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『世界が大変だけど、念のため備えていたら家族と生き残れました ~通信障害から始まる終末サバイバル~』  作者: バックドロップ
第三章 黒牙

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第29話 最初の接触

 土を掘る。


 種を蒔く。


 水をやる。


 少し前まで。


 そんなことが、生きるために必要になるとは思ってもいなかった。


「お兄ちゃん。」


「何。」


「これ、どのくらい間隔空けるの?」


「袋に書いてあるだろ。」


「読んだけど分かんない。」


「何が分からないんだよ。」


「株間二十センチ。」


「書いてあるじゃん。」


「だから。」


 彩乃は種の袋を持ったまま、真剣な顔で言った。


「二十センチって、どのくらい?」


「……。」


 悠真は。


 黙って妹を見た。


「何。」


「お前、、」


「学校行ってたよな?」


「行ってたよ。」


「二十センチ分からないの?」


「数字は分かる!」


「じゃあ何が分からないんだよ。」


「感覚?」


「測れよ。」


「面倒くさい!!」


「適当に蒔くな。」


「大丈夫でしょ。」


「大丈夫じゃない。」


「植物だよ?」


「植物だからだよ。」


「細かいなぁ。」


「お前が雑なんだよ。」


「二人とも。」


 少し離れた場所から。


 美咲が呆れた声を出した。


「朝から何やってるの。」


「彩乃が適当に種蒔こうとしてる。」


「だって。」


 彩乃は不満そうに頬を膨らませた。


「土なんだから。」


「どこに蒔いても育つでしょ。」


「育たないよ。」


 美咲が即答する。


「何で美咲が知ってるの?」


「袋に書いてあるから。」


「……。」


「読んだ?」


「読んだ。」


「本当に?」


「読んだって!」


「じゃあ何て書いてあった?」


「……。」


 彩乃は。


 種の袋を見る。


「えっと。」


「日当たりの良い場所で。」


「それ表。」


「……。」


「裏読んでないでしょ。」


「細かいなぁ!」


「細かくない!」


 悠真は。


 思わず笑った。



 朝。


 藤堂家の庭。


 今日は。


 ホームセンターで入手した野菜の種を植えていた。


 小松菜。


 ほうれん草。


 大根。


 人参。


 ネギ。


 他にも。


 季節や環境が合えば育てられそうな種を。


 佐伯の助言を受けながら。


 できるだけ多く持ち帰っていた。


『家庭菜園なんて趣味じゃなくなるかもしれないぞ。』


 ホームセンターで。


 佐伯が言っていた。


 その時は。


 まだ。


 実感がなかった。


 だが。


 今なら分かる。


 物流が止まっている。


 スーパーも。


 コンビニも。


 商品は補充されない。


 今ある備蓄を。


 食べ続けるだけでは。


 いつか、なくなる。


 何日。


 何週間。


 何ヶ月。


 この状況が続くのか。


 誰にも分からない。


 なら。


 作るしかない。


 自分たちで。


 食べるものを。



「そこ。」


 英樹が指を差す。


「もう少し深く掘ってくれ。」


「このくらいですか?」


 悠真が聞く。


「もう少し。」


「はい!」


 庭の一角。


 以前は。


 ほとんど使っていなかった場所。


 そこを。


 簡単な畑へ変えていた。


 ホームセンターから持ち帰った培養土。


 肥料。


 園芸用品。


 使えるものは。


 何でも使う。


「昔、、」


 誠が土を耕しながら言った。


「母さんが家庭菜園やりたいって言ってたな。」


「言ってたね〜」


 真由美が答える。


「あなたが。」


「虫が増えるから嫌だって、、」


「……言ったか?」


「言った。」


「覚えてないなー。」


「都合の悪いことはすぐ忘れるんだから!」


「今やってるんだからいいだろ。」


「今は必要だからでしょ。」


「必要になったらやる。」


「それを昔からやってればよかったの。」


「……。」


 誠が黙る。


「父さん」


 悠真が小声で言う。


「勝てないなら黙ってた方がいいよ。」


「お前。」


「誰の味方だ?」


「勝てる方。」


「最低だな。」


「賢いと言って。」


 少しだけ。


 笑いが起きた。



 世界は。


 壊れ始めている。


 電気は。


 まだ戻らない。


 水道も。


 いつ止まるか分からない。


 通信も。


 繋がったり。


 途切れたり。


 遠くでは。


 魔獣が人を襲っている。


 黒牙という集団が。


 街で好き勝手にしている。


 それでも。


 朝になれば。


 腹は減る。


 土は乾く。


 種は。


 蒔かなければ芽を出さない。


