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『世界が大変だけど、念のため備えていたら家族と生き残れました ~通信障害から始まる終末サバイバル~』  作者: バックドロップ
第二章 変わった世界

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第15話 決断



 「何か見えるんだな、お前には。」


 朝倉恒一の言葉に、悠真は返事ができなかった。


 部屋には二人だけ。


 窓には厚手のカーテンが掛けられ、昼間だというのに薄暗い。


 恒一はゆっくりと左腕の包帯を巻き直した。


 傷口は赤黒く変色している。


 普通なら化膿していてもおかしくない。


 だが、それとは違う。


 傷の周囲を、細い黒い筋が血管のように這っていた。


「……それ。」


 悠真が口を開くと、恒一は苦笑した。


「気持ち悪いだろ。」


「そんなことありません。」


 恒一は左手をじっと見つめる。


「最初は高熱だけだった。」


「四十度近く出て、死ぬかと思った。」


「でも二日くらいしたら急に熱が下がった。」


「その代わり……。」


 拳を握る。


 ギシッ。


 その音は拳からではない。


 握った木製の座卓が軋んだ音だった。


 悠真は目を見開く。


 恒一は慌てて力を抜く。


「ほらな。」


「力加減がおかしい。」


「昨日なんかコップを三つ割った。」


 笑っている。


 でも、その笑顔はどこか無理をしていた。


「悠真。」


「はい。」


「俺のこと、誰にも言うな。」


 真剣な目だった。


「母さんにも。」


「親父にも。」


「美咲にも。」


「特に美咲には絶対に。」


 悠真は思わず聞き返す。


「どうしてです?」


「心配するから。」


「でも。」


「それだけじゃない。」


 恒一は少し俯いた。


「……怖いんだ。」


「え?」


「もし俺がおかしくなったら。」


「美咲に俺を見せたくない。」


 その言葉が胸に刺さる。


 強い人だと思っていた。


 彩乃が尊敬する空手部の先輩。


 子どもの頃から何でもできる兄貴分。


 そんな恒一が、初めて弱音を吐いた。


「俺は……。」


「まだ人間でいたい。」


 悠真は何も言えなかった。


 鑑定で見える侵食率。


 十三パーセント。


 それが何を意味するのか分からない。


 でも、このままでは良くないことだけは理解できた。


「俺。」


 悠真は静かに言う。


「助けます。」


 恒一は少し笑った。


「ありがとう。」


「でも、その前に。」


「家族を頼む。」


「そんなこと言わないでください。」


「約束だ。」


「約束しません。」


 悠真は首を横に振る。


「恒一さんも一緒に帰ります。」


 その言葉に恒一は少し驚いた顔をした。


 そして苦笑する。


「相変わらず頑固だな。」


「恒一さんほどじゃありません。」


 二人は小さく笑った。


 重苦しい空気が、ほんの少しだけ和らいだ。



 リビングへ戻ると、朝倉英樹もちょうど帰宅したところだった。


 作業着は泥だらけ。


 額には汗が滲んでいる。


「おう、悠真。」


「英樹さん。」


 二人は軽く頭を下げ合う。


 英樹は冷たい麦茶を一気に飲み干すと、大きく息を吐いた。


「……駄目だな。」


 その一言で空気が変わる。


「何かあったんですか?」


 誠が尋ねる。


「近所が荒れ始めてる。」


「荒れてる?」


「食い物が無い。」


「水も無い。」


「皆イライラしてる。」


 英樹はテーブルへ地図を広げた。


「昨日までは助け合ってた。」


「でも今日になって空気が変わった。」


「スーパーに並んでた連中も、物資を隠し始めてる。」


「夜中に盗難もあった。」


 誠は腕を組む。


「そうか……。」


「魔獣だけじゃない。」


 英樹は続ける。


「人間同士が疑い始めた。」


「見回りしてても目付きが違う。」


「もう限界が近い。」


 誰も反論できなかった。


 終末が人を変える。


 それはニュースではなく、もう目の前の現実だった。



 由紀がお茶を配りながら言う。


「私も思ってたの。」


「別々にいる意味あるのかなって。」


 真由美も頷く。


「恒一君のこともあるし。」


「うちなら応急処置もできる。」


「薬も少し残ってる。」


 誠が静かに言う。


「だったら。」


「一緒に生活しませんか。」


 英樹は少し考えた。


 リビングが静かになる。


 数十秒後。


 英樹は頷いた。


「そうだな。」


「その方がいい。」


「美咲を一人で守るより。」


「皆で守った方がいい。」


「恒一もいる。」


「それに。」


 英樹は少し笑った。


「お前ん家の方が備蓄してるだろ?」


 誠も笑う。


「悠真のおかげでな。」


 悠真は照れ臭そうに頭を掻いた。


「念のためでしたから。」


「その念のために助けられる。」


 英樹は真剣な顔になった。


「ありがとう。」



 荷物を運び始める。


 英樹は迷いなく倉庫を開けた。


 電動工具。


 インパクトドライバー。


 丸ノコ。


 チェーンソー。


 発電機。


 ロープ。


 木材。


 ブルーシート。


 脚立。


 工具箱。


 どれも仕事で使う大切な道具だ。


 由紀が少し心配そうに言う。


「そんなに積むの?」


「全部使う。」


 英樹は即答した。


「家も直せる。」


「壁も作れる。」


「皆を守れる。」


 その言葉に悠真も頷く。


 ホームセンターで働く自分だから分かる。


 今、この工具は金より価値がある。



 荷物を積み終えると問題が起きた。


「……乗れない。」


 由紀が苦笑する。


 作業車の荷室は工具でいっぱいだった。


 助手席には由紀。


 後部座席には高熱の恒一を寝かせる。


 それで満員。


 美咲が困ったように笑う。


「私、歩こうか?」


「駄目。」


 英樹が首を横に振る。


「危ない。」


 悠真は玄関の横を見る。


 そこには美咲の通学用自転車が立て掛けられていた。


「美咲。」


「ん?」


「自転車乗れるよな?」


 美咲は呆れたように笑う。


「何言ってるの。」


「毎日乗ってる。」


「じゃあ、一緒に行こう。」


 その言葉に美咲の表情が少し柔らかくなる。


「……うん。」


 誠が自分の自転車を押してきた。


「俺も一緒だ。」


「英樹さんの車だけじゃ心配だからな。」


「悪い。」


「気にするな。」


 英樹は深く頭を下げた。



 出発準備が終わる。


 先に作業車が走る。


 その後ろを三台の自転車が続く。


 先頭は悠真。


 中央に美咲。


 最後尾を誠が走る。


 住宅街は相変わらず静かだった。


 だが、その静けさの中に。


 誰かの視線を悠真は感じていた。


 道路脇。


 カーテンの隙間。


 物陰。


 人がこちらを見ている。


 作業車いっぱいに積まれた荷物。


 食料。


 工具。


 水。


 今、この町では誰もが欲しがるものばかりだった。


 悠真は小さく呟く。


「父さん。」


「何だ?」


「急ぎましょう。」


 誠は周囲を見渡し、小さく頷いた。


「ああ。」


 嫌な予感がしていた。


 魔獣ではない。


 もっと人間らしい。


 欲望に満ちた視線。


 世界が壊れ始めた今。


 本当に恐ろしいものは、人の心なのかもしれなかった。

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