第23話 残された宝
ガチャン。
佐伯隆が正面入口の鍵を掛けた。
さらに、内側から太いチェーンを回し、南京錠を掛ける。
「店長。」
「何だ。」
「それ、いつから?」
悠真が指差すと、佐伯はチェーンを軽く引っ張った。
「三日前だ。」
「夜中に入口をこじ開けようとした馬鹿がいてな。」
「……人ですか?」
「人じゃなきゃ何だ。」
佐伯は吐き捨てるように言った。
「最初は食料品。」
「次は水。」
「その次は電池。」
「昨日からは、もう何でもだ。」
暗い店内。
懐中電灯の光だけを頼りに、四人は歩き始める。
悠真にとっては見慣れた場所だった。
何百回と歩いた通路。
商品を補充した棚。
客に商品の場所を聞かれ、案内した売り場。
だが。
今は全く違う場所に見えた。
食料品売り場の棚は、ほとんど空だった。
カップ麺。
レトルト食品。
缶詰。
菓子。
飲料水。
何もない。
床には破れた段ボールや空になった包装が散乱している。
「全部売れたんですか?」
悠真が聞く。
「最初の二日でな。」
佐伯は歩きながら答える。
「通信障害が始まった翌日から客が殺到した。」
「水、食料、電池、ガスボンベ。」
「防災用品なんか、午前中でほとんど消えた。」
「それでも最初は、皆ちゃんと並んでた。」
佐伯の声が少し低くなる。
「レジも動かねぇから、電卓と手書きで会計した。」
「現金がない客には後払いで渡した。」
「だが、停電が続いて。」
「化け物の噂が広がって。」
「三日目からおかしくなった。」
佐伯は立ち止まった。
目の前。
日用品売り場の棚が倒れている。
「店員を突き飛ばして商品を奪う奴が出た。」
「客同士で殴り合い。」
「最後は入口のガラスまで割られた。」
悠真は何も言えなかった。
自分が最後にここにいた時。
まだ店は店だった。
客は商品を選び。
レジに並び。
代金を払って帰っていた。
それが。
たった数日で変わってしまった。
「警察は?」
誠が尋ねる。
「一回来た。」
佐伯は答えた。
「だが、その後は連絡が取れん。」
「本部とも?」
「昨日、一時的に繋がった。」
佐伯はポケットから折り畳まれた紙を取り出した。
「全店舗、明日から当面休業。」
「従業員は安全を確認し次第、帰宅待機。」
「それが最後の指示だ。」
「じゃあ、店長も帰るんですか?」
悠真が聞く。
「そのつもりだ。」
佐伯は短く答えた。
「残ってる従業員も、今日中には全員帰す。」
「もう店を開けられる状態じゃない。」
「……そうですか。」
「何だ。」
「いや。」
悠真は少しだけ視線を落とした。
分かっていた。
当然だ。
こんな状況で営業などできるわけがない。
それでも。
自分が何年も働いた場所が閉まる。
そう聞くと。
胸の奥に、ぽっかりと穴が開いたような感覚があった。
「悠真。」
「はい。」
「店は逃げねぇ。」
佐伯が言った。
「生きてりゃ、また開けられる。」
悠真は顔を上げた。
佐伯は前を向いたまま歩いている。
「……はい。」
◇
「それで。」
佐伯が足を止める。
「お前らは何しに来た。」
「店長に会いに。」
「それだけじゃねぇだろ。」
「……物資を。」
悠真は正直に答えた。
「家族が増えました。」
「今、八人です。」
「食料と水はあります。」
「でも一か月持つか分からない。」
「家の補強もしたい。」
「発電機もあるけど、燃料やオイルも足りません。」
佐伯は黙って聞いていた。
「それから。」
悠真は続ける。
「昨日、見たこともないくらい大きな魔獣を見ました。」
「熊みたいな奴です。」
佐伯の足が止まる。
「……見たのか。」
「少しだけ。」
