18話 --- ふわふわスカートとその代償
「あの。おはよう………?」
間に小田切くんを挟んで高大と対面すること数秒。わたしもこの展開にだいぶ驚いていたけれど、放心したように立ち尽くしわたし以上に動揺している高大にとりあえず声を掛けてみる。
「……あ、うん、おはよう……」
高大は地に足が着いていないような顔のまま、うわごとのように頼りなく返してくる。それから困ったときのくせで利き手で自分の頭に触れて、何かに気付いたようにはっとする。
「広海、大丈夫だ。寝癖はそれほどない。少しだけサイドが持ち上がってるところがあるが、さほど目立たない」
小田切くんに囁かれ、高大の顔がみるみる赤くなった。
「………というか賢人、なんのつもりだよ……変な気、回して」
赤い顔で小田切くんを睨む。恥ずかしそうなその表情が目に眩しい。
高大は学校にいるときよりラフにセットされた髪や、今自分が着ているものを頻りに気にするように落ち着きなく視線を泳がせる。小田切くんほどこなれた感じはないけれど、チェック柄のシャツに細身のカーゴパンツを合わせたラフな恰好は、普通にイマっぽくていいスタイリングだと思う。けれど当の高大は変な服で来てしまったとばかりに顔を紅潮させている。
「……なんで先に言ってくれなかったんだよ……っ」
「先に言ったら来なかっただろう、おまえは。……それに上野さんも」
恨みがましそうな顔をする高大を尻目に小田切くんが言い放つ。高大もわたしも絶句してなんとも答えかねていると、小田切くんがにっこりと無敵な笑みを浮かべた。
「みんな揃ったことだし、次の電車もじきに来る。さあ行こうか」
* * * *
「えっと。………小田切くんは、よく高大くんとお買い物行ったりしてるの?」
電車に乗り込んで三人並んで立ってみると、小田切くんと高大のツーショットがあまりにも絵としてきれいに完成されすぎてて、自分がそこへ紛れ込んだ異物である気まずさに耐えられなくなった。思わず適当に話題を振ってみると、背筋を伸ばして吊り革に掴まる姿すらひたすらかっこいい小田切くんが微笑みながら答えてくれた。
「買い物は。……そういえば広海とはあまり行かないな」
「俺と賢人じゃ、服の趣味違うからね」
見ればわかるだろうとばかりに、高大が視線で自分の着ているものと小田切くんが着ているものとを示す。高大だってそれなりに見えるけど、でもやっぱり小田切くんのほうがおしゃれというか垢抜けている。小田切くんはいかにも惜しそうに呟いた。
「広海は着るものに頓着しないというか、いつも無難な店で無難なものばかり選ぶからな」
「賢人みたいにセンスがなくて悪かったな」
「……気を悪くしたなら謝る。おまえは俺みたいにいろいろ身に着けるもので小細工しなくても見栄えがするから羨ましいだけだよ」
「はいはい、そんな顔してよく言うよ」
気安く受け合う高大と小田切くんを見ていて、なんだかいいなと思う。お互いに懐に入れあった者同士の親密な雰囲気が、たのしげに会話する2人の間にあった。
「仲、いいんだね」
思わずそう漏らすと、途端にふたりは気恥ずかしさを隠すかのように複雑な顔になってしまう。
「………まあね。けど俺と賢人だと、ショップ巡りより飯行ったりライブ行ったりの方が多いかな?」
「ライブ?」
「賢人が好きなんだよ」
なんでも小田切くんは私服でロックテイストなものを着ているだけあって、洋楽邦楽、インディーズかメジャーかを問わずロックバンドの音楽が大好きで、ライブやフェスにもよく行くそうなのだ。
「夏休みなんて毎年賢人に付き合って野外フェスに行ってる」
「そう、なんだ。……ふたりだけで?」
「まあ……後は春人がいたりいなかったりだけど……」
なんとなくお互い視線を逸らしながら話している。
