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『世界が大変だけど、念のため備えていたら家族と生き残れました ~通信障害から始まる終末サバイバル~』  作者: バックドロップ
第四章 地域共同拠点編

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第55話 守るための決まり


 魔犬との戦いが終わっても、ホームセンターの裏手には生臭い匂いが残っていた。


 フェンスへ引っ掛かったまま動かない二匹の魔犬。


 黒く変色した毛には血がこびりつき、異様に発達した牙が口元から覗いている。


 悠真たちは死体へ近づかず、店にあったカラーコーンとロープを使って周囲を立入禁止にした。


「死んでいても触らないでください」


 悠真は、外へ出ようとする避難者たちへ呼び掛けた。


「血や唾液に何が含まれているか分かりません」


 魔犬に噛まれたことで《鑑定》を得た悠真。


 魔犬との接触後、身体能力が異常に向上した恒一。


 魔獣の肉を食べて変貌した蓮司。


 接触の仕方によって結果は違う。


 能力を得る者もいれば、精神を壊される者もいる。


 何も起こらない場合もあるのかもしれない。


 しかし、それを確かめるために誰かを危険へ晒すわけにはいかなかった。


「翔太も、絶対に近づかないこと」


 恵が息子へ念を押す。


「分かってるよ」


「見るだけでも駄目だからね」


「分かってるってば」


 翔太は少し不満そうだったが、魔犬の死体へ近づこうとはしなかった。


 戦っている最中は興奮していたのだろう。


 今は恐怖が戻ってきたらしく、恵の服の裾を握ったまま離れない。


 彩乃はそんな翔太の前へ立ち、死体が見えないようにしていた。


「掃除の続き、手伝ってくれる?」


「うん」


「じゃあ、店の中へ行こう。どっちが早くゴミを集められるか勝負ね」


「僕が勝つよ!」


 二人が店内へ戻っていく。


 悠真はその背中を見送ってから、手にしていた金属バットへ目を落とした。


 血が乾き始めている。


 前にも魔犬を倒した。


 黒牙の男も殴った。


 それでも、生き物を殺した感触に慣れることはなかった。


 骨を砕いた時の振動が、まだ手のひらへ残っているように感じる。


「手を見せて」


 美咲が濡らした布を持ってきた。


「怪我はないよ」


「怪我があるかどうかは、私が確認するの」


「真由美さんみたいになってきたな」


「誰のせいだと思ってるの?」


 美咲は悠真の手を取り、指や手のひらを一つずつ確かめる。


 強く握り過ぎたせいで赤くなっているが、皮膚は切れていない。


「本当に怪我はないみたい」


「言っただろ」


「戦ってる時は自分の怪我に気づかないこともあるって、おばさんが言ってた」


 美咲は安心したように息を吐く。


 しかし、すぐに悠真を睨んだ。


「それと、あれは無茶をしてないことにはならないからね」


「フェンスの中に頭が入ってたから、放っておけなかったんだ」


「分かってる。でも怖かった」


「ごめん」


「だから、謝ってほしいわけじゃないって」


 美咲は悠真の手を握ったまま俯いた。


「付き合い始めた次の日に、目の前で死なれたら、私……」


「死なないよ」


 悠真は思わず答えた。


 だが、その言葉が何の保証にもならないことは、自分でも分かっていた。


 今の世界で、絶対に死なないと言える人間などいない。


 魔犬に襲われるかもしれない。


 巨大な魔獣が現れるかもしれない。


 人間同士の争いへ巻き込まれるかもしれない。


「軽々しく言わないで」


 美咲の声は小さかった。


「死なないって約束じゃなくて、死なないためにちゃんと考えてほしいの」


「……うん」


「一人で何でもしようとしないで」


「分かった」


 悠真が頷くと、美咲はようやく顔を上げた。


「私もできることをするから」


「ああ」