「店長も?」
「姿は見てねぇ。」
佐伯の表情が険しくなる。
「だが、音は聞いた。」
「昨日の昼過ぎ。」
「地面が揺れた。」
「その後、国道の方から逃げてきた奴がいた。」
「十メートル近い熊がいるってな。」
やはり。
悠真は思った。
あの魔獣は、自分たちだけが見た幻ではない。
この街のどこかに。
今もいる。
「他にもいます。」
悠真は言った。
「犬。」
「カラス。」
「たぶん、まだ他にも。」
「夜の方が危険です。」
「音に反応する奴もいる。」
「……なるほどな。」
佐伯は腕を組んだ。
そして。
「分かった。」
短く言った。
「付いてこい。」
「え?」
「必要なもんを選ぶ。」
「店長。」
「悠真。」
佐伯は振り返った。
「お前が選んだら、キャンプ用品ばっかり持っていくだろ。」
「そんなことないですよ。」
「去年の社員割引の日に、テント買おうとしてた奴が何言ってやがる。」
「……覚えてたんですか。」
「店長だからな。」
佐伯は少しだけ笑った。
「いいから来い。」
「生き残るために本当に必要な物を教えてやる。」
◇
最初に向かったのは建築資材売り場だった。
英樹の目が変わる。
「……これは助かる。」
コンパネ。
構造用合板。
角材。
単管パイプ。
波板。
金網。
ワイヤーメッシュ。
大量の資材が、ほとんど手付かずで残っていた。
「食い物を探す奴は多い。」
佐伯が言う。
「だが、木材を盗んでいく奴はまだ少ない。」
「まだ?」
誠が聞く。
「そのうち気付く。」
佐伯は真顔で答えた。
「食料の次に必要なのは、安全に寝られる場所だ。」
英樹が頷く。
「その通りだ。」
二人の視線が合う。
「朝倉英樹です。」
「工務店で働いてます。」
「佐伯隆だ。」
「ここの店長。」
短い自己紹介。
だが、それだけで互いに分かったようだった。
「家は?」
佐伯が聞く。
「二階建て。」
「一階に掃き出し窓が二か所。」
「勝手口が一つ。」
「塀は?」
「低い。」
「駄目だな。」
「ですよね。」
「窓は全部塞ぐな。」
佐伯が即座に言った。
「逃げ道がなくなる。」
英樹が少し笑う。
「分かってます。」
「なら話が早い。」
二人はすぐに資材を選び始めた。
コンパネ。
角材。
コーススレッド。
L字金具。
金網。
チェーン。
南京錠。
悠真と誠が台車へ積んでいく。
「これもだ。」
佐伯が指差した。
「防犯用のセンサーライト。」
「電気止まってますけど。」
「だからソーラー式だ。」
「あ。」
「お前、まだまだだな。」
「……すみません。」
「謝る暇があったら持ってこい。」
「はい。」
◇
次に向かったのは園芸売り場だった。
悠真は少し首を傾げる。
「園芸?」
「お前、農学部だろ。」
佐伯が呆れた顔をする。
「食料がいつ届くか分からねぇんだ。」
「今すぐ収穫できなくても、準備はしとけ。」
種。
肥料。
苦土石灰。
培養土。
プランター。
園芸用支柱。
防虫ネット。
噴霧器。
「全部持っていくんですか?」
「全部じゃない。」
「必要な分だけだ。」
佐伯は種の棚を見ながら選んでいく。
「葉物。」
「大根。」
「カブ。」
「小松菜。」
「豆。」
「収穫まで時間が掛かりすぎる物は後回し。」
悠真も頷く。
大学で学んだ知識が頭に浮かぶ。
だが。
「水が問題ですね。」
「分かってるじゃねぇか。」
佐伯は今度は雨水タンクの売り場を指差した。
「飲み水だけに水道水を使えるようにする。」
「雨水は掃除。」
「トイレ。」
「畑。」
「使い道はいくらでもある。」
「ただし飲むな。」
「煮沸しても?」
「素人判断で何でも飲もうとするな。」