でもぎこちないながらもわたしと高大との間で会話が続いている。たぶん小田切くんがこの場にいてくれてるお陰なんだろうなと思いつつ隣を見上げると、小田切くんはたどたどしいやりとりをするわたしと高大を見て、ほほえましいものでも見るような顔して目を細めた。
「春人は気まぐれでドタキャンされることも多いから、つい広海ばかり連れ回してるんだ。いつも付き合わせえて悪いな」
「……いいよ、別に俺も楽しんでるし。それに真澄は流行りのJポップくらいしか聴かないし、イサは選り好みが激しすぎるから。賢人に付き合えるのは賢人の彼女か、じゃなかったら俺か春人くらいしかいないだろ」
「真澄もイサも俺が好んで聴いてるものは騒音くらいしにか思ってないからな」
高大と小田切くんの間に流れる穏やかな空気はわたしにとっても心地いいものだった。
なによりその空気の中にわたしもいることに、胸がくすぐったいようなせつないような気分になる。さっき待ち合わせ場所にいきなり現れた高大には驚いたし、小田切くんとふたりきりのお出掛けじゃなかったことにほっとしたような拍子抜けしたような気分にもなったけれど。この場に高大がいることに、自分が想像しているよりも戸惑っていない。
----------ほんとうはあまり近付かないほうがいいひとなのだろうけど。
そんな物思いに耽っていると、不意に背後から「あら。……上野?」と声を掛けられる。振り返って電車に乗り込んできたそのひとの姿を見て、思わず声をあげてしまった。
「…あっ……部長……!?」
「やっぱり上野だ。おはよう、すごい偶然ね!」
「おはようございますっ」
そういってにっこり微笑んできてくれたのは、わが家庭科部が誇る美女、花村エリナ部長だ。手足の長いすらりとした体型がとても映える上品なAラインのワンピースドレスに、きれいなビジューのピアスを今日も付けていた。シンプルなスタイルだけど、だからこそ部長の洗練された大人っぽいうつくしさが引き立っていた。
挨拶もそこそこに、『深窓の令嬢』という表現がぴったりなお嬢様然とした部長に思わず見蕩れていると、部長はやさしくわたしを見詰めて「今日は随分可愛いのね。そのお洋服、すごく似合ってるわ」と褒めてくれる。
エリナ部長はものすごい美人なのに全然気取ったところがなくて、自分のほうがよほどきれいでかわいいのにわたしなんかのことも褒めてくれる。自分が好いと思ったことはなんでも口にして伝えてくれるすごく素直で気持ちのいい人だ。見惚れるような容姿だけでなくやさしくてきらきらした性格もなにもかも、部長はわたしの憧れだった。
「部長、今日もすごくきれいです……!」
感嘆の溜息をこぼしそうになりながらも、今日も言わずにはいられなくなって思わず熱っぽく部長に語りかけていた。
「わたしなんかより、一億倍以上かわいいし今日も素敵です!」
「ちょっとやめてよ。……もう、上野はいつも大げさなんだから」
部長は呆れたようにいいながらも「でもありがとう」と返してくれた。
「ねえ今日は上野、どうしたの?どこかお出掛け?………あら」
部長がようやくわたしの隣に並ぶ小田切くんと高大に気付いて、不可解そうに目を眇めた。すかさず小田切くんが「おはようございます」と言って部長に会釈して、隣の高大もそれに続く。それでも部長の目は鋭いままだ。
「あの、えっと。わたし今日は小田切くんたちと、ちょっとお買い物に行くところで……」
部長はしばらく何か言いたそうにわたしと2人の顔を見比べて、それから高大に向き直ってにっこり笑った。
「高大くん、先日はどうも」
対する高大のほうは居心地の悪そうな顔をする。それにかまわず部長が続ける。
「あのときは乱暴な真似してごめんなさいね?」
言いながら部長が自分の頬を指でつんつんと示す。どうやら先日のパーティで高大にビンタ張ったときのことを言っているようだった。あのとき部長は高大がわたしを笑いものにするためにみんなの前でイジったように見えたらしく、まだそのことに対して怒ってくれているようだった。
