第13話 勇者、獣人と食卓を囲む
獣人の集落は、ほどなくして再び落ち着きを取り戻した。
広場の中央ではいくつもの焚き火が燃え、先ほど仕留めた魔獣は手際よく解体されていく。
何人もの獣人が慣れた手つきで肉を串に刺し、焼き肉の準備を始めていた。
ヴェラが何か言おうとした、その時。
エリオスがそっと彼女の袖を引いた。
ヴェラが不思議そうに振り返る。
エリオスは、僅かに首を横へ振った。
「……今はまだ、言わないほうがいい」
二人は少し離れた場所へ移動する。
ヴェラが声を潜めた。
「もう問題がどこにあるのか分かってるんでしょう?
どうして、すぐに教えないの?」
エリオスは、獲物を処理している獣人たちを眺めながら笑った。
「今言っても、たぶん聞き入れてもらえないよ。
さっきまで戦ってたんだ。自分たちの集落も守った。
今はみんな、今日はいい日だったって気分なんだろ。
そんな時にいきなり、『今までのやり方に問題があります』なんて言われても、
反発されるだけだ」
ヴェラは少し目を見開いた。
そして、ふと自分が魔王城で開いている会議を思い出す。
自分が何か言えば、すぐに反対意見が飛んでくる。
強引に命令すればするほど、かえって話が進まなくなることも多い。
そう考えると――
ヴェラは小さく頷いた。
「……あなたの言う通りね」
その時、獣人の族長が二人のところへ歩いてきた。
「お二人とも、食事の用意ができましたぞ。
どうぞ、こちらへ」
二人は獣人の族長について、焚き火のそばへ向かった。
火の上では、串に刺された魔獣の肉がじゅうじゅうと音を立てている。
滴り落ちた脂が炎に落ちるたび、香ばしい匂いが集落いっぱいに広がっていく。
ヴェラは、エリオスが焼き肉を受け取るのを見て、少し意外そうな顔をした。
「あなた、魔獣を食べるの?」
エリオスは笑って頷く。
「遠征してた頃は、よく食べてたよ。
補給が追いつかなくて、食料が数日分しかないこともあったからな。
腹を空かせたまま戦い続けるわけにもいかないだろ?」
エリオスは手にした肉を見つめる。
まるで、昔のことを思い出しているようだった。
「最初は兵士たちも嫌がってたよ。
魔獣なんて食べられないって思ってる人が多かったからな。
でも、腹が減ってたら選り好みもできない。
それで、みんなで色々試して、ど
うすればあの臭みを消せるか研究したんだ」
それを聞いた獣人たちが、豪快に笑った。
「人間も苦労してるんだな!」
「そんなもん、焼けば食えるだろ!」
「ガハハハハ!」
その時、一人の獣人が新しく串に刺した肉を火の上へ置いた。
エリオスがふと目を止める。
「……キノコ?」
太い木串には魔獣の肉だけでなく、その間に丸々としたキノコがいくつも挟まれていた。
火で炙られたキノコは、肉から滴り落ちる脂を吸い込み、また別の香ばしい匂いを漂わせ始める。
獣人が得意げに笑った。
「一緒に焼くのが一番うまいんだ!
キノコが肉の汁を吸って、肉よりうまくなることもあるぞ!」
別の獣人も頷く。
「最近はみんな、こうやって食ってるな!」
ヴェラが口を開いた。
「ゴブリンたちが言っていたわ。
最近、何度もキノコを盗まれているって。
それに、キノコ畑まで荒らされたそうよ。
あなたたちは、自分たちが疑われていることを知ってる?」
数人の獣人が一斉に顔を見合わせた。
そして慌てて首を横に振る。
「そんなわけないだろ!」
「俺たちがやったんなら、こんなちょっとだけ採るわけない!」
「今食ってるのだって、森の近くで採った野生のキノコだ!
ゴブリンの畑なんか、一度も入ってねえよ!」
エリオスはすぐには口を挟まなかった。
ふと、帰る前にゴブリンの族長から渡された小さな袋を思い出す。
「そうだ」
腰から小袋を外し、皆の前へ置く。
「これ、ゴブリンの族長がくれたんだ。
せっかくだし、みんなで食べよう」
獣人たちの目が一斉に輝いた。
「本当か!?」
「やった!」
一人の獣人が、さっそくキノコを肉串に刺す。
ほどなくして、香ばしい匂いが再び広がった。
一人が豪快に齧りつく。
そして、思わず親指を立てた。
「これだよ、これ!」
「やっぱりキノコは肉と一緒に食うのが一番だな!」
「肉だけだと、ずっと食ってるうちに何か足りなく感じるんだよ!」
ヴェラがエリオスの隣へそっと近づき、小声で言う。
「……もしかして、
本当に獣人の誰かがこっそりキノコを採っているんじゃない?
それを認めたくなくて、黙っているとか」
エリオスは、目の前で美味そうに焼き肉を頬張る獣人たちを眺めながら、静かに首を横に振った。
「それも可能性としてはある。
でも、誰が盗んだのかを考えるより、
もっといい方法があると思う」
エリオスは獣人の族長へ振り向いた。
「族長。一つ提案があるんだけど」
族長が手にしていた木杯を置く。
「何でしょう?」
エリオスは笑って言った。
「今日から、毎日どれだけ狩りで食料を手に入れたのか、記録してみないか?