 二人は短く視線を交わす。


 恋人になったからといって、何かが急に変わるわけではない。


 ただ、互いを失うことへの恐怖を、以前よりも隠せなくなった。



「巡回です!」


 正面入口で見張りをしていた田島の声が店内へ響いた。


「自衛隊の車両が来ました!」


 誠と佐伯がすぐに入口へ向かう。


 悠真も金属バットを置き、美咲と共に後を追った。


 駐車場へ、迷彩色の軽装甲車と小型トラックが入ってくる。


 車両から降りた隊員たちは、周囲を警戒しながら散開した。


 先頭にいたのは、何度か顔を合わせている高橋健吾三等陸曹だった。


「藤堂君」


 高橋は悠真の姿を認めると、少し驚いた顔をした。


「君たちだったのか」


「巡回中に音を聞いたんですか?」


「いや。給水所へ来た住民から、ホームセンターの方で大きな音と動物の鳴き声がしたと報告があった」


 発電機の音だけでなく、戦闘中の物音も周囲に響いていたらしい。


「魔犬が三匹来ました」


 誠が説明する。


「二匹は倒しましたが、一匹逃げています」


 高橋の表情が引き締まる。


「負傷者は?」


「いません」


「噛まれた者や、血液が目や口に入った者は?」


「いないはずです」


「確認させてください」


 高橋は部下へ指示を出す。


 一人の隊員が簡易的な防護マスクと手袋を着け、魔犬の死体へ向かった。


 別の隊員たちは店舗の外周を調べ始める。


「死体はそのままにしていました」


 悠真が言う。


「助かる。勝手に焼いたり解体したりされると、調査が難しくなる」


 高橋は立入禁止のロープを見て頷いた。


「適切な判断だ」


 死体を確認していた隊員が、魔犬の頭部と脚へ目を向ける。


「二体とも死亡を確認。外見的特徴は既報の変異犬と一致します」


「採取班へ連絡。回収まで住民を近づけるな」


「了解」


 高橋は壊れたフェンスへ歩み寄った。


 新しく設置された金網。


 空き缶を使った警報。


 内側から突き出せるように置かれた長いパイプ。


 地面に残る魔犬の爪痕。


「これを皆さんで?」


「昨日から補強を始めたばかりです」


 英樹が答えた。


「元から傷んでいた場所を狙われました」


「一匹が体当たりし、別の一匹が地面を掘っていました」


 悠真も付け加える。


「残った一匹は離れた場所から周囲を見ていたので、群れの中心だったかもしれません」


「連携していたということか」


「そう見えました」


 高橋は手帳を取り出し、話を記録する。


「逃げた個体の特徴は?」


「三匹の中では一番大きかったです。右耳の先が欠けていました」


 悠真は《鑑定》で見た情報を、外見から判断できる範囲に置き換えて説明した。


「毛は黒。体高は一メートルくらい。ほかの二匹が襲っている間は、直接近づいてきませんでした」


「逃げた方向は?」


「住宅地の南側です」


 高橋は部下へ顔を向ける。


「巡回班へ共有。単独ではなく、追加個体がいる可能性を考慮するように」


「了解」


 すぐに無線で情報が伝えられる。


 高橋が持つ機器から、途切れ途切れに別の隊員の声が聞こえた。


 自衛隊も通信障害の影響を受けている。


 それでも民間よりは遥かに強力な装備を使い、地域内での連絡網を維持していた。


「発電機の音に反応した可能性があります」


 田島が言った。


「修理して試運転した直後に来ました」


「以前にも、ここへ来た痕跡があったんですよね?」


 高橋が確認する。


「二日前にフェンスが曲げられていた」


 佐伯が答えた。


「昨夜は来なかったが、発電機を動かしたら現れた」


「音だけでなく、排気や人間の匂いを覚えていた可能性もあります」


 高橋はホームセンターを見上げる。


「ここを餌場か、人間の生活場所として認識しているのかもしれない」


 その言葉に、避難者たちの表情が曇った。


「また来るんですか?」


 田島の妻、明美が尋ねる。


「来ないとは言えません」