 悠真は。


 最近。


 少しずつ。


 それを理解し始めていた。


 世界が変わっても。


 生きるということは。


 案外。


 地味なことの繰り返しなのかもしれない。


「悠真。」


「ん?」


「水。」


 美咲が。


 じょうろを差し出す。


「こっち終わった。」


「早いな。」


「彩乃と違って。」


「ちゃんと説明読んだから。」


「聞こえてるよ!」


 少し離れた場所から。


 彩乃が叫ぶ。


「悪口言わないで!」


「悪口じゃないよ。」


「事実。」


「もっと悪い!」


 美咲が笑う。


 悠真も。


 つられて笑った。


 その時だった。


「……。」


 悠真の笑顔が。


 消えた。


 遠くから。


 音が聞こえた。


 ブォン。


 ブォォン。


 低い。


 エンジン音。


 一台ではない。


 複数。


 昨日も。


 聞いた音。


「悠真?」


 美咲が。


 悠真の表情に気付く。


「どうしたの?」


「静かに。」


 悠真は言った。


 美咲が黙る。


 彩乃も。


 こちらを見る。


 音が。


 近付いてくる。


 ブォン。


 ブォォォン。


「バイク。」


 彩乃が呟いた。


 悠真は。


 家の方を見る。


「父さん!」


 声を上げる。


 誠が。


 すぐに顔を上げた。


「来たか」


 英樹も。


 立ち上がる。


 笑っていた空気が。


 一瞬で。


 消えた。



 バイクの音は。


 近付いてきた。


 住宅街の中。


 ゆっくり。


 まるで。


 周囲の家を見ながら進んでいるように。


 悠真は。


 無意識に左腕へ意識を向けた。


 まだ。


 《鑑定》は反応しない。


 距離がある。


「全員。」


 誠が低い声で言う。


「家の近くへ。」


 全員が。


 動く。


「俺も。」


 恒一が。


 玄関から出てきた。


「恒一さん。」


「寝てろって言うな。」


「まだ何も言ってません。」


「顔に書いてある。」


 恒一は。


 悠真の横へ来た。


 顔色は。


 昨日より良い。


 だが。


 まだ。


 完全ではない。


「無理しないでください。」


「分かってる。」


 恒一は。


 門の向こうを見る。


「でも。」


「妹と母親がいる。」


「家の中で寝てられるか。」


 美咲が。


 何か言おうとした。


 だが。


 何も言わなかった。



 バイクが。


 見えた。


 一台。


 二台。


 三台。


 その後ろ。


 四台。


 五台。


 全部で。


 五台。


 乗っているのは。


 六人。


 一台だけ。


 二人乗りだった。


 門の少し手前で。


 バイクが止まる。


 エンジン音が。


 一台ずつ消える。


 静かになる。


 不自然なほど。


 静かだった。


 男たちが。


 バイクから降りる。


 若い。


 20代から10代後半が中心。


 服装。


 髪。


 態度。


 普通の近所の住民ではない。


 その中の一人。


 黒いジャケットを着た男が。


 前へ出た。


 20歳前後。


 細身。


 口元には。


 笑み。


 だが。


 目は。


 笑っていなかった。


「どうもー」


 男が。


 片手を上げる。


「こんにちはー」


 誰も。


 返事をしない。


 男は。


 気にした様子もなく。


 藤堂家を見る。


 積まれた資材。


 ポリタンク。


 そして。


 畑。


「へぇ。」


 男が言った。


「すごいな。」


 悠真の背中に。


 嫌な汗が流れた。


「随分」


 男は。


 笑顔のまま続ける。


「物資、溜め込んでるみたいじゃないですか?」



「何の用ですか?」


 前へ出たのは。


 誠だった。


 その隣に。


 英樹が立つ。


「いや。」


 男は笑う。


「怖いなぁ〜」


「別に。」


「奪いに来たわけじゃないですよ?」


 奪いに。


 その言葉を。


 自分から口にした。


 悠真は。


 それを覚えておいた。


「じゃあ。」


 誠が聞く。


「何の用ですか?」


「挨拶?」


 男は答えた。


「近所付き合いですよ?」


「こんな時ですから〜」


「誰が。」


「どこにいるか。」


「知っておいた方がいいでしょ?」


「あなたたちは?」


 誠が聞く。


 男は。


 少しだけ笑みを深くした。


「黒牙」


 その名前。


 誰も。


 反応しなかった。


 だが。


 全員が。


 知っていた。


「聞いたことあります?」


「少し。」


 誠が答える。


「へぇ〜」


「どんな噂です?」


「色々です。」


「色々?」


 男は。


 少し笑った。


「怖いなぁ〜」


