第二話 …ノット・デッド
14日前。カトリーヌは自身の退学を突きつけられていた。
「退学……ですか!?」
退学。それは、いまの彼女にとって死にも等しい宣告だった。
聖天の川女学園。銀河で最も気高いお嬢様たちの集う学園には、入学することはおろか、在学することすら尋常ではないステータスと見なされるほど、ハードルが高い。宇宙貴族たちが、こぞって娘を入学させようとする超名門なのだから無理もない。もちろん、入学にも在学にも、星系レベルの資産が必要となる。カトリーヌは、そのバトルドレスの操縦適正を見いだされ、ワイス家の養子として厳しい試験をパスして入学してきた経緯がある。
ワイス家というのは、地球近傍で発展したワイス星系を統治する宇宙貴族であり、かつては地球圏最高峰の栄誉を欲しいままにしてきた大貴族である。しかし驕ることなく、人道に悖らず、地道に星系運営を続けてきた。他星系からの評価も高い。
しかし現実は非情であった。百年単位で続く恒星の異常活動によって、星系は災害が頻発。星はやせ細り、人は減り、復興に追われた。そんな中で、資産は減り、苦境に立たされることになったワイス家復興の希望の光として見初められたのがカトリーヌであった。
かつて建造され、乗り手を選ぶその性質から博物館に所蔵されていた旧式のバトルドレス、「スペルド」。聖天の川女学園では、文武両道を是として、バトルドレスを用いた演舞「ワルツ」の勝敗によってポスト争いや企業・貴族間の諍いを治める風習がある。その戦績如何によっては、星系の運営を立て直すことはそう難しいことではないように思われた。
つまりカトリーヌは、ワイス家の、はては星系の命運を背負って聖天の川女学園に入学してきたのである。それが、退学。入学三日目の出来事であった。
「そ、退学。あんた、どうにも恨み買ってるみたいね?」
ヴィヴィアンは、苛立ちを隠さないままそう告げた。ヴィヴィアンは、カトリーヌの事情をある程度は知らされているが、その深刻さには気づいていない。宇宙貴族が負債を抱えているのは普通のことで、貴族間のパワーバランスを調整する役割があるからだ。もはやワイス家が立ち行かないところまで来ているのは、ワイス家の星系運営にかかわる重要な極秘事項であるためで、カトリーヌ含め関係者はそのことを秘したまま、復興を為す必要があった。
滑らかな赤毛、腰まであるツインテールが揺れる。その毛先を捕まえて、指先で弄びながら、続ける。
「悪く思わないでよね、頼まれただけだから――――あんたが勝ったら、我がグルームブリッジ家がワイス家の負債を肩代わりしてあげる。それでどう?」
「それは……」
ある意味では、願ってもないことではあった。負債を肩代わりしてもらえば、グルームブリッジとの繋がりをアピールできるし、経済的問題が解決すれば、諸問題も快方に向かうのは間違いない。
しかし、カトリーヌにはワルツの経験がなかった。「スペルド」の他には古い訓練用の機体しかなかったワイス家では、基本の操縦を学べはしたが、およそ現代的とは言えない、かつて儀礼としての意味合いの強かった近接格闘戦主体のワルツしか練習してきていなかった。実技試験をパスできたのは、単純にカトリーヌの集中的な試験対策が功を奏したにすぎない。
「……っ……喜んで、お受けいたしますわ」
だが――――断れない。ワルツとは、貴族間の紛争調停の意味を持つ。ゆえに、原則的に断ることができないのだ。唯一可能なのは、ワルツの勝敗にかかる条件があまりにも一方的で、合意が為されなかった場合のみ。今回は、勝てば「家を救う」という、言ってしまえば入学の目的を達成してしまえるほどのメリットを勝利時に設定することで、その逃げ道を塞がれた形となる。