 高橋は曖昧な慰めを口にしなかった。


「逃げた個体が別の群れと合流する可能性もあります。しばらくは警戒を強めてください」


「自衛隊で駆除してもらえませんか」


 一人暮らしだった老人が声を上げる。


「皆さんがいるんだから、すぐ探しに行けるでしょう」


 高橋は老人へ向き直った。


「周辺の巡回時に捜索します。ただし、この個体だけを追跡するために部隊を常駐させることはできません」


「人が襲われるかもしれないんだぞ」


「同じ状況が、この地域の複数箇所で起きています」


 高橋の声には疲労が滲んでいた。


「魔犬だけではありません。大型の猪や鳥、所属不明の人型生物の目撃情報にも対応しています」


「人型……?」


 周囲がざわめく。


 悠真も高橋の言葉へ反応した。


「人型生物って、人間じゃないんですか?」


「詳細は確認中です」


 高橋はそれ以上を口にしなかった。


「未確認情報も多い。今は不用意に外出せず、見慣れない生物を見つけても近づかないでください」


 悠真はまだ人型は見たことがない。


 だが、どこかではすでに人間とは異なる知的生命体が現れているのかもしれない。


 魔獣だけでさえ、これほどの被害が出ている。


 人間のように道具を使う存在が敵対的だった場合、今までとは違う危険が生まれる。


「だからこそ」


 高橋はホームセンターへ集まった人々を見回した。


「皆さん自身で備えることも必要です」


「自分たちで戦えということですか」


 老人が険しい顔で尋ねる。


「無理に戦えとは言いません」


 高橋は即座に否定した。


「逃げるための時間を作る。接近を早く知る。侵入されにくくする。避難場所を決めておく」


「そういった準備なら、民間でもできます」


 視線が、壊れかけたフェンスへ向く。


「今日、負傷者が出なかったのは、皆さんが事前に警報と障害物を準備していたからです」


 それは悠真たちも感じていたことだった。


 フェンスがなければ。


 空き缶の音がなければ。


 武器を用意していなければ。


 魔犬は店内へ入り、避難者たちを襲っていた。


「小学校の拠点でも、すべての住民を守り切ることはできません」


 高橋は続ける。


「給水や診察、検査、緊急避難は受け付けています。しかし、長期間の生活場所や物資を、地域全体へ十分に提供できる状態ではない」


 だから、このホームセンターのような場所が必要になる。


 国や自衛隊だけに頼らず、住民が生活と防衛を支え合う場所。


「佐伯さん」


「はい」


「この施設を地域の避難場所として使っていると聞きました」


「避難所というより、共同拠点にするつもりです」


 佐伯は入口へ貼った紙を示した。


『地域共同拠点』


『ここにある物は、皆で生きるために使います』


 高橋は書かれた文字をしばらく見つめた。


「現在、何人いますか?」


「避難者が六人。俺を含めて七人です。藤堂さんたちは近くの家から手伝いに来ている」


「今後、受け入れ人数を増やす予定は?」


「予定というより、来た人間を全部追い返せるかどうか……」


 佐伯は苦い顔をする。


「だが、食料も水も無限じゃない。誰でも受け入れれば、すぐに破綻する」


「受け入れる条件と上限を決めた方がいい」


 高橋が言う。


「安全性の確認も必要です。魔獣との接触歴、負傷の有無、感染症状、武器の所持」


「感染症ですか?」


「魔獣との接触によって、何が起きるか分かっていません」


 恒一や悠真のような変化。


 高橋たちは、それを感染症とは断定していない。


 しかし、通常ではない現象が起きる可能性を考え、警戒している。


「避難者が来た場合は、すぐ生活区画へ入れず、一時的に分けて様子を見る場所があった方がいいでしょう」


「隔離区画か」


 英樹が呟く。


「資材館の一角なら、店内とは扉で分けられる」


「トイレは?」


「近くに従業員用がある。水は流れないが、簡易トイレに変えられる」