「悪い噂じゃないといいんですけど。」


 英樹が。


 低い声で言う。


「用件は?」


 男の視線が。


 英樹へ向く。


「急かしますね〜」


「忙しいんだ。」


「畑仕事で?」


「そうだ。」


「大変ですね〜」


 男は。


 庭を見る。


「でも。」


「これだけ準備できてるなら。」


「しばらくは。」


「困らなそうだ」


 その視線。


 畑だけではない。


 物資。


 家。


 窓。


 人数。


 見ている。


 全部。


 悠真は。


 そう感じた。



「俺は、」


 男は。


 自分の胸を指差した。


「黒田拓海っていいます。」


「黒牙では。」


「まあ。」


「色々やってます。」


 幹部。


 悠真は。


 そう理解した。


 少なくとも。


 ただの下っ端ではない。


「それで。」


 黒田が言う。


「こんな時だから。」


「お互い色々協力しません?」


 誠の表情は。


 変わらない。


「協力?」


「そう!」


「協力。」


 黒田は。


 両手を広げる。


「俺たち。」


「人数いるんですよ〜」


「車もある。」


「バイクもある。」


「街の情報も。」


「かなり持ってる。」


「そっちは。」


 視線が。


 悠真たちへ向く。


「物資。」


「家。」


「それに。」


 黒田は。


 門を見る。


「随分。」


「対策もしてるみたいで。」


 悠真の身体が。


 少しだけ強張った。


「音が鳴る仕掛けまで。」


 知っている。


 どこまで。


 見ていた。


 悠真は。


 黒田の後ろにいる男たちを見る。


 その時。


 一人と。


 目が合いそうになった。


 若い。


 他の男たちより。


 明らかに若い。


 十代前半。


 茶色い髪。


 顔を。


 少し伏せている。


「……。」


 どこかで。


 見たことがあるような。


 悠真は。


 そう思った。


 だが。


 思い出せなかった。



「協力というのは?」


 誠が聞く。


「具体的に。」


「簡単ですよ〜」


 黒田が答える。


「困った時は。」


「お互い助ける。」


「物資が足りなければ。」


「分け合う。」


「魔獣が出たら。」


「一緒に戦う。」


「悪い話じゃないでしょ?」


 言葉だけなら。


 悪くない。


 むしろ。


 今の状況では。


 必要なことに思える。


 だが。


 悠真は。


 黒田の後ろを見る。


 一人の男が。


 美咲を見ていた。


 顔。


 胸元。


 脚。


 ゆっくり。


 舐めるように。


 美咲が。


 その視線に気付く。


 少し。


 後ろへ下がった。


 悠真の胸の奥が。


 熱くなる。


 別の男。


 今度は。


 彩乃を見ている。


「へぇ〜可愛いじゃん。」


 男が。


 小さく笑った。


「女の子もいるんだ。」


 その瞬間。


 空気が。


 変わった。


「……何だ?」


 低い声。


 恒一だった。


 一歩。


 前へ出る。


「何見てんだ。」


 美咲を見ていた男が。


 笑う。


「別に、、」


「見てただけだろ?」


「そうか。」


 恒一は。


 もう一歩。


 前へ出た。


「じゃあ。」


「もう見るな。」


「……。」


 男の笑顔が。


 少し消える。


「何だよ!?」


「兄ちゃん。」


「喧嘩売ってんの?」


「売ってない。」


 恒一は答える。


「お前が。」


「俺の妹を見てたから。」


「見るなって言っただけだ。」


 美咲が。


 恒一を見る。


「お兄ちゃん、、」


「大丈夫。」


 恒一は。


 振り返らない。


「下がってろ。」


 声は。


 穏やかだった。


 だが。


 悠真は。


 気付いた。


 恒一の右手。


 拳。


 強く。


 握られている。


「恒一さん。」


 悠真が。


 小さく呼ぶ。


「分かってる。」


 恒一は。


 短く答えた。


 自分を。


 抑えている。



 黒田が。


 片手を上げた。


「おい!」


 後ろの男へ。


「やめとけ。」


「でも。」


「やめろ。」


 その声は冷たく、笑っていなかった。


 男が。


 舌打ちする。


 黒田は。


 再び。


 誠を見る。


「すみませんね〜」


「若い奴が〜」


「でも。」


「悪気はないんですよ〜」


「悪気がなければ。」


 英樹が言う。


「何をしてもいいのか?」


 黒田の目が。


 英樹へ向く。


「そうは言ってませんよ。」


「なら。」


 英樹が。


 一歩前へ出た。


「帰れ!」


 はっきり。


 言った。


 黒田の笑顔が。


 少しだけ。


 消えた。


「……。」


「聞こえなかったか!」


 英樹は続ける。