「そ。アリガト。じゃあ、もろもろ決まったらセバスに連絡させるわ。じゃ、ごきげんよう」
ヴィヴィアンは、目も合わせず、つまらなそうにそう言って、踵を返した。これが、現在より14日前の出来事である。
そして、現在。
カトリーヌとヴィヴィアンのワルツの最中、辺境の惑星の地中から現れた謎のお嬢様・マルグリットの乱入によってワルツは中止となり、条件は保留となった。渦中のマルグリット、カトリーヌ、ヴィヴィアンの三人は近隣宙域に設置された迎賓館ステーションに集い、今回のワルツの扱いや、マルグリットの処遇について話し合いの席が持たれることになっている。
それを待つ時間に、インナードレス(※お嬢様の纏う大型の人型兵器であるバトルドレスに対して、お嬢様の正装である肌に密着したスーツをこう表現する)を脱ぎ、シャワーを浴びるカトリーヌの目元には、あたたかな水滴に紛れるようにして、熱い涙が零れていた。
(負けていた……私は、あのままだと、何も為せずにおめおめと家に帰る羽目になっていた。
いや、帰る家などないのだ。私は、家の未来を託されて、それをふいにして逃げ帰るのだから……)
ワルツが終わってみれば、情けなさと、敗北感と、ワイス家を救うという責務を果たせない事実に圧し潰されて、もう三十分はこうしていた。多額の負債を抱え、もはや後のないワイス家は、このチャンスを逃せば家の存続、さらに言えば星系住民の生活が危機にさらされる。成り行きですぐにその未来が訪れる事はなくなったわけだが、初戦でのこの体たらく。入学前の、希望とか、未来とか、そういう楽観的な憶測が打ち壊され、絶望と恐怖心だけが少女の心に残った。自分が役に立てないことが心底恐ろしく、悲しかった。
しかし、いつまでもこうしているわけにもいかない。身体を拭き、セバスに着替えさせて、約束の時間まで少し余裕があることを確認して――そして、辛くなるだけだとわかっているのに、ステーションにドッキングしているキャリッジの、ハンガーに向かった。
巨大な旧世代のバトルドレス用ランスの飾られたエントランスを通って、ドッキングベイへと向かう。
キャリッジとは、バトルドレスを運用するための、各お嬢様専用の輸送用宇宙船である。そのハンガーは、ベッドと呼ばれる整備スペースに、バトルドレスが疑似重力方向に対してうつ伏せになるように、多数の白い手袋付きのロボットアームに支えられて宙に固定されている。
黒く灼けた装甲板、斬り落とされた左腕、多数の貫通痕。
「スペルド」は、控えめに表現してもボロボロだった。
「ガトリング砲喪失。左前腕とビームカノン喪失。装甲の冗長性はかなり低下しており、71%の装甲は張替えが必要です。推進器の健常性も46%を切っております。」
「……」
整備用コンソールの前に移動したセバスが、淡々と告げる。装甲は予備があるし、武器もすぐに調達できるだろうが、メインフレームの損傷が痛かった。旧世代の一点モノであるがゆえ、予備パーツは特注で作らせるか、ワイス星系から輸送しなければならない。最大限譲歩してもらっても、万全の状態でリベンジマッチをするには、相手をひと月は待たせることになるかもしれない――そんな無礼は、貴族の感覚としても、到底許されるものではないだろう。
「あら。この機体、グリム・モデルですのね?」
「!?」
びくりとして振り返ると、ハンガーの入口に、ひとりのお嬢様が立っていた。
マルグリット・ティーガーデンである。楽しそうに笑って、くるくると巻いたツインテールを揺らした。
グリム・モデル。200年前の星間冷戦期に建造された、旧式のバトルドレス群である。現代では、アース・シリーズとか、ムーン・フレームと呼ばれる事が多いが……あえてなのか、古い言い回しである。