結果的にはたしかに高大の所為でいろんなひとから嘲笑されるハメになってしまったけど、高大に悪意はなかったのだから、悪者だと誤解されたままではなんとなくわたしの後味も悪い。とりあえず部長に高大は悪くないと説明しようとすると、すぐに「分かってる」と遮られてしまう。
「こうやって休日に一緒に出掛けるくらいなんだから、私が心配するようなことはないってことなんでしょう?高大くんたちからいじめられてるわけじゃなくて、普通に仲良くしてるならそれでいいの。……でもね」
きれいだけど凄みのある笑顔を浮かべ、エリナ部長が高大たちに宣戦布告するように言い放った。
「もしうちの可愛い上野を泣かせるようなことがあったら、そのときは誰であっても容赦しないから。くれぐれも半端な気持ちで上野振り回さないでくださいね、おふたりさん?」
「……よく肝に銘じておきます」
そういって苦笑したのは小田切くんで、高大はすこし不機嫌に顔を歪める。
「分かってくれればよろしい。……でも全面的に高大くんたちを信用したわけじゃないから、上野一人で行かせるなんて正直ちょっと心配だわ」
「じゃあ花村先輩も一緒にどうですか?今から俺たち有楽町に行く予定なんです」
さすが今カノが何人もいるだけあって、小田切くんはごく自然に部長を誘う。けれど部長は小田切くんではなくわたしを見て残念そうな顔をした。
「そうね。本当はこのままついていきたいくらいなんだけど」
「気になさらないでください!部長はどこかへお出掛けなんでしょう?」
「ちょっとね。たいした用じゃないんだけど……」
すこし部長らしくなく言いよどみながらも話してくれた。
「……アンリが。兄が近いうちに日本に来る予定があって。滅多にないことだし、あのひとが気に入っている千里屋のコンフィチュールでも買っておいてあげようかなって思って」
そういって部長がうつむいてはにかむように笑う。ちょっと照れたようなその顔が、見ていてどうしようもなく胸がむずむずしてきてしまうほどにかわいい。
「部長のお兄さんって、たしか今パリで働いているんでしたっけ?」
「そうよ。よく覚えているわね。……もう日本になんて来るもんかって言ってたくせに、急に来週うちに来るってママに連絡があったの」
エリナ部長のお兄さんはパリに工房を持つジュエリー職人さんで、部長とは一回り以上歳が離れている。以前一度だけ部長がいつも生徒手帳に入れている家族写真を見せてもらったことがあるけれど、無造作に伸ばされたブロンドと男っぽい顎鬚がセクシーな、すごくかっこいい男の人だった。
ちなみに部長のおうちはお兄さんだけでなく、日本人のお父さんもフランス人のお母さんもものすごい美形だ。
うちの昔の家族写真だと、帝宮ホテルの華とも言われたドアマンのパパと、クール系美人のママ、ママによく似た雅くんに囲まれ、わたしひとりだけがまるで『みにくいあひるの子』みたいに映っている。だから家族全員見栄えのする美男美女という写真はすごくうらやましかった。
「お兄さん、ずっとパリにいるんですよね?久し振りに会えるなんてよかったですね」
「私から会いに行かないと、平気で音信不通のままでいる薄情な男だからね」
困ったひとなのよと言いながらも、部長の弾んだ声はお兄さんと会える喜びが隠しきれていなかった。そんなところもおとなっぽい見た目に反してすごくかわいい。
「それじゃ、上野。私次で降りるから」
「はい!お気をつけて」
「おふたりさんも、上野をよろしくね?」
電車が減速をしてそろそろホームに止るというとき。別れ際に何かを思い出したようにエリナ部長が「そうそう」とわたしに話し掛けてきた。
「上野。この前お母様に見立ててもらったの、すごく良かったわ。サイズもぴったりで奨めてもらったデザインもすごく気に入ったわ。また上野のお母様に見てもらいたいから、宜しくお伝えしておいて。そのときはまた上野も付き合ってね?」