「協力するつもりはない。」


「帰れ。」


「お父さん。」


 黒田が。


 少し笑う。


「今の状況。」


「分かってます?」


「分かってる。」


「警察。」


「来ないですよ。」


「それが?」


「魔獣もいる。」


「食料も減る。」


「水も。」


「燃料も。」


「これから。」


「一人じゃ。」


「何もできなくなる。」


「一人じゃない。」


 誠が言った。


 黒田が。


 誠を見る。


「ここには。」


「家族がいる。」


「友人もいる。」


「協力する相手は。」


「自分たちで決めます。」


 静かな声。


 だが。


 はっきりしていた。


「あなたたちと。」


「協力するつもりはありません。」



 沈黙。


 風。


 遠くで。


 何かが鳴いた。


 鳥か。


 それとも。


 別の何かか。


 誰も。


 動かない。


 黒田の後ろ。


 男たちが。


 少しずつ。


 立ち位置を変える。


 悠真は。


 それに気付いた。


 誠も。


 英樹も。


 気付いている。


 恒一は。


 前にいる。


 悠真。


 彩乃。


 そして。


 家の中には。


 真由美と由紀。


 人数。


 こちらも。


 少なくない。


 逃げ道。


 互いに。


 見ている。


 測っている。


 今。


 戦えば。


 どうなるか。



 黒田は。


 恒一を見た。


「兄ちゃん。」


「何だ。」


「強そうだね。」


「普通だ。」


「そう?」


 黒田の視線が。


 恒一の身体を見る。


 恒一は。


 元々。


 鍛えている。


 空手部の元主将。


 今でも。


 休日には。


 後輩の指導へ行く。


 立っているだけで。


 素人ではないと分かる。


 だが。


 黒田が感じたのは。


 それだけではなかった。


 何か。


 妙な。


 圧。


「……。」


 黒田は。


 少しだけ目を細めた。


 そして。


 悠真を見る。


 次に。


 彩乃。


 誠。


 英樹。


 家。


 門。


 もう一度。


 恒一。


「まあ〜」


 黒田は。


 笑った。


「今日は。」


「挨拶だけですから〜」


 空気が。


 少しだけ緩む。


「無理に。」


「どうこうしようって話じゃない。」


「ただ。」


 黒田は。


 門の向こうから。


 藤堂家を見た。


「困った時は。」


「お互い様。」


「そういう話です。」


「必要ありません!」


 誠が答える。


「そうですか〜」


 黒田は。


 肩を竦めた。


「残念だ〜」


 そして。


 背を向ける。


「帰るぞ。」


 男たちが。


 動き始める。



 その時。


 彩乃は。


 一人の少年を見ていた。


 茶色い髪。


 痩せた身体。


 顔を。


 見せないようにしている。


「……。」


 何だろう。


 最初から。


 気になっていた。


 見たことがある。


 声は。


 聞いていない。


 でも。


 立ち方。


 横顔。


 どこか。


 記憶にある。


 少年が。


 バイクへ向かう。


 その瞬間。


 風が吹いた。


 髪が。


 揺れる。


 横顔が。


 見えた。


「……え。」


 彩乃の目が。


 大きくなる。


 少年も。


 気付いた。


 目が合った。


「……。」


「……。」


 一瞬。


 時間が。


 止まった。


 彩乃の頭に。


 中学校の教室が浮かぶ。


 いつも。


 後ろの席。


 机に突っ伏していた。


 教師に怒られていた。


 遅刻。


 欠席。


 喧嘩。


 問題児。


 そう。


 呼ばれていた。


「相沢……?」


 声には。


 出さなかった。


 唇だけが。


 動いた。


 少年。


 相沢直人の表情が。


 強張った。


 やっぱり。


 気付かれた。


 直人は。


 そう思った。



 藤堂彩乃。


 生きていた。


 本当に。


 あの藤堂家だった。


 直人の胸に。


 何かが。


 一気に込み上げた。


 安心。


 何で。


 安心する。


 自分でも。


 分からない。


 懐かしさ。


 恥ずかしさ。


 嫉妬。


 そして。


 恐怖。


 彩乃は。


 家族に囲まれていた。


 父親。


 母親。


 兄。


 知っている。


 中学時代。


 何度か。


 学校へ来ていた。


 空手部の試合でも。


 見たことがある。


 そして。


 他にも。


 守ってくれる大人がいる。


 家族。


 仲間。


 直人は。


 思った。


 ――やっぱり。


 お前は。


 そういう場所にいるんだな。


 世界が。


 こんなになっても。


