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勇者は魔王討伐より、魔国づくりで忙しい。  作者: 雪沢 凛


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第16話 勇者、故郷へ帰る

 王城・魔導塔。

 地下深層、古代転移陣の前。


 魔導塔の主は地面にしゃがみ込み、刻まれた紋様を丹念に調べていた。

 手にした長い煙管で石板を軽く叩きながら、時折何やら小声で記録している。


 その時、階段のほうから聞き慣れた足音が響いてきた。

 彼女は振り返りもしない。


「……また来たのね」


 エリオスは笑って手を振った。

「先生」


 魔導塔の主はゆっくりと立ち上がり、腕を組んで不機嫌そうに彼を見る。


「ついこの間、帰ってきたばかりでしょう? 

 この古代転移陣は、しばらく休ませる必要があるって、

 言ったはずだけど」


 そう言って、彼女はまだ僅かに光を放っている転移陣を指差した。


「それに、内部に蓄えられた魔力だって、まだ回復してないのよ」


 エリオスは鼻の頭を軽く掻いた。

「ちょっと緊急事態でさ」


 そう言っている割に、顔にはいつもののんびりとした笑みが浮かんでいる。

 どう見ても、緊急事態に直面している人間の顔ではない。


 魔導塔の主は思わず目を細めた。

「……その台詞、説得力がまるでないわね」


 エリオスは笑っただけで反論せず、肩に灰羽鷹を乗せたまま転移陣の中央へ歩いていく。


「大丈夫。すぐ戻ってくるから」


 そう言いながら、中央に刻まれた古代の紋様へ手を置く。

 淡い銀白色の光が、掌からゆっくりと紋様へ流れ込んでいく。


 魔導塔の主はその様子を見つめ、軽くため息をついた。

「明後日は舞踏会があるんでしょう?」


「そうなんだ。今回は欠席するなって言われててさ」

 エリオスは笑って頷く。


 魔導塔の主は腕を組んだまま尋ねた。

「それで、今度はどこへ行くの?」


 転移陣の紋様が、一つ、また一つと輝き始める。


「東部」

 エリオスは顔を上げることなく答えた。


「そうだ」

 ふと思い出したように顔を上げると、満面の笑みを浮かべる。

「先生、ついでに舞踏会で着る礼服も用意しておいてくれない?」


 魔導塔の主はぽかんとした。

「……は?」


 次の瞬間。


 ヴン――!


 古代転移陣全体が、眩い白光を放った。


 魔導塔の主の顔色が変わる。

 慌てて一歩踏み出した。


「ちょっと待ちなさい! 

 まさか、舞踏会が始まる直前まで戻ってこないつもりじゃ――」


 言い終わるより早く、光がエリオスと灰羽鷹の姿を呑み込んだ。

 石室には再び静寂が戻る。

 残されたのは、転移陣に漂う淡い光だけだった。


 魔導塔の主はその場に立ち尽くしたまま、しばらく沈黙していた。

 やがて、長いため息を吐く。


「まったく……私は勇者専属の侍女じゃないんだけど」


 彼女が額を押さえると、背後にいた三人の魔導士が顔を見合わせる。

 声を掛けるべきかどうか迷っているらしい。


 魔導塔の主が振り返って三人を見ると、三人は慌てて背筋を伸ばした。

 彼女は思わず吹き出し、軽く首を振る。


「まあいいわ。

 どうせ、いつものことだし」


 再び長い煙管を手に取り、まだ余光の残る古代転移陣を眺める。

 そして、小さく呟いた。


「……本当に、あの子には敵わないわね」




 東部山岳。

 長い間沈黙していた古代転移陣が、眩い白光を放った。

 古代の紋様が石板の上を次々と駆け巡る。


 空間が僅かに歪み――

 だが今回は、いつものように着地することができなかった。

 一歩踏み出した途端、身体がふらりと揺れる。

 そのまま片膝をついた。


「ふぅ……」


 肩に乗っていた灰羽鷹が慌てて羽ばたき、エリオスの傍へ降りる。

 心配そうに首を傾げ、何度か鳴いた。


「ピィ?」


 エリオスは手を伸ばし、その頭を優しく撫でる。

「大丈夫だよ。

 二日続けて転移陣を使ったから、

 ちょっと魔力を使いすぎただけだ」


 深く息を吸い、ゆっくりと立ち上がる。

 そして肩を回した。


 ひんやりとした山風が、正面から吹き抜けていく。

 見渡せば、果てしなく連なる山々。

 足元には、山腹に築かれた古い石造りの遺跡がある。


 転移陣には長い年月によって生じた亀裂が無数に走っていた。

 再び魔力を注ぎ込まなければ、今なお稼働するとは誰も思わないだろう。


 遠くでは雲と霧が絡み合い、幾重にも連なる山々が霞んでいる。

 濃密な魔素が空気中を漂い、時折、森の中を小さな光の粒が舞っていた。

 まるで山全体が淡い光のヴェールに包まれているかのようだった。


 エリオスは懐かしい景色を眺め、自然と笑みを浮かべる。


「やっぱり、ここの空気が一番落ち着くな」


 灰羽鷹はすでに空へ舞い上がっていた。

 エリオスの頭上を一周すると、高らかに鳴く。


「ピィ――ッ!」


 エリオスは空を見上げた。


「どうした?」

「山の麓まで、どっちが先に着くか勝負するか?」


 灰羽鷹はまるで言葉を理解したかのように、ぐっと頭を上げる。

 そして、わざとらしく翼を羽ばたかせた。

 まるで自分の勝利を確信しているかのようだ。


 エリオスは吹き出した。

「いいぞ。やってみるか」


 言葉が終わると同時に、淡い青緑色の魔力が足元へと集まる。


 次の瞬間――

 ドンッ!


 エリオスの身体が、一陣の風となって駆け出した。

 灰羽鷹は一瞬、何が起きたのか分からなかった。


「ピィ!?」

 慌てて翼を羽ばたかせ、後を追う。


 エリオスは谷間を流れる気流に乗り、山の斜面から一気に飛び降りた。

 木々の梢の間を自在に駆け抜け、時には風の勢いを利用して枝先を軽く蹴る。

 その速度は、空を飛ぶ灰羽鷹さえも僅かに上回っていた。


 エリオスは振り返り、空へ向かって手を振る。

「遅いぞ」


 灰羽鷹は悔しそうに鳴きながら、必死に翼を羽ばたかせる。

 ようやくエリオスの隣まで追いつくと、エリオスはその負けず嫌いな様子を見て、声を上げて笑った。


「ははは。次はもう一回だけチャンスをやるよ」


 灰羽鷹は不満そうに一声鳴くと、今度はエリオスの頭上まで飛んでいく。

 そして――

 髪を軽く啄んだ。


「おい、痛いって」


 エリオスは笑いながら手を伸ばし、灰羽鷹を追い払う。


 一人と一羽は、そんなふうにじゃれ合いながら山道を進んでいった。


 ほどなくして、エリオスと灰羽鷹の目の前に、山肌に沿って築かれた小さな村が姿を現した。


 エリオスの口元に、自然と笑みが浮かぶ。


「……ただいま」

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