エリナ部長が周りには気付かれないくらいさりげなく、ちらりと自分の胸元に視線を走らせる。
「はい、いつでも。気に入っていただけて、うれしいです。母も喜びます」
「じゃあまた学校でね」
電車を降りた部長は、そのままホームに留まってわたしたちに手を振って見送ってくれた。完全にその姿が見えなくなると、小田切くんが興味深そうな顔して訊いてくる。
「上野さんのお母さんって、勤めはどこかアパレル系なのか?」
「……アパレル系、というか……」
立派な勤め先だと思うけど、男の子の前だと少々答えにくい。なのに何も気付かない様子で高大までもが重ねて訊いてくる。
「今どこまで勤めに行ってるの?おばさん、たしか昔は不動産関係の仕事してたんじゃなかったっけ?」
「……わたしが小さい頃はね。今は新宿だよ。……新宿の『リュクス』」
「『リュクス』なら俺もたまに行くな」
小田切くんは「なんてお店?」と尋ねてくる。適当に答えを濁すつもりだったのに、つい心を許したくなってしまうほど誠実そうな目をした小田切くんを見ているうちに緩んだ口からうっかりと本当のことがこぼれてしまった。
「あ、えと。………『グウィネス・ランジェリー』です………」
* * * *
なんでバカ正直に答えてしまったのだろう。
後悔しても自分の間抜けな言葉は取り消すことが出来なくて、気持ちが沈んでしまう。小田切くんはなんとなく気まずくなってしまった中、『そっか。残念。俺たちは行くことが出来ないショップだな』などと軽く受けあってくれたけど。ほんとにわたしは気が利かない単細胞だ。
とぼとぼと改札出口に向かってホームを歩いていると、動き出した電車の風圧に煽られてスカートがふんわり持ち上がる。
「………っと、」
慌てて裾を押さえて事なきを得たけれど、いつもよりも覆う面積の狭いスカートの丈が不安になって、風が収まった後も裾をぎゅっと押さえてちらちらとスカートを見てしまう。制服を着ているときよりも思いっきり露わになっている太ももに、自分で見てぎょっとしてしまう。
-----------やっぱ今日のスカート、短すぎなんじゃないかな。
気にしだすとだんだん恥ずかしくなってきて、足を動かすたびにふわふわ揺れる感触まで不安になってくる。なんでこんな短いの穿いてきてしまったのだろうと心がくじけそうになっていると、追い討ちをかけるように意味ありげにこちらを見た高大が躊躇いがちに言ってきた。
「上野。………変だよ」
「………へん………っ!?」
わたしの反応が過剰だったのか、高大がすこし驚いて身を引きながら言った。
「……や、なんか仕草が。そんなスカート押さえたまま恥ずかしそうな顔して歩いてるとさ……」
高大は言い辛そうに口篭る。それからしばし言葉に窮して黙り込んだ後、ぼそぼそした不明慮な声で「なんていうか……みっともないよ」と言った。
たしかに今のわたしはみっともないだろう。わかっているけれど、それを男の子に指摘されてしまって、恥ずかしさのあまりについ攻撃的に言い返してしまう。
「み、………みっともなくてすみませんね……っ」
途端に高大は目を見開いて、「あ、いや。じゃなくて、」と慌てた顔で言いつつ、うまく言えないとばかりにもどかしそうな顔をする。
「えっと、気にするほど、そんな周りも見てないっていうか。上野は気にしすぎだよ。そんな必死に抑えなくても大丈夫っていうか」
高大はだいぶ言い方を考えてくれたようだけど、わたしにとっては『自意識過剰』と言われたも同然だった。
「………見苦しいですよね。すみませんでした………!」
「あ、いや、上野、」
はずかしさのあまりにちょっとだけ早足になって、すこし先に歩いていく。高大がうろたえているのが分かったけれど、それ以上にわたしもはずかしさで混乱していてつい無視するような尖った反応を返してしまった。
