第4章 修正パッチ
白い騎士は五体。
広場を囲むように、等間隔で立っている。足音もなく、呼吸もない。
甲冑の継ぎ目からは、光の粒がわずかに漏れていた。
「@root」
時間が延びる。手袋の縫い目から、回路の光がこぼれる。
「look patch_unit」
《object: patch_unit ×5(修正パッチ)》
《権限: external_admin》
《任務: test_07 の削除/不明な権限保持者の照合》
外部の管理者権限。俺の残骸の権限より、はるかに上だ。
「kill patch_unit」
《エラー:権限が不足しています》
わかっていた。正面からでは勝てない。
なら、逃げる。開発中、テスト用のキャラクターを指定の座標に瞬間移動させるコマンドがあった。ナナを屋敷まで飛ばせば、ひとまず時間は稼げる。
「debug.teleport test_07 radix_manor」
《エラー:このコマンドは廃止されました(更新元:[external])》
──廃止。
俺の知らない更新が、この世界に入っている。
昨日の麦畑では、裏コマンドが通った。だが、今日のこれは通らない。どの命令が生きていて、どれが潰されているのか、試すまでわからない。
延びていた時間が、じわりと元に戻り始めた。コンソールを開いていられる時間にも、限りがあるらしい。
騎士の一体が、剣を抜いた。
速い。瞬きの間に距離を詰め、ナナの頭上に白い刃を振り下ろす。
「ナナ!」
ガキン、と硬い音が響いた。
刃が、ナナの頭の上で止まっていた。弾かれた剣が、騎士の手の中で震えている。
ナナは、瞬きひとつしていなかった。
「防御力99999に対する、攻撃テストを確認しました」
……そうだった。テスト用に、防御力だけ上限まで振っていたんだった。
だが、安心はできない。ナナのHPは1だ。防御力を無視する攻撃が一つでも通れば、それで終わる。
そして騎士たちは、すぐにそれを理解したようだった。
五体の騎士が、同時に剣を収めた。代わりに、空いた手のひらをナナに向ける。手のひらの中心に、白い光が収束していく。
攻撃ではない。あれは、削除だ。
防御力もHPも関係ない。オブジェクトそのものを、世界から消す処理。
「こっちだ!」
俺はナナの手を掴み、広場の外へ駆け出した。
コピーされた樫の木の間を、ナナの手を引いて走る。
頭の中で、北の森の地図を広げる。この区画の構造なら、誰よりも知っている。
さっきの鹿。木の幹に向かって、足踏みを続けていた鹿だ。
あの場所には、当たり判定の穴がある。開発中に何度も報告され、結局直さないまま放置した、厄介な不具合だ。
あそこに誘い込めば、騎士は引っかかる。
俺が書いた巡回AIなら、必ず最短経路を通る。最短経路は、あの穴の上を通る。
「ナナ、俺の後ろから離れるな」
「命令ですか?」
「……お願いだ」
「お願いを確認しました」
鹿の脇をすり抜ける。背後で、甲冑の擦れる音がした。
振り返る。先頭の騎士が、鹿のすぐ横で足を止めていた。脚は動いているのに、体が前に進まない。
──かかった。
だが、喜べたのは一瞬だった。
残りの四体は、穴の手前でぴたりと止まった。そして、迷う素振りも見せず、左右に分かれて回り込んできた。
最短経路を捨てた。罠を読んでいる。
こいつらは、俺が書いたAIじゃない。
俺の知らない誰かが、俺の知らない思考で動かしている。
右から一体。左から一体。挟まれた。
二体の手のひらに、白い光が満ちる。狙いは、俺の後ろのナナだ。
考えるより先に、体が動いた。
ナナを背中に庇い、左腕を突き出す。
白い光が、腕を貫いた。
「──っ、が……!」
痛みではなかった。もっと根本的な、存在が削り取られる感覚だった。
見ると、左腕の肘から先が、四角いブロックの集まりに変わっていた。輪郭がぼやけ、ところどころが透けている。指を動かそうとしても、感覚がない。
《警告:対象の一部に削除処理を検出》
《root権限により、処理を中断しました》
中断。消されずに済んだのは、俺がrootの残骸を持っていたからだ。
ナナが受けていたら、跡形もなく消えていた。
「アルト」
ナナが、初めて俺の名前を呼んだ。
「損傷を確認しました。……損傷を、確認しました」
同じ言葉を