17しみっしみのおでん(6)
「え……? え……? 私、その人の名前言ったっけ?」
カナコは混乱しながら思い出してみたが、凪沙に日吉の名前は伝えていなかったはずだ。なぜ知っているのだろう。
「言ってないけど、わかったんだ。ちょっと待ってね」
席を立った凪沙は、ソファ横の引き出しから何かを取りだし、カナコに差し出した。
「これ。前に本人からもらってた名刺」
「ど、どういうこと? 日吉に会ったの?」
名刺を受け取ったカナコは、日吉の名前を見て動揺しながら尋ねる。
「会ったというか……、三年前からの知り合い。それで、俺の憧れの人なんだよね、ハヤトさん」
「え」
まぁ食いながら聞いてよ、と凪沙は椅子に座って話を続けた。
「俺が社会人一年目の秋に、アウトドアの知り合いに誘われて、キャンプに行ったんだ。そこにハヤトさんも来たんだよ」
「凪沙が社会人一年目ということは、三年前くらい?」
凪沙はがんもどきを箸でつまみ、「そう」とうなずいた。
「その時のハヤトさん、カッコよくてさ。俺の方が年下だってわかってるのに、ずっと敬語使って、穏やかで、持ってるギアも、その使い方も……何もかもカッコよくて、俺の憧れの人になった」
がんもどきを口に運び、凪沙はひとしきり味わい、再び話し始める。
「ただ……、それっきり会うことはなかったんだよ。ハヤトさん、俺と違ってSNSもやってなかったし、知り合いからたまにハヤトさんの話を聞くくらいで、どこに住んでて何をしてる人かもわからなかった」
カナコもがんもどきを箸で取り、ひとくち食べる。おでんのだしが、口中にじわっと染み出した。
「そしたらさ、今年の夏、俺が仕事でキャンプ場に行った時、偶然ハヤトさんに再会したんだよ。キャンプの知り合いもいた。それで、仕事の後同僚は帰ったんだけど、俺は残ってハヤトさんたちと一緒にキャンプしたんだ。次の日は休みだったしね」
「うん」
「その時に『今度、東京に戻るから』ってハヤトさんに名刺をもらったんだ。そこで本名と会社を知った。その時はまだ、東京本社の名刺じゃなかったけどね」
「もしかして……日吉と私が同じ会社なのを確かめるために、私の名刺が欲しいって言ったの?」
「カナコがどういう会社にいるのかは聞いてたけど、会社名までは把握してなかった。事業内容が同じ、地方から東京の本社に戻る……、そこまでは特別なことじゃないから気にしてなかったけど、結婚っていうのが引っかかってさ」
凪沙は、カナコがテーブルに置いた名刺を指さした。
「その名刺をもらった時にハヤトさんが言ってたんだ。そろそろ結婚を視野に入れてる、みたいなこと。周りにも意外だって言われてて、印象深かった」
実はね、と凪沙がいたずらっぽく笑った。
「カナコに言い寄ってる男がハヤトさんかどうか、確かめるために俺、もうハヤトさんに会う約束を取り付けてたんだよ」
「えっ、いつ!?」
「先週に連絡して決めたんだよ。はい、あーん」
ふーふーと冷ましてくれたちくわが、カナコの口の前に差し出される。
「あ、あ~……んっ、おいしっ」
顔をほころばせると、凪沙も嬉しそうに笑った。だが、すぐに目を伏せる。
「俺、忙しかったのもあるけど……、この一週間、なるべく自分からカナコに連絡取らないようにしてた。……余計なこと言っちゃいそうだったから」
「日吉と会うことを、知られたくなかったから?」
「いや、そうじゃなくて、カナコがハヤトさんに言い寄られてる、しかも同じ職場だって思ったら……、嫉妬でどうにかなりそうだったから」
「凪沙……」
「憧れの人に俺が敵うわけない、カナコが取られるかもって、いてもたってもいられなくてさ。そんな時にカナコに連絡したら変なこと言いそうで……耐えた」
口を引き結んだ凪沙を見て、カナコの胸がきゅんとする。
愛おしすぎて、おでん鍋の向こう側にいる彼を抱きしめたくなったが、どうにか我慢した。
「ハヤトさんと連絡が取れて気持ちが少し落ち着いたから、カナコをここに誘ったんだ。カナコが言い寄られてる男がハヤトさんなのか、カナコの顔を見て確かめる覚悟ができた」
こちらを見た凪沙は先ほどとは違い、その言葉通り、覚悟を決めた表情をしていた。
「ありがとう、凪沙。頼もしいね」
「カナコの彼氏だからね、俺は」
ふふんと笑った凪沙は、ビールをグッと飲んだ。
「でも、日吉と会う約束を取り付けたんでしょう? 美央ちゃんの買い物の時でいいの? 私がいないほうが話しやすくない?」
「どうせ会うならカナコがいたほうがいい。そこではっきり言うよ」
「なんて言うの?」
「当日までのお楽しみ。ほら、カナコも食べないと、俺が全部食っちゃうよ?」
「あ、うん」
会っていきなり険悪な雰囲気にならないだろうか。
凪沙を連れていくことは当日まで、日吉に言わない方がいいのだろうか。
いろいろな考えが頭を巡り、カナコは考え込んでしまった。
「大丈夫だよ。俺にとってハヤトさんは大切な人だから、いきなりつかみかかったりしないし」
「ええっ」
「冗談だって。俺に任せて」
笑った凪沙に釣られて、カナコも笑顔になる。
一番好きな人を信頼すれば、それだけでいい。
「わかった。凪沙に任せるね」




