11話 --- あらたな嵐
「初めまして。私、逸瀬美奈子と申します」
テラスに現れたのはとんでもない綺麗な人だった。メールの署名に「3年」と記載してあったとおり、最上級生の印であるグリーンのラインの入った上履きを履いている。
長くつややかな黒髪が映える白い肌で、たとえるならかぐや姫のようなお淑やかで清楚な佇まいのひと。それだけでも十分なのに、逸瀬先輩に寄り添うようにその背後に忍ちゃんが控えていることもわたしの負け犬意識をいっそう強くした。
「昨夜は突然のメール、大変失礼致しました」
そういって逸瀬先輩は年下のわたしに深々と頭を下げてくる。
逸瀬先輩は忍ちゃんの携帯電話を盗み見てわたしのメールアドレスを調べたのだという。それを謝罪する彼女に、「君にそんなことをさせたのは僕の所為だ」と忍ちゃんが庇い、それをさらに逸瀬先輩が「いいえ。忍さんのいうことを信じないで余計な詮索をした私が悪いんです」と庇う。お互いにお互いのことしか見えていない、そんな世界をまざまざと見せ付けられて、いたたまれなくなったわたしの方から口を開いた。
「もういいですから。……用件、お願いします」
ふたりともようやく今の状況を思い出したように、はっとわたしの方へ振り返り気まずそうな顔でお互いに目配せし合う。
------もう、本当にいいから。
下唇を噛み締めてただその瞬間を待つ。これ以上仲のいいふたりを見続けるよりは、いっそはっきり言われてしまった方がましなはずだから。そんなわたしの覚悟を感じてか、逸瀬先輩ばかり見ていた忍ちゃんがまっすぐにわたしを見詰めてくる。中途半端に情けをかけたような、気遣うような顔なんてしてほしくない。目を逸らさずに睨むくらいの強さで大好きだった人を見詰め返すと、忍ちゃんは「あとは僕から話すから」と逸瀬先輩に断り、ごめん、で始まる話を口にした。
松崎のおじさまに言われて思い出したちいさいときいちばんのお気に入りだった『シンデレラ』。当然幸せになるべき善良な女の子が、王子様に見初められる話だ。
わたしは美人でも可愛くもないけれど、幼心にいつかきっと誰かがわたしを見つけてくれると思っていた。でも他の着飾った姫君を圧倒するほどの「うつくしさ」や、いじわるな継母たちを恨んだりしない「やさしさ」を備えていたシンデレラとは違って、どちらも持っていない女の子は、身分違いの恋なんて叶えられっこない。
ふたり連れ立って遠ざかっていく背中を見送りながら、みじめで仕方なかった。しあわせそうな二人を見て沸いてくるうらみがましい気持ちがいっぱいで、このまま消えてしまいたくなった。
「ちょ、賢ちゃん」
忍ちゃんたちが仲むつまじく去っていったテラスで力なくぼんやりしていると、図書室と続きになっている窓から下校途中らしく肩掛け鞄を無理やりリュックみたいに背負った渋谷くんと、部活の途中で抜け出してきたような道着姿に竹刀も握ったままの小田切くんが顔を出した。
「出てっちゃダメだって、賢ちゃんってばっ!」
めずらしく、渋谷くんのほうが小田切くんをたしなめている。それをふりきって颯爽と窓枠を乗り越えると、小田切くんはテラスにたたずむわたしに気遣わしげなまなざしで近寄ってきた。
「上野さん……」
声を掛けたものの、言うべき言葉が見つけられないのか小田切くんはそのまま黙り込んでしまう。どうやら最低最悪にかっこ悪いところを見られてしまっていたようだ。
「……渋谷くんたちの言った通りだったね」
自虐的に笑って見せると、小田切くんはまるで自分が痛みを感じているかのように眉根を寄せる。
「悪い、上野さん。今君が話しているところを-------」
「オレたちさ、上野さんがなんか修羅場ってて面白そうだったから、聞き耳たてちゃってた!」
相変わらずの悪意のなさで覗き見を告白した渋谷くんの頭を、小田切くんが乱暴に叩いた。本気で痛がる渋谷くんに思わず笑ってしまう。でもその笑いもすぐに引いていき、また自虐が口をついた。
「ほんとやだよね、わたしって周り見えてなくて。ひどい勘違いしちゃってて」
「……勘違い?上野さんはあの御園生という3年と付き合っていたんじゃないのか」
道着姿の小田切くんに渋谷くんが「ちょっと賢ちゃん」と止めに入る。どうも渋谷くんが嗜めようとするくらい、小田切くんは今普通の状態でないらしい。
「なんか違ったみたいだね。昨日はその。逆上してごめんね?……渋谷くんたちが昨日忍ちゃんが泣いてる女の子とキスしてるとこ見たっていってたけど、本当だったみたい。逸瀬先輩、わたしにやきもちやいて忍ちゃん左翼館のロビーに呼び出したんだって」
なんだかむしろおかしくなってきて笑いながら言うと、小田切くんがますます眉根に深い皺を刻む。
