12話 --- 恋のおわりに
「あれ?渋谷くん?」
「なにしてるの?」
渋谷くんに手を繋がれたまま歩いていると、四方から女子生徒に声を掛けられた。
「んー。ちょっとお届け物運んでるとこだよー!」
「えー。なにそれー」
渋谷くんが言葉を返すと、女の子たちはそれだけでうれしそうな顔をする。わたしはこのひとの空気を読まない無神経なとことかチャラいとこが苦手だけど、とにかく明るくて顔もかっこいいから、高大ほどじゃないにしろ渋谷くんはけっこう人気があるのだ。
「っていうか、やだぁ春人。何その子、まさか趣旨変えでもしたの?」
「ちがうよ。ほらよく見てよこの地味顔。ぜんっぜんオレのタイプじゃないってわかるでしょうがっ!!ルイちゃんのが断然俺の好みだから!今度デートしようね!」
渋谷くんはわたしと手を繋いで歩いたまま、「えーどうしよっかな」と満更でもなさそうな顔をするルイちゃんとやらを大声で口説きだす。
「いいじゃん、どこでも連れてってあげるからさあー!」
「じゃあ今日デートしてあげるからその地味な子、早く置いてきてよ」
「え。まじ?!……この地味な子、ちょっと片付けてくるから!まじ待っててよ!」
繋いでいる方の手を持ち上げて、ぶんぶん振り上げると、真顔になった渋谷くんは「やったね!とりあえずカラオケ行って飯食って、その後は」と呟き、にんまりとへんな笑みを浮かべる。何かえっちなことを考えていることがまるわかりな、だらしのない表情だ。
「……渋谷くん、さいてい」
「ん?なにか言った、地味子ちゃん?」
っていうか地味地味うるさいよ。
「よぉし。上野さん!」
「……はい」
「今日のデートコースがホテル込みになるかどうかは君次第だからさ。とにかくちゃっちゃと済ませちゃおうぜ!」
「……ちょ、渋谷くんっ…!」
やけにはりきって、もうほとんどわたしを引き摺るくらいの勢いで渋谷くんがめちゃくちゃに走り出す。
サルか、いろんな意味で。……ほんと、このひととは仲良くなれそうにもない。
「ちょ、……しぶ……どこ………」
息も絶え絶えになりながら行き先を渋谷くんに尋ねると。「これだから文化部って体力なくてやなんだよ」と帰宅部のくせにやたらと俊敏に足を動かしながら渋谷くんが文句を言ってくる。
「今の暴走賢ちゃん止められそうなのは君だけだからさ。上野さんだって二股クズ彼氏でも、ボコボコにされるとこは見たくないでしょ?」
「……しのぶ……ちゃ、そ……風に……いわな……で……」
っていうかボコボコってどういうこと?と思っていると。すこし先の校門付近で、なにやらひとだかりが出来ているのが目に入ってくる。
「わー、めんどくせー。騒ぎになっちゃってるよ。……ごめんね、渋谷春人くんが通りますよー」
渋谷くんが声を張り上げながら群がった生徒たちを掻き分けていくと。
「あれ?賢ちゃんと……………広海っ?!」
予想外の顔合わせだったのか、渋谷くんが驚いた顔をする。
ひとだかりの中央には、袴姿で竹刀を握り締める小田切くんと、それに対峙するように高大広海が立ち尽くしていた。そしてその後方。高大の陰に隠れるような場所に、忍ちゃんと逸瀬先輩が控えている。
忍ちゃんだけが人垣に紛れ込んできたわたしに気付き、でも視線が合ったのも束の間、すぐにきまずそうに反らされてしまった。
「退け、広海。おまえは腹が立たないのか!」
張り詰めていた緊張を破って先に声を上げたのは、いつもは冷静沈着な優等生、小田切くんだった。小田切くんはよく似合っている黒縁眼鏡越しに、仲のいいはずの高大を険しい目付きで睨みつけていた。
「彼女は屈辱的な扱いを受けたというのに、嘆きも恨みもしないで御園生さんのことを悪く言わないでくれって庇っていたんだぞ。……自分がいちばん辛い思いをしてるだろうに!」
小田切くんは、まるで非道な行いをしているのが高大であるかのように、いつになく厳しい口調で高大に詰め寄る。
「そんなやさしい上野さんをあんな風にコケにされて、おまえはなんとも思わないのか!おまえはそれでも本気で上野さんのことを」
「---------上野はこんなこと、望んだりしないよ」
なにが起きているのか、なんでわたしの名前が出てきているのかも理解できないまま、わたしはただ憤慨する小田切くんとは対照的に落ち着いた口調で話し出す高大を、彼からすこし離れた場所から見ていた。
