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『世界が大変だけど、念のため備えていたら家族と生き残れました ~通信障害から始まる終末サバイバル~』  作者: バックドロップ
第三章 黒牙

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第30話 力の味



 廃工場へ戻った黒田たちは、すぐに神崎蓮司の前へ集められた。


 事務所代わりに使われている二階の部屋。


 割れた窓にはブルーシートが貼られ、隙間風が吹き込んでいる。


 薄暗い部屋の中央に置かれた机には、地図と缶詰の空き缶、そして血の付いたナイフが置かれていた。


 蓮司は椅子に座り、頬杖をつきながら黒田の報告を聞いていた。


「で?」


 低い声。


「どうだった。」


 黒田は肩をすくめる。


「思ったより面倒そうですね。」


「人数は?」


「八人前後。」


「大人の男が何人かいます。」


「家も補強してました。」


「門、窓、庭の仕掛け。」


「資材もかなりあります。」


「物資は?」


「相当溜め込んでると思います。」


 蓮司の指が机を叩く。


 トン。


 トン。


 トン。


「女は?」


 その問いに、部屋の空気がわずかに揺れた。


 黒田は笑みを崩さず答える。


「若いのが二人。」


「一人は高校生くらい。」


「もう一人は大学生くらいですかね。」


 直人は壁際で黙っていた。


 視線を下げる。


 彩乃の顔が脳裏に浮かぶ。


 真っ直ぐにこちらを見ていた目。


 あの目を思い出すと、胸の奥がざわついた。


「藤堂家、か。」


 蓮司が呟く。


「ずいぶん準備がいいな。」


「ホームセンターから物資を運んでましたからね。」


 黒田が言う。


「たぶん、関係者がいます。」


「ホームセンターか。」


 蓮司の口元が歪む。


「いいな。」


 その一言に、直人の背筋が冷えた。


 何がいいのか。


 物資か。


 女か。


 家か。


 全部か。


 今の蓮司からは、それが分からない。



「総長。」


 若い構成員が口を挟んだ。


「じゃあ、いつ行きます?」


 蓮司が視線だけを向ける。


「何をだ。」


「いや、だから。」


「奪いに。」


 言った瞬間。


 部屋が静まり返った。


 以前なら、蓮司はその言葉を聞けば怒った。


 少なくとも、いきなり弱い相手を襲うような真似は許さなかった。


 だが今は。


「……。」


 蓮司は何も言わない。


 ただ、少し笑った。


「悪くねぇな。」


 直人は拳を握った。


 違う。


 前の総長なら、そんな顔はしなかった。


 黒田は空気を読んだように口を開く。


「ただ、正面からはやめた方がいいです。」


「何でだ。」


「強そうな男がいました。」


「空手でもやってそうな奴です。」


「それに門も補強済み。」


「騒ぎになれば近所に見られます。」


「警察は来ないかもしれませんが、魔獣は音に寄ってくる可能性がある。」


 蓮司は少しだけ眉を動かした。


「魔獣、か。」


 その響きに、部屋の空気がまた変わる。


 蓮司は椅子から立ち上がった。


「ちょうどいい。」


「え?」


「見せてやる。」



 廃工場の裏手には、広い資材置き場があった。


 錆びた鉄骨。


 壊れたフォークリフト。


 放置されたコンテナ。


 その奥で、鎖に繋がれたものが唸っていた。


「グルルルル……。」


 魔犬。


 普通の大型犬よりさらに一回り大きい。


 骨格は歪み、牙は異常に伸び、目は赤黒く濁っている。


 黒牙のメンバーが昼間に罠で捕らえた個体だった。


 何人かが怯えたように後ずさる。


「総長。」


 黒田が聞く。


「これをどうするんです?」


「狩る。」


 蓮司は簡単に答えた。


「素手でですか?」


「ああ。」


「危ないですよ。」


 その言葉に蓮司は笑った。


「危ない?」


 次の瞬間。


 蓮司は自ら鎖を外した。


「総長!」


 魔犬が跳んだ。


 誰も反応できない速度。


 だが、蓮司だけは違った。


