19話 (前) --- 迷子と迷子
「ここ、どこだろ………?」
大勢の人が忙しなく行き交う中、わたしは見慣れない景色に呆然と立ち尽くしていた。
小田切くんと高大にひどい醜態をさらしてしまったことが恥ずかしくて一刻も早くふたりの視界から消えたくなり、後先考えずに闇雲に走ったわたしは迷子になっていた。
来た道を戻ろうにも方向音痴の所為で検討が付かず、それでもどうにか歩を進めていくうちに、ついにはまったく見覚えのない出口から商業ビルが立ち並ぶ駅前の大通りに出ていた。
とっさにバッグの中の携帯に手を伸ばし、でもまだ小田切くんとは番号を交換していなかったことに気付く。もちろん高大とも。
「………どうしよう」
とりあえずもう一度駅の改札まで戻ればいいかなと思ったけれど、都心の大きな駅らしく改札口は複数あると案内板には表示されている。ここからいちばん近い場所はどこだろう。不安になりつつ案内図とにらめっこしていると。
「ね、あの子のことでしょ?」
「そうそう。やっぱ分かる?高校生かな?」
不意に背後からOLさんっぽい年頃のお姉さんたちのはしゃいだ声が聞こえてきた。
「カワイイよね、ああいう子だと年下もアリだよね」
「アリアリ。それにもうすこししたらもっとイケメンになりそうだし」
『高校生』とか『イケメン』というフレーズに思わず振り返って、たのしげに喋っているお姉さんたちの視線の先を追ってみる。視界の端から端まで目を凝らして見たけれど。
「………いるわけないか」
がっくりと肩を落としながら駅構内に戻ろうとして、けれど視界の中のなにかが妙に引っ掛かってもういちど目を凝らす。するとビルの植え込み花壇の手前に思わぬ人の姿を見つけた。
「……えっ………?」
いつもは制服をゆるく着崩しているその人は、今日は真っ白なYシャツにコットンセーター、それにクラシカルなラインの紺のパンツというものすごく上品な恰好をしていた。
「……渋谷、くん………?」
思わず疑問系になってしまったのは、着ているものがあまりに普段のチャラい渋谷くんのイメージとはかけ離れていて、でもそれが思いがけないほどよく似合っていたからだ。何も喋らずに静かに佇んでいるその姿だけをみれば、渋谷くんがたしかに大手企業の創業一族のご子息様なのだという説得力のようなものが感じられた。
おそるおそる近寄っていくと、どこともなく宙を見詰めてぼんやりしていた渋谷くんの焦点が徐々に定まってきて、正面に立ったわたしの姿を認めるや、その目は訝しそうに顰められた。
「もしかして。…………上野さん?」
まるで感情が欠落してしまったような声に、内心すごく驚いた。いつも頭の螺子がいくつか吹っ飛んでるんじゃないかと思うくらい能天気に笑いながらどうでもいいことでゲラゲラ笑って周囲に無神経な毒を吐きまくってるのがわたしの知る渋谷くんだったから。
「なんだよ。誰かと思った。いつもと全然感じ違うから」
そういう渋谷くんこそいつもとなんだか雰囲気が違っていた。
「ああ、そっか。上野さん、今日賢ちゃんとデートなんだっけ……?随分化けたね」
今日の小田切くんとのお出掛けのことはユキちゃんやお母さんたち以外には話していないはずなのに、渋谷くんには当然のごとく筒抜けになっていた。
「……デートってわけじゃないけど、」
否定するわたしに、渋谷くんは皮肉げに鼻で嗤った。
「デートのつもりなんてなかったって?そんなはりきった恰好して良く言うよ」
口ではなんと言おうと内心では小田切くんに誘われて浮かれてしまっていたことを見透かされたようで、恥ずかしくなってくる。何も反論出来ずに押し黙っていると、渋谷くんはいつもよりも落ち着いている所為で余計に辛辣に聞こえるようなことを言ってきた。
「ま、いいんじゃん?いつもよりかはブスに見えないよ?」
----------ブスで悪かったな。
心の中だけで言い返して、「渋谷くんこそどうしたの?これからデート?」と訊いてみた。
正直渋谷くんの予定になんて興味はなかったけれど、いつもひとの真ん中にいる渋谷くんが取り残された迷子のような頼りない顔して、ぽつんとひとりっきりでいることだけは気に掛かっていた。渋谷くんは再び視線をさ迷わせると重たげに口を開いた。
「……デート、か……」
ぽつりと零した言葉が沈黙に吸い込まれる。物憂げな表情をしている渋谷くんは学校にいるときとはまるで別人でひどく大人びて見えた。
