単に説明した。


 話を聞き終えた半人馬の青年は、思わず笑みを浮かべる。

「その方法を考えたのは……

 やっぱり勇者様ですよね」


 ヴェラはすぐさま彼を睨んだ。

「……あいつは、たまたまその場にいただけよ」


「は、はい。

 何も言ってません」


 ヴェラがまだ不機嫌そうな顔をしているのを見て、半人馬の青年は笑みを引っ込める。

 そして真面目な顔で続けた。


「ですが、どうか焦らないでください。

 何事も、一日二日で変えられるものではありませんから」


 そう言った直後。

 彼の足が、また別の書類の束を蹴飛ばした。


 バサッ。


 さらに書類が床へ散らばる。


「あ……」

 半人馬の青年は、自分の四本の脚を見下ろして気まずそうな顔をした。


「……」

 試しに身を屈めてみる。

 だが、人間のように器用にしゃがんで書類を拾うことができない。


 ヴェラはとうとう額を押さえた。

「もういい。そこをどいて。私がやる」


「ですが……」


「早く」


 半人馬の青年は申し訳なさそうに脇へ退いた。

「すみません。

 もっとお役に立てればいいんですが……」


 ヴェラは答えず、一枚ずつ書類を拾い始めた。


 その時だった。

 彼女の手が止まった。

 一番下に、少し黄ばんだ報告書が一枚、静かに横たわっていた。


 表紙には西境の紋章が押されている。

 紙の端はすでに擦り切れており、何度も読み返されたことが分かる。


 半人馬の青年も、ヴェラが動かないことに気づいて視線を向けた。

「西境、ですか……

 そういえば、もう十年になるんですね」


 ヴェラは黙って報告書を見つめている。

 半人馬の青年は続けた。


「東方を除けば、残り三境にはもう新しい後継者がいます。

 ですが……前任の領主たちは、いまだに領地を譲ろうとしていません」


「今もそれぞれの領地に留まり、誰一人として魔王城へ足を運ぼうとはしない」

 半人馬の青年は苦笑した。

「新しい後継者たちも、あくまで名目上の領主にすぎません。

 実際に権力を握っているのは、今でも前任の領主たち。

 人間王国は魔国の南西に位置していますから、

 西境と南境は魔国を守る重要な領地です。

 特に西境は……」


 ヴェラは手にした古い報告書を見下ろした。


 十年前。

 自分が魔王を継いで、最初に訪れた場所。


 それが――西境だった。


 ――◇――


 魔王を継いで間もない頃。

 ヴェラは自ら西境へ赴いた。


 重厚な大広間。

 その奥にある領主の座には、一人の屈強な鬼族の男が座っていた。


 深紅の短髪。

 額の両脇から伸びる二本の太い黒角。

 露出した両腕には、幾度もの戦いを生き抜いてきた証である無数の傷跡が刻まれている。

 ただそこに座っているだけで、まるで猛獣のような威圧感を放っていた。


 男は大広間の中央に立つ少女を見下ろす。


 しばしの沈黙の後――

 突然、大声で笑い出した。


「はははははは!」


 その笑い声が、大広間全体に響き渡る。


「魔王族はそんなに人材不足なのか? 

 よりによって、こんな乳臭い小娘を魔王の座につけるとはな!」


 両脇に控える鬼族の兵士たちも、誰一人として止めようとはしない。

 ただ黙って、この光景を見つめている。


 ヴェラの表情は変わらなかった。

「西境領主。

 あなたに協力してほしくて、ここへ来たの」


 鬼族の男——西境領主は鼻で笑った。


「協力? 

 そんな一言で、俺が貴様に頭を下げると思っているのか?」


 ヴェラは静かに彼を見つめる。


「あなたには、これからも西境を守ってほしい。

 ただし、自分の領地だけではなく――

 私と一緒に、魔国全体を守ってほしい」


 西境領主は冷たく言い放った。

「西境なら、俺が守る。

 だが、俺が守るのはこの土地に生きる魔族だ。

 貴様の王座ではない」


 ヴェラは一歩も引かなかった。


「魔国の領主である以上、魔王を認めるべきよ。

 もし私の命令に従うつもりがないのなら、

 あなたから領主の座を取り上げるしかない」


 その瞬間。

 ドンッ!


 西境領主が勢いよく立ち上がった。

 凄まじい魔力が一瞬にして大広間を覆い尽くす。


 西境領主は一歩、また一歩と階段を下りてくる。

 そしてヴェラの目の前まで歩み寄った。


 二人の距離は、わずか一歩。

 西境領主は少女を見下ろした。


「……俺を脅しているのか?」


 ヴェラは退かなかった。

 鮮紅色の瞳で、真正面から西境領主を見返す。


「私は魔王よ。

 これは脅しじゃない。命令よ」


 二人の巨大な魔力がぶつかり合い、大広間そのものが微かに震え始める。

 鬼族の兵士たちの顔色が変わった。

 誰もが、次の瞬間には戦いが始まると思った。


 だが――。

 西境領主は突然、魔力を収めた。

 再び身体を起こし、冷たい笑みを浮かべる。


「命令だと? 

 小娘。

 俺はこの人生、力だけを信じてきた。

 いつか貴様が、実力で俺を心服させられたなら――

 その時は、喜んで貴様の前に跪いてやる」


「それまでは……」

 西境領主は背を向けた。

「西境は俺が守る。

 もし人間が本当に攻めてきたなら――」


 西境領主はゆっくりと拳を握り締める。


「一人来れば、一人殺す」

「一万来れば、一万殺す」


「俺が倒れるまで、たった一人たりとも人間を西境へ踏み込ませはしない」


 そして振り返ることなく言った。

「それが、俺の答えだ」



 ――◇――


「……陛下?」

 半人馬の青年の声に、ヴェラは我に返った。


 彼女は手の中にある古い報告書を見つめたまま、しばらく黙っていた。


 十年。

 西境領主は、いまだに自分を認めていない。


 西境の領土が少しずつ削られていっても――

 それでも彼は、自分の領地を守ることを諦めなかった。


 ヴェラはゆっくりと報告書を閉じる。


「……少なくとも、西境を彼が守っているのなら、それでいいわ」


「陛下?」


 ヴェラは窓の外へ視線を向けた。


「私は、彼から領地を奪いたいわけじゃない。

 いつか……彼にも、私と一緒に魔国を守ってほしいだけ」


 彼女は手の中の報告書をそっと握る。


「西境が安定しているのなら、

 それを誰が守っているかなんて、今はどうでもいい」


 半人馬の青年は彼女を見つめ、苦笑した。


「ですが……西境領主が、そう考えてくれるとは限りませんよ」


 ヴェラは答えなかった。

 ただ、黄ばんだ報告書を元の場所へ丁寧に戻す。


 いつか。

 必ず、もう一度西境へ行く。


 ただ次に訪れる時は――

 魔王としての命令を持っていくのではなく。

 彼に本当の意味で認めてもらえるだけの、答えを持っていきたい。

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