「あのひとは。上野はとんでもないお人好しだから。忍のことを本当に恨んじゃいないよ」
「だが。だったらなおのこと、彼女の代わりにこの卑怯な男を」
「賢人。それって本当に上野のためなのか」
落ち着き払っていた高大の声に、わずかに苛立ちが混じる。
「賢人は上野のためって大義を振りかざして、本当は気に食わない忍のことをぶん殴って、ただ自分がすっきりしたいだけじゃないのか」
いつも穏やかな高大らしくない手厳しい言葉に、小田切くんが驚いたように目を見開く。両者はそのまま無言で見詰め合い、周囲も固唾を飲んでそんなふたりを見守っていた。
「俺は」
小田切くんは逡巡するように言葉を濁し。ぎゅっと握り締めていた竹刀を持ち上げかけ、でもそれを振りかざすことなくそっと下ろした。
いくらかいつもの小田切くんらしい冷静さを取り戻したような様子に、高大も固い表情をふっと緩めた。
「……ごめん賢人。言い過ぎた」
「いや、俺も」
小田切くんはすこし恥ずかしそうに首を振って「俺も冷静さを欠いていた」と謝罪する。騒ぎが落ち着きかけたそのタイミングで。
「ああよかった」
モーゼのようにきれいに両側に割れた人垣から相澤くんが空手部のおにいさんたちを引き連れてやってきた。相澤くんは戦意を収めた小田切くんをみて、口の端を吊り上げた。
「賢人。すこしは頭冷えた?」
「……悪いな、真澄」
小田切くんは申し訳なさそうに相澤くんに軽く頭を下げる。
「もう、本当にね。賢人は普段真面目な分、一度箍が外れると危なっかしいったらないよ。暴力問題で剣道部が活動停止にでもなったらどうするつもりだったの?」
小田切くんはまったく考えが及んでいなかったのか「そういえばそうだったな」と、今はじめてその問題に気付いたような顔をする。大人びていていつも落ち着き払った優等生だと思っていたけれど、小田切くんみたいな男の子でも感情で衝動的に行動してしまうことがあるようだ。
「自分のことならどこまでも冷静なくせに、そうやって他人のためだけ短慮を起こすところが、いかにも賢人らしいところだけどね。でももうすこしで君が尊敬してやまない父君を悲しませるところだったんだよ?」
「……真澄の言う通りだ。だが『自分の保身ばかり考えるようでは碌な男になれん』とも父は言っていた」
小田切くんの頑固な言葉に相澤くんはやれやれと肩を竦めると、下手な女優さんやアイドルよりもよっぽど可愛らしい顔に、にっこりと笑みを浮かべた。
「ま、いいよ。賢人には後できっちり反省してもらうからね?」
満面の天使にしか見えない笑顔なのに、なぜか見たものの背筋をぞくりと凍りつかせながら、相澤くんは高大に向き直った。
「広海。体張って賢人を止めてくれてありがとう。……さ。皆さんもいつまでもこんなところにいないで、早く帰ってください」
相澤くんが底冷えのする凶悪な笑顔を周囲に振りまくと、空手部のおにいさんたちにうながされた人垣はほろほろ崩れてあっというまに校門の外へと流れていった。
忍ちゃんと逸瀬先輩は帰るタイミングを逃してしまったのか、同じ場所に留まったままだ。
相澤くんは忍ちゃんをちらりと見たけれど、何も言わずにすぐに背中を向けた。まるで言葉を掛ける価値すらないとでもいうような冷ややかな反応だ。
「ほら。広海も行こう」
相澤くんに促されて高大が歩き出し。でも何歩も歩かないうちにそれを振り切るようにして高大は忍ちゃんに駆け寄った。「広海!」相澤くんが呼び止める声にも揺るがずに、高大は忍ちゃんの前に進み出ると。
「忍。……悪かったな」
謝られた忍ちゃんは、なんとも言い難そうに顔を顰める。
「何のことだ」
「騒ぎに巻き込んで。……賢人のことで驚かせて悪かった。けどこれだけは言わせてくれ」
高大はごく落ち着いた調子で続けた。
「俺に言いたいことがあるのなら俺に言え。忍にすこしでも上野を傷つけて申し訳なく思う気持ちがあるなら、もう上野を巻き込んだりするな」
きっぱりと告げると、「それだけだから」と言って高大はその場を離れようとする。顔を不快げに歪めた忍ちゃんは、「……本当に嫌な奴だな」と背中を見せる高大に吐き捨てた。