 帰る場所があって。


 守ってくれる奴がいて。


 今度は。


 自分も。


 誰かを守ろうとしている。


「……。」


 腹が立つ。


 少しだけ。


 でも。


 生きていた。


 それが。


 嬉しかった。


 その感情が。


 もっと。


 腹立たしかった。


 直人は。


 顔を逸らした。


「直人。」


 仲間が呼ぶ。


「何してんだ。」


「……何でもない。」


「早く乗れ。」


「ああ。」


 直人は。


 バイクへ向かう。


 振り返らない。


 そう決めた。


 だが。


 跨がる直前。


 一度だけ。


 振り返った。


 彩乃が。


 まだ。


 こちらを見ていた。


 直人は。


 すぐに。


 顔を逸らした。



 エンジンが。


 かかる。


 一台。


 二台。


 三台。


 黒田が。


 最後に。


 こちらを見た。


「じゃあ。」


「また。」


 誠は。


 答えなかった。


 バイクが。


 走り出す。


 遠ざかる。


 音。


 小さくなる。


 それでも。


 誰も。


 すぐには動かなかった。


 完全に。


 音が聞こえなくなるまで。


 待った。


「……行った。」


 美咲が。


 小さく呟く。


 恒一が。


 息を吐いた。


 拳を。


 開く。


 掌には。


 爪の跡が残っていた。


「大丈夫ですか?」


 悠真が聞く。


「ああ。」


「数字は?」


「見ますか。」


「頼む。」


(《鑑定》)



【朝倉 恒一】


【状態:安定】


【魔素侵食:停滞】


【侵食率:14%】


【精神状態:正常】


【適応進行中】



「変わってません。」


「そうか。」


 恒一は。


 大きく息を吐いた。


「よかった。」


「……殴りたかったですか。」


 悠真が。


 小さく聞く。


 恒一は。


 少し黙った。


「正直に言うと。」


「全員、ボコボコにな。」


「美咲を。」


「あんな目で見てた。」


 拳を。


 もう一度。


 握りそうになる。


 だが。


 止めた。


「でも。」


「まだ事を荒立てる時では無い。」


 悠真が言う。


「……なにも無いのが一番ですけどね。」


「そうだな。」


「ヤツらから接触があったって事は、難しいだろうな」


「はい。」


 恒一は。


 少しだけ笑った。


「まぁ皆んな居るし、心配しすぎるな。」


「変な感じだな。」


「何でですか?」


「昔は。」


「俺がお前に。」


「我慢しろって言う側だった。」


「流石に俺も少しは大人になりましたよ。」


「ああ。」


「頼もしいよ。」



「父さん。」


 悠真が。


 誠を見る。


「今の。」


「挨拶じゃないよね?」


「ああ。」


 誠は。


 即答した。


「下見だろうな。」


 英樹も。


 頷く。


「人数。」


「物資。」


「家。」


「守り。」


「全部見てた。」


「また来ると思う?」


 美咲が聞く。


 誰も。


 すぐには答えなかった。


「来るだろうな。」


 答えたのは。


 誠だった。


「今日とは。」


「違う形で。」


 その言葉に。


 全員の表情が。


 硬くなる。


「守りをもう一度見直す。」


「見張りも増やす。」


「外出はしばらく必要最低限。」


 皆が。


 頷いた。


 その時。


「……私。」


 彩乃が言った。


 全員が。


 彩乃を見る。


「知ってる人がいた。」


 悠真の表情が変わる。


「黒牙に?」


 彩乃は。


 頷いた。


「中学の。」


「同級生。」


「誰?」


 悠真が聞く。


 彩乃は。


 少しだけ迷った。


 中学時代。


 ほとんど話したことはない。


 仲が良かったわけでもない。


 でも。


 覚えている。


 いつも。


 寝ていた。


 教師に怒られていた。


 喧嘩をしていた。


 問題児と。


 呼ばれていた。


 でも。


 一度だけ。


 教室で。


 笑った顔も。


 覚えている。


「相沢。」


 彩乃は言った。


「相沢直人。」


 悠真は。


 その名前を。


 知らなかった。


 だが。


 彩乃の表情を見て。


 何かが。


 始まったのだと。


 そう感じた。


 遠ざかる。


 バイクの音。


 その一台に。


 相沢直人は乗っていた。


 そして。


 直人の胸にも。


 同じ名前が。


 浮かんでいた。


 藤堂彩乃。


 世界が壊れ始めてから初めて、二人の道が。


 再び。

 交わった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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