「ねえ上野さん」
「……はい」
「これからさ、オレとデートでもする?」
「………渋谷くん……?」
なんだかほんとに様子がおかしい。
わたしを見る目はもっとおかしかった。満身創痍でぎりぎりまで追い詰められて縋ってこようとするかのような、それでいて助けの手を遠ざけようとするかのような。
「渋谷くん、どうしたの……?」
普段の渋谷くんからは感じることのない、渋谷くん生来の明るさを塗りつぶすような、崩れ落ちるぎりぎりで堪えているような鋭い緊張が彼の強張った顔に感じられた。
「何があったの?」
「…………おれ………」
見上げてきた渋谷くんが迷いつつも口を開きかけたそのとき。渋谷くんの顔が瞬時に凍りついた。
「--------探しましたよ、春人坊ちゃん」
突然すぐ傍から聞こえてきた低い声に驚いて肩を跳ね上げて振り返ると、そこには制服のような紺の背広を着た男の人が立っていた。背が高くて肩幅もあり、歳はわたしたちの父親の世代と同じくらいに見える。無表情に近い微笑を湛えたその人は渋谷くんだけを見たまま事務的に口を開いた。
「さあ。行きましょう、秋人さんがお待ちですよ」
表情をいっそう固くした渋谷くんが顔を逸らすと、まるで我が儘を言う子供を嗜めるようにその男の人が「春人坊ちゃん」と渋谷くんを呼ぶ。物腰は丁寧だけど有無を言わせぬ威圧的な雰囲気があって、渋谷くんはその呼びかけに不快げに顔を歪めた。
「……どうせオレが行ったところで何が変わるわけでもないだろ」
「お約束はお約束です」
「気分じゃない。今日は帰る」
「いえ行きましょう。秋人さんも坊ちゃんに会うのを楽しみにされていると思いますよ」
「皆藤。……おまえそれ本気で言ってるのか?」
蔑むような目で渋谷くんが皆藤と呼んだ男の人を見た。
「ともかく帰る。車を回せよ」
「ですが」
「---------だったらもういい。オレ一人で帰るから」
「坊ちゃん」
皆藤さんが穏やかな顔のまま、口調を一転させた。
「奥さまがお許しになりませんよ」
その一言の効果は如実だった。最後通牒のように出された『奥さま』という単語に渋谷くんが気色ばんだ。
「ババアがなんだっていうんだよ。どいつもこいつも二言目には『奥さま奥さま』って。……そんなに。そんなにあのババアのご機嫌伺いが大事かよッ」
「私は春人坊ちゃんが春人坊ちゃんの責務を果たされることが、あなたご自身のためになるのだと考えております」
「責務って言葉を都合よく使うなッ。だいたい俺のためだって言葉を盾に取れば俺の意思も意見も何もかも握りつぶしても平気な顔してられんだろ、ババアも、皆藤、おまえだって……!」
取り乱す渋谷くんに、皆藤さんは微笑を湛えたやわらかな表情のまま、けれど冷酷なくらいはっきりと告げた。
「参りましょう、春人坊ちゃん。いつまでも子供のような駄々をこねないでください。一番若年のあなたとて渋谷家の人間なのですから、奥さまのご意向に背くことが許されないことなど分かっておいででしょう」
渋谷くんは心底憎らしげに皆藤さんを睨みつける。
肩は今にも拳を振り上げんばかりに強張り、握り締められた手は暴力への疼きで震えていた。殴ってしまうんじゃないか。そう危惧したけれど、まるでどんな蛮行にも甘んじようとでもいうように微動だにしない皆藤さんを見て、渋谷くんは肩から力を抜いた。
それから何もかも諦めきったように、斜に構えた笑みを力なく浮かべる。
「坊ちゃん、」
「わかったよ。……その代わり」
うつろな目をした渋谷くんが、突然わたしの二の腕を掴んできた。
「このひとも連れてくから。ダメならオレは行かない。絶対に行かない」
「こちらのお嬢様は?」
「……上野さん。成星院のコだよ」
あまりにも突飛な展開にわたしは言葉を発することすら出来ずにいた。
「この方は春人坊ちゃんのご学友でしたか」
「そ。けど友達ってか、ただのクラスメイトだから。特別仲がいいわけでもないし」
渋谷くんのぞんざいな説明に、皆藤さんがいくらか迷いのある表情になる。
「皆藤、心配しなくていいよ。上野さんはオレのカノジョでもセフレでもないから。っつかこの顔見れば、オレがセックスしそうにもないコだってことくらいわかんでしょ?」
ひねた顔して吐き捨てると、渋谷くんは少し離れたところに停めてあった車にひとりで乗り込んだ。
