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19上高地でおやきを食す(9)

「昨夜の俺は……ちょっと想像できたかも」


「私に会うために、いろいろ考えてくれてたから……ってことよね」


 ふふっと笑いかけると、凪沙は照れたように目を逸らして「うん」とうなずいた。


「ありがとう、凪沙」


 今度はカナコから彼に近づいて、その頬にチュッとキスをした。驚いた凪沙が、お返しとばかりに唇を重ねてくる。

 彼の力強さに応えて、カナコもキスを続けた。



「――だいぶ暗くなってきたな」


「明かりがいい雰囲気……」


 湯から上がって髪や体を洗ったふたりは、再び露天風呂に入っていた。

 夜の色はますます濃くなり、ところどころに置いてある明かりが一層美しく輝いて見えた。


「カナコ」


「ん?」


「俺、本当はちゃんとプロポーズしたかったんだけど、何も準備してなくてごめん」


「え……」


 謝った凪沙は、露天風呂の淵に肘をかけて、カナコから視線を逸らした。


「なんかほら、レストランとかでさ、指輪用意して……とか、そういうほうが良かったよなって思って……」


 申し訳なさそうにしている凪沙の言葉に、カナコの胸は何度もキュンとして痛んだ。


「そんなことないよ。こうして私のところへ来てくれた気持ちだけで嬉しいから。何もなくていい」


「カナコ……。なんでそんなに可愛いんだよ……!」


 勢いよく顔を上げた凪沙が、バシャバシャとしぶきを上げながらこちらへ近づき、ぎゅーっと抱きしめてきた。


「わっ!」


 驚くカナコに構わず、彼は肌を密着させる。


「指輪は一緒に買いに行こう。カナコの好きなの選んで」


「もったいないよ」


「いいの。俺が買いたいの。買ってあげたいの……!」


 まるでだだをこねる子どものような言い方に、カナコは思わず笑んだ。


「俺、結構稼いでるから。たぶん同年代の中でもかなり稼いでるほうだと思う。会社の給料の他にも、SNSとブログが副業になってるからさ」


 凪沙は今もブログとSNSを淡々と更新し続けている。動画の視聴者も順調に増え続けていた。


「そこの収入と、企業案件の収入もある。これからもバンバンやってくつもりだから心配しなくていい。頼りにして」


「……わかった。頼りにしてるね、凪沙のこと」


 顔を上げると、凪沙は嬉しそうに笑ってうなずいた。


 もしかしたら、凪沙もカナコのように年齢のことを気にしているのかもしれない。カナコは年上であることに、凪沙は年下であることに。

 だから凪沙はカナコに頼ってほしいと言うのだろう。

 

(足りないところを前向きに捉える凪沙は、本当に素敵だ。私も必要以上に卑下しないで、彼に向き合っていきたい)


 凪沙の腕の中で、カナコは心からそう思った。



 露天風呂から上がり、部屋でひと息つくと、間もなく夕飯の時間になった。

 一階へ降りていき、案内された広間に入ったふたりは、同時に声を上げる。


「えっ、囲炉裏!?」


「囲炉裏だ!」


 驚くふたりに、女将が笑いながら席へ促した。


「どうぞ、そちらへお座りください。もう火がついてますから、気を付けてね」


 テーブルはなく、大きな囲炉裏の周りに座るスタイルだ。


 凪沙とカナコは正面ではなく、囲炉裏の角に斜め向かいに座る形で、座布団の上に腰を下ろした。


「ご自分で好きな物を焼いて召し上がってね。こっちの子持ちししゃもは焼けた頃に私が来ますからそのままに。お鍋も頃合いを見て、お声をかけますね」


「ありがとうございます」


 女将はうなずいて、小さなメニューを指さした。


「お飲み物はどうされます? オススメはこの日本酒と、自家製の梅酒。ビールと焼酎もありますよ。お酒が苦手だったら名産のお茶もあるの、美味しいわよ~」


 そのお茶で焼酎割りもできるというので、凪沙がそれを注文し、カナコは自家製の梅酒をお願いした。

 わからないことがあったら気軽に訊いてね、と言って女将は去った。


 座布団の横に置かれた盆には、刺身と山菜の煮物、酢の物が並んでいる。

 いただきますをして、それらに箸をつけた。


「全部美味しい……!」


「マジで美味いね。この酢の物ハマりそう」


「あとで作り方を聞いてみようかな」


「いいね。俺も作りたい」


 箸を動かす手を止めることなく、凪沙が言った。


「じゃあ一緒に作ろう」


「一緒に作って一緒に食べようか」


「うん、そうしよ」


 ふふと笑い合って、また食べ始める。

 こんなちょっとの約束が嬉しくて……、なぜ嬉しいかと言えば未来も一緒にいてくれる約束だからと気づいて、また笑みが浮かぶ。


 それぞれに用意されている串を手に取った。囲炉裏の上に置かれた網の上で焼くようだ。


「私はしいたけと鶏モモ肉、五平餅とトウモロコシも焼いちゃおう」


「俺はトウモロコシと味噌漬け豚バラ。シシトウとしいたけだな」


 網の上に置き、焼くのを待ちながらお酒を飲む。

 上高地での出来事を話していると、炭火で焼かれた串が美味しそうな香りを漂わせ始めた。


「トウモロコシ、いただきまーす」


「俺もいただきまーす」


 ふたり同時に焼けたトウモロコシにかぶりついた。焦げた醤油の香りが鼻に抜けていき、口の中でトウモロコシの粒が弾ける。


「あまっ……! 醤油が香ばしくて最高!」


「炭火焼きだと味が全然違うんだな。めちゃくちゃ甘い!」


 ハフハフと食べ、焼けた鶏肉やしいたけも次々に食べていく。鶏も豚も信州味噌が塗ってあり、こちらも香ばしい香りが口いっぱいに広がった。


 夢中になって食べているところへ女将さんがやってくる。


「美味しいですか?」


「すごく美味しいです~!」「本当に美味しいです!」


 口々に答えるカナコたちを見て嬉しそうに笑った女将さんは、灰に刺してある子持ち鮎を引き抜き、皿に載せた。


「子持ち鮎も焼けましたので、どうぞ。あと、ぼたん鍋もちょうどよく煮えたから」


「ありがとうございます」


「いただきます」


 女将さんが椀に注いでくれたぼたん鍋と、ごはんと漬物も受け取る。ごゆっくりねと言って女将は去って行った。


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