「わたくしの「スノウホワイト」も、グリム・モデルですのよ。お名前はなんといいますの?」
「あっ、えっと……「スペルド」……「スペルド・シンデレラ」と、呼んでいます」
低重力下を軽やかに駆け寄って、「スペルド」の顔を眺めるマルグリット。にこやかだったその顔が、少しずつ険しくなっていった。
「「シンデレラ」……いい名ですわね。ですが、これは……外装式のシンクロ装置ですの?」
え、と。カトリーヌは驚愕した。外装式というのは言葉の綾というか、初期から内蔵されている機能に対して外付けである、というだけで、実際にはコクピット内に備え付けられる内装部品である。当然、(コクピットハッチは閉めてあるし)外から見ても見えるものではない。
「そう……あなたも、背負っているのね。それなら……」
マルグリットは、口の中で何事かをつぶやいている。
セバスも、カトリーヌと同じく、驚きを隠さないままにコンソールを見遣って、すぐに傍らに静かに移動してきた。
(カトリーヌ様。マルグリット様はどうやら――「スペルド」となんらかの通信をしておいでです)
生身で、バトルドレスと通信――?いや、厳密に言えば、バトルドレスを操るお嬢様はみな一様に、ナノマシンによる回路形成手術や、その他様々な強化改造を施された強化人間で、生身ではないのだが――――彼女のように、コクピット外で他人の機体OSと通信するような機能は、聞いた事がない。そんな機能は、基本的に必要がない。
……否、一度だけ聞いたことがある。
聖天の川女学園の生徒会長。200年間無敗の最強のお嬢様。エレノア・ザ・サン様も、同じくバトルドレスと『会話』するのだと聞かされたことがある。
「私のような未熟者では、グリム・モデルはコレがないと応えてくれないんです。……少し、優雅さに欠けるでしょうか?」
「……大いに、ですわね。OSとのミスマッチ、反応曲線のギャップも大きすぎますわ。外した方がいいですわね。それに、貴女でしたら……」
「……」
そこまでわかるものなのか。カトリーヌは、驚きを隠そうともせず、目を丸くした。
「……といって、他の方のやり方にケチを付けるのも、無粋ですわね。聞き流して下さいまし」
マルグリットはここまでの苦々しい表情を崩して、笑顔で優雅に膝を曲げた。インナードレスの美しい装飾がふわりと広がる。
「ごきげんよう。改めて、ご挨拶申し上げますわ。カトリーヌ・ワイスさんでいらっしゃいますわね?
わたくしはマルグリット・ティーガーデンと申しますの」
「ごきげんよう。……あの、あなたは――」
「ごきげんよう、じゃないわよ!」
ハンガーの入口から、だんっと一息に跳んできたのは、ヴィヴィアン・グルームブリッジである。
「あんた、メディカルチェックの結果も出てないのに勝手に出歩かないでよ!」
「あら?これは失礼を致しましたわ。わたくしてっきり、もう終わったものかと……」
ヴィヴィアンの剣幕をものともせず、さらりと受け流す。その様子に、カトリーヌはまたギョッとする。
こんなに怒っている人に、そんなに気遣いなく、力みもなく相手できるものだろうか?自分にはできない。そんなマルグリットのとぼけた顔を見て、ヴィヴィアンは目を見張って拳を握りしめる。しかし、そこはお嬢様。ふぅっと息を吐いて、怒りを鎮めたようだった。
「ッ……まあ、それはいいわ。結果はもう出たから、続きはレセプション・ルームで話しましょう。こんなところじゃなくね」
「わたくしは構いませんけれど……あぁ、お邪魔よね?行きましょうか、カトリーヌさん」
「は、はいっ」
カトリーヌは、二人の応酬に完全に気圧され、どきどきしたまま二人の後へ続いて廊下へと出た。目も泳いでいる。
(こ、これがお嬢様同士の会話なんだ……!)
