第4話:飛翔
段々と強くなる雨の中、木々をすり抜けるように、マイナの二メートルを越す巨体が疾走する。
その横を並走するように飛ぶ小鳥のピーチが耳元付近に近づく。
「状況を説明する。今のところオジェロ殿は無事だ。オジェロ殿を拐ったのは反統一派の組織のようだ。オジェロ殿を利用して……」
「オーティス。それはどうでもいい。場所だけ教えて」
オーティス情報士官。鳥型の遠隔端末を複数操り、上空から多くの戦場を見渡してきた作戦参謀。戦後は国内外の問題に関わる仕事に就くとともに、マイナの監視役でもある。
マイナにとって政治的なことはよくわからないし、立場上関わらないように約束しているので、今はオジェロの情報だけでいい。オジェロさえ救えれば難しい話はそちらでなんとかしてくれればいい。
「パーチに追跡させている。信号を辿ってくれ。相手はただの誘拐犯ではない。正規の訓練を受けた騎士達だ。……殺すなよ」
マイナはピーチを介して通信を送ってくるオーティスに答えず。速度を上げる。
後から知った話だが、反統一派の目的は、滅ぼされた王家の遠い血筋であるオジェロを拐い、マイナ達の国の兵士の鎧を着込み、旧国境付近でオジェロを殺すところを目撃させる。併合されたとはいえ、王家を廃し、各国の政治家によって自治はある程度それぞれの国に任されていたため、表向きは留学、実質は人質として、オジェロはこの国に訪れていた。その人質が害されればどうなるのかは想像に難くない。
オジェロの血をもって、争いの火種に火をつけようとしていた。
「……パーチ君……あっちか」
ピーチと対を成すパーチという名の赤い鳥。目標が定まりさらに加速したマイナはピーチを突き放していく。心臓を強制的に稼働させることによる身体強化により、体温が上がり肌を打ちつける雨が蒸発する。マイナが本気で走ったら小鳥などでは追いつけもしない。ボリュームのある長髪が大きく横に広がり、その姿はかつての異名通り、凶々しく羽ばたく鳥のようであった。
木々を抜け、眼の前に現れた視界の端まで伸びる高い壁。マイナの身長の5倍以上の高さのそれを一気に飛び越え、
バチン!!
上空に張り巡らされた電磁柵が作動する。
人間を殺すために作られた、体内を破壊する電撃を放つ殺人装置。戦中はあまりの非道さにより、禁止条約が結ばれた代物で、普通の人間なら全身が炭化し即死するが、マイナは平然と突き抜ける。
この円形に設置された壁と電磁柵は、『凶鳥』を中に閉じ込めるための檻であった。
統一戦争の後、退役を決めたマイナ達。平和になったこの国で、強力すぎる武力を持つ兵士は不必要な存在であると、自ら望んでこの檻に入った。こうして力技で抜け出せるのにも関わらず、閉じ込めているという事実が国には重要であり、それをマイナは正しく守り続けた。
そうして十年の時をこの檻の中で過ごしてきた。
ありえないこと過ぎて考えに至らなかったが、そもそもマイナの家に人が迷い込むはずがないのだ。入口は一つで、見張りが付いており何かしらの作為がなければオジェロが通れるとは思えない。マイナにオジェロを害させるのが目的か、はたまた近くにおいて守らせるためか。その目的と首謀者をオーティスは最後まで口を開かなかった。
マイナは着地しフーっと息を入れ、チリチリと少し焼け焦げて張り付く皮膚を動かし疾走を再開する。
パーチを上空に視認し、送られる合図によって敵の人数と配置を確認すると同時に、複数の矢が雨の様に降り注ぐ。
この程度の牽制ではマイナの皮膚に傷をつけられるはずもなく、払いもせずに突き進む。前衛に配置された複数人の兵士を相手にせずそのまま突っ切り、奥にいる指揮官の腹に足刀を叩き込み、吹き飛ばし大木に叩きつける。
二人ほどの側近らしき兵士が何かを叫んで武器を構え出すが、それよりも早く踏み込み一人に兜の上から拳を叩き込む。地面にめり込んだ顔から右の拳を抜き取り、左手を上げ後ろから振り下ろされる大剣を見ずに受け止めると同時に、力を込めて鉄の塊を片手で砕く。
振り返る速度のまま裏拳をマイナ並の巨漢の腹に叩き込み鎧ごと粉砕する。瞬間に頭を狙った矢を掴み。掴んでいたままの大剣の破片を矢が放たれた方向に振りかぶり投げる。この間わずか十秒。
指揮官と狙撃手を失って統制の取れなくなった隊を、マイナは感情を動かさずに刈り取っていく。
殺すつもりはない、生かすつもりもない。指示されたため手加減はするが、行動不能にさせた結果がそのどちらかになるだけだ。何も感じない。結局世を捨てた十年でも、何も変わらなかった。戦場にいた頃からそうだった。相まみえた相手の都合も生活も家族も人生も、気にすることは無かった。その全てをこの手で吹き飛ばしてきた。