「設置するなら、小学校の医療班にも伝えてください」


 真由美がその場にいれば、さらに細かい衛生管理を提案しただろう。


 悠真は帰宅後、必ず相談しようと思った。


「それから」


 高橋は佐伯へ一枚の紙を渡した。


 周辺地域の簡単な地図だった。


 小学校。


 主要道路。


 給水地点。


 通行止めになっている場所。


 魔獣の目撃が多い地域。


 手書きで情報が書き加えられている。


「巡回班は、原則として午前と夕方にこの道路を通ります」


 高橋がホームセンター前の道を指さした。


「緊急時に通信手段がなければ、道路側に赤い布を掲げてください。可能な限り確認します」


「赤い布?」


「負傷者や魔獣の接近など、緊急の支援が必要な場合です。黄色なら物資や相談。白は異常なし」


 確実な通信ではない。


 巡回車両が通らなければ、助けは来ない。


 それでも、何もないより遥かにいい。


「店に布と塗料はある」


 佐伯が言う。


「今日中に作っておく」


「巡回経路に、この店を正式に加えてもらえるんですか?」


 誠が尋ねる。


「私の判断だけで正式とは言えません」


 高橋は慎重に答える。


「ただ、ここに住民がいることは部隊へ報告します。周辺の確認時には、できるだけ立ち寄るよう共有します」


「ありがとうございます」


「こちらとしても助かります」


 高橋は意外な言葉を返した。


「地域住民がまとまってくれれば、一軒ずつ状況を確認する必要がなくなる」


「給水や情報伝達も、拠点を通じて行える可能性があります」


 自衛隊がホームセンターを守ってくれるわけではない。


 だが、地域の拠点として認識されれば、完全に孤立することは避けられるかもしれない。


「ただし」


 高橋の声が強くなる。


「武装集団化はしないでください」


 悠真たちの表情がわずかに硬くなる。


「黒牙のような集団と同じになるな、ということですか」


 誠が尋ねた。


「はい」


「自衛のための武器は必要です。しかし、物資を理由に他の住民を脅したり、独自の処罰を行ったりすれば、別の問題になります」


 人が増え、武器が集まり、物資を管理する。


 そこに強い人間がいれば、やがて権力が生まれる。


 黒牙も最初から略奪者の集まりだったわけではない。


 蓮司を中心に、不良たちが互いを守るため集まっていた。


 そこへ力と恐怖が加わり、支配する集団へ変わった。


「規則は必要だ」


 佐伯が低く言う。


「俺の気分で決めるんじゃなく、全員が分かる形で」


「そうした方がいいでしょう」


 高橋は頷いた。


「食料の配分。武器の管理。見張り。新しい避難者の受け入れ。問題が起きた時の話し合い」


「最初に決めておかなければ、必ず揉めます」


 その言葉を最後に、高橋は回収作業へ戻った。



 二匹の魔犬は、防護服を着た隊員たちによって厚いシートへ包まれた。


 死体を持ち上げる際には、血液や体液が地面へ広がらないよう吸収材が敷かれる。


「肉は食べられるのか?」


 一人暮らしだった老人が、積み込まれる死体を見ながら呟いた。


 その声を聞いた高橋が振り返る。


「絶対に食べないでください」


「でも、食料が足りなくなったら」


「過去に魔獣の肉を口にした人間が、深刻な異常を起こした事例があります」


 蓮司のことだ。


 詳細は伏せられているが、自衛隊は危険性を把握している。


「加熱すれば大丈夫という保証もありません。血液や内臓に直接触れることも避けてください」


 老人は不満そうだったが、それ以上は言わなかった。


 食べられる可能性がある物を、目の前で持っていかれる。


 飢えが深刻になれば、その判断を受け入れられない者も出てくるだろう。


 だが、魔獣の肉が人間へ何をもたらすのかを知っている悠真は、惜しいとは思えなかった。


「高橋さん」


 悠真が声を掛ける。


「倒した魔犬は、どこへ運ぶんですか?」


「研究施設だ」