「広海は。おまえはそうやっていつも僕のことを見透かしたような目で見て。本当に嫌な奴だ。なんでも持っているおまえなんかには、一生僕の気持ちなんて分からないさ………!」
声を荒げて高大を罵るその人は、わたしの知っている、いつもやさしげで上品だった忍ちゃんじゃなかった。どこか苦しげにも見えるその皮肉に歪んだ顔だ。わたしは息すら潜めてただ見ていることしか出来なかった。
「--------やはり。やはりそうだったのか」
小田切くんがきゅっと竹刀を握り締め剣呑な目をしたから、それを制するように相澤くんが右手で押し留める。
「御園生さん。あんたはわざと上野さんの気持ちを弄んだんだな」
「だったら何だっていうんだよ、小田切賢人くん?」
射殺すような小田切くんの鋭い目に怯える様子もなく、うつろな目をして忍ちゃんが答える。
「広海や君みたいに、生まれたときから持っているものを一度も失ったことがない、約束された人生を持っている奴らには分からないさ。自分の恵まれた境遇が誰かを傷つけて不快な思いをさせていることに気付きもしない、鈍感な奴らにはね!……気分が良かったよ、広海。あの子は何でも持っているお前が唯一手に入れられずにいるものだったから」
「……昨晩のパーティに、パートナーの逸瀬美奈子さんがいながらわざわざ上野さんと同伴で来たのも、広海に見せ付けるためだったってことだよね?ねえ、御園生先輩。本当にあんたは広海への対抗心だけで彼女にかまっていただけで、上野さんのことはすこしも好きじゃなかったの?」
相澤くんに訊かれて、まるで知らない人みたいな顔で忍ちゃんが笑う。
「初実とは、まるで負け犬同士で傷を舐めあっているみたいだったよ」
聞こえてきた、別人のように冷え切った声に足が竦んでしまう。
「……覚えているだろう?不正融資の件で僕の父が失脚したこと。それからはずっと分家の連中にまででかい顔されて、母も俺もずっとお祖父様の顔色を伺う日々で。おまけにお祖父様は分家の和彦を自分の養子に入れて跡目にするなんて言い出して……」
それは忍ちゃんもわたしも、成星院の初等部に在籍していた頃のこと。
大手銀行の支店長だった忍ちゃんのお父様が、支店長権限で不正な融資を多重に行っていたことが明るみに出た。テレビでは連日このニュースが大きく取り上げられていたことを、当時はまだ幼かったわたしもよく覚えていた。
難しいことはまだ何もわからなかったけれど、日に日に憔悴していき、ついには学校に来なくなった忍ちゃんを見て、なにかとんでもないことが起きてしまったのだと子供心にひどく不安に思ったものだった。
「あの日から、愚かな父親の所為で僕の人生は負け犬同然に堕ちたんだ。身も知らない他人から蔑まれ、馬鹿にされ、罵られる、溝の中を這いずるような惨めな人生にね」
けどね、と忍ちゃんは一度言葉を切る。そして何かが見えているかのように誰もいない、なにもない宙の一点を見詰めて「あの子は僕と同じくらい惨めな状況になっていたんだよ」と呟いた。
「雪山でのあの事故のことで、死んだ父親もろとも世間から猛バッシングを受けて、いちばん仲の良かったおまえにまで責め立てられて。あの頃の初実は、僕の目から見ても本当に可哀想な子だった。哀れで哀れで……僕以外に拠り所がなくて……ほんとうにかわいそうでかわいかったんだ……」
忍ちゃんはゆっくり顔を上げると、高大を、いやその背後にいるわたしを見る。
「ひどいと思うだろう、初実。でも僕もずっと初実の理想の人間でいるのがしんどかったんだ」
どうしてだろう。ショックは受けなかった。
やっぱりわたしは気付いていたんだ。ときどきわたしを苦しそうな、鬱陶しそうな目でみる忍ちゃんに。
忍ちゃんにこんなことを言わせてしまってるのも、わたしの所為なのだ。
わたしに向けていたのはただの哀れみだったと言われても、それでも恨む気になんてなれずにいるわたしに気付いているのか、忍ちゃんはわたしを見て煩わしそうに顔を歪めた。
「僕に無心で懐いてくれる初実のことを、純粋にかわいく思う気持ちもあった。……けれど初実といて
その居心地の良さを思い知るたびに、僕にはもうこのかわいそうな子しかいないのかといつもいつも安堵以上に惨めな気持ちになったよ……」