「広海。上野さんを気遣って言ったことにしろ、女の子にあの言い方はないだろ」
背後で高大に並んだ小田切くんがなにやら苦りきった声で高大をたしなめている。けれどホームは降車するお客さんで込み合ってざわついているから、なにを話しているのかまではわたしの耳まで届かない。
「……けど、見てらんないだろ。ああいう仕草って、なんていうかかえってさ……」
「広海の言いたいことは分かる。上野さんの場合ミニスカートが穿き慣れない所為なのだろうが、あんなにも恥ずかしそうにスカート丈を気にして中が見えないように両手でがっちりガードされると、妙に色っぽくてかえって人目を惹いてしまうよな。なんだかその必死さがスカートの下に何も穿いてない子の反応のようにも見えてくるし」
「おまっ………変なこと言うなよ!」
怒ったような高大の声だけ聞こえたけれど、そのままわたしは先に歩いていく。
「実際そういう妙な目で上野さん見てる奴が周りにいたって感じただろ?俺もスカートの裾押さえてあんな恥ずかしそうな顔されてると、なんだか自分が純情でいたいけな女の子になにか恥ずかしいことさせて連れまわしているような妙な気分になって困る」
「賢人!だからおまえ何言って……」
「まあともかく、謝るんだな。……なあ上野さん!」
すこし強引に人を割ってわたしの背後に寄って来た小田切くんが「すまない」と謝ってくる。
「広海が少々無神経なことを言ったようだが、許してやってくれないか?」
「えっ、や、そんな」
べつに怒ってたわけじゃないし、小田切くんに謝ってもらうようなことじゃないけれど、小田切くんに下手に出られてしまうと気まずくても不機嫌な顔をしていられなくなる。
「ほら、広海も謝れ」
「………ごめん、上野」
男の子に微妙なことを指摘されたのが恥ずかしくて気まずかっただけで、高大が悪かったわけじゃないのに高大はすこしぶっきらぼうに謝ってくる。
大好きだったパパとそっくりな顔でしゅんとしょげた表情をされてしまうと、恋心とは違う部分がきゅうっとなってしまって、ついついじいっと見入ってしまう。俯かせていた顔をあげた高大とがっちり視線が合うと、高大のほうがびっくりしたように顔を赤くさせながら目を背けた。
「嫌な言い方だった。ほんとごめん」
「ううん。……こっちこそ、なんかごめん。もういいです、わたしがいけないんだし」
またお互い目を逸らしながらの会話に、小田切くんがおかしそうに苦笑する。
「なんでだろうな。今まで接点がないと思っていたけれど、広海と上野さんはなんだか似てるところがあるように見えるな」
「……っそんなわけ、ないよ」
勢いづいて否定してしまったわたしに、小田切くんが笑う。
「上野さん。今日の上野さんは可愛いけど、もっと堂々としていたほうがもっと可愛いと思うよ。口下手だから上手く言えなかっただけで、広海もたぶんそういうことが言いたかったのだと思う」
「……ちょっと、賢人ッ」
「違わないだろ?」
本人を目の前に褒め言葉をなんなく口に出来てしまえる小田切くんとは違い、高大は浅く頷きながらもすごく恥ずかしそうに顔を紅潮させてそっぽをむいてしまう。学校にいるときとは全然違う、余裕のない表情だ。
----------高大がいまだにわたしに執着を見せるのは、『上野初実』というちいさい頃のたのしかった思い出の象徴を今も高大が引き摺っている所為だからなんだろうと思っていたけど。
そうじゃなくて、何も知らないこのひとは本当にわたしに恋をしているのかもしれない。そんな可能性に気付いて、どうしようもない気分になる。
『ごめんなさい千歳くん。あなたはこんな場所に縛り付けていい人じゃないのに』
『何言ってるんですか。俺は嬉しいですよ、こうして専務に頼ってもらえて。……これからはもうずっと専務の……里奈子さんの傍にいて支えることが出来るんですから』
