第7話 バイバイね…… 13 ―黒い火柱―
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拳を握ったアイシンは走り出した。瓦礫と化した校舎から駆け下りてくるホムラギツネに自ら向かっていく。
対するホムラギツネは血走った目で吠えてくる。牙を剥き出し、野獣の声で。
吠えるとホムラギツネの口内からは火の玉が飛び出した。
白い体毛を纏っていた時は火の玉を吐き出す前に体を仰け反らせて予備動作を取っていたが、漆黒の炎を纏った現在のホムラギツネには火の玉の生成など容易いのか、火の玉は吠えるだけで吐き出された。
「嘘でしょっ!!」
これにアイシンは驚いた。
否、アイシンが驚いた理由は予備動作も無く火の玉が吐き出されたからだけではない。数もある。吐き出された火の玉が三発と多かったからだ。
「でも軌道は一緒、避けられる!!」
ホムラギツネに正面からぶつかろうとしていたアイシンは咄嗟に右方向へと重心をずらした。三発とあれど全て真っ直ぐに飛んでくるのだ。左右のどちらかに逃げれば避けられなくはない……が、
「ギィェーーーーーー!!!!」
ホムラギツネが尾を伸ばしてきた。それも一本ではない、同時に九本。右側から三本、左からも三本、上からも三本だ。これでは右にも左にも、上に跳んでも逃げられない。
「先輩……容赦なさ過ぎますよ!!」
アイシンはホムラギツネに背中を向けるしかなかった。
しかし、火の玉も尾も速い。必死に足を回してもホムラギツネの攻撃は迫ってくる。
「こんな時、みんなならどうするの!!」
アイシンは考えた。他の英雄ならどう対処するのかと。
セイギならは大剣で火の玉を斬って、ジャスティススラッシャーで尾を排除するだろう。
ユウシャならば二丁拳銃で火の玉も尾も撃ち落とすだろう。
ボッズーならば尾が追い付けない程の高さまで飛んでいくだろう。
「ダメだ、どれも私には出来ない……」
仲間の戦い方を参考にしようとしたが意味がなかった。
アイシンには剣も無ければ銃も無い。翼も生えていない。他の英雄と同じに考えてはいけなかった。
アイシンは腕時計も叩いてみた。しかし、武器は出てこない。
アイシンは山下商店を出た後にも腕時計を叩いていた。自分の武器は何かと知りたかったからだ。その時も武器は出てこなかったが、その時はそれでも良いと思えた。『先輩に自分の想いを伝える為には、武器を使うよりも体と体でぶつかり合った方が良い』と思えたからだ。だが、現在は状況が違う。危機が迫っている。起死回生の武器が欲しかった。
「武器が欲しいのに、何で光が出てくるの? この光はなに??」
アイシンの腕時計からは武器は出てこないが他に出てくる物があった。それは光だ。アイシンが身に纏う鎧のピンクによく似た蛍光色のピンクの光が腕時計を叩く度に開いた文字盤の中から放出されているのだ。
そして、放出された光はアイシンの頭の先から足の先までを包んでくる。ホムラギツネの炎と同じ様に。
「包まれたって嬉しくない! 私は武器が欲しいのに!!」
ピンクの光にコーティングされても特に変化はなかった。体が癒されるでもなければ、力が強くなっている感もない。
訳が分からずで怒りを抱いてきたアイシンは地団駄を踏みたくなるが、今はホムラギツネの火の玉と尾から逃げている最中だ。踏みたくても踏めない。その代わりにアイシンは更に腕時計を叩いた。
叩いた数は計三回。叩いたところで文字盤から出てくるのは光だけだが、光はやはりアイシンの体を包んでくる。
ピンクの光は重なれば重なる程に濃くなっていったが、濃くなったところで何かが起こる気配はしない。
「ちょっと……ヤバイよ」
火の玉か、それとも九本の尾か、どちらかが背後に接近していると感じた。