佐伯の声が少し厳しくなる。
「屋根の汚れ。」
「鳥の糞。」
「化学物質。」
「何が混じってるか分からん。」
「飲料水は最後まで分けて管理しろ。」
「はい。」
悠真は素直に頷いた。
◇
次はキャンプ用品売り場。
ここも一部は荒らされていた。
ガスボンベ。
携帯コンロ。
乾電池。
ランタン。
人気商品はほとんど残っていない。
「やっぱり無いですね。」
悠真が呟く。
「見る場所が違う。」
佐伯はそのまま奥へ進む。
薪。
木炭。
着火剤。
火起こし器。
七輪。
「これですか?」
「ガスがいつまである。」
「分かりません。」
「電気は?」
「分かりません。」
「なら火を確保しろ。」
佐伯は木炭の袋を叩いた。
「炭は腐らん。」
「濡らさなきゃ長く持つ。」
「薪もだ。」
「庭があるなら置ける。」
英樹も頷く。
「煮炊きができる。」
「暖も取れる。」
「ただし。」
佐伯が言う。
「家の中で使うな。」
「一酸化炭素で死ぬ。」
「魔獣より先に自分たちで死んだら笑えねぇ。」
誰も笑わなかった。
「外で使う場所を決めろ。」
「風向きも考えろ。」
「煙は人にも化け物にも見つかる可能性がある。」
悠真はハッとした。
「匂いも。」
「そうだ。」
「肉なんか焼けば、かなり遠くまで匂う。」
佐伯は悠真を見る。
「便利な物ほど、使い方を間違えると危険だ。」
「覚えとけ。」
「はい。」
◇
さらに。
塩。
砂糖。
酢。
醤油。
味噌。
調味料売り場の隅に残っていた物を集める。
「塩は多めに。」
佐伯が言う。
「こんなに?」
悠真が袋を見る。
「調味料だと思うな。」
「保存に使える。」
「漬物。」
「塩漬け。」
「それに。」
佐伯は少し考える。
「人間、味のない物ばかり食ってると気が滅入る。」
その言葉に誠が頷いた。
「それは大事ですね。」
「ああ。」
佐伯は静かに言う。
「生きるってのは、腹に物を入れるだけじゃない。」
悠真は、その言葉を覚えておこうと思った。
◇
二時間後。
店の搬入口には大量の物資が並んでいた。
コンパネ。
角材。
金網。
ビス。
金具。
ロープ。
チェーン。
南京錠。
ソーラー式センサーライト。
雨水タンク。
ポリタンク。
園芸用品。
種。
肥料。
薪。
木炭。
七輪。
塩。
砂糖。
酢。
味噌。
保存容器。
ブルーシート。
作業用手袋。
防塵マスク。
ゴーグル。
他にも。
佐伯が「必要になる」と判断した物がいくつもある。
英樹が腕を組む。
「作業車一台で載るか?」
「無理ですね。」
悠真が即答した。
「二往復か。」
「それも危険だ。」
誠が言う。
「今日は一度で戻ろう。」
「優先順位を決める。」
その言葉に佐伯が頷いた。
「それがいい。」
「欲張って何度も往復する奴から死ぬ。」
悠真は物資を見渡した。
全部欲しい。
全部必要に見える。
だが。
持てる量には限界がある。
それもまた、今の世界の現実だった。
◇
「じゃあ。」
誠が財布を取り出した。
「会計をお願いします。」
佐伯が眉をひそめる。
「……何言ってる。」
「代金です。」
「こんな時だぞ。」
「だからです。」
誠は静かに答えた。
「国はまだある。」
「会社もなくなったと決まったわけじゃない。」
「この店の商品でしょう。」
「なら払います。」
佐伯は何も言わない。
英樹も財布を取り出した。
「俺も払う。」
「資材は特に高いからな。」
「お前ら……。」
「店長さん。」
英樹が言う。
「俺たちが勝手に持っていったら。」
「何かあった時、あんたが責任を取らされるかもしれない。」
「そんなのは御免だ。」
「でもレジは動かんぞ。」
佐伯が言う。