「三年の逸瀬先輩。イツセ地所のお嬢様なんだって。あ、でも小田切くんたちなら知ってるか。すごいよね、最近CMばんばん流してる会社だったよね?」
人気若手女優が『何せ・イツセ・地所ですから♪』と歌う軽快なメロディは、誰でも聞き覚えがあるはずだ。近年は都内の再開発に力を入れていて、最近話題になっている丸の内や銀座のリニュアールを手掛けているのもこのイツセ地所だ。
「最初はね、婚約者って言ってもご両親が冗談半分に勝手に言ってるだけって思ってたみたい。だけど会って話して親しくなっていくうちに、お互いにどんどん好きになっていったんだって。……うらやましい話だよね」
「上野さん……」
「なーんだ。やっぱ二股だったんじゃん」
渋谷くんに言われて、頭の中に火をつけられたようにカッと熱くなった。
「違うよ!そもそも忍ちゃんは、わたしとは付き合ってなんてなくて」
「じゃあさ、上野さんはなんでそんな痛い勘違いしちゃったわけ?」
「……おい春人」
小田切くんが持っていた竹刀でかるく渋谷くんの頭を小突いた。
「いってぇ。だってさぁ、人の恋路は気になるもんじゃーん」
どうでもよさそうに渋谷くんは言う。だからなにも考えずにわたしも答えていた。
「忍ちゃんとは、小さいころからの知り合いなの」
正しく言えば、高大を通して知り合ったひとだった。
まだ幼稚園に入る前。パパが帝宮ホテルに勤めていた縁で高大と友達になり、そしてその繋がりで高大と友達だった忍ちゃんとも知り合いになった。
忍ちゃんのお父様はH&Lホテルグループがメインバンクにしている銀行で、かつて東京支店の支店長を勤めていた方だった。御園生家は家祖が旗本だという連綿と続く由緒正しい名家で、その本家に長男として生まれた忍ちゃんは正真正銘のお坊ちゃまだった。
本来ならわたしみたいな庶民とは縁のない別世界の人。だけど出会ったときから忍ちゃんはわたしにやさしかった。
「わたしが同じ幼稚舎に入園してから何かと気にかけてくれて……わたし初等部のとき、家でいろいろあって成星院から転出したけど……その後もメールくれたり、遊びに誘ってくれてたの」
同級生の男の子たちとはまるで違って、上品でおだやかでやさしい忍ちゃんにどんどん惹かれて、中学校のときついに気持ちが溢れて「忍ちゃんが好き」と告白してしまった。そのときは忍ちゃんは笑って何も答えてくれなかったけど、以後も変わらず遊びに誘ってくれたりメールのやりとりは続いた。映画館や遊園地でふたりきりで会い、ときどき手を繋いでくれることもあった。それではっきりと返事を聞いたわけじゃなかったのにすっかり舞い上がってしまった。いつもどんなときも傍にいてくれたというだけで、勝手に期待して夢見てしまったのだ。
「思い返すとおかしいよね?なんでわたし、一度も「好き」っていわれたこともキスしたこともなかったくせに、付き合ってるなんて思い込んじゃったんだろ」
「忍ちゃん、わたしのことを『特別』だって思っててくれたんだって。でもそれって『妹』としてでね。忍ちゃんは、わたしのこと妹みたいで放っておけなかっただけなのに」
「でも本当はさ、分かっていた、んだと思うんだ。ときどき忍ちゃん、わたしのことものすごく物言いたげにみてたり、すごいわずらわしそうな顔してるときがあるってほんとは気付いてたし」
何かもの言いたげな、小田切くんと渋谷くんの二人の視線が痛くて、訊かれてもいないのに自分からあれこれ喋っていた。振られたばかりで気持ちがへんに昂ぶっていて、饒舌になっていた。そんなわたしに、渋谷くんが怒ったように「なんだよそれ」と吐き捨てた。
「あはは、ほんとなんだよって思うよね。痛いやつだよね、わたし。ほんとにもう-------」
「それってさ、めちゃめちゃ付き合ってんじゃんっ」
わたしの言葉を遮って、それも意外なことに怒ったように渋谷くんが言う。わたしが何も言えずにいると、苛立ったようにもう一度繰り返す。
「だ、か、ら!上野さんたちのそれって、フツーに付き合ってるって言ってんの!俺だって賢ちゃんだって同時進行掛け持ちで女の子といっぱいいっぱい遊んでるけどさ。それでも遊びNGな一本気な娘には手ぇ出さないってのは信条なんだぜっ?!」
あとから思い返すと随分なことを、やたらとえばりくさって渋谷くんは言っていた。
「そりゃ俺だって付き合う前に二人っきりでデートすることもあるけど、一度デートして付き合う気にならなかった子は二度目誘うとか絶対しないし。自分に気があるって分かりきってる相手と何度も何度も二人っきりで遊びに行くなんて、それデート以外何ものでもないよ。おまけにあっちから誘ってばっかってあきらかな確信犯じゃん、それで今になって『ボクちゃんにその気はありませんでした』なんて恥ずかしげもなく言うなんて、クズだよクズ、上野さんのカレシは最低野郎だね!」
