第25話 夜番と幼馴染
深夜。
見張りの交代時間になり、彩乃が大きくあくびをした。
「眠い……。」
「寝ていいぞ。」
「言われなくても寝る。」
彩乃はそう言いながら、リビングへ戻っていく。
代わりに二階へ上がってきたのは、美咲だった。
「交代。」
「美咲か。」
「何、その言い方。」
「いや、意外だっただけ。」
「私だって見張りくらいできるし。」
美咲は少し不満そうに頬を膨らませる。
薄暗い部屋の中。
その表情が、昔から変わらない幼馴染の顔に見えた。
「別に馬鹿にしてない。」
「ほんと?」
「ほんと。」
「じゃあいいけど。」
美咲は悠真の隣に腰を下ろした。
窓の外は真っ暗だった。
住宅街は眠っているように静まり返っている。
だが、今の悠真たちは知っている。
この静けさは平和ではない。
息を潜めているだけだ。
◇
しばらく、二人は黙って外を見ていた。
遠くで何かが鳴く。
犬か。
魔犬か。
それとも別の何かか。
もう判断がつかない。
美咲が小さく呟いた。
「変だよね。」
「何が?」
「こうしてると、昔みたい。」
「昔?」
「小学生の頃、夏休みにさ。」
「夜にこっそり起きて、二階の窓から花火見たじゃん。」
「ああ……あったな。」
「覚えてたんだ。」
「そりゃ覚えてる。」
「へぇ。」
「何だよ。」
「悠真って、そういうの忘れてるタイプだと思ってた。」
「失礼だな。」
美咲は小さく笑った。
その笑い声は、今の世界では少しだけ危ういものだった。
けれど悠真は、止めようとは思わなかった。
こんな夜だからこそ。
笑えるなら、笑った方がいい。
◇
「怖くないのか?」
悠真が聞くと、美咲は少し黙った。
「怖いよ。」
「だよな。」
「でも、今は少し平気。」
「何で?」
「悠真がいるから。」
その一言に、悠真は固まった。
「……そういうこと、さらっと言うなよ。」
「え?」
「いや。」
「何?」
「何でもない。」
美咲はじっと悠真を見る。
暗くても分かる。
完全にからかう顔だった。
「照れた?」
「照れてない。」
「嘘。」
「嘘じゃない。」
「耳赤い。」
「暗いから見えないだろ。」
「見えるもん。」
「見えないだろ。」
「見える気がする。」
「それは反則だろ。」
美咲は口元を押さえて笑った。
悠真は視線を外し、わざと窓の外を見る。
心臓の音が、やけにうるさかった。
魔獣の気配より、美咲の距離の方が落ち着かない。
◇
美咲が膝を抱えた。
「迎えに来てくれて、ありがとう。」
「またそれ?」
「何回でも言う。」
「別に、当然だろ。」
「当然じゃないよ。」
美咲の声が少しだけ真面目になる。
「今の外、危ないじゃん。」
「魔獣もいるし。」
「変な人たちもいるし。」
「それでも来てくれた。」
悠真は返事に困った。
幼馴染だから。
家族みたいなものだから。
そう言えば簡単だった。
でも、その言葉では足りない気がした。
「美咲が無事か分からないまま、家でじっとしてる方が無理だった。」
美咲がこちらを見る。
「それって、心配してくれてたってこと?」
「当たり前だろ。」
「どのくらい?」
「どのくらいって何だよ。」
「だから、どのくらい心配してたのかなって。」
「……かなり。」
「かなり?」
「すごく。」
「ふーん。」
美咲は満足そうに笑った。
「そっか。」
「何で嬉しそうなんだよ。」
「別に。」
「絶対嬉しそうだった。」
「嬉しくないとは言ってない。」
悠真は返す言葉を失った。
昔からそうだ。
美咲はたまに、逃げ道を全部塞ぐような言い方をする。
◇
しばらくして、美咲がそっと肩を寄せてきた。
「寒い?」
悠真が聞く。
「少し。」
「毛布持ってくるか?」
「いい。」
「いや、寒いなら。」
「いいの。」
