第7話 バイバイね…… 9 ―心に闇が広がっていく―
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「あの時に諦めた方が幸せだったのかもね」
萌音はまた自虐的に笑った。
「警察も動いてくれてはいたし、私は静かにしていれば良かったんだ。だって、毎日大変だったし。学校に、バイトに、記者としても働いて、それから詐欺師の調査……なにこれ? ドラマの主人公ですかって感じ。まぁ、本当になりきってた自分がいたよね。いつか私は栄光を掴めるって感じで。人生そんなに甘くないのにさ。万能感っていうのかな、そんなので自分を騙して、睡眠時間もどんどん削って。それでも主人公になりきってた私は、当時はそれなりに楽しくも生きてた。でもそんな生活、いつかはダメになるよね……」
萌音は笑顔を消すと、鼻を啜って髪を掻き上げた。
「ある日突然、何事にも集中出来なくなっちゃってさ……バイトはミスばっかりになるし、受験が迫ってるのに勉強は頭に入らないし、段々イライラしてきて、弟たちに八つ当たりしちゃったりもしてた」
「……」
アイシンは、"八つ当たり"とは瑠樹が言っていた萌音の嘘の事だろうと察した。
「詐欺師の調査をしていても、やっぱり一介の高校生じゃすぐに行き詰まったし、記者の仕事もダメ記事しか書けなくなった……何かもう、全部が上手く行かない感じ。全部が嫌になる感じ。そんな感じの時にバイトもクビになった。二件も掛け持ちしてたから、クビなったらクビになったで、一件だけに絞ろうかって考えもしたけど、やっぱり家計は厳しいし、新しいのを探す事にした。でも、次のバイト先もすぐに見付かったんだ。でもね、そこもまた問題があった……そういえば桃ちゃんには話してなかったよね? 私のクラスメートのアヤカがストーカーに狙われてたって話?」
「あ……ううん、私知ってます。友達から聞いて知ってます」
アイシンは正義からストーカー男の話を聞いている。
アイシンが答えると、萌音は「友達、誰それ?」と不思議そうな顔をしたが、「そっか、知ってるなら話が早いか」と言って、続きを話し始めた。
「あのね、どんな問題があったかっていうとね。そのストーカーなんだよ。アヤカを狙ったストーカー男が、新しいバイト先に居たんだ」
「え?! なんで? 偶然ですか?」
「うん、偶然は偶然。でも、男を見付けた時、正直めっちゃ驚いた。動揺っていうか、何ていうか。向こうもこっちも、結構シフトを入れてたから、ほぼ毎日顔を合わせる事になったし。一応幸いとして、私と男の働く時間帯は違ったから、挨拶を交わすくらいしかしてなかったけど。でも、私、自分では全然そんな風には思ってなかったけど、男の事をそれなりにトラウマに思ってたみたいで、顔を合わせるだけでも結構キツくて、心がゾクッとするっていうか……」
「当たり前ですよ。先輩もナイフを向けられたりしたんですよね。それは、そうですよ、そう思って当然ですよ」
アイシンが同調すると、萌音は「ありがとう」と返した。
「だから、やっぱり別のところで働こうって考えたりもしたけど、でも結構時給の良いところだったし、本当に一瞬顔を合わせるだけだったから、一瞬ゾクッてするくらいだけだから、生活費の方が大事だし、やっぱり続ける事にしちゃった。でも、一瞬のゾクッとでも、毎日積み重ねてたら、それなりに重たくなる物なんだね。段々バイトに行きたくなくなってきて、それでも生きていかないといけないから、行かなきゃいけないって思って……この頃、『楽しいってなんだっけ?』って毎日毎日考えてた。『生きるって辛いな』って。今でも、思ってるかな。だからね、願ってしまったんだ。空が割れた日に。佳代ちゃんや桃ちゃん、大切な人たちと一緒に、死ねないかなって」