呑気に、そんなことを思った。
所変わって、レセプション・ルーム。豪奢な宇宙大理石造りの部屋に、大きな椅子が三つだけ置かれている。三人のお嬢様と、それぞれのセバスチャンが、ティーテーブルを囲んで並ぶ。
「とりあえず、まずはマルグリット、あんたの話ね。あそこにいた経緯を聞かせてくれる?」
ヴィヴィアンが、話を切り出した。
「ええ。わたくしは――、………………?」
「?」
自信満々だったマルグリットが、突然言葉に詰まって、困惑した表情を浮かべた。どうしたのだろうと、横を見るカトリーヌ。ヴィヴィアンは、目を細めてマルグリットを見据えていた。
「……ごめんなさい、少し……混乱してますの。わたくしは、どうしてあそこにいたのかしら……」
「え……?」
明らかに狼狽した様子で、目を泳がせるマルグリット。カトリーヌは驚いて、もう一度ヴィヴィアンを見た。ヴィヴィアンは眉根を寄せて、それからふうと息を吐いた。
「本当に、覚えていないのね」
その言葉に責めるようなニュアンスはなかったが……マルグリットは、申し訳なさそうに目を伏せた。
「……本当に、ごめんなさい。名前と、バトルドレスのことはわかるのだけど……それ以外は、まったく」
「……あなたがさっき受けたメディカルチェックの結果を確認したわ。
それによると、あなたは、銀河歴105年ごろの技術でコールドスリープしていたの。当時の技術は不完全で……おそらく、その後遺症だろうって。
脳機能の一部――――とくに、記憶に欠損があるそうよ。ほかにも、脳内物質の分泌にも異常がある可能性が示唆されているわ」
「ちょ……ちょっと待って下さい!銀河歴105年って……!?」
カトリーヌが割り込む。無理もない。
「そうよ。今は銀河歴308年……
マルグリットは、200年前から、あそこで眠っていたの」
「……!」
カトリーヌは、言葉を失った。200年前といえば、歴史の授業でしか伝え聞くことの無い、各星系独立の機運が高まって起こった宇宙冷戦時代の後期である。カトリーヌの纏う旧世代のバトルドレス・「スペルド・シンデレラ」の建造された時期でもある。医学の進歩によって寿命の延びた現代においてすら、一部の貴族やお嬢様を除けば、ほとんどの人間が生きていられる筈のない期間。
マルグリットはこれから、どれほどの時間をかつての知人友人を思いながら過ごすのだろうか。これまでに築いた人間関係が喪われた世界で、心細い思いをしながら生きてゆくのか。カトリーヌには、想像もつかなかった。そんな辛い思いが、寂しさが、空気を通して自身に染み込むような気配がして、おそるおそる、マルグリットへ視線を向けた。
「へぇ、そうなんですのね~……」
「え……」
まったく気にしていなさそうだった。
なんで?その場にいた、全員が思った。カトリーヌにいたっては、なんだこいつとすら思った。さっきの感傷を返してほしい。
いやいや、急にそんなことを言われても受け入れられる訳はない。きっと混乱しているのだ。嘘だと思っているかもしれない。脳が理解を拒んでいる可能性すらある。
やっと、場の空気を感じ取ったマルグリットが、慌てて付け足した。
「あッそういえば、目が醒めたときにディスプレイの日付見ておかしいな~とは思ってましてよ!?
長いこと寝ていた気もいたしますし!そうそうそう!」
「……………………」
なんだこいつ。その場にいた、全員が思った。
呆れをすこし、いやかなり通り越して、軽蔑に差し掛かったヴィヴィアンが口を開く。
「あんた、大丈夫?」
うんうんと頷きたくなるのを必死でこらえながら、マルグリットへ視線が集まる。
「おかげさまで、体調はバッチリでしてよ!寝覚めはいい方ですの」
「……そうじゃなくて。辛かったり、悲しかったりしないの?200年経ってんのよ」
目を丸くして、ぱちくりとするマルグリット。ようやくのみ込めてきたのだろうか。そうであって欲しいとカトリーヌは思った。だが、同時に、そのことであまり思い詰めるのも可哀そうだと、すこし胸が痛んだ。
「う~……ん。そうですわね。お心遣い、感謝いたしますわ。ですけれど、その……本当に、何も憶えていませんの。忘れていることが悲しいといえばまあ、そうなのかもしれませんけれど……」
マルグリットは、やや申し訳なさそうにトーンダウンして、続けた。
「何を忘れたのかも、憶えていませんのよ?誰も、何も……もし過去の記憶が大切なものだったとして、それはきっと、今の私でなく、過去の誰かにとって大切なものというだけですわ。もとよりないものを失ったとしても、それは悲しむべきなのか、わからないでしょう……?」
薄情な女かしら、と掠れた笑みを見せるマルグリットは、寂しそうに見えた。それは、記憶を失ったからなのか、理解されないからなのか、はたまた悲しみすら失ったからなのか、誰にもわからなかった。
重い沈黙が、ティーテーブルを包んだ。