美咲はそれ以上言わなかった。
肩が触れる。
近い。
近すぎる。
悠真は外を見続ける。
だが意識は完全に隣へ向いていた。
「悠真。」
「何?」
「こういう時でも、変なこと考える?」
「変なこと?」
「ほら。」
「ほらって何だよ。」
「私と二人きりだし。」
「見張り中だぞ。」
「真面目。」
「真面目じゃないと死ぬ世界だろ。」
「そうだけど。」
美咲は少し笑う。
「でも、ちょっと安心した。」
「何が?」
「悠真が悠真のままで。」
その言葉に、悠真は黙った。
美咲は続ける。
「世界が変わって。」
「みんな怖い顔してて。」
「お兄ちゃんも変になってて。」
「正直、何を信じればいいか分からなかった。」
「でも、悠真は昔のまま来てくれた。」
「……俺も変わったよ。」
悠真は左腕に目を落とす。
「能力も出た。」
「怪我もすぐ治った。」
「自分でも、普通じゃないと思う。」
美咲は少しだけ顔を上げた。
「それでも悠真だよ。」
「何で言い切れるんだよ。」
「分かるから。」
「幼馴染だから?」
「うん。」
美咲は迷いなく頷いた。
「悠真が悠真じゃなくなったら、私が一番最初に気付く。」
「怖いこと言うなよ。」
「だから、ちゃんと戻してあげる。」
「どうやって?」
「叩く。」
「物理かよ。」
「悠真にはそれが効くでしょ。」
「ひどいな。」
けれど、不思議と嬉しかった。
美咲がそう言ってくれるだけで、自分がまだ人間の側にいる気がした。
◇
その時。
庭の方で小さな音がした。
カサ。
二人の空気が一瞬で変わる。
悠真は美咲の前に出るように身体を動かした。
美咲も口を押さえ、声を殺す。
悠真は窓の外へ意識を向けた。
左腕がわずかに熱を帯びる。
⸻
《生命反応を確認》
対象:小動物
危険度:低
⸻
「……大丈夫。」
悠真は小声で言った。
「たぶん猫か何か。」
美咲が息を吐く。
「びっくりした……。」
「俺も。」
「さっきまでちょっといい雰囲気だったのに。」
「自分で言うな。」
「悠真は思わなかった?」
「何を。」
「いい雰囲気。」
「……見張り中だぞ。」
「またそれ。」
美咲は頬を膨らませる。
「悠真って、ほんとそういうところ。」
「そういうところって何だよ。」
「大事なところで逃げるところ。」
「逃げてない。」
「逃げてる。」
「逃げてない。」
小声で言い合う二人。
そのやり取りは、まるで世界が壊れる前のようだった。
◇
やがて、交代の時間が近付いた。
廊下の方から英樹の足音が聞こえる。
美咲は少しだけ名残惜しそうに立ち上がった。
「もう終わりか。」
「眠いんじゃなかったのか?」
「眠いけど。」
「けど?」
「もう少し話してたかった。」
悠真は言葉に詰まる。
美咲はそれを見て、小さく笑った。
「また今度ね。」
「見張りで?」
「見張りじゃなくてもいいけど。」
そう言って、美咲は部屋を出ようとする。
だが扉の前で足を止めた。
「悠真。」
「何?」
「ちゃんと帰ってきてね。」
「どこから?」
「これから先、どこへ行く時も。」
その声は、さっきまでのからかうような調子ではなかった。
悠真は静かに頷いた。
「約束する。」
美咲は少しだけ安心したように笑った。
「ならいい。」
そして美咲は部屋を出て行った。
残された悠真は、窓の外を見た。
暗い住宅街。
遠くで何かが鳴く。
危険はまだ消えていない。
だが。
胸の中には、さっきまでとは違う温かさが残っていた。
世界がどれだけ変わっても。
守りたいものは、確かにここにある。
悠真は左腕をそっと押さえた。
この力を何のために使うのか。
その答えは、少しずつ形になり始めていた。
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