「以前の熊と同じところですか?」


「詳しい場所は答えられない」


「研究で何か分かったんですか?」


 高橋は一瞬迷うような表情をした。


「現時点で、住民へ説明できる内容はほとんどない」


「ほとんど?」


「魔獣の身体には、既存の生物では説明しにくい変化が起きている」


 筋肉。


 骨。


 内臓。


 そして魔素。


 研究者たちは、すでに何かを発見し始めている。


「研究は進められています。ただ、結果を急げば危険な判断につながる」


「だから、今は触るなとしか言えない」


「分かりました」


 悠真はそれ以上追及しなかった。


 自分には《鑑定》がある。


 魔犬の体を見れば、研究者たちが長い時間を掛けて調べる情報の一部を、瞬時に知ることができる。


 もし、その能力が知られれば。


 高橋や広瀬は、どのような判断を下すのだろう。


 守ってくれるのか。


 研究へ協力してほしいと頼むのか。


 それとも、本人の意思とは関係なく管理しようとするのか。


 まだ分からない。


 だからこそ、今は秘密にしておく。


「藤堂君」


 立ち去ろうとした悠真を、高橋が呼び止めた。


「はい」


「今回も君が前に出たと聞いた」


 悠真は答えに詰まる。


「皆で戦いました」


「それでも、以前にも魔犬を倒している」


 高橋の視線が、壁へ立て掛けられた金属バットへ向く。


「廃工場でも、君は救出に関わっていた」


「偶然です」


「偶然が続いているな」


 責めるような口調ではない。


 だが、高橋は確実に悠真を気にし始めている。


「勇敢なのは悪いことじゃない」


 高橋は言った。


「ただ、君は軍人でも警察官でもない。前に出ることが役割だと思わない方がいい」


「……はい」


「君が死ねば、悲しむ人がいる」


 高橋の視線が、美咲のいる方向へ一瞬だけ向いた。


「守ることと、無謀に戦うことは違う」


 美咲と同じことを言われた。


「気をつけます」


「本当に頼む」


 高橋は悠真の肩を軽く叩き、部下たちの方へ戻っていった。



 自衛隊の車両が去った後。


 ホームセンターに残った者たちは、事務所へ集まった。


 壁には昨日作った模造紙が貼られている。


『今日やること』


『ここで暮らす全員が、できることをする』


『ここは、まだ安全ではない』


 佐伯は、その横へ新しい紙を貼った。


「高橋さんの言う通りだ」


 全員を見回す。


「人数が少ない今のうちに、決まりを作る」


「店長が決めればいいだろう」


 老人が言う。


「ここはあんたの店だ」


「もう俺の店じゃない」


 佐伯は首を横へ振った。


「会社は営業を続けられない。ここにある物資も、俺個人の物にするつもりはない」


「だったら、誰の物なんだ」


「ここで生きる全員のために使う」


「話が曖昧だな」


 老人は納得していない。


「皆の物ってのは、結局、誰でも好きに使っていいってことじゃないのか」


「違います」


 誠が会話へ入った。


「皆のために使うからこそ、個人が勝手に持ち出してはいけないということです」


 誠は模造紙の前へ立った。


「最初に、物資について決めましょう」


 太いペンを持ち、紙へ書き込む。


『物資を無断で持ち出さない』


『使用する場合は、管理担当へ伝えて記録する』


『食料と飲料水は、人数と在庫を確認して配分する』


「自分で持ってきた物も全部共有するのか?」


 田島が尋ねる。


「個人の持ち物まで取り上げる必要はないと思います」


 恵が答えた。


「ただ、共有する物と自分の物は、最初に分けておいた方がいいですね」


「後から、これは俺の物だったと言われても困る」


 佐伯も頷く。


『個人所有物と共有物資を分けて記録する』


 新しい一文が加えられた。


「次は警備だ」


 英樹が言う。


「今日みたいに、全員が作業へ集中していたら、接近に気づくのが遅れる」


『作業中も必ず見張りを一人置く』


