第6話 剥がれた化けの皮 12 ―愛よ、立ち向かえ―
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「お婆ちゃん!!」
山下佳代は居間の畳の上で倒れていた。
グッタリとしていて顔面は蒼白、瞼を浅く瞑り、呼吸も浅く見える。
「先輩!! なんて酷い事を!!」
「何だよ、抵抗しないでくれる……」
「――あッ!!」
愛は怒り、萌音に掴み掛かろうとしたが、その体は宙を舞った。
萌音に腹を蹴られたのだ。
「酷い事……言いたければ言えば良いよ、私だって本当はカヨちゃんを傷付けたくはなかったんだし、全部アンタのせいなんだから、アンタが英雄だったんだから仕方ないじゃん」
蹴り飛ばされた愛が佳代の真横に転がると、萌音は乱れた髪を掻き上げた。
最前まで愛を掴んでいた右手が振り乱れた髪を退かすと、萌音の表情がまたもや変わっていると愛は知る。
またも虚ろだ。畳の上に倒れている愛に視線を向けている様に見えるが、焦点は合っていない。
「桃ちゃんを協力者に出来ないなら、他の誰かをそうしなきゃならない。私が次に選んだのはカヨちゃんだった……始めは上手くいっていたよ。私を狙う犯人だと協力者に思い込ませる為に用意した柏木って男の事もカヨちゃんはずっと前から知ってたからね。カヨちゃんが散歩に出る時間に合わせて、柏木を駅前公園に行かせてみたら、すぐに罠にかかってくれた。柏木が全ての黒幕、私は狙われた少女……すぐにそう思い込んでくれた。でも、何故だろう、いつの間にかバレてた。私が嘘つきって、バレちゃってた。そうなったら、もう全部が台無しだよ、だから計画を最初に戻そうと思う、ピンチはチャンスってヤツにしないと……」
「計画を最初に? どういう意味……なに言ってんのか全然分かんない!」
「動くなって……」
愛は立ち上がろうとした。しかし、再び勢い良く蹴られ、倒されてしまう。
「弱いね、桃ちゃん……もしかしてだけど、英雄になったのは良いけど、まだ何も出来ない感じ? 赤い英雄と青い英雄みたいに戦う姿にはなれないの? まぁいいや、それより、意味が分からないって、分かってよ。青い石には"愛"を注ぎ込まきゃいけないって、『誰かを愛してる、誰かを助けたい』って祈らなきゃいけないって説明したよね? だったら分かってよ、今の状況を――」
萌音の視線は佳代へと注がれた。
その表情は悪鬼へと変わる。歯を剥き、目を吊り上げ、害虫を惨死させる勢いで佳代の体を踏みつけた。
「――助けなきゃなんだよ。桃ちゃんは、このババアをッ!!」
これまでの佳代は、気を失っていたのか、それとも意識朦朧の最中だったのか、愛と萌音の行動に何の反応も示さなかったが、身体的な防御反応が働いたのだろう、萌音に踏まれると歯を食いしばって体を丸めた。「いた……い、もねちゃ、やめて」と食いしばった歯の間から痛みに耐える微かな声がした。
「このババアを殺されたくなかったら、さっさとこの石に祈れ!! ババアを助けたいと、ババアを愛していると祈るんだ!!!」
萌音は愛に向かって青い石を差し出した。
愛はまだ畳の上に倒れている。二度も腹を蹴られて悶絶するなという方が無理な話だ。相手が聖人であれば愛を助け起こしただろうが、そうではない。萌音は自ら痛めつけたにも拘らず愛を急かした。
「いつまで寝てるんだ、祈るんだよ!! 早くしろッ!!!」
佳代は踏みつけられ続けている。ふくよかな腹をジリジリと。
「石に祈れば、お婆ちゃんを助けてくれる……」
「そうだよ、そうだって言ってんだろ!! 早くしろってッ!!!」
愛は吐き気を覚えながらも立ちあがろうと動き始めた。
