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第2話:毛づくろい

「マイナ!マイナ!オキロ!オキロ!」

「起きたくないぃ……ピーチ君寝させてぇ……」


 昨日はなんだかよく分からない事が起こったため、結局お昼ぐらいまでしか眠れなかった。ひどい寝不足な気がする。

 忘れよう、今日も一日のんびり過ごそうそうしよう。

 頭の上でダンスする小鳥のピーチを払い除け、のそのそと起き上がり、ボサボサの髪の毛を掻きながら家の扉を開けた瞬間、マイナは固まった。


「おはようマイナ嬢! 良い天気だな」


 昨日の少年が、そこにいた。

 肩からズルリと落ちた服を、慌てて直す。


「ななな、なんでここにいるのぉ?えっと……?」


 マイナは人を覚えるのが苦手だ、おそらく顔と名前が一致する他人は七人しかいない。覚えなくても過去に特に困ることは無かったので、気にも留めていなかった。


「オジェロだ。マイナ嬢。昨日は危ない所を助けてくれてありがとう。ちゃんとしたお礼をしなければならないと、馳せ参じた次第だ」


 オジェロ。女の子と見間違えるくらいの美しい顔立ちに、綺麗に切り揃えられた青い髪が風に揺れ、蒼い瞳は真っ直ぐにマイナを見つめる。

 気品という言葉はどこかに置いてきたような、生まれながらに持ち合わせていないマイナとは、まるで違う生き物のように感じた。


「えっと……オジェロ様……は」


 育ちの良さそうな人相手の呼称は確か、「様」で良かったと前に言われた気がするのでそれに倣う。


「オジェロでいい。マイナ嬢」

「私もマイナで。オジェロ君」


 嬢なんて呼ばれるなんて、そこそこ生きたマイナの人生で一度もなく、気恥ずかしさで体が痒くなってくる。


「それで……えっとオジェロ君はなんでここに来れたの?」

「うん?理由なら先ほど話した通り、お礼に来たのだが?」


 手土産だと、胴くらいの大きさの木箱が用意されていた。

 そういう事じゃないけど……とマイナは上手く言葉にできずに口をモゴモゴ動かして、オジェロと目も合わせられず瞳は宙を彷徨い、横目で家の中の小鳥のピーチを見やるが、動き出す様子はない。オジェロがここにいる事に問題があるのなら、騒ぎ立ててくるはずだ。

 折角の客人を無碍に帰すのは、失礼にあたり、おそらくちゃんとした人間ならしないはずと、マイナは客人としてオジェロを迎え入れようと、なんとか気持ちを奮い立たせた。だが、それだけでマイナの対人キャパシティは限界だった。伊達に10年も引きこもっていない。


「わかりました。お礼は受け取ります。わざわざ遠い所ありがとうございました。道中お気をつけてお帰りください」


 なんとか言葉を絞り出し早口で捲し上げた後、頭を下げて扉を閉め、どっと襲いくる疲労感に身を任せてベッドに倒れ込んで毛布を被る。緊張により強張った身体と、久しぶりに稼働した脳も即座に落ち着きを取り戻し、たとえ戦場であっても即座に眠りにつける自分に感謝しつつ深い眠りについた。

 普段より高い心臓の音だけが、しばらく鳴り止まなかった。 


 これでマイナの平穏は守られたのだ。めでたしめでたし。



「マイナ。改めて僕と結婚してほしい」


 平穏は守られなかった。



「ムーリーでーすー」


 オジェロがマイナの家に通うようになって少し経った頃。マイナの溜まった感情が爆発して吐き出される。原因である目の前の少年、オジェロは「口に合わなかったか?」と心配そうに見つめてくる。

 目の前のティーセット一式は、オジェロが持ち込んだ私物であり、マイナの家にはそんな洒落たものは存在しない。当然ティータイムなどという行為もした事がない。なので味などわかるわけもないが確かに美味しい、という感覚は味覚が成長していないマイナには持ち合わせておらず、「ちゃんと味がする」という感想しか出てこなかった。


「そうじゃなくて、いつまでここにいるの……?」

「二人で決めた通り、マイナが僕との結婚を承諾し、僕が国に帰るまでの期間、ふた月の間だけだ。愛している。結婚しようマイナ」


 それでなんか問題が?という顔でオジェロはカップを傾けている。


「うぅぅ……承諾はしないけどぉ……そんな話だったねぇ……なんで私はあんな約束を」

「ははは。あのままもう二度と来るなと言われたら、どうしようかと思ったぞ」

「そうしたらもう来てなかった?」

「別の手を考えて来てただろうな。その方法は、秘密だ」

「うぅ~どの道退路は絶たれてる……」


 流石にこのままずっと付き纏われても精神的に困るので、期限を設けてもらう事にしたのだ。ちょうどオジェロが国に戻るまでの二ヶ月。そのくらいなら耐えられるかもしれないと思い、この条件を承諾した。

 どうせ期限を待たなくても、私みたいな女らしくない巨体で容姿もだらしがなく、マトモに人間と会話した事のない女にはすぐ飽きて、熱も冷め来なくなるだろうという目論見もあった。いくら結婚しようと囁かれても、恋も愛もそんな物だろうと。恋も愛も知らないマイナは無い頭で必死に戦略を立てたが、もうすでに半壊している。これほどの負け戦など経験がなかった。

 そう、マイナは舐めていた。目の前のオジェロという少年を。


「僕の母上から聞いた事だが、父上も同じような状況で一方的に母上に結婚を申し込んだようで、父上は母上が結婚を承諾するまで何度も何度も諦めずに口説き続けたみたいだ。僕も父上の子。諦めるわけがない」