「やめて、違うの。忍ちゃんはやさしいから……」
「もう、どこまで毒されてんだよ上野さんは。さっきの逸瀬のお嬢様と両天秤に掛けられてたんだぜ、悔しくないの?……そうだ!仕返ししてやろうぜっ。オレ協力してやるからさぁ、あんなヤツぎゃふんといわせてやろうっ!」
渋谷くんが楽しいことを思いついたような顔で笑う。自分の勘違いのせいで忍ちゃんが極悪人みたいにいわれることが悔しくて涙が出てきそうになったけど、ぐっと堪えて反論した。
「違うもん……。忍ちゃんはいつだってわたしにやさしかったよ」
『ちゃんとおいしいよ』
そういってぐちゃぐちゃにされたチョコレートを、ひとつ残さず食べてくれたのは忍ちゃんだ。
『大丈夫。必ず初実のお父さんは帰ってくるよ』
『またこれから一緒だね。よろしく、後輩さん』
パパが雪山で遭難して連絡が取れなくなったときも、高等部からまた成星院に通うことになったときも、
まっさきにわたしを気遣って連絡をしてきてくれたのは忍ちゃんだった。
「お願い渋谷くん……忍ちゃんを悪く言わないで…」
つらいときに支えてくれたのは忍ちゃんのやさしい笑顔だ。誰になんといわれようとも、傍にいてくれた忍ちゃんと過ごした日々は大事な思い出だ。
「うっわー。ちょろすぎ。上野さんって俺以上に超馬鹿じゃん、ね、賢ちゃん?」
渋谷くんが軽い調子で同意を求めた相手が俯いたまま黙りこくっている。渋谷くんがもう一度「賢ちゃん?」と呼びかけるも返事がない。
「……ねぇ賢ちゃん、もしかしてよからぬこと考えてない……?その。決闘的な?」
竹刀を握りなおした小田切くんに渋谷くんが恐る恐る尋ねると、小田切くんは無言で渋谷くんの肩を押して大股で歩き出す。
「ちょ、ちょっと、賢ちゃん!今賢ちゃんが出てっても話がややこしくなるだけだってば!」
小田切くんを引き止めようと渋谷くんが前に回り込んでも、確固たる足取りであるく青年剣士は渋谷くんを押し退けてずんずん進んでいく。何度か同じことを繰り返し、小田切くんがテラスを出て行くと渋谷くんは諦めたように溜息をつき、携帯電話を取り出した。
「ああ、もしもし、ますみん?賢ちゃんがヤバいんだけど。……ああ、やっぱますみんの密偵さんがいた?聞いてた?うん、そう。最悪パターン。ボコりそう。県体前にやばいでしょ?喧嘩だけでもヤバいのに、もし向こうに怪我でもさせちゃったらさ、全国どころじゃないっての。絶対阻止してよ。うん、大丈夫?じゃあ空手部さんたちに任せたからね。怪我させないようにくれぐれもよろしく」
早口の電話の後、渋谷くんがはあっと大きく溜息を吐く。
「あーあ。もう。嫌な予感してたんだよねー。昨日上野さんスイートに送り出した後、なんだか気もそぞろって感じだったし、第一うっかり俺泣かしちゃって、賢ちゃんこの人の泣き顔見ちゃってるし。やばいかなーでも広海のだし、まさかそれ分かっててないよなと油断してた俺も悪いけど、考えてみりゃこの絶妙な地味具合、賢ちゃんのストライクど真ん中なんだもんなー。まずいよなーまずいよー、これでもし広海とガチンコとかなったらますみんが黙ってないだろうし、ほんとにまずいよなーどうすんのよ、面倒くせぇぇぇっ」
あああ、と奇声じみた声をあげて、渋谷くんがその場で頭を抱えてうずくまる。
「し、渋谷くん?」
一応声を掛けてみると、渋谷くんは頭を抱えたままわたしを睨んできた。
「まったくさ。いい加減にしてよね、上野さんっ!」
そう言って心底恨みがましげな顔をする。
「え?」
「悪い男に捕まったことは同情を禁じえませんが。うちの大事な賢ちゃん惑わすのやめてよっ。賢ちゃんとは結婚するまでは女の子を食いまくるって同盟組んでるんだからさ!」
話がさっぱり見えない。渋谷くんはそんなわたしにしびれを切らしたように「だーかーらっ」と怒り交じりの言葉をぶつけてきた。
「ただえさえジミ顔は賢ちゃんのタイプなのに、上野さん、これ以上賢ちゃんの気を引くなって言ってんの!『ブス』『不幸』『健気』は賢ちゃんをマジ恋に突き落とす三種の神器なんだからさっ!」
頼んだよ、まったく、と渋谷くんがぶつぶつ呟く。まったく意味の分からないことで責め立てられて、どうにもリアクションを取りかねていると、すくっと立ち上がった渋谷くんが右手を差し出してきた。
「ほら。ぼさっとしてないで行くよ」
無理やりその右手に掴まれ、手を繋いだ状態で渋谷くんに引き摺られるようにして走り出していた。
ご無沙汰しております。もう読まれる方もほとんどいらっしゃらないと思うのですが、細々再開・連載していきます。