佳代と愛の背後には昨日みんなで囲んだ炬燵がある。佳代が作ってくれたおにぎりと味噌汁を、希望たちと食べた時間が遠い昔に思えてくる。そこには萌音も居た。今にして思えば、皆を欺く笑みを浮かべていた萌音だ。その時を思い出すと愛の心に滾る怒りが更に燃えていく。頭が熱くなる、吐き気を覚えさせる痛みすらも薄らいでいく感じもする。
「早くしろか……本当に自分勝手、最低」
「何とでも言えば良い、さっさと祈れッ!!!」
「いや、祈らないよ」
痛みは薄らいだが消えはしていない。愛はふらつきながらも立ち上がった。足は微かに震えている、腹を蹴られて血の気が引いている感があるからだ。震える足では立ち上がるだけでも二歩、三歩と進みたくなくても進んでしまい、背中を丸めずに済む頃には居間の入口まで来てしまっていた。萌音が乱暴に開いた襖はまだ開いている。愛の背後には重なった二枚の襖がある。その前に立ち、愛は首を振った。
「私は祈らない……私をいつまでも騙せると思わないで。私は先輩が思ってるほど馬鹿じゃない、石に祈れば、お婆ちゃんも希望くんも、輝ヶ丘の皆が死んじゃうのくらい分かるよ!」
青い石に祈れば、赤い石が燃えて、輝ヶ丘が炎に包まれてしまう。至極単純で、これまで萌音がついてきた嘘に比べれば"騙そうとしている事の方が嘘"と言われた方が納得出来る嘘だった。それでも萌音は騙せると思ったのか、愛に祈れと命じた。しかし、愛は騙されなかった。
「祈らなければ、ババアが死ぬぞ!!見殺しにするつもりなのかッ!!!」
「お婆ちゃんも助けるよ、私だって英雄の一人なんだから――」
愛は拳を握る。怒りを籠めて、強く、強く。
「なにが英雄だッ! お前は何も出来ないんだろう! 言う事を聞かないんだったらなぁ、無理矢理にでもきかせてやるッ!!!」
愛は拳を握るも、動きはしなかった。自分から萌音に立ち向かっていっても、軽くいなされてしまい佳代の救出は叶わないだろうと考えたからだ。
ならば、動かずにいようと愛は考えた。ただ鋭く萌音を睨み、自分は祈らないと断固拒否をする、自分の意思を示す。さすれば萌音が取るだろう行動は自分の願い通りになるだろうと考えたからだ。
この考えは正解だった。萌音は言う事を聞かない愛に牙を向けた。
それは文字通りに。歯を剥き出しにした悪鬼の顔を向け、愛に向かって走り出したのだ。
苦しみから解放された佳代は大きく咳き込む。
愛はすぐに駆け寄りたいと思ったが、彼女はまた動かなかった。
動くにはまだ早いからだ。愛が動くのは萌音に掴み掛かられる寸前だ――
「エイッ!!!」
「……ッ!!!」
猛り狂った萌音が眼前に迫った時、愛は体を丸めて斜め前方に転がった。イメージの中では素早くであったが、少し鈍臭い動きだ。けれど、理想通りに事は進んだ。
鈍臭く転がった愛に躓いて、二枚重なった襖に萌音が衝突したのだ。
ガガガガ……ガゴンッ!!
二枚ともの襖が激しい音を立てて鴨居から外れた。萌音は居間から出て行き、木目の濃い木床が張られている廊下に襖と共に倒れた。
この隙を愛は見逃さない。愛は倒れた萌音に飛び掛かっていく。
「私は……先輩を許さない! お婆ちゃんに酷い事をして、町の皆も殺そうとして、そんなの絶対に許せるない!!」
愛は『許せない』と口にしながらも悲しかった。何故、憧れの先輩を敵として見なければならないのか、それこそ嘘と思いたかった。けれども、嘘ではない。嘘ではないが、憧れとして出会った時からの萌音を想うと、佳代に暴力を振るう萌音が、輝ヶ丘を滅ぼそうとする萌音の方が、嘘に思えて仕方なかった。しかし、嘘ではない。嘘ではないから愛は"自分が憧れていた萌音の方が嘘だった"と思い込もうとした。"目の前の悪鬼になった萌音の方が本当の萌音"と思い込もうとした。
「先輩の言う通りですよ、私にはまだ英雄の力がない! でも、英雄の力がなくても出来る事はある!!