食べた量と、残った量も一緒に記録する。
もし余裕があるなら、余った肉をゴブリンと交換してキノコを手に入れればいい。
そうすれば、こっそり採りに行く必要もないし、お互いに疑う必要もなくなる」
焚き火の周囲が、一瞬静かになった。
獣人たちは互いに顔を見合わせる。
やがて、一人が頭を掻きながら困ったような顔をした。
「記録って……面倒くさくないか?」
別の獣人も首を横に振る。
「今日獲った分を今日食えば、それでいいだろ?
なんで毎日、いちいち数えなきゃならないんだ?」
さらに別の獣人が笑う。
「それに、森に野生のキノコがあるんだ。
食いたくなったら採りに行けばいいだろ。
わざわざゴブリンと交換する必要なんてあるか?」
「そうだそうだ!」
「それなら俺たちでキノコを育てればいい!」
「ガハハハ!」
「そうすりゃ、誰かに頼る必要もないな!」
獣人たちは口々に言い合い、いつの間にか先ほどまでの酒盛りの雰囲気へ戻っていった。
彼らにとって、エリオスの提案は悪いものではない。
ただ――
面倒なのだ。
ヴェラが眉を寄せる。
何か言おうとした、その時。
エリオスが、そっと首を横に振った。
ヴェラは小声で言う。
「……誰も聞いてないじゃない。
問題が目の前にあるのに」
エリオスは、焚き火の周りで大笑いしている獣人たちを眺める。
その表情は、相変わらず穏やかだった。
「仕方ないよ。
何十年、何百年と続けてきた暮らし方を、
俺たちが一言言っただけで変えられるわけじゃない。
それまでのやり方をいきなり否定されたら、
反発したくなるのも当然だ」
ヴェラは黙り込む。
魔王城の会議で、自分がいつも経験していることと同じだった。
エリオスは笑う。
「焦るなって。
国を治めるなんて、一日二日でできることじゃない。
今日は少なくとも、問題がどこにあるのか分かった。
だったら、あとはゆっくり考えていけばいい」
ヴェラは小さく頷いた。
そして再び、獣人たちへ目を向ける。
その時、ようやく彼女にも分かった。
本当に難しいのは――
敵を倒すことではない。
人の心を変えることなのだ。
エリオスも、焚き火を囲んで楽しそうに笑う獣人たちを眺めながら、心の中で小さく息を吐いた。
実際に一つの国を変えようとしてみて、初めて分かった。
思っていた以上に、難しい。
問題を見つけることは、それほど難しくない。
解決策を考えることだって、決して不可能ではない。
本当に難しいのは――
この土地で暮らす人々に、どうやって少しずつ変化を受け入れてもらうか。
それだった。
自分とヴェラの二人だけで考えているだけでは、どれだけ正しい方向が見えていても、魔国全体を動かすことなどできない。
二人には――
一緒に変わっていこうと思ってくれる仲間が、もっと必要なのだ。
その時。
エリオスの腰に下げられていた小さな魔導通信石が、淡い白光を放った。
ヴーン……
静かな森の中に、小さな振動音が響く。
エリオスが僅かに目を見開いた。
腰から通信石を取り外し、僅かに魔力を流し込む。
次の瞬間。
聞き慣れた女性の声が、通信石から響いた。
「エリオス」
穏やかで落ち着いた声。
だが、そこには僅かな咎めるような響きがあった。
「また、どこへ行っているの?」
エリオスは乾いた笑いを漏らす。
「悪い。ちょっと寄り道してた」
通信石の向こうから、小さなため息が聞こえる。
「第一王子殿下が、あなたをお呼びです。
すぐに王都へ戻ってください」
エリオスの笑顔が僅かに消える。
「何かあったのか?」
「詳しい話は、戻ってからします。それと――」
少し間を置いて。
「次からは、一人で勝手にあちこちへ行かないこと」
「分かったよ」
エリオスは苦笑しながら答えた。
通信石の光が、ゆっくりと消えていく。
ヴェラは隣で、そのやり取りをじっと見ていた。
エリオスが通信石を腰へ戻す。
それを確認してから、ヴェラが何気ない様子を装って口を開いた。
「……さっきの女、誰?」
「ん?」
エリオスが振り返る。
「通信石から聞こえてきた声よ」
ヴェラは平静を装って続けた。
「人間って、勇者にはみんな敬意を払うものなんでしょう?
なのに、あの女は最初から最後まであなたを叱っていた。
あなたに、あんな口を利ける人間って珍しいわね」
エリオスは思わず吹き出した。
「ああ。王国の聖女だからな」
ヴェラが小さく、
「……そう」
とだけ呟く。
それ以上は何も聞かなかった。
ただ、何か考えるように森の向こうへ視線を向けている。
エリオスは腰の剣を軽く叩き、困ったように笑った。
「どうやら、早めに王都へ戻らないとな」
ヴェラがようやく視線を戻す。
「何かあったら、小蝙蝠に連絡させて」
エリオスは頷いた。
「分かった」
「忘れないでよ」
「大丈夫だって」
エリオスは軽く手を振る。
そして、森の外へ向かって歩き始めた。




