026:露天風呂(1)
◇2038年12月@福島県二本松市《玉根凜華》
この日、初めて「光のチョウ」に変異したばかりの玉根凜華は、岳温泉にある大きなホテルの手前の空中に浮かんだ状態で、この後、どうしたら良いかを考えあぐねていた。安易に壁の向こうに行って、そこに人がいたりしたら、絶対、騒ぎになっちゃうと思うからだ。
まあ、真凛の奴は先に行っちゃったから、悩んでも意味ないかもしんないけど……。
壁抜け自体は既に何度かやってる事なので、心配はしていない。どういう仕組みなのかは皆目見当が付かないけど、そこは割り切るしかないと諦めている。
実は、さっき郡山市内を飛び回っている時、それを安斎真凛に尋ねたら笑われてしまった。
〈ふふっ、凜華って変な事を気にするんだね。そんなの、どうだって良いじゃん〉
〈えっ?〉
その返事に唖然とした凜華に向かって、真凛は追い打ちを掛けた。
〈だって、考えてもみてよ。テレビが何で映るかだとか電車が何で動くのだとか、なーんにも分かんなくても普通に使ってる訳じゃん。今更、分かんないのが増えたって、どうだって良くない?〉
〈いやいや、テレビが映るのも電車が動くのも、電気のお陰じゃない。そっちは、ちゃんと仕組みが分かってんの〉
〈そっかなあ? 世の中って、分かんない事ばっかだと思うんだけど〉
〈それって、真凛が知らないだけなんじゃない?〉
〈うーん、それは、そうかもしんないけど……。でも、アタシは、アタシが何で生きてるのかだって、良く分かってないんだよね。それに、ちっちゃい虫とかが生きてて、動いたり飛んだりするのだって、考えてみると凄く不思議だと思わない?〉
〈それって、生命の神秘ってこと?〉
〈もう、凜華ったら、何でも難しい言葉を使いたがるんだからあ〉
凜華には、真凛が少し拗ねたのが何となく分かった。
〈まあでも、真凛が言うのも分からなくはないかな。あくまで、感覚的にって事だけど〉
凜華が少しだけ折れてあげたら、真凛は勢いよく食い付いてきた。
〈でしょう、でしょう? アタシ、前々から思ってたんだけど、でっかい飛行機が空を飛ぶのと比べたら、アタシらが空を飛んでる事なんて、ぜーんぜん不思議じゃないよね〉
〈いやいや、私、人間だから。機械じゃないから。だいたい、世間には常識ってもんがある訳だし……〉
〈そんなの、誰が決めたの? 常識なんて、アタシらには関係ないと思う〉
うーん。卓見かもしれない。
ホテルの壁の前でそんな事を思い出していたら、いきなり白い壁からニョキッと真凛の顔だけが突き出てきた。
〈もう、凜華ったら、早く来なよ〉
そう言われてしまえば、後に付いて行くしかない。そう思って、エイッと壁の向こうに飛び込んだら、服を脱いでる男の人が二人……。
〈うわああああ!〉
もう何度目か分からなくなっている絶叫を心の中で上げたら、〈うるっさ-い!〉と怒鳴られた。どちらも心話だから、他の人に聞かれなくて良かった。普通の声だったら、声だけで大騒ぎになっちゃう。
〈もう、そこの壁を抜けて、早くこっちに来なよ〉
〈えっ?〉
〈だからー、そっちは男湯の脱衣所なのっ!〉
ようやく状況を理解した凜華は、今度は右横の壁の向こう側へ移動する。すると、そっちの女子の脱衣所には、真凛しかいなかった。
〈だいたいさあ、もう騒ぎになってるっちゅーの〉
〈えっ、どういう事?〉
〈それより先に、変異を解きなよ〉
〈あ、ごめん……〉
凜華は、慌てて変異を解こうとしたけど、上手く行かない。
〈どうしたの?〉
〈変異の解き方、分かんない〉
さっき翅を引っ込めるのは、単に思うだけで出来た。でも、完全に光を纏わない状態に戻す方法が分からない。
〈そんなの、普通に力を抜くだけじゃん〉
〈それだけ?〉
〈そんだけ〉
簡単に言うけど、私に出来るんだろうか?
