第14話 朝倉家
「……悠真?」
震える声とともに、玄関の扉がゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは朝倉美咲だった。
髪は後ろで一つに結ばれているものの、いつものように整ってはいない。
目の下には薄く隈ができ、頬も少し痩せていた。
それでも、その顔を見た瞬間、俺の胸に張り詰めていたものが一気にほどけた。
「……美咲。」
俺が名前を呼ぶと、美咲は数秒間ぽかんと俺を見つめていた。
信じられないものを見るような目だった。
そして次の瞬間。
「ばか……。」
ぽろりと涙がこぼれた。
「なんで今まで来なかったのよ……。」
美咲は泣きながら俺の胸を何度も叩いた。
「痛っ……。」
「連絡も来ないし……。」
「スマホ繋がらないだろ。」
「そんなの分かってる!」
涙でぐしゃぐしゃになりながら叫ぶ美咲を見て、俺は何も言えなくなった。
怖かったのだ。
俺も。
美咲も。
この五日間、お互いの無事すら分からないまま過ごしてきた。
「……ごめん。」
その一言しか出てこなかった。
美咲は袖で涙を拭うと、小さく笑った。
「生きてて良かった。」
「ああ。」
その一言だけで十分だった。
◇
「悠真君!」
奥から女性の声が聞こえる。
朝倉のおばさんだった。
少し疲れた表情ではあるが、大きな怪我はないようだ。
「お久しぶりです。」
「こんな時にお久しぶりもないわね。」
そう言って苦笑する。
父さんも頭を下げた。
「ご無事で何よりです。」
「藤堂さんも。」
お互いに無事を確認し合うだけで、少し安心した空気が流れる。
「立ち話も危ないから、中へどうぞ。」
周囲を警戒しながら玄関へ入る。
すぐに鍵が閉められ、チェーンも掛けられた。
◇
リビングは薄暗かった。
カーテンは閉じられ、必要最低限の明かりしか使っていない。
テーブルには地図とメモ帳。
空になったペットボトル。
保存食。
朝倉家も同じようにサバイバル生活を送っていた。
「水、持ってきた。」
俺はリュックから二リットルのペットボトルを取り出した。
「え?」
美咲が驚く。
「少ないけど。」
「でも……。」
「遠慮するな。」
父さんも追加で食料をテーブルへ置いた。
レトルト食品。
缶詰。
スポーツドリンク。
決して多くはない。
それでも今は何より貴重だった。
「ありがとう……。」
朝倉のおばさんは深く頭を下げた。
「本当に助かるわ。」
◇
少し落ち着いた頃。
俺は部屋を見回した。
「あれ?」
人数が足りない。
「おじさんは?」
「自治会の見回り。」
美咲が答える。
「昨日から交代制になったの。」
「そうなんだ。」
「恒一さんは?」
その瞬間だった。
美咲の表情が曇る。
朝倉のおばさんも言葉を失う。
「……兄ちゃん。」
静かな声だった。
「帰ってきたんだけど。」
「けど?」
「ずっと寝てるの。」
◇
リビングの隣。
客間の襖が閉められていた。
そこから微かに咳が聞こえる。
コンコン。
乾いた咳。
熱がある人特有の呼吸。
美咲は襖を少しだけ開けた。
「兄ちゃん。」
「……。」
「悠真が来てる。」
数秒後。
「……入っていい。」
低く落ち着いた男性の声だった。
部屋へ入る。
布団に横になっていた男性がゆっくり起き上がった。
短髪。
引き締まった体格。
頬には疲労が見えるものの、その眼差しは鋭い。
「久しぶりだな、悠真。」
「恒一さん。」
朝倉恒一。
美咲の兄。
そして彩乃が通う高校空手部のOB。
休日には後輩たちへ指導をしている、誰からも慕われる先輩だった。
「彩乃は元気か?」
「はい。」
「今年も強いんだろ?」
「全国狙ってました。」
「そうか。」
少しだけ笑う。
その笑顔は昔と変わらない。
だが。
俺の左腕が熱を帯びた。
鑑定が勝手に発動する。
⸻
【朝倉 恒一】
年齢:28
状態
・高熱
・極度の疲労
・魔素侵食 13%
・身体能力上昇
・精神状態 安定
※理性維持中
⸻
俺は息を呑んだ。
魔素侵食。
やっぱり。
俺の視線に気付いたのか。
恒一さんが俺を見る。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
目が合った。
その瞬間。
恒一さんの表情がわずかに変わる。
何かを悟ったような。
そんな目だった。
「……悠真。」
「はい。」
「ちょっと二人で話せるか?」
俺は黙って頷いた。
美咲が不思議そうに首を傾げる。
「何?」
「男同士の話。」
恒一さんは笑った。
「少しだけ借りる。」
「分かった。」
美咲は疑う様子もなく部屋を出ていく。
襖が閉まる。
部屋には俺と恒一さんだけになった。
静寂が流れる。
やがて恒一さんは、ゆっくりと左腕の包帯をほどき始めた。
そこには。
鋭い牙で深く噛まれた傷跡が残っていた。
「……やっぱり。」
俺が呟くと。
恒一さんは苦笑した。
「見えるんだな、お前には。」
その言葉に、俺は何も答えられなかった。
俺の能力。
そして、恒一さんの異変。
この二人だけが知る秘密が、今、静かに始まろうとしていた。