『夜間は交代制で警戒する』


『異常を見つけても一人で確認しに行かない』


 彩乃が最後の一文を指さす。


「これは、お兄ちゃんに大きく書いておいた方がいいんじゃない?」


「俺だけじゃないだろ」


「今日、一番近づいたのはお兄ちゃんでしょ」


 悠真が反論しようとすると、美咲まで頷いた。


「私も大きく書いた方がいいと思う」


「……分かりました」


 その場に小さな笑いが起きる。


 緊張した話し合いの中で、わずかに空気が和らいだ。


「武器はどうする?」


 田島が尋ねる。


「全員に一本ずつ渡すか?」


「子供や、扱いに慣れていない人もいます」


 恵が翔太を見ながら答える。


「すぐ取れる場所に置く必要はあるけど、誰でも勝手に持ち歩くのは危ないと思います」


『武器は決められた場所に保管する』


『使用後は必ず戻し、破損を報告する』


『子供だけでは触らない』


「僕、触らないよ」


 翔太が真面目な顔で言った。


「偉いね」


 美咲が頭を撫でる。


「でも、これは翔太だけの決まりじゃないから」


 次は、新しい避難者の受け入れ。


『名前と家族構成を確認する』


『怪我、発熱、魔獣との接触歴を確認する』


『武器は申告する』


『最初は一時区画で生活する』


『受け入れは、その時の食料・水・人数を見て話し合う』


 最後の一文を書いたところで、老人が声を上げた。


「助けを求めて来た人間を、追い返すのか」


 事務所が静かになる。


「可能性はあります」


 誠は正直に答えた。


「食料が十人分しかないのに、五十人を受け入れれば、全員が飢えます」


「そんなの、人を見殺しにするのと同じだ」


「全員を受け入れて共倒れするのも、助けることにはなりません」


「じゃあ、誰を助けて誰を捨てるか、お前たちが決めるのか?」


 老人の言葉は重かった。


 誰も簡単には答えられない。


 悠真も、正しい答えを持っていなかった。


 子供を優先するのか。


 働ける人間を優先するのか。


 負傷者を受け入れるのか。


 自分たちの家族を最優先にするのか。


 どの選択をしても、誰かを切り捨てることになるかもしれない。


「今、すべてを決めることはできません」


 佐伯が言った。


「だから、俺一人の判断では決めない」


「ここにいる人間で話す。それでも答えが出なければ、自衛隊や小学校の避難所へ相談する」


「時間がない時は?」


「その時の責任者が判断する」


「責任者って誰だ」


 佐伯はしばらく黙った。


「昼間は俺がやる」


「店のことを一番知ってるからな」


「俺がいない時は、誠さんに頼みたい」


 視線が誠へ集まる。


「俺ですか」


「話をまとめられる人間が必要だ。英樹さんや悠真たちは現場で動くことが多い」


 誠はすぐには返事をしなかった。


 責任者になるということは、偉くなることではない。


 誰かを受け入れるか。


 物資をどこへ使うか。


 危険な時に逃げるか戦うか。


 間違えれば人が死ぬ判断を求められる。


「分かりました」


 やがて誠は頷いた。


「ただし、可能な限り皆で話し合います」


「もちろんだ」


 佐伯は模造紙の下へ書き加えた。


『拠点管理――佐伯隆』


『調整・住民対応――藤堂誠』


「建物と防衛は英樹さん」


「分かった」


『建設・防衛設備――朝倉英樹』


「生活区画は、恵さんと美咲ちゃんに頼みたい」


 佐伯が言うと、恵は少し驚いた顔をした。


「私でいいんですか?」


「今日、必要な場所を一番よく考えてた」


「由紀さんや真由美さんにも相談しながらなら」


「お願いします」


『生活支援――三浦恵・朝倉美咲』


「物資は俺が管理するが、美咲ちゃんにも記録を手伝ってもらいたい」


「はい」


「警備は……」


 佐伯が言葉を止める。


 本来なら恒一が最も適任だ。


 だが、今は藤堂家で療養している。


「恒一が治るまでは、俺と彩乃ちゃんで補助します」


