第11話 襲来
ガリ……。
ガリガリ……。
鋭い爪が屋根を引っ掻く音が、家中に響く。
誰も動かなかった。
いや、動けなかった。
屋根の上を何かが歩いている。
コツ……コツ……。
軽い。
大型魔獣ほどの重量ではない。
だが、その音は一匹ではなかった。
コツ、コツ、コツ……。
複数いる。
俺は息を殺し、天井を見上げる。
左腕が熱を帯び、視界の端に淡い光が浮かんだ。
頭の中へ情報が流れ込む。
【レイブンクロウ】
【危険度:E】
【個体数:4】
【魔素変異体】
【知能:低】
【群れ行動】
【目的:食料探索】
四匹。
しかも群れ。
「父さん」
俺は声を潜めた。
「四匹いる」
「分かるのか」
「たぶん……屋根に三匹、庭に一匹」
父さんは表情を引き締める。
「家の中まで入ってくるか?」
「……分からない。でも腹を空かせてる」
その瞬間だった。
バサァッ!
羽ばたく音が庭から聞こえた。
続いて窓ガラスを何かが嘴で叩く。
コンッ。
コンッ。
コンッ。
彩乃が思わず肩を震わせる。
「窓……叩いてる」
「静かに」
母さんが彩乃の肩へ手を置いた。
ランタンの火はすでに消してある。
部屋は薄暗い。
父さんは雨戸の前へ近付き、耳を澄ませた。
俺もゆっくり近付く。
雨戸の小さな隙間から外を見る。
黒い羽。
普通のカラスより一回り大きい。
目は赤黒く濁り、嘴は異様に長く伸びていた。
首を傾げる仕草だけは、普通のカラスと変わらない。
だが、その眼差しには獣のような飢えが宿っていた。
レイブンクロウは庭に干してあったブルーシートを嘴で引っ張っている。
食べ物を探しているのだ。
「庭を漁ってるだけか……」
少しだけ安心した、その時だった。
レイブンクロウが首を止めた。
ゆっくりと家の方を向く。
鼻を動かすように嘴を上げる。
【反応】
【人間臭を感知】
「まずい」
俺は思わず呟いた。
「気付かれた」
「何?」
父さんが振り向く。
「人の匂いを嗅いでる」
その瞬間。
ガンッ!!
雨戸へ激しい衝撃が走った。
「きゃっ!」
彩乃が悲鳴を飲み込む。
レイブンクロウが雨戸へ体当たりしたのだ。
続けて二回。
三回。
ガン!
ガン!
ガン!
金属製の雨戸が震える。
「意外と力が強いな……」
父さんが小さく呟く。
俺の頭へまた情報が流れた。
【硬い障害物】
【突破率:低】
【仲間呼集:開始】
「仲間を呼ぶ!」
「何?」
「鳴かせちゃ駄目だ!」
だが遅かった。
レイブンクロウは嘴を天へ向ける。
ギャアァァァッ!!
耳障りな鳴き声が住宅街へ響き渡る。
その声へ応えるように、遠くから羽ばたきが聞こえた。
バサッ。
バササッ。
数は多くない。
だが確実に近付いてくる。
「増えるのか……」
父さんの額へ汗が滲む。
このままでは群れが大きくなる。
そうなれば雨戸も危ない。
俺は必死に考える。
戦うか。
逃げるか。
いや、今は違う。
追い払う方法だ。
その時、頭の中へ新しい情報が浮かんだ。
【強光】
【大音量】
【火炎】
【忌避反応】
俺は目を見開く。
「そうか……」
「悠真?」
「火だ」
父さんが眉をひそめる。
「火?」
「こいつら火を嫌う」
キャンプが趣味だった知識と、鑑定から流れ込む情報が頭の中で繋がる。
動物は本能的に炎を警戒する。
魔素変異体になっても、その習性が残っているのかもしれない。
「母さん!」
「ええ」
母さんはすぐに理解した。
キッチンからガスライターを持ってくる。
俺は玄関脇に置いていたキャンプ用ランタンを手に取った。
LEDではない。
オイルランタンだ。
停電に備えて用意していたもの。
芯へ火を灯す。
オレンジ色の炎が揺れる。
俺は父さんを見る。
「雨戸を少しだけ開ける」
「危険だぞ」
「一瞬だけ」
父さんは数秒迷い、小さく頷いた。
「三秒だ」
カチャン。
雨戸がわずかに開く。
その隙間へ俺はランタンを突き出した。
炎が夜風に揺れる。
レイブンクロウが一斉に羽を逆立てた。
ギャアッ!
大きく羽ばたき、数メートル後退する。
「効いてる!」
俺はランタンを左右へ振る。
炎を見たレイブンクロウたちは屋根から飛び立ち、庭木へ移った。
さらに遠くから飛んできていた個体も進路を変える。
「今だ、閉めろ!」
父さんが雨戸を閉める。
カシャン。
再び家の中は静寂に包まれた。
外ではレイブンクロウが不満そうに鳴いている。
だが、もう雨戸へ体当たりはしてこない。
炎を警戒しているようだった。
彩乃が安堵の息を漏らす。
「助かった……」
母さんも壁にもたれかかった。
「本当に火を嫌うのね」
俺はランタンの炎を見つめた。
鑑定がなければ思いつかなかった。
この能力は、戦うためだけではない。
生き残るための知識を与えてくれる。
そう実感した瞬間だった。
その時、ラジオからノイズ混じりの緊急放送が流れ始めた。
『――各地で鳥類型変異生物による襲撃が確認されています』
『屋外での食料保管は避け、火気の管理に十分注意してください』
俺たちは顔を見合わせた。
俺だけが知っていたことではなかった。
少しずつだが、人類も魔獣への対処法を学び始めていた。
そして俺は、明日この家を出る。
美咲を迎えに行くために。
世界が壊れた町へ、自分の足で踏み出すために。




