10話 --- おめでとう?
「……忍ちゃん」
足元を見たままわたしと視線を合わせようとしない忍ちゃんを見て、無意識に携帯電話を握り締めていた。言葉を交わさず向かい合っているわたしたちにユキちゃんも何か察したのだろう、「先に行ってようか?」とアイコンタクトと身振りで示してきたけれど、袖口を掴んで引き止めた。
「初実。昨日……」
「わたし!勝手に先帰っちゃってごめんね!」
ぬいぐるみを後ろ手に隠しながら、明るい声で言っていた。
「エリナ部長と話込んでたらうっかり忍ちゃん見失っちゃって困っちゃったよ!」
我ながら白々しいくらいのテンションだなと思いながら。
「それに電話、遅い時間に何度もしつこく掛けてごめんね!12時過ぎなんて、もうさすがに寝てたよね、非常識なことしちゃってほんとごめんっ」
「……初実。話したいことがあるんだ」
いつも以上に落ち着いた、でもすこし緊張を感じる硬い声に心臓に深い亀裂が走るような痛みを感じた。忍ちゃんが話そうとしていることを、たぶんわたしはもうほとんど正しく想像できる。聞かなくたっていいのだ。でもきっと何も言われないままフェードアウトされるよりはマシなはずだから。
「うん、わかった」
つとめて明るくそう答えていた。みじめになってしまってはだめだ。
「それじゃ放課後に……」
「あ、あの。ちなみにそれって、わたしが今日、い、逸瀬美奈子先輩から呼び出されたのと同じ用件なのかな……?」
『御園生忍さんのことで会ってお話したいことがあります』
昨夜届いた見覚えのないアドレスからのメールには、やっぱり見覚えのない女の人の名前と学籍番号が一緒にそえられていた。署名にあったその『逸瀬』という名を口にすると忍ちゃんははっと顔を上げた。
「……昨日ね、わたしの携帯に逸瀬先輩から話したいことがあるってお呼び出しのメールを貰ったんだ」
忍ちゃんは観念したようにわたしを見てくる。その目の中にあるものを直視したくなくてわたしから切り上げた。
「それじゃあ、放課後、図書室前のテラスに来てもらってもいい?わたし今週図書委員の当番で。テラスくらいなら当番中も出て行けると思うからさ」
じゃあ、と軽い調子で手を振って別れた。なにか言いたげなユキちゃんの背中を押しやって、教室まで早足に歩いていく。
「初実……」
おそらく死刑宣告を待つみたいな顔したわたしに、ユキちゃんは何も言わずにいてくれた。
「ユキちゃんありがとう」
心配かけてごめんね。心の中で何度も謝り続けた。もう決定的な敗色。でもわたしの人生に立ち込めた暗雲はこれだけじゃすまされなくて。
「お、来たぜ」
教室に入ってすぐ変な空気に気付いた。最前までざわついていたであろうに、わたしとユキちゃんが入室した途端ぴたりと静かになった。そして全身に突き刺さるくらいの視線を注がれる。まるで昨晩の再現みたいだった。
「高大のカノジョ様のお出ましだぜ」
そう揶揄するように言ってきたのは、渋谷くんと同じグループでクラスの中心核にいる田島くん。
「そうなんだろ、渋谷?」
田島くんは面白がる顔で渋谷くんに確認する。
「……高大の彼女?」
いったいどういうことなの。思わず昨日の事情を知るはずの渋谷くんを見ると、なぜかちょっと不機嫌な顔でにらみ返される。
「よー上野ちゃん、おめでとう」
田島くんはそうういって仲間たちとにやにや笑いだす。揶揄や好奇心、そこにわずかに悪意の加わった大勢の視線。また針の筵だ。
「ちょっと」
でも今日はその針をぜんぶへし折るくらいの剣幕でユキちゃんが割って入ってきてくれた。
「あんたたち、初実が何だっていうのよ?」
もともと目力の強いユキちゃんに大きな目で睨まれて、田島くんは怯えるようなちょっとだけうれしそうな表情になる。
「や。……だからさ、マジで高大とヤったんだろ?」
「はあ?」
ユキちゃんはわたし以上に不快そうな顔で田島くんに詰め寄った。
「こ、高大が上野に手ぇ付けたって、みんな知ってんだぜ?」
「……バッカじゃないの?どうせ昨日からそういう話題で盛り上がってんでしょ、おめでたい人たちね。でもいつまでもそんなくっだらないことばっか言ってると、田島の大事なバットで尻ぶったたくわよ?」
ユキちゃんが田島くんにすごむと、周りにいた男子たちがげらげら笑い出した。
「あっはは、秋名さん、おっもしれぇ」