 英樹が答えた。


「私もやります」


 彩乃も胸を張る。


「無茶はしないこと」


 英樹が念を押す。


「分かってます」


 その返事を聞いた全員が、少し疑わしそうな顔をした。


「なんですか、その顔」


 再び小さな笑いが起きる。


「悠真は園芸と資材の確認だな」


 佐伯が言う。


「それと、何か危険な物を見つけるのが妙に上手い」


「たまたまですよ」


「そのたまたまに期待してる」


『農業・資材確認――藤堂悠真』


 紙へ役割が増えていく。


 まだ仮のものだ。


 人数が増えれば変わる。


 できることが分かれば、新しい役割も生まれる。


 それでも。


 誰が何をするのかが書かれただけで、寄せ集めだった人々が少しだけ一つの集団になったように見えた。


「これで完成?」


 翔太が模造紙を見上げる。


「まだだ」


 佐伯は一番下へ、大きな文字を書いた。


『ここにいる人間を、力で支配しない』


 その一文に、悠真は黒牙を思い出した。


 蓮司は力を得た。


 仲間を守るために使うこともできたはずだった。


 だが、やがて恐怖で人を従わせ、自分の欲望を満たすために力を振るった。


「力のある人間が偉いわけじゃない」


 佐伯が言う。


「食料を管理する人間が偉いわけでもない」


「この場所で暮らすなら、それだけは忘れないようにしたい」


 誰も異論を唱えなかった。



 話し合いが終わり、午後の作業を再開しようとした時だった。


 正面入口の見張りに立っていた田島が、再び大きな声を上げた。


「人が来ます!」


 一同に緊張が走る。


 先ほど自衛隊が来た時とは違う声音だった。


「何人だ?」


 佐伯が入口へ向かう。


「車が一台。人は……少なくとも七人います!」


 悠真たちも武器の置かれた場所へ向かった。


 店舗正面。


 駐車場の入り口へ、一台の古いワゴン車がゆっくり入ってくる。


 車体には泥と擦り傷。


 フロントガラスの一部にはひびが入っている。


 運転席から降りたのは、五十代ほどの男だった。


 両手を見える位置へ上げている。


「怪しい者じゃありません!」


 男は店へ向かって叫んだ。


「給水所で、ここが避難できる場所だと聞きました!」


 後部座席の扉が開く。


 疲れ切った女性。


 足を引きずる青年。


 小さな子供を抱いた母親。


 そして、制服を着たままの高校生が二人。


 全員が汚れ、怯えた顔をしていた。


「家が襲われたんです」


 男の声が震える。


「一晩だけでもいい」


「中へ入れてください」


 悠真は、つい先ほど作ったばかりの模造紙へ目を向けた。


『受け入れは、その時の食料・水・人数を見て話し合う』


 決まりを書いた直後に。


 最初の判断を迫られる時が来た。


 佐伯と誠が、互いの顔を見る。


 助けを求めている人間がいる。


 しかし、怪我の状態も、魔獣との接触歴も分からない。


 食料や水がどれだけ必要になるのかも分からない。


 歓迎するだけでは、共同拠点は守れない。


 疑うだけでも、人は救えない。


「まず、話を聞きましょう」


 誠が静かに言った。


 英樹たちは武器を下ろさず。


 恵と美咲は隔離区画の準備へ向かう。


 佐伯は入口の障害物を、すぐには動かさなかった。


 地域共同拠点。


 それは、看板を掲げただけでは完成しない。


 誰を受け入れ。


 何を分け合い。


 どこまで守るのか。


 答えのない選択を重ねながら。


 この場所は少しずつ、ただの建物ではなくなっていく。


 悠真は金属バットを握り、車から降りてくる人々を見つめた。


 守るために必要なのは、強い壁だけではない。


 人を信じること。


 そして、信じる前に確かめること。


 その両方が必要なのだ。

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