凜華は、そこで考えた。
力を抜くって言うのは、きっとアレだ。
凜華は、大きく深呼吸をした。すると、何かがスーっと身体から抜けて行く感じがして、目を開けると普通に戻っていた。つまり、部屋着にしているウールの膝丈ワンピと黒いタイツ姿だ。靴は、履いていなかった。
〈もう、凜華ったら、ずーっと「光のチョウ」の格好でホテルの前に浮いてたもんだから、みーんな、大慌てで見に行っちゃったんだよ。窓から大勢の人が覗いてたの、気付かなかった?〉
〈ええーっ!〉
〈だから、うるさいんだってばあ!〉
〈あ、ごめん……あれっ?〉
そういや、変異を解いたのに、ずっと心話で会話したままだ。てことは、変異してなくても心話は使えるって事かも。
〈まあ、良いんだけどね。そのお陰で、ここには人がいなくなって気兼ねなく使える訳だし……〉
〈男湯の脱衣所には、二人いたよ〉
〈そうなの?〉
〈うん。服、脱いでた〉
〈あはは……〉
〈もう、笑い事じゃないでしょうが〉
真凛の場合、脱衣所の隣の女子トイレで素早く変異を解いたのだそうだ。
〈もう、そういうのは、先に言ってよね〉
〈ごめんごめん。普段は自分の部屋でハダカになって、そのまま露天風呂に飛び込むから忘れてたよ〉
そんな会話を交わしながらも、真凛は次々と服を脱いでは、近くの籠に投げ入れる。そして瞬く間に全裸になった真凛は、さっさと浴室の方に歩いて行った。
そこの横にある棚には、嬉しいことに新品のタオルが並べてあった。真凛は、そこから一枚を手に取ると、ガラガラと大きな音を立ててガラス戸を動かす。それから振り返りもせずに入って行った。
その時、凜華の頭に〈先に行くよ〉の心話が届いた。
ハッとした凜華は、慌てて残りの服を脱いで行く。
〈凜華、遅い〉
〈あ、ごめん〉
最後の一枚を籠の奥に押し込んだ凜華は、急いで真凛の後を追った。
★★★
浴室には白い湯気が立ち込めていて、薄ぼんやりとしか見えない。それでも心話を頼りに真凛を探し出した凜華は、隣に並んで身体を洗い出す。
やがて、先に身体を洗い終えた真凛は、当然のように頭を洗い始めた。
〈ここだと、シャンプーもコンディショナーも使い放題じゃん〉
〈何その超セコい考え方〉
〈庶民としては、普通の考え方じゃん……、あれっ、凜華は上級国民って奴だった?〉
〈ううん。私も庶民ではあるんだけど……、てか、それって、庶民とか違くない? 単純に、「がめつい」って事じゃん〉
『もう、細かい事は良いじゃん』
そんな会話をしながらも、二人は並んで手を動かす。頭を洗いながらでも普通に喋れるんだから、やっぱり心話ってのは便利だ。
頭を洗い終えると、取り敢えず、目の前のお風呂に浸かる。すると、すぐに真凛が、〈ねえ、露天風呂に行こうよ〉と言い出した。そして、凜華の返事を待たずに屋外へ出て行ってしまう。
せっかちな真凛に呆れながらも、凜華は急いで後を追った。
屋外に出てみると、さすがに寒い。冬なんだから当然だけど……。
冷たい石畳の上を歩き出して、すぐに分岐に突き当たった。そこに木の看板があったけど、それには目もくれずに、凜華は真凛の後を追って行く。途中から石畳は飛び石に変わっていて、滑らないように慎重に歩く。凛かは『ちょっと遠すぎない?』と思ったけど、道順を示す矢印が幾つもあったので、それほど不審には思わなかった。
いや、本当は「不審に思わなかった」でなく「余裕がなかった」が正しい。夜で暗いとはいえ、ハダカで外を歩くのは無茶苦茶ハズいのだ。それに、なんてったって寒い。まさに、我慢比べって感じだ。こんなの、『真凛が一緒じゃなきゃ絶対ムリ』だと、凜華は思った。
そうやって必死に辿り着いた先の露天風呂は、行き止まりの三方向が大きな岩で囲まれた場所にあった。あんな騒動があっても、中のお風呂には入ってる人がいたけど、こっちには誰もいなかった。
恐る恐る足を浸けると、結構、熱めだ。
ところが、そんなのはお構いなしに、真凛は一気に全身を沈めてしまう。
「凜華、良い湯だよ。ハダカで突っ立ってないで、早く入りなよ」
そう言って真凛は、お湯を手で掬ってぶつけてくる。凛かは、『もう、止めてよ』と言いながら、少し離れた所に腰を下ろした。
「ふふっ。アタシらの貸し切りだね」
真凛は、何だか得意げだ。
「この旅館、ここらで一番高級なんだよ」
「そうなの? そんな所にタダで入っちゃって大丈夫なの?」
「全然、平気だよ。バレなきゃ良いんだからさ」
「もう、真凛ったら……」
『その発想、泥棒と一緒なんですけど』と続けたかった凜華だったけど、口にしなくても伝わってたみたい。こういう所は、心話のデメリットなのかもしれない。
そんな事を凜華が思った時だった。庭の反対側から誰かが近付いて来る気配がする。咄嗟に、凜華は真凛と顔を見合わせた。
「おや、先客がいたみたいだな」
「ほう、カワイイお嬢ちゃん達じゃないか」
それらの声を聞いた途端、凜華は、顔からサーッと血の気が引くのが分かった。
声がした方に目を見ると、さっき脱衣所にいた二人のオジサンが、こっちに笑顔で歩いて来る所だった。
END026
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話も「露天風呂」の続きになります。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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★★★
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(ジャンル:パニック)
ハッピーアイランドへようこそ
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