14星影のしたで(3)
「カナコ、今ちょっといい?」
マシュマロを食べ終えたところで、凪沙が立ち上がった。
「どうしたの?」
「俺に付き合ってほしいんだ。行こう」
凪沙はカナコの首に小型のライトをぶら下げ、自分はLEDのランプを手にする。カナコは慌てて立ち上がって、彼のとなりで尋ねた。
「どこに行くの?」
「すぐそこ。焚き火がそばにあるとダメだから」
凪沙はカナコの手を取り、歩き出す。彼の手にあるランプは前方を照らしており、そこに向かって進んでいった。
他にキャンプをしている人もいるのだが、かなり離れているので、彼らの光は届かず、音も聞こえない。
土の小道をサクサク歩く足音と、時折届く虫の声だけが響いている。あたりは真っ暗だった。
「このへんでいいな。明かり消すよ」
「えっ」
凪沙はカナコの首に下がっていたライトを消し、続けてLEDのランプの明かりも消した。
想像よりも暗い闇が目の前に現われる。
LEDのランプを見ていたせいで、その明かりの残像がより暗がりを強調した。
「怖い?」
「うん。ほんとに、何にも見えない……」
何度か目をしばたたかせても、やはり周りは暗がりだ。
自然の中に放り出される恐怖を、カナコは生まれて初めて感じていた。「畏れ」に近いかもしれない。
「大丈夫だよ」
見えないからか、凪沙の声がやけに耳の中に響いてくる。
その彼が、カナコの手をぎゅっと握りしめて言った。
「そろそろ目が慣れてきたと思うから、上見て」
「……上? あ……、えっ!」
頭上に広がる満点の星空に息を呑む。
夜空を埋め尽くすほどの星たちが瞬き、カナコを見下ろしていたのだ。
「見えてきた?」
「……怖いくらいに、星が……たくさん」
勝手に声が震えてしまう。
圧倒的な美しさを前に、カナコは凪沙の手を強く握り返していた。
「どうしても今日、カナコにこれを見せたかったんだ。山の天気は変わりやすいから心配してたんだけど、さっき木船さんと話してたら、今夜は見られるだろうって」
「……」
「カナコ?」
「……すごい……」
月が出ていないので、星だけがキラキラと輝いている。もやがかかったように白く広がっているのは、たぶん天の川だ。
プラネタリウムで見たような星空が、現実に、ある。
カナコは凪沙の隣で、ただただ星の美しさに囚われながら、声も出せずにじっとしていた。
「――カナコ、大丈夫?」
しばらくして、頭上から届いた優しい声に目が覚める。
「あっ、うん、ごめん……! 星に見とれすぎちゃって……」
「謝ることないって」
「人って、本気で感動すると声も出せなくなるのね。初めて体験したかも」
「そう言ってもらえると、連れて来た甲斐があるよ」
凪沙の顔を見上げても暗くてほとんどわからないが、声色から嬉しそうなのが伝わった。
そして以前、彼が話してくれたことを思い出す。
「凪沙が前に教えてくれたでしょう? 受験前に星を見て、人生が変わったって」
「うん、そうだね」
「今、私も……そんな気持ちでいる」
「自分がちっぽけに思えたってこと?」
「そう、ものすごく小さい。私がさっきまで感じていた情けなさとか、劣等感とか落ち込みとか、そんなものって本当に小さすぎる」
再び星空を見上げて、今日の最悪な出来事を思い出した。
突然の再会と同時に、カナコを蔑む視線と罵倒を浴びせられ、崩れ落ちそうになっていたことを。
「もしあの場に残ってたら私、押しつぶされそうになったまま、もとの場所に戻ってた」
「もとの場所?」
「ピクニックに出会ってなかった頃の自分。変わろうと思ってどうにか立ち直れたのに、振り出しに戻るところだった」
他人の言葉で簡単に壊されそうだった自分を、嫌いになるところだった。
「イヤなこととか、つらいことって、ずっと残ると思ってたけど、違うんだね」
「違う……?」
「うん」
凪沙が引き戻してくれたのだ。彼のおかげで自分を嫌いにならずに済んだ。
「思いやりを持って優しくされると、イヤなことなんてかき消されるって、今日知ったの。つらい記憶よりも、優しさが強いんだって。だから凪沙がここへ連れてきてくれた今日のこと、私は一生忘れないよ」
再び彼を見上げて、笑顔を渡す。暗くて見えなくても関係ない。
「凪沙、ありがとう」
彼を好きだという思いは隠しながら、心から感謝する。
「……困るなぁ、そんなこと言われちゃうと……」
少しの沈黙の後で、凪沙がぽつりと呟き、そして続けた。
「なんもできなくなる」
「え? できない?」
「戻ろうか」
カナコの問いかけには答えず、凪沙はLEDランプを点けた。
暗がりに現われた光は、先ほどより何倍も明るく見え、星空が一瞬で遠のいた。
「これも点けよう」
地面にランプを置いた彼は、カナコの首元に触れる。そして小型ライトのスイッチを入れる。
「ありがとう……、んっ!?」
次の瞬間、凪沙に引き寄せられたカナコは、彼の腕の中にすっぽりと収められた。