少し熱い感じがするから火の玉の方だろうか……と思った瞬間、背中が押された感じがした。
押された数は計三回。倒れる程ではないが、少し強い衝撃だった。
「え……なに?」
若干、前のめりになったアイシンは首を回し、後ろを振り向いた。すると、背後には厚い硝煙が立ち込めている。
「えっ、何これ?!」
それから気付く、体を包んでいたピンク色の光が無くなっている事に。
アイシンは山下商店を出てホムラギツネを追い掛けている最中にも腕時計を叩き、ピンク色の光に包まれていたが、その時の光も暫くすると消えていった。ふわりと風にさらわれた綿毛が飛んでいく様に、ピンク色の光は粒子となってアイシンの体から離れると、自然と消えていった。
光に包まれてから三分くらいが経っての出来事だっただろうか。
その為に体を包んだ光が消えていく事自体にアイシンは驚かない。しかし、いまは腕時計を叩いた直後だ。三分は確実に経っていない。しかし、光は消えてしまった。
「まさか……」
アイシンは目の前の硝煙を腕で払った。
腕時計を叩いてから起きた出来事は一つだけ。背中を押された様な三回の衝撃だけだ。
硝煙を払い、視界が良好になると「やっぱり、そうなんだ……」とアイシンは呟いた。
アイシンの視界の先にはホムラギツネがいた。彼女の尻から伸びてくる九本の尾もある。九本ともが全て空中で停止しているが。
ホムラギツネの顔は怒り以外の表情を読み取るのが困難な顔をしているが、もしも萌音の顔そのままであったならば、現在の彼女の表情は驚愕で固まっている筈だ。アイシンを追い掛けていた尾が九本ともに固まっているのが証拠になり得るだろう。
ホムラギツネが驚く理由はただ一つ、己の武器がアイシンに傷一つ負わせられなかったからだ。
「このピンク色の光って、もしかして鎧なの?!」
三分も経たずに消えた光、火の玉と同じ数の背中を押されたかの様な衝撃、振り向いて見ればホムラギツネと尾はあっても火の玉は無い、驚いているだろうホムラギツネの姿。この四つから考えて、アイシンは確証は無いが自信のある答えを出した。
「私の腕時計からは鎧が出てくるんだ! 火の玉ぐらいだったら全然防げるくらいの鎧が!!」
英雄たちは変身すれば皆がメタリックカラーの鎧を身に纏うが、武器を持たないアイシンには武器の代わりに更なる鎧が与えられているらしい。
火の玉を受けて光が消えた事から、攻撃を防いだならば消えてしまう鎧らしいが、鎧があるのならばホムラギツネの攻撃を恐れずに突撃が出来る。
アイシンは「ヨシッ!!」と拳を構え、ホムラギツネに向かって走り出した。
「ギィーーーーェーーーー!!!!」
しかし、アイシンが走り出すと驚いていたホムラギツネも流石に動き出す。九本の尾が上空から左右からアイシンに向かって伸びていく。
「エイッ!!」
走り出してすぐに、目の前に尾が迫った。尾を眼前にしてアイシンは地面を滑る。スライディングだ。上にも左右にも尾があるのならば下を行くしかない。
滑った直後に尾に囲まれてしまうが自ら選んだ道だ、アイシンは後悔しなかった。滑った直後に尾の先端は後ろに置いてきた。地面には傾斜がかかっているのかと錯覚してしまう勢いでアイシンは地面を滑っていき、見上げれば、左右を見れば、尾の腹が望める位置まですぐに来た。この位置まで来るとスライディングを捨ててアイシンは立ち上がる。再び己の足で走り出す。
ホムラギツネがアイシンを捕まえたければ尾をUターンさせるか縮めるかしかないが、アイシンはどちらの時間も与えたくない。全力で走り、ホムラギツネに接近していく。
走りながら腕時計を叩くのも忘れない。ホムラギツネには火の玉もあるのだ。三発同時に吐き出されるのだから、アイシンは今度も三回叩いた。