----------あの日、わたしが聞いてしまった大人のひみつのささやき。
『ありがとう。本当にごめんね、千歳くん。………最近ね、あの子私より、あなたに似てきたのよ』
『……そうですね。俺も気付いてましたよ。目元とか輪郭とか、俺の子供の頃の写真にそっくり。だからかな、まぎれもなく俺と同じ血が通った広海のことが、初実や雅と変わらないくらい可愛く思える』
ひーくんへの気持ちや、だいすきだったパパのことも、しあわせだとばかり思っていた家族も、丸ごとぜんぶ否定しなければならなくなった、あの会話。
自分があの時味わった、いろんな思いを自分の胸の中にだけ封印しなければならなくなった遣るせなさや目の前にある恒久だとおもっていたしあわせが音を立てて崩れていく残酷さを、わたしが高大に味あわせなければならない日がいつか来るのだろうか。
あの日のパパたちの会話は、高大が知るべきことなのか、そうでないのか。いまだにわたしは判断出来ずにいる。
今はまだちいさい頃とてもすきだった男の子の心を、自分の告白で握りつぶす勇気がなくて。だから成り行きにしろ、一度は離れたはずの高大に再び近付いてしまったことが苦く思えてきて。すこしだけ重くなった足取りのまま、高大の隣で歩く。
「上野さん、エスカレーター」
「あっ」
物思いに沈んでいた所為で、足元をちゃんと見ていなかった。うっかり躓きそうになったものの、どうにか手すりを掴んで転びそうになったのを堪える。ああ、あぶなかった。そう思ってふうっと息を吐いたそのときだった。不意にふわりとスカートが膨らんだ。ホームに流れ込んできた電車の風圧で、エスカレーターの下から舞い上がるような風が起きたのだ。スカートは押さえる間もなく、膨らんだときと同じくらい唐突にしぼみ、舞い上がったことなどないとでも言うように膝上に大人しく納まる。
------------あれ。今もしかして………。
咄嗟に振り返ると、すぐ後ろの段に乗っていた小田切くんは探るような目をしたわたしに何事もなかったような顔して訊いてくる。
「どうかしたか、上野さん?」
------------なんだ。思い過ごしかな。
いつもと変わらない小田切くんの態度によかったとほっとしかけたのも束の間。小田切くんの背後で口元から顔半分、表情が分からないくらいに手で覆って俯いている高大が目に入る。高大の清潔そうなきれいな耳がなにか尋常じゃない色になっている。それに気付いた瞬間、何かが破裂したように頭がカッと熱くなった。
「---------え、えっとッ!」
エスカレーターを降りて人の流れに押されながら改札口を通りつつ、わたしは小田切くんと高大に口早に告げていた。
「ごご、ごめんね!わたしか、髪の毛ぼさぼさになってる気がするから、ちょっとお手洗いで見てきますッ」
そのまま逃げるようにふたりに背を向け走り出した。
「広海。いかにも『見ました』と言わんばかりのそんな分かりやすい顔していたら上野さんが可哀想だろう」
「悪かったな!生憎俺は賢人みたいにムッツリじゃないんだよッ」
「ポーカーフェイスだと言ってもらいたいな」
「……賢人、おまえ今の、見たよな……?」
「見た」
「………淡いブルー……」
「清潔感がある色って、意外とそそる色なんだな。本当、上野さんは思っていた以上に可愛い人だ。……あんな顔真っ赤にして恥ずかしそうな表情されるとたまらないな、正直」
「おまえはっ!だから聖人君子みたいな顔でそういうこと言うなッ!」
わたしの背後で小田切くんと高大がなにか言い合っているのは分かったけれど、もちろん遠く離れていくわたしの耳には何を話しているかまでは分からなかったし、その場でのたうちまわりたいぐらい恥ずかしくてふたりの会話を気にしている余裕もなかったのだった。
一度消してしまいました。再アップです。
男キャラが残念な、しょうもない話ですみません……。