 半身になって牙をかわす。


 右拳を振る。


 鈍い音が響いた。


 魔犬の身体が地面を転がる。


「……。」


 直人は目を見開いた。


 速い。


 強い。


 数日前までの蓮司とは、比べ物にならない。


 魔犬が起き上がる。


 低く唸る。


 蓮司は笑っていた。


「来いよ。」


「もっとだ。」


 魔犬が再び襲いかかる。


 蓮司は今度は避けない。


 前足を掴む。


 握り潰す。


 骨が砕ける音がした。


 魔犬が悲鳴を上げる。


 蓮司はその頭を掴み、地面へ叩きつけた。


 一度。


 二度。


 三度。


 やがて魔犬は動かなくなった。


 資材置き場に沈黙が落ちる。


 蓮司は荒い息を吐きながら、血に濡れた拳を見つめていた。


 そして。


 笑った。


「……増えた。」


 誰かが聞き返す。


「何がですか。」


「力だ。」


 蓮司は自分の拳を握る。


「こいつを殺した瞬間、身体の奥が熱くなった。」


「分かるんだよ。」


「強くなったって。」


 直人の喉が鳴る。


 蓮司の頭の中には、誰にも聞こえない声が響いていた。



《魔獣を討伐しました》


魔素吸収を開始します。


身体能力向上・大:強化


精神汚染が進行しました。


現在侵食率 7%



「七パーセント。」


 蓮司は小さく呟く。


 そして口元を歪めた。


「まだいける。」



 その日から、蓮司は魔獣を狩り始めた。


 最初は魔犬。


 次にレイブンクロウ。


 その次は変異した野良猫のような小型魔獣。


 黒牙のメンバーたちは、蓮司の後ろについて回った。


 獲物を探す。


 追い込む。


 逃げ道を塞ぐ。


 最後に蓮司が殺す。


 魔獣を倒すたびに、蓮司は強くなった。


 少なくとも、本人はそう感じていた。


 実際、力は増していた。


 走る速度。


 握力。


 反応速度。


 痛みに対する鈍さ。


 すべてが人間から離れていく。


 だが同時に、変化もあった。


 苛立ちが増えた。


 食欲が増えた。


 眠らなくなった。


 人の目を見る時間が短くなった。


 物を見る時の基準が変わった。


 必要かどうかではない。


 欲しいかどうか。


 従うかどうか。


 邪魔かどうか。


 それだけで判断するようになっていった。



「総長。」


 古参の一人が、ある夜、意を決して口を開いた。


「最近、少しおかしいです。」


 廃工場の空気が止まる。


 蓮司はゆっくり振り返った。


「何が。」


「その……。」


「力を使いすぎじゃないですか。」


「魔獣を狩れば強くなるってのは分かります。」


「でも、総長。」


「最近、仲間にも当たりが強いです。」


 直人は息を止めた。


 誰もが思っていた。


 けれど口に出せなかったこと。


 それを、古参の男は言った。


 蓮司は黙って聞いていた。


 そして。


「お前。」


 低い声で言った。


「俺がいなきゃ、今頃死んでるぞ。」


「それは……。」


「誰が魔獣を狩ってる。」


「誰が食料を守ってる。」


「誰がこの場所を守ってる。」


 蓮司は一歩ずつ近付く。


 男の顔色が変わる。


「俺だろ。」


「はい。」


「なら黙って従え。」


「……。」


「返事は。」


「はい。」


 それで終わるはずだった。


 だが。


 男が小さく呟いた。


「前の総長は、そんな言い方しなかった。」


 次の瞬間。


 蓮司の拳が動いた。


 男の身体が床へ叩きつけられる。


 誰も動けなかった。


「前?」


 蓮司が笑う。


「前の俺じゃ守れなかったから、こうなったんだろうが。」


 血を吐く男の前で、蓮司は言った。


「文句があるなら出ていけ。」


「この街で一人で生きてみろ。」


「魔獣に食われるか。」


「他の連中に奪われるか。」


「どっちかだ。」


 誰も何も言えなかった。


 直人は拳を握る。


 爪が掌に食い込む。


 痛い。


 でも、それ以上に胸が痛かった。



 蓮司の変化を見て、真似をする者も出始めた。


「俺も強くなりたい。」


「総長みたいになれるなら。」