見るからにハイクラスの外車だと分かる、磨きこまれた黒の光沢と流麗なボディが美しいセダンだ。本当に渋谷くんもお金持ちのお坊ちゃんなんだなと納得していると、「申し訳ございません上野様」と皆藤さんが深々と頭を下げてきた。
「どうか春人坊ちゃんにご同行願えないでしょうか」
ただの高校生相手に驚くほど慇懃な態度だけど、皆藤さんの言葉の裏にはわたしを逃すまいとする気迫のようなものが感じられて腰が引けてしまう。
「でもわたし、今友達と遊びに来ていて。……あの、渋谷くんと仲のいい、小田切賢人くんと高大広海くんなんですが」
渋谷くんに付き添いが必要だというなら、自分より彼らの方が適任じゃないかと提案してみると、皆藤さんはわずかに顔色を曇らせる。
「そうですか。上野様はあのおふたりのご友人でいらっしゃるのですね」
「……実はさっきはぐれてしまって。このままいなくなったら、きっとふたりに心配掛けてしまいます」
すでに心配をかけているかもしれないと告げると、皆藤さんが食い下がってくる。
「賢人さんと広海さんには、私の方からご連絡させていただきます。ですからどうか、しばしの間、春人坊ちゃんのお傍についていていただけませんでしょうか」
「……けど」
わたしと渋谷くんなんて今までなんの接点のなかった間柄だし、ついこの間までは同じクラスにいても口を利いたことがなかった。先ほどの渋谷くんの態度を見れば渋谷くんが今直面していることは、部外者がおいそれと立ち入っていいことじゃないということくらい分かる。だから返事をしかねていると、皆藤さんはこの場にいない渋谷くんを気遣うように呟いた。
「---------真に近しい人にこそ見られたくない姿というものは誰しもあるものです」
それが渋谷くんがわたしを付き添いに選んだ理由なのだと言われた気がした。
「春人坊ちゃんがお連れを伴いたがったのははじめてなのです。どうか、上野様」
網膜の奥に焼きついた渋谷くんの痛々しい横顔。
何よりわたしに頭を下げてくる皆藤さんがまるで幼子を心配する親のような口ぶりで言うから、とうとうわたしは頷いていた。
****
皆藤さんの運転する車内は重い沈黙で。渋谷くんは窓の外に視線をやったまま。
しばらく車を走らせ辿り付いたのは、高い鉄柵に囲まれたなにかの施設のようだった。守衛さんに開けてもらったゲートを越えて進むと、青々とした木々の奥に建物が見えてきた。
白い壁の、瀟洒なマンションだろうか。
都心のこの辺りなら高層にして戸数を取らなければ建築コストも維持管理コストも採算がとれそうにないのに、この白い建物は贅沢にも低層で、窓の数を数える限り三階建てのようだった。外観を見ただけでも1階1階の天井が高いことが分かる。なんて豪勢な設計だろう。
でもどうしてなのか。
この白亜の宮殿が、わたしには真っ白な檻にしか見えなかった。
車から降りる際、皆藤さんがこっそりここが会員制の超高級医療サービスを提供している法人施設の分館なのだと耳打ちしてきた。そしてこれは後になって聞いたことだけど、渋谷くんの家は毎年とんでもない額の会費や寄付金をこの施設に支払っているのだという。
「どうぞ。こちらです」
皆藤さんに促されて車を降りると、吹き抜けの豪壮なロビーが目に迫った。一歩足を踏み入れれば、優美なベージュのパンツスーツに身を包んだ女性スタッフが一斉に頭を下げてくる。まるで高級ホテルにでも来たかのようだ。
内装も豪華さだけなら帝宮ホテルにも引けをとらなかった。いやまるで会員の特権意識を擽るためのように贅沢に趣向が凝らされた調度品や絵画、鮮やかに活けられた花々が並べられたここは、ホテル以上に華々しい場所だった。
わたしが慣れない雰囲気にすっかり萎縮していると、後からやってきた渋谷くんがわたしを通り越して白亜の廊下をひとり進んでいく。皆藤さんは上品なコンシェルジュが控える受付で何か手続きをしている。少し迷った末、渋谷くんの背中を追いかけた。
一度だけ振り返ると、皆藤さんと目が合った。皆藤さんは浅く頷いた。
-----------坊ちゃんをお願いします。
そう託されたようだった。
デートの話から横道それまくっていきますm(_ _)m
※今後「櫛川沙希」という名義で他サイトでもこの話を掲載することにしました。