「そんなんいまどき先輩でもしねぇよ」
「よせって、秋名がこう言うときはマジでケツバットしてくるぞ」
「いいじゃん、うらやまし。俺も秋名さんにいじめられてみてぇ~」
そんな揶揄もユキちゃんが教室に転がっていた持ち主不明の木製バットに手を伸ばし「で。誰がぶったたかれたいって?」と睨みつけるとぴたりと止まった。
「そ、そんな怒るなよ。だって事実なんだろ?」
「いい加減なこと言わないでよっ!初実はそんな子じゃないんだから」
「けどさぁ。見た奴いんだよ、ほら」
そういって校則では持ち込み禁止のはずのPCタブレットの大画面を見せてくる。写っているのはドレスを着たわたし。背景から察するに特別階専用エントランスへ向かっているところだろうか。いつの間に撮られていたんだろう。
「上野、俺らがビンゴしてる間に昨日高大と二人きりでなんとかスイートの部屋行ってたんだろ?」
「大人しそうな面して意外とやるよな、おまえ。別人みたいに着飾ってるしさ、これ」
経緯はどうあれ否定し切れないでいるわたしに「ほらみろよ」とばかりに田島くんがユキちゃんを見る。
「初実……」
戸惑うユキちゃんの大きな目が揺れていた。昨日のことなんて不運なアクシデントの連続みたいなものだ。高大と何かあるはずもないのに、まるでわたしが望んで部屋を訪ねて行ったみたいなニュアンスになっていることに動揺して、思わず渋谷くんを見てしまう。けれど、渋谷くんは知らん振りで顔を背けた。
「わ、わたしは」
なんとか妙な誤解をとかなきゃいけない。でもただでさえ人から注目されることに慣れていないのに、教室じゅうから視線を、それも好意的とは言いがたいものを浴びせられて舌が縮こまったように声が出せなくなってしまった。
「あーもうやだ」
今日何度目になるかもわからない独り言を呟く。ずっと頭の中で呟いていたのに、いつのまにか口に出していたようだ。ただでさえ忍ちゃんとの約束の刻限を黙々と刻むポケットの中の携帯が重くて死にそうだというのに。結局うまい説明も出来ずに高大との仲を誤解されたまま、今日一日じゅう変な注目を浴び、男子からは好奇の目を女子からは敵意の目を注がれ続けた。消えてしまいたくなるたびにユキちゃんが傍にきてくれたけどユキちゃんにすら事情をうまく説明出来ないわたしを、ユキちゃんはどう思っただろう。
「あーやだ。部活いきたーい、何かつくりたーい……」
頭の中が重たく煮詰まりすぎて、思わず目の前の問題から目を背けてたのしいことを思い浮かべていた。今日の部活はたしか女子バレー部からリクエストされていたカップケーキをみんなで作っているはずだ。デコレーションの希望も出ていたから、部長から「一人3パターンくらいデザイン考えてきてね」と課題を出されていた。今頃みんなでデザイン画を見せ合いながら和気藹々と作業しているはずだ。前から当番で参加出来ないことが決まっていたけれど、わたしもいろんなカップケーキを考えていた。ナッツの耳とチョコのおひげをくっつけたくまさんバージョン、お菓子の家をモチーフにゼリーを散らしたカラフルなバージョン、ウィンナーコーヒー入りのカップを模したシンプルなバージョン。でもデザインを描いてるとき以上にたのしくなるのは、フロスティングを考えているときだ。
「……やっぱりわたしはクリームチーズ入りのフロスティングがいちばんすきだなぁ。水切りヨーグルトを使うのも甘いケーキの後味がさっぱりしていいよね、ベリー系ソースと相性抜群で見た目もきれいだし。あ、でも鮮やかな色味ならピスタチオクリームも欠かせないよね。あとは定番のバタークリーム!バターの量が多すぎるとくどくなっちゃうけど、あれはコクがあってケーキの味が引き立つんだよなぁ」
カップケーキのデコレーションは手が掛かるけど、華やかでウケもいいからつくり甲斐があった。自分の描いたデザイン画を思い出しながらひとりにやにやしている間に、長針が真上を向いた書庫の掛け時計が午後4時を知らせるメロディーを奏でた。忍ちゃんの美化委員会がもうそろそろ閉会になる時刻だ。無情にも強制的に現実に引き戻される。
「っもう----------やだやだやだやだやだっ!」
昨晩放っておかれて連絡が取れなかった。電話もメールも返してくれなかった。知らない女の人から宣戦布告めいたメールがきた。この事実以上に厳しい現実を突きつけられてしまったら、果たしてわたしは立ち直れるのだろうか。