「魔獣の肉を食えばいいんだろ?」


 最初に食べたのは、若い構成員だった。


 魔犬の肉を焼き、震える手で口に運んだ。


 しばらくは何も起きなかった。


 周囲の者たちが息を呑んで見守る。


 男は笑った。


「何だよ。」


「平気じゃ――」


 そこで倒れた。


 全身を痙攣させる。


 口から泡を吹く。


 目が血走る。


 皮膚の下で何かが蠢くように膨れ上がる。


「おい!」


「大丈夫か!」


 男は叫んだ。


 人間の声ではなかった。


 喉を裂くような絶叫。


 数分後。


 男は動かなくなった。


 死んだ。


 あるいは、死ぬより酷い状態だった。


 その姿を見て、誰も笑えなかった。


 蓮司だけが、冷めた目で見下ろしていた。


「適性がなかったんだろ。」


 それだけだった。


「片付けろ。」


 直人は耳を疑った。


 仲間だ。


 今、死んだのは仲間だった。


 昨日まで一緒に飯を食っていた男だった。


 それを。


 片付けろ。


 蓮司はそう言った。



 それでも、真似をする者は消えなかった。


 恐怖よりも、力への欲望が勝つ者がいた。


 ある者は高熱を出し、二日後に衰弱して死んだ。


 ある者は数時間だけ力を得たが、理性を失い、仲間に襲いかかったため蓮司に殺された。


 ある者は片腕だけが異様に膨れ上がり、そのまま壊死した。


 成功した者はいない。


 蓮司だけだった。


 魔獣肉を食べ、生き残り、力を得たのは。


 その事実が、黒牙の中で蓮司をさらに特別な存在にした。


 そして同時に、さらに恐怖の対象にした。


「総長は選ばれたんだ。」


 誰かが言った。


「総長だけが特別なんだ。」


 別の誰かが頷いた。


 だが直人には、その言葉が祈りのように聞こえた。


 そう思わなければ、納得できない。


 そう思わなければ、怖くて側にいられない。



 夜。


 廃工場の屋上で、直人は一人座っていた。


 遠くに住宅街が見える。


 そのどこかに藤堂家がある。


 その庭で、藤堂彩乃は家族に囲まれて立っていた。


 守られる場所。


 帰る場所。


 直人は膝を抱える。


「……何やってんだろうな、俺、、」


 蓮司は変わった。


 それはもう、誤魔化せない。


 でも、蓮司は自分を救ってくれた人だ。


 その事実も消えない。


 恐怖と恩。


 疑念と信頼。


 逃げたい気持ちと、見捨てられない気持ち。


 全部が胸の中で絡まっていた。


 その時。


 屋上へ上がる足音がした。


 振り返る。


 黒田だった。


「直人。」


「……何ですか。」


「お前、今日の藤堂家で何か見ただろ。」


 直人の身体が強張る。


「別に。」


「嘘下手だな。」


 黒田は笑う。


「総長には言わないでおいてやるよ。」


「何の話ですか。」


「あの女は同級生だろ?」


 直人は何も答えない。


 黒田は柵にもたれた。


「気を付けろよ。」


「何を。」


「情だよ。」


 黒田の目が細くなる。


「今の総長の前で、余計な情を見せるな。」


「食われるぞ。」


 直人は黒田を見る。


「比喩ですか。」


「さあな。」


 黒田は笑った。


「分かんねぇな〜」


 屋上に冷たい風が吹いた。


 直人は住宅街を見る。


 遠く。


 藤堂家のある方角を。


 そして、胸の奥で思った。


 もし。


 もし総長があの家を本気で狙うなら。


 その時、自分はどうするのか。


 まだ答えは出なかった。


 でも。


 答えを出さなければならない時が、確実に近付いていることだけは分かっていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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皆さまの反応を参考に、今後の更新ペースや展開も調整していきたいと思っています。

誤字脱字なども気づいた点があれば、遠慮なく教えてください。


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