「ギィェーーーーーー!!!!」
やはりホムラギツネは口を開いた。火の玉を出すつもりだ。
だが、アイシンが早い。
アイシンは「エイヤーーーッ!!」と気合の限り叫び、ホムラギツネの顔面に右拳を叩き込んだ。
「ギィッ」
「先輩!! 先輩と戦うのは嫌だけど許して!!」
殴られたホムラギツネは顔を仰け反らせて天を向いた。
この隙にアイシンは立て続けに拳を打ち込んでいく。ボクシングで謂えば、ジャブを、ストレートを、フックやアッパーを。右も左も拳を振って、連打に連打を重ねていく。
攻撃は最大の防御だ。ホムラギツネを真田萌音へと戻す為にも、アイシンは負けられないのだ。
「せっちゃん達が来れば、きっと先輩は人間に戻れる!! だから、それまで先輩も耐えて!!」
セイギ達がいつ輝ヶ丘に戻ってこれるのかアイシンは分からない。けれど、アイシンは信じる。
「せっちゃん達はきっと、すぐに来てくれるから!!」
「ギィェ!! ギィッ!! ギィ!!」
だが、ホムラギツネも抵抗はしてくる。アイシンが繰り出す拳を黒い毛の生えてた右腕で防ぎ、鋭い爪を立てて攻撃を仕掛けてくる。
「先輩!! その攻撃は、今の私には効かないよ!!」
火の玉よりも爪の方が威力が弱い、三回分の鎧を纏っているアイシンは一切のダメージを負わなかった。
続けてアイシンは初めての攻撃に手を出す。練習もした事のない攻撃だ。しかし、アイシンは手を出した。否、手というよりも足が出た。やろうとしたのではなく、勝手に体が動いてしまった。
アイシンの体は回る。足を振り上げながら回る。ホムラギツネの顔面に目掛けて足を振りながら回った。
「エイヤーーーーーッッッッッ!!!!!」
アイシンが繰り出した攻撃は回し蹴りだった。練習もせずにやってみたのだから不恰好な蹴りではあったが、ホムラギツネを「ギィヤァ!!!」と吠えさせる威力があり、蹴られたホムラギツネは宙を舞って後方へと飛ばされた。
「先輩……もう立ち上がらないでよ、せっちゃん達が来るまで大人しくしてて」
アイシンは祈る様な気持ちで、天を仰いで倒れたホムラギツネを睨んだ。
ここでアイシンは気が付く。連打を浴びせている内に、ホムラギツネの尾が通常の一メートル程の長さへ戻っていたと。
尾はうねうねと動いている。ホムラギツネが気を失っていないと分かる。
うねうね、うねうね、尾が動く。
「先輩、私たち英雄にはバケモノの力を取り除く能力があるんです。それは私一人じゃ出来ないから、だからもう少し――」
「ギィッ!!!」
アイシンはホムラギツネを……否、萌音を安心させたいと思った。
肉体を《王に選ばれし民》の思う様にされて、一番に怖いのは、傷付いているのは、萌音自身だとアイシンは理解しているから。『先輩を救う方法はある』と、萌音に教えたかった。
教えたかったが、ホムラギツネは大人しくはしてくれなかった。「ギィッ!!!」と鳴くとホムラギツネは起き上がり、四つ足になってアイシンを睨んだ。
起き上がっても尾はうねうねと動く。九本の尾がうねうねと……そして、ホムラギツネが再び鳴き声をあげると尾は地面から浮き上がり、その先端を天に向けた。
「ギィーーーーーーェーーーーーーー!!!!」
逆立った尾はうねうねと動きながら重なる。まるで少女の髪を編む様に、捻り合わさり、一纏めとなっていく。
「先輩……まだ戦わなきゃいけないの」
アイシンは一纏めになった尾が天に向かって真っ直ぐに伸びていく光景を見ながら、開いた拳を再び握った。
尾に纏う炎は尾が伸びれば伸びる程に増していった。激しくなっていった。
一纏めになって太くなった尾が更に太く見えてくる。大きく見えてくる。
黒く巨大な尾がアイシンを見下ろしてくる。