「ちなみに何年かかったの?」

「五年だそうだ」

「……やっぱり期限を決めて良かったかも……」


 オジェロは精力的にマイナの家に通い続け、愛を囁いた。会話の引き出しの無いマイナの積極的に語りかけ、あさっての方に飛んでいく会話を楽しんでいるようにでもあった。

 何もないマイナの家にオジェロが持ち込んだ私物が増え、硬いパンと干した肉に干した果実や木の実を食し、水しか飲まないおおよそ最低限の生活水準のマイナが、紅茶を飲み、調理された温かい食事を摂っている。

 オジェロから与えられる好意を甘受している自分に、居心地の悪さを感じる。自分にはそんな価値はないと言うのに。


「オジェロ君は、私みたいなのが本当に好きなの?」

「愛しているぞ。信じてもらえていないのは僕の至らなさではあるが。うん。君を褒め称える言葉は山ほど出てくるが、それでも納得はできないだろう?」


 もごもごと言葉にならない言葉がマイナの口でかき混ぜられる。思う言葉が出てこない。そんな事はしょっちゅうだが、オジェロはいつもその間を待ってくれていた。


「なんでそこまで……」

「なんで……か」


 少し考えるような素振りを見せたオジェロは、真剣な眼差しでマイナを見据える。


「そうだな。うん。僕との関係に何が引っかかってるのか、なんでもいい、話してくれないか?」


 自分の事を考えるのは苦手だ。自分の思いを言語化するのも苦手だ。俯いたまま少しの時間が流れ……


「オジェロ君は……いくつなの?」

「今年で十五になるな」

「だよね!若すぎるよ!」

「僕の国では十五になれば立派な成人だ。結婚もできるからそこは気にしないで大丈夫だぞ」

「私が大丈夫じゃないよぉ。私その……」


「もうサンジュ……」

「うん?」


 首を傾げるオジェロに意を決し伝える。


「私もう三十だし…倍くらい違うよ」


 二十歳から始めた引きこもり生活も十年になる。

 赤面するマイナは、自分の年齢を知られて恥ずかしいなどと言う感情が存在していたことに驚いた。


「僕はマイナがたとえ何歳でも気にはしないが。むしろ身分や想い人、婚約者や配偶者の問題ではなくて、僕としては安心しているぞ。何の憂いもなく求婚できるからな」

「心置く気あったの?」


「確かに」と快活に笑うオジェロにつられて、少しだけ笑みが出る。


 オジェロの顔をジッと見つめると、今まで感じたことの無い妙な気分になるが、首をブンブン振りどこかに追いやる。マイナは目の前の少年と自分が、どうなりたいのか。未成熟な頭でよく考えてみるが、今はまだ、考えはまとまらないまま宙に浮いている。


「正直言うとね。笑われるかもしれないけど。私は本当にわからないんだ。好きになってくれたのは、きっと嬉しいのだと思う」

「でもオジェロ君が思う以上に、私はまともに生きてこなかったから。だから、ちゃんと人と付き合えるとは思えないし、自信ないよ」


 マイナは孤児だ。両親の顔も知らず、早熟な発育による大きな体躯だけを持ったがために、人とは馴染めず、マイナ自身もそれを必要としなかった。体だけ誰よりも大きくなり、その代わりとばかりに、感情が育たなかった。少女は多くを傷つけ、傷つけられてきた。そしてそのまま体だけが大人になってしまった。

 未来ある若者の貴重な時間を、こんな私なんかに使ってはいけない。それだけは確信できる感情だ。

 この世界は、オジェロがマイナを愛せるような。そんな自由で平和になったのだから。


「だから、たまたま居合わせ、たまたま助けた。って戦場でもよくある事だから、そんな事に固執してたら、オジェロ君の人生がもったいないよ」


 ごちゃ混ぜで絡まった想いも少しずつ紐解いて、言葉にしていく。少しでも人間らしく振る舞えるように。


「でも君だった。あの時僕を助けてくれたのは、誰でも無い君だ。マイナ」


 オジェロの真剣な眼差しに目が離せなくなる。出会った頃の、オジェロと目が合わせられないマイナはもういない。


「しかも誰でも助けたというならなんて優しい人なんだ。ますます惚れ直したぞ」

「だから私はそんな立派なものじゃないって」


目を伏せるマイナ。自分の弱さを吐き出す恥ずかしさと情けなさに、消えてしまいたくなる。これが人間のふりをする代償なのかもしれない。


「立派か……僕は父上が立派な人だったのか、母上に問うた事がある。それがなんとも酷いもので……あまり声に出したくは無いが、とにかく軽い人だったらしい。特に女性に対しては。それが母上が即座に首を縦に振らなかった理由でもあるが、そんな父上の事を話す母上は、本当にいつも幸せそうだった。だから僕はそんな二人に憧れを抱いていて、そうなれたらいいなと思っている」


もちろん母上と出会ってからはものすごく真面目になったと話していたぞ。オジェロは付け加える。


「僕はねマイナ。君を愛している。君が思う君自身の事も含めて、君と幸せになりたいんだ」


 オジェロが帰り、一人になると、驚くほど静かだった。とマイナは自分の心に隙間ができたような、不思議な感覚に首を傾げるが、それに対して答えが出るはずもなくフラフラとベッドに倒れ込み布団を被る。


「幸せ……か」


マイナは自分の幸せについて、考えたこともなかった。考えようとすると名前の知らない顔が、次々と浮かんでは消え、浮かんでは消え……

鮮明に残るのはオジェロの顔だけだった。


「オジェロ君……」


 まどろみの中でマイナは少しだけ穏やかな気持ちで眠りについた。


暗い闇の中。ケージの中からピーチの目が静かに光りマイナを見つめていた。

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