倒すべきモノを倒し終わった後、戦場で何かを失い、それでも戦後を懸命に生きる人達の姿を見て、マイナは自分が人間ではなかったのだと、知ったのだ。
オジェロが監禁されている小屋は少し離れた所にあった。雨はすっかり上がっており、ぬかるんだ地面が足にまとわりつく。パーチがすでに小屋の前に待機しており、中の安全は確認されている。
「オジェロ殿は無事だ。我が国の近衛騎士を事後処理に向かわせているので到着までにマイナ、お前が関わっていると知られると、ごまかしきれないから姿を隠せ。今回の件は公にせずに処理はするが、これほどの事件だ。オジェロ殿は国に返され二度とこの地を踏むことはないだろう。時間がない、マイナ。わかっているな?」
頷き、ゆっくりと扉を開けて侵入する。
オジェロは壁にもたれかかるように座っていた。両手足には鉄の拘束具が付けられ伸びた鎖が床に固定されている。
「マイナ……? 待てどうしたんだ!その肌は。大丈夫なのか?」
「平気、すぐ治るから」とマイナはオジェロに近づき手足に付けられた鉄の枷を掴み、飴細工のように砕きオジェロを支える。枷が付けられていた部分は血が滲み、服は汚れ、美しい顔にもいくらかの擦り傷や殴られた跡が出来ていて、唇には血が滲んでいた。
「……痛かっただろう。こんなになるまで、僕を探してくれたのか」
そんな自らの姿を顧みず、マイナの心配をするオジェロに対して温かさが込み上げてくる。
部屋の隅には気を失った恐らく見張りであろう兵士が倒れており、中に入り込んだパーチが念入りに電撃を浴びせ、飛び立っていく。
「なんとか一人は倒すことが出来てね。せっかく鍛えた剣の腕を使えはしなかったけど、僕は愛する人を残して死ぬわけにはいかなかったから、必死だったさ。うん?マイナ?」
マイナはオジェロの頭に手を当てガラス玉を磨くように撫で回した。
「マイナ。ちょっとくすぐったいぞ。はははっこらっ。やめないか」
マイナは答えずに一心不乱にオジェロの髪の毛を撫でている。二人の身長差では、立ち上がったマイナの腰の位置にオジェロの頭があり、お互いの表情を見ることは出来ない。あれほど望んでいたオジェロの顔を、何故か今は見ることができない。
「マイナ。 少し屈んでくれ」
言われるがまま屈んだマイナの頭を、オジェロは優しく、そして力強く抱きしめた。
「ありがとうマイナ。助けに来てくれて。そしてすまない。優しい君を戦いに立たせて苦しめてしまった。僕はもっと強くなる。君を本当に守れるように。共に歩んでいけるように」
オジェロの想いがマイナの心に空いた隙間に注がれ、隅々まで流れ込んで満たしていく。溢れたそれはマイナの目から途方もなく流れ出し、オジェロの服を濡らした。
「オジェロ君。聞いてくれる?」
止められない涙に頬を濡らしながらオジェロの前に立つ。話したい事、話さなければならない事。たくさんあるのに、時は待ってはくれない。二人に残された時間は少なく、別れの時は刻々と近づいている。
「気づいていると思うけど、私はかつて凶鳥と呼ばれていた。戦う事しか知らない生き物だったの」
もう目を逸らさない。
「私は戦って、多くの人を傷つけて、苦しめて、もしかするとオジェロ君のお父様の仇なのかもしれない」
ただ自分の、この想いを伝えたい。
「きっとオジェロ君の先の人生では、私なんか思い出にもならない素敵な出会いが絶対訪れるよ」
この温かな少年の未来にはきっと光は満ちている。
そうでもなければこの世界が間違っている。
「だから」
私とじゃなくても貴方は幸せになれるけど。
「それでも」
私は貴方と。
「私と結婚してくれる?」
幸せになりたい。
マイナとオジェロ。国を滅ぼす力を持った兵器と、国を滅ぼされた王家の血筋。身長も年齢も倍近く違う。二人の前には多くの障害があって、誰かには恨まれ、憎まれ、邪魔され、再び混沌の火種を抱える世界において、この想いは祝福される事はないのかもしれない。
それでもマイナは幸せを願った。幸せになりたいと。目の前のオジェロを幸せにしてあげたいと。
人間になりたいと思ったマイナが、十年の時を経てたどり着き、そう願った人間の姿を誰が否定できるだろうか。
二人は固く抱擁を重ね、わずかな時間で互いの思いを体で伝え合い、笑顔で別れを告げた。
最後に離れた指先からはいつまでもその温もりだけが残っていた。
オジェロがマイナを抱きかかえられるほど成長したかどうかは、式の参列者だけが知っている。
了