すると。
「手書きでやりましょう。」
悠真が答えた。
三人の視線が集まる。
「値札は残ってます。」
「電卓もあります。」
「商品名と数量と金額を書いて。」
「現金を預かりにして。」
「通信が戻ったら本部に報告すればいい。」
佐伯はしばらく悠真を見つめた。
そして。
「……お前。」
「はい。」
「店員らしくなったな。」
「今さらですか?」
「まだ半人前だ。」
「さっきもソーラーライト忘れてただろ。」
「それはもういいじゃないですか。」
英樹が笑う。
誠も笑った。
ほんの少しだけ。
いつもの日常が戻った気がした。
◇
店の事務所。
佐伯が手書きの伝票を書く。
悠真が電卓を叩く。
誠と英樹が現金を出す。
停電したホームセンター。
通信もない。
外には魔獣がいる。
それでも。
彼らは会計をしていた。
「……馬鹿みてぇだな。」
佐伯が呟く。
「そうですか?」
誠が聞く。
「ああ。」
佐伯は伝票へ数字を書きながら笑った。
「世界がこんなになってるのに。」
「真面目に金払って。」
「伝票まで書いて。」
誠も少し笑った。
「世界が元に戻った時。」
「子どもたちに胸を張りたいだけですよ。」
佐伯の手が止まった。
数秒。
何も言わない。
やがて。
「……そうか。」
それだけ答えた。
◇
会計を終え。
物資を積み込む。
荷室はすぐにいっぱいになった。
屋根にも資材を固定する。
英樹と佐伯が何度もロープを確認する。
「緩むぞ。」
「分かってます。」
「角を保護しろ。」
「ロープが擦れる。」
「さすが店長。」
「お前も職人だろ。」
「店長さん、現場に向いてますよ。」
「俺は店から出る気はねぇ。」
そんな会話をしながら作業を続ける。
やがて。
積み込みが終わった。
悠真は店の入口を見る。
「店長。」
「何だ。」
「一緒に来ませんか?」
佐伯の動きが止まった。
「家族もいます。」
「八人いますけど。」
「店長一人くらい増えても。」
「馬鹿。」
佐伯は悠真の頭を軽く叩いた。
「まだ従業員が残ってる。」
「全員帰すまで、俺が帰れるか。」
「でも。」
「それに。」
佐伯は暗い店内を振り返った。
「俺にも帰る場所はある。」
「……そうですか。」
「ああ。」
そして。
佐伯は悠真を見る。
「ただ。」
「次に来るなら、先に様子を見ろ。」
「店が無事とは限らん。」
「人間も。」
「化け物も。」
「これからもっと増える。」
悠真は頷いた。
「はい。」
「あと。」
佐伯は作業車の荷台を見た。
「持って帰っただけで満足するな。」
「管理しろ。」
「在庫を数えろ。」
「使った量を書け。」
「一日どれだけ減るか把握しろ。」
「備蓄はな。」
佐伯は悠真の胸を指で軽く突いた。
「持ってる奴じゃない。」
「管理できる奴が最後まで残すんだ。」
悠真は、その言葉を胸に刻んだ。
「分かりました。」
「よし。」
佐伯は一歩下がる。
「暗くなる前に帰れ。」
「はい。」
「悠真。」
「何ですか?」
「生きて、また来い。」
悠真は一瞬だけ言葉を失った。
そして。
大きく頷いた。
「はい。」
「店長も。」
作業車のエンジンが掛かる。
静かな駐車場に音が響いた。
大量の資材。
薪。
木炭。
塩。
種。
今までなら。
どれもただの商品だった。
だが今は違う。
家族を守る壁になる。
火になる。
食料になる。
明日を生きるための備えになる。
作業車はゆっくりとホームセンターを離れた。
その後ろ姿を。
佐伯隆は一人。
見えなくなるまで見送っていた。
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