「あーやだ。もうやだ。ケーキつくりにいっちゃおうかなぁ」
いざとなると往生際悪くそんな現実逃避を口にしていると、
『……嫌なのはこっちだ』
突然声を掛けられて飛び上がりそうになるくらいびっくりした。
「だだだ、だれ?」
薄暗い書庫の奥にゆっくり進み、いちばん奥にある寄贈されたままの書籍が平積みになっている古ソファを見てみると。その端っこ、本棚の死角になって入り口からは絶対に見えることがないその場所に彼がいた。くつろいだ様子で長い脚を優雅に組み、彫りの深い顔立ちに意外なくらいよく似合う銀フレームの眼鏡を掛けて、英字の題字が書かれた分厚いペーパーバックに目を落としている。和泉くんだった。
「ご、ごめんなさい、ひとりでうるさくしちゃって。書庫に誰かいるなんて思ってなくて……」
例年司書の先生と親しくなって書庫を棲家にする生徒がいると委員長の先輩から聞いていたけれど。転入間もない和泉くんが我が物顔でここの主になっていたなんて。それも昨日は粋にスーツを着こなしてとても華やかに見えた和泉くんがこんな場所でひっそり読書に耽っている姿が案外違和感がなくて二重に驚いてしまった。
「あっと。その辺り、入荷処理してない本ばっかで片付いてなくてごめんね」
和泉くんはまるでわたしなぞ存在もしていないかのように眉一つ動かさずに読み続ける。ほんとに感じのわるいひとだけど、腹が立つくらいその様は絵になっていた。うっかり魅入りそうになり、はたと気付く。
「……そうだ。和泉くん、読書中悪いんだけど」
まったく無視されているけれどめげずに続けた。
「ひとつだけ聞きたいことがあって。昨日衣装室でわたしが借りたドレスは……」
『おめでとう』
おそるおそる喋るわたしの言葉をぶった切って、和泉くんが本に目を落としたまま言った。
『無事にバージン卒業したんだろ?おめでとう』
「……は?」
『よかったな、記念すべき初体験の相手が広海だなんて。いい自慢だな』
一語一語を区切らずにあまりにもなめらかに喋るものだから、昨日以上に聞き取りにくい。何より聞き取れないわたしを馬鹿にするような悪意を感じた。
『昨日結局スイートルームへ行ったらしいな。貞淑ぶって彼氏がどうのと喚いていたらしいけど、所詮お前も王子様からのお誘いならまんざらじゃなかったんだろ?』
吐き捨てるように言うとようやく顔を上げる。和泉くんはかたちのいい唇に蔑むような笑みを浮かべる。顔の造りが端正なだけにとても酷薄に見えた。
『広海にやさしく抱いてもらえて満足したか?』
「……和泉くん」
敵意剥き出しの和泉くんを睨みつけると、和泉くんはわたしのことを見下していることが丸分かりな憎たらしい顔で言った。
『なんだその目。図星を指されて逆上か?』
「もう和泉くん!和泉くんまでそういう下品なこと言ってくるとは思わなかったよ。何で男子ってやるとかやらないとかそんなことばっか考えてるの、高大とわたしが……と…その、そういう変なこと、するわけないでしょう!」
憤慨するわたしに、驚いた顔の和泉くんが、
「お前、俺が何を言っているのか分かったのか」
と尋ねてくる。思わず日本語が口から出てしまったらしく、途端にばつの悪そうな顔をする。
「わかりません!ヒアリング苦手です!というか壊滅的です!」
『……ならどうして』
「でも!意地悪な顔した和泉くんが言い出しそうなことくらい、だいたい予想がつくのよっ!」
ほんのちょっとだけなら単語拾い聞き出来るし、田島くんたちや好奇心まじりにわたしを揶揄してきた男子たちから言われたことを思い返せば、言われそうなことなんてだいたい想像がついた。和泉くんの顔を見ても、その想像がさほど的外れではなかったと分かる。
「ほんとがっかりだよ。折角見た目はそんな大人っぽいのに、そういうくだらないこと言い出すなんてほんとだまされた気分だよ。もう、ユキちゃんにも謝れ!って思っちゃうよ」
『本当に広海とヤッてないのか』
少々私的な理由で怒っていると、和泉くんが確認するように訊いてくる。聞き取れたのはHiromiとse…………x。わたしの日常生活でいままでもこれからも絶対に頻出する可能性のない単語だ。