「先輩……」
萌音は俯いてしまった。
そんな萌音に対して、アイシンは何と声を掛ければ良いのか分からない。
親しいからこそ、アイシンは萌音の心境をリアルに想像出来た。しかし、出来たからこそ、在り来りの言葉で励ますなんて事はしたくなかった。
したくはないが、人生経験の浅いアイシンでは在り来りな言葉しか思い付かない。
アイシンが言葉を探していると、俯いた萌音が顔を上げた。
「馬鹿な考えだよね。それに本心じゃない。そうなれば全部楽になるのになって、一瞬軽い気持ちで思っちゃっただけ。でも、一度でもそんな考えを持ってしまったら、完全に消える事はないんだって、その後に嫌になる程に私は知ったんだ……王に選ばれし民が現れてから二日後、ううん、三日後だっかな? 芸術家が私の前に現れたんだ」
「芸術家……! それって《王に選ばれし民》の?!」
「そう、空が割れた日に赤い英雄が戦ったヤツ。あれはバイトの帰り道だったかな。信号待ちしてたら、向こうの歩道にアイツが居て。離れてる筈なのに、耳元に声が聞こえて。『今からあなたに力を与える』って、『その力はあなたの願いを叶えてくれる』って言ってきた。時間もおそかったし、私はオバケでも見た気持ちになって、めちゃくちゃ気持ち悪くて、その場から逃げようとした。でも、遅かった。"桜の花びら"が降ってきたんだ。たった一つだけの"桜の花びら"が、桜の花びらによく似た光を放つ"ソレ"が、Uターンしようとした私の自転車のハンドルに落ちて、ポンって跳ねて、私の体の中に入っていった」
「"桜の花びら"……それって何なんですか?」
アイシンは聞くが、萌音は首を振る。
「分からない」と答えながら、両手で体を擦った。
「分からないよ……でも、恐ろしいモノだって事はすぐに分かった。凄く感覚的な言い方になるけど、"桜の花びら"が体に入っていった瞬間に、心が真っ黒に染まった気がしたの」
「心が黒く……」
アイシンは、また聞きたくない話が始まると理解した。
仮面の中では冷や汗が流れる。拭きたくても拭けない汗が。
「私は別に、純白な人間じゃない。お父さんが死んでからは特に。心の中に染みみたいな、どんよりと暗いのが出来てた。桃ちゃんが言ってた、暗くて重たい靄みたいな物ってコレだと思う。日に日に靄が拡がっていっているのも分かってた。でも、"桜の花びら"が入る迄は、ほんのちょっとした染み、そんな感じだった……でも、入った瞬間に、全部、黒くなったんだ」
「全部が、黒く……」
「それからはあっという間だった。私は輝ヶ丘を燃やす事しか考えられなくなった。どうすれば私の作戦が上手くいくのかとか、誰を利用するべきか……とか、悪い事しか考えられなくなって、自分で考えた作戦が上手くいっていると、快感すら覚えてた。最悪だよ、私は最低の人間だ……」
「違う、先輩は最低なんかじゃ――」
「うぅ~~ん♪ ダメダメぇ♪ 全てが自分の考えた作戦だと嘘をつくのはダメですよぉ♪♪ ストーカー男を利用するアイデアを出したのは私ですからぁ~~~~♪♪」
萌音の独白は打ち切られた。萌音でもアイシンでもない、別の誰かの声が、歌う様に喋る者の声がしたからだ。
「誰……?」
アイシンは声がした方向を見た。それは教室の片隅。廊下に繋がる扉の前に相手は居た。
「あららぁ~~♪♪ やっとお気付きですかぁ?お嬢さま~~~♪♪」
アイシンは、萌音を救う力に成る為には、本当の萌音を知らなければならないと、萌音が抱えていた苦しみを知らなければならないと考えていた。だから気が付かなかった。萌音の独白にだけ集中し過ぎていた。
敵は既にすぐ近くに来ていたのだ。
いつの間にか同じ場所に居たのだ。
それは、萌音をバケモノに変えた張本人――
「お前は、芸術家!!」
アイシンは拳を握り、立ち上がった。