視界の端で、顔から一切の笑みを消し去った相澤くんが拳を握り締めたのが見えたから「やめてっ」と叫んだ。
わたしのことは、わたしに落とし前をつけさせてと、たった今物騒なことをしようとしていたその天使みたいな顔の男の子に視線で訴える。相澤くんはやれやれと溜息をつくと、好きにしろとばかりに視線で促してきた。
「忍ちゃん」
震えそうになる体を震い立たせて、一歩、また一歩と歩き出す。
「……わたしはわたしの都合のいい部分しか見ようとしていなかったんだね。忍ちゃんがそんなこと言い出すほど追い詰められていたなんて、わたし気付かなかったもの」
『妹としか見られない』と言われ、一緒にすごした時間を『惨めだった』と言われ、苦しすぎて涙も出てこない。でもわたしはわたしで、知らない間に忍ちゃんを苦しめていたのだ。
いままでごめんね、と謝ろうとして。でも。
わたしの判断に任せてくれた相澤くんを、
心配するように見てくれている小田切くんを、
茶化すことなく見守ってくれている渋谷くんを、
そして誰よりも怒った顔をしながらもただ黙って傍にいてくれる高大を見て、思いなおした。
わたしも忍ちゃんを知らないうちに傷つけていたのかもしれないけれど、それでもわたしは忍ちゃんのことがやっぱり好きだったのだから。蹴りをつけなきゃいけない。
わたしが決意を固めて忍ちゃんの方へ踏み出すと、逸瀬先輩が庇うように前に出てきた。けどそれを強引に引き剥がして、忍ちゃんの胸倉を掴んで、大好きだったその人の頭に一撃を加えてやった。
「……っ……!!」
「いったぁ!!」
途端に悲鳴をあげたのはわたしのほうだった。目の前に無数の星がチカチカ飛び散るような衝撃。忍ちゃんを無理やりひきよせて打ち付けた頭ががんがんする。
忍ちゃんもわたしの頭突きが相当痛かったのか、声もなくその場にうずくまる。
わたしもうずくまりそうになって。でも両腕を掴まれて支えられた。右腕には相澤くん、左腕には渋谷くん。そしてなぜかくやしそうな顔でなにかを掴みそこなったように宙に手を投げ出している小田切くんと、高大もいる。
成星院学園のイケメンスリートップ、プラス天使という超豪華な顔ぶれに取り囲まれているという訳のわからない状況なのに、しだいに一人じゃないということにじわじわ安心していって、自然とわたしは忍ちゃんに笑いかけていた。
「忍ちゃん」
忍ちゃんは逸瀬先輩に支えられたまま無言でいる。
「痛かったね。でも両成敗ってことで。これでおしまいね」
自分で思っていたよりも毅然と言えた。
「……上野さん、ほんとにそんな頭突きひとつで気が済んだの?なんだったら俺の手駒いくつか貸してあげるけど」
相澤くんが後方に控えている空手部のおにいさんたちをちらりと見て物騒なことを言い出すと、わたしが焦る前に逸瀬先輩が厳しい顔して相澤くんに噛み付いた。
「もういいでしょう、真澄くん。十分なはずよ」
「……逸瀬先輩はさ、こんな男でもいいわけ?」
先輩はなにも答えず、ただまっすぐに相澤くんを見詰め返す。何も言わなくても、その強いまなざしの中にある慈愛のような、揺ぎ無いやさしさを見れば、答えなど聞かなくても分かってしまう。
「逸瀬は。美奈子さんは、僕の駄目なところ全部知ってて、それでもいいっていってくれているんだ」
そう呟いた忍ちゃんがゆっくり起き上がると、今度はわたしから目を逸らさずにその言葉を口にした。
「さよなら、初実」
「……うん、バイバイ、忍ちゃん」
忍ちゃんと逸瀬先輩の2人が手を取り合い、寄り添い合って去っていく姿は見なかった。まだ感情が整理しきれなくて涙がこぼれてしまうそうだったから。
忍ちゃんがわたしにやさしくしてくれたのは、本当に優越感や同情心だけだったのか。いくらかほんとうのやさしさがあったからこそ、忍ちゃんはつらかったんじゃなかったのか。
それはもう分からない。でも分からなくていいんだ。知ってしまえばきっと未練になってしまうから。
----------さよなら、だいすきだった忍ちゃん。
胸の中で、唐突に終わってしまった恋に別れを告げていると。
「ほら広海。今がチャンスだってば!」
「そうだよそうだよ、ここぞとばかりに漬け込むところだよ?」
背後で相澤くんと渋谷くんが、なにやら高大をけしかけてる声が聞こえてきた。