愛は萌音の左手に手を伸ばした。そこには青い石が握られている。
「何をするつもりだ! ふざけるなぁ!!」
しかし、萌音も愛の好き勝手にはさせないつもりだ。青い石を守ろうと手を強く握り、背中に乗る愛を振り落とそうと踠いた。
「私はアンタの計画を潰す!!」
しかし、愛も負けない。振り落とされぬ様に体重をかけて萌音の動きを封じようとする。萌音が手を強く握るならば、指をほどいて奪うのではなく、萌音の手を床に強く打ち付けて、痛みによって開かせようとした。
「開け!! 開け!! 開け!! 開け!!」
愛は何度も何度も萌音の手を打ち付けた。
打ち付ける度に自分に言い付ける、『憧れの先輩は存在していなかった』と『大好きだった先輩なんて全部嘘だったんだ』と。打ち付け、言い付け続けていると、悲しみは薄らいでいった。代わりに湧いてくる気持ちは再びの怒りだ。
怒りが湧いてくると打ち付ける力が強まっていった。躊躇なく、萌音の手の骨が折れようが構わない力を籠められるようになっていった。
……が、どんなに力が強まっていっても、所詮英雄の力を持たない身だ。愛が出せる力は人間の限界を超えられなかった。
「ウグァァァァアアアッッッ!!!」
正反対に、見た目は人間でも、萌音はバケモノの力を持っている。
人間の限界を超えられる者だ。
野獣の雄叫びに似た声で絶叫した萌音は、背中に愛を乗せたまま立ち上がった。
「あッ!!」
愛は萌音の首に咄嗟に腕を回した。おぶさる格好になって、二人の関係が以前と同じであればこれを笑い合っただろうが、いまは違う。
「痛ッッ!!」
笑い合ううどころか、愛の腕には強烈な痛みが走った。
振り落とされぬように懸命に頑張っていた愛だが、無念、背中から床の上に落ちてしまう。
腕の痛みは腹に受けた鈍痛とは違い、刺されたような鋭い痛みだった。それもまた激しい痛みであり、愛の視界は一瞬白んだ。そして、視界に色が戻ると、最初に見えた色は赤だった。痛みが走る腕からはポトポトと血が垂れていた。
「何これ……」
腕に痛みが走ったのだから攻撃を受けたのは分かる。攻撃を受けたのだから血が垂れているのも分かる。もしも傷口が刃物で切られた様なものだったのならば、愛は首を傾げなかった。
しかし、そうではないから首を傾げた。
愛の腕にある傷口は歯形にしか見えない形をしていた。
「何これ……」
愛はもう一度呟いた。歯形にしか見えないものなのだから、きっと萌音に噛み付かれたのだろうと理解は出来るが、その形が不思議でしかなかった。愛の腕に残った歯形は人間のものとは思えない形だったのだ。まるで獣に噛み付かれたかの様な形をしていたのだ。
「もう許さん……」
ポタ……ポタ……と木目の床に血が落ちる音がして、愛の驚きは止められた。
愛の腕から落ちたのではない、床に尻をついている自分からではなく、もっと高い所から落ちた音だった。
自分の腕から前方に視線を移すと、血溜まりがあった。そこに向かってまたポタ……ポタ……と、二滴が落ちた。続けて、三滴、四滴と落ちてくる。
その出所を知ろうと、愛は視線を上げた。
「っ……!!」
声にもならなかった。言葉を失うほどの衝撃があった。
真田萌音の笑顔は歯並びの良い白い歯が見える快活で愛嬌のある笑顔だった。その笑顔を見たら、誰しもが好感を持つだろう笑顔だった。彼女の笑顔を見れば、第一印象で感じやすい大人びた雰囲気もおさまり、親しみやすい人物だと誰しもが思うだろう。しかし、現在の萌音は変わってしまった。
綺麗だった歯は鋭く尖って野獣が持つに相応しい凶器へと変貌してしまっていた。
白く美しかったその色も、愛の血によって毒々しい赤色へ変わってしまっていた。
「ねぇ……桃ちゃん」
萌音の声は、再び"無"へと戻る。表情もまた"無"へと。
「私さ、やっぱり自分一人で何とかするよ」
萌音は口元を濡らす血を拭った。
「だからもう、桃ちゃんに協力は頼まない……」
そして、言う。
「私……決めたよ、桃ちゃんを殺すって」




