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勇者は魔王討伐より、魔国づくりで忙しい。  作者: 雪沢 凛


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第15話 勇者、姉に呼ばれる

 翌朝。

 エリオスが王宮の訓練場へ向かうため廊下へ出た途端、あちこちから視線が集まってくるのを感じた。


「勇者様だ……」

「昨日、第一王子殿下のところへ行ったらしいぞ」

「本当か?」

「夕方までずっと一緒だったって聞いたぞ」


 エリオスの足が僅かに止まる。

 そして、苦笑した。


 昨日、第一王子と話すどころか――第一王子の顔すら見ていない。


 そう思うと、もう一度苦笑が漏れた。

 王城の噂話というのは、時として魔法より厄介だ。


 朝食を済ませたエリオスは、いつものように王宮の訓練場へ向かった。

 隅に置かれた見慣れた長椅子に腰を下ろし、大きく伸びをする。


 目の前では、兵士たちが汗を流しながら剣を振っていた。

 しばらくすると、顔馴染みの兵士たちが何人か集まってくる。


「勇者様」

 一人が声を潜めた。

「昨日、本当に第一王子殿下にお会いしたんですか?」


 エリオスは笑って頷く。

「まあ、一応な」


「一応?」


 兵士たちが顔を見合わせる。

 別の兵士が、恐る恐る尋ねた。


「それじゃあ勇者様……

 第一王子殿下を支持するんですか?」


 エリオスは笑って首を横に振った。

「お前たち、勇者ってものを買いかぶりすぎじゃないか?」


 兵士たちがきょとんとする。

「俺は魔王を討伐するのが仕事であって、

 次の国王を選ぶ仕事まで任されてるわけじゃないぞ」


「ご謙遜を」

 年配の兵士が苦笑する。

「勇者様が誰を支持するかで、次の国王になれるかどうかが大きく変わる――

 皆そう言っていますよ」


 エリオスは訓練場で剣を振る兵士たちを眺めながら笑った。


「だから噂って怖いんだよ。

 話っていうのは、伝わっていくうちに勝手に形が変わるからな」


 隣の兵士も頷いた。

「それにしても、勇者様は本当に気取ったところがないですよね……

 もし他の人だったら、とっくに豪邸に住んで、

 毎日のように貴族の宴に呼ばれてそうなのに」


 彼は少し離れた兵士宿舎へ目を向ける。

「勇者様は自分の屋敷も持たずに、

 ずっと俺たちと同じ宿舎暮らしですから」


 エリオスは肩をすくめた。

「俺が自分から、兵士たちと同じ宿舎にしてくれって頼んだんだよ。

 朝起きて、ちょっと歩けば訓練場だろ? 

 便利だし、それに少しくらい朝寝坊できる」


 周囲から一斉に笑い声が上がった。


「勇者様も朝寝坊するんですね!」

「勇者様なら多少遅れてきても、誰も文句言えないでしょう?」


 エリオスは真顔で首を横に振った。

「それはダメだ。

 うるさく言ってくる人がいるからな」


 兵士たちが何のことかと尋ねるより先に、エリオスは訓練場の向こうへ視線を向けた。

 その顔に、なんとも言えない笑みが浮かぶ。


「噂をすれば来た」


 兵士たちも一斉にそちらを見る。

 数人の神官が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 その先頭にいるのは――聖女ソフィアだった。


 エリオスは慌てて声を潜め、隣の兵士たちへ囁く。


「だから宿舎暮らしにしてるんだ。

 じゃないと、そのうち聖堂に住まわされそうだからな。

 俺は嫌だぞ」


 兵士たちは笑いを堪える。

 しかし、ソフィアが近づいてくるにつれ、慌てて表情を引き締め、

 何事もなかったかのように背筋を伸ばした。


 エリオスも立ち上がる。

「聖女様」


 ソフィアは僅かに頷いた。

「勇者様」


 二人が簡単に礼を交わす。

 そしてソフィアは、いきなり本題に入った。


「昨日、第一王子殿下の屋敷へ行ったそうですね。

 それなのに、私のところには来なかったのですか?」


 エリオスは苦笑する。

「夕方まであそこにいたって話も聞いてるんだろ? 

 もう遅い時間だったからな。

 邪魔するのも悪いと思って」


 ソフィアは黙ってエリオスを見つめる。

 やがて、静かに頷いた。


「……そうですね」


 それ以上は追及しなかった。

 代わりに、神官から金の縁取りが施された一枚の招待状を受け取り、エリオスへ差し出す。


「明後日、王城で舞踏会があります。

 今回は、必ず出席してください」


 一拍置いてから、付け加える。

「……またこっそり抜け出したりしないように」


 エリオスは招待状を受け取り、笑って頷いた。

「分かったよ」


 だが、ソフィアはすぐには立ち去らなかった。

 ただ静かに、エリオスを見つめている。


 エリオスも首を傾げる。

 二人の間に、しばし沈黙が流れた。


 やがてエリオスが笑う。

「まだ何かあるのか?」


 ソフィアは少し黙ってから、ゆっくり口を開いた。

「たまには……家にも帰ってきなさい」


 エリオスは僅かに目を見開いた。

 彼女の言う「家」が聖堂ではないことくらい、分かっている。


 自分を養子として迎えてくれた、エルウィン伯爵家。

 ソフィアは、その家の長女だ。

 そしてエリオスは、伯爵夫妻に引き取られた養子だった。


 エリオスは頷く。

「分かった」


 ソフィアは、ようやく一つ肩の荷が下りたように表情を和らげた。

「今日は祈祷会があります。

 私は先に聖堂へ戻ります」


「気をつけてな」


 エリオスは去っていくソフィアを見送った。

 神官たちの姿が訓練場の向こうへ消えるまで見届ける。

 そして、小さく笑った。


「わざわざここまで来て……

 言いたかったのは、それだけか?」


 その時だった。

 空から鋭い鷹の鳴き声が響いた。


「ピィ――ッ!」


 エリオスが顔を上げる。

 一羽の大きな影が、高空から一気に降下してきた。


 エリオスの顔に、ぱっと笑みが浮かぶ。

「お前か」


 慣れた様子で左腕を差し出す。

 灰色の羽毛を持つ大鷹が――灰羽鷹が、見事にその腕へ舞い降りた。

 脚には、小さな布切れが結びつけられている。


「やっと返事が来たか」


 エリオスの瞳に、期待の色が浮かんだ。

 彼は兵士たちへ手を振る。


「じゃあ、俺は行くな」


「勇者様、お気をつけて!」




 エリオスは灰羽鷹を連れて、王宮の厨房へ向かった。

 食事の準備をしていた料理人たちは、勇者の姿を見るなり驚いた顔をする。


「勇者様?」


 エリオスは腕に止まった大鷹を指差した。

「生肉を少し分けてもらえないか? 

 こいつ、かなり遠くまで飛んできたみたいだから」


 料理人はすぐに笑い、新鮮な肉を大きく切り分けて差し出した。

「どうぞ」


「助かるよ」

 礼を言ったエリオスは、厨房の外にある石段へ腰を下ろした。


 灰羽鷹は隣で肉を啄み始める。

 エリオスはその間に、脚に結ばれた布をそっと解いた。


 そこには短い文章が、数行だけ書かれていた。


『頼まれていた物、できたよ』

『かなり高価なものみたいだったから、商隊には預けなかった』

『時間がある時に、自分で取りに来てくれ』


 エリオスは布を丁寧に折り畳み、懐へしまう。

 そして遠くの空を見上げた。


「たまには……家にも帰ってきなさい、か……」

 その言葉を、ぽつりと呟いた。

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