「……す、するか、そんなことっ!みんな何を根拠に決め付けてるの!?どうせ口で否定しても誰も信じてくれないのになんでわざわざ訊いてくるのよ。事実無根だって証明する方法がないのが恨めしいくらいよッ」
だいたい、高大だってそんな気はなかったのだ。ジュニアスイートから去ったあと、わたしっていま高大に襲われかけたのか!?と昨晩はだいぶ悶々としてしまったけど。「同じ部屋にいて何もしないとかそんなことありえないだろ」と田島くんたちは言っていた。つまりは高大ともあろうひとが本気で女子をどうこうするつもりなら、どうこうなっていたはずだってことだ。みんなが想像してることが起きなかったということは、きっと昨晩のことは王子様のお戯れとか気の迷いとかそんなところだろう。今日一日で学園じゅうに「高大がとうとう学園の女子に手をつけた」と噂が流れたけど、高大は否定も肯定もしなかったと聞いた。そんなデマ、痛くも痒くも興味すらないのだ。未遂で終わったことに今日もまだちょっぴり被害者意識を引きずっているわたしはどうせ自意識過剰な残念な女ですよ。はあっと溜息をつくと、「はぁ」となぜかわたし以上の溜息を返された。
『そんな馬鹿げた話があってたまるか。あそこまでお膳立てしてやったのに手を出せなかったなんて、あいつは不能なのか?』
はぁ、とまた見ているこっちが気の毒になるくらいの重たい溜息を吐く。
『おい。でもさすがにキスはしたんだろう?』
「き、きききっ………な、なんで知ってるの!?」
銀フレーム越しに呆れたような冷めた目を向けられる。
『俺を馬鹿にしてるのか?知らなくてもさすがにその反応じゃまる分かりだ。……お前が部屋に来たらキスするって公約だけは果たしたんだな。本当にキスだけだなんて律儀なことだ。ついでに押し倒してモノにしておけばよかったのに』
はぁ、とまたまた溜息を吐かれてる。何をそんなに病んでいるんだろう、和泉くんは。
『まあでもよかったな、お前。王子様からキスのプレゼントがあって』
「ぐ、『グッド』?いま『グッド』って言った!?……い、いいわけあるか!何言ってんの」
『まさか広海が嫌だったのか?』
「いきなり彼氏でもない『プリンス』に『キス』されて喜ぶ女があるか!」
和泉くんは知的な眉間に皺を寄せてわたしをしげしげと興味深そうに見てくる。
『まさか本当に広海を拒む女がいるなんてな。けど嫌だったとしてもファーストキスの相手が広海だなんて自慢になるんじゃないのか?』
「……い、いま誇れって言った?なにそれ馬鹿にしてるの!?ぶすの分際で王子様にキスを恵んでもらえてありがたやって?感謝しろって?」
『……だからそこまでは言ってないだろ。おい。そこまでヘコむなよ。……だんだん広海が気の毒になってきた』
「……和泉くん、今ひょっとしてなんか慰めてくれるようなこと言った?べつに落ち込んでませんよ、そんなには。高大とのあれがファーストキスってわけじゃないし」
和泉くんがきれいな鳶色の目を見張る。
『まあ当然か。さすがに彼氏とそれくらいは……』
「あの。ひとつだけ言わせてもらいますけど。わたしファーストキスの相手だけは和泉くんにだって自慢出来るんだからね!」
わたしの主張に、如何にも鬱陶しげな表情をうかべやがる。なんだか意地でも聞かせたくなってきた。
「あ、信じてないでしょ。相手の子、お姫様の童話に出てくるような」
「------おい」
「すごくすごーく素敵な子だったんだから。名前はね」
「お客さんだぜ」
ご丁寧にも日本語で、テラスを指差しながら和泉くんが忍ちゃんの来訪をおしえてくれた。わたしに与えられた猶予はもう尽きたようだ。和泉くんに返事も返さず、さよならの挨拶もせず、昨日までは彼氏だと思っていた大好きなひとのもとへのろのろと出て行った。
しばらく休載させていただいていました。「活動報告」でその旨告知していたつもりだったのですが、「活動報告」見られなくなっていたようですみません。
これまで以上にのんびり連載する予定でいます。
「活動報告」の代わりに今後は個人のブログサイトで活動報告をしたいと思います。若草の近況云々を掲載させていただくので、もしお目通しいただけるようでしたら、下記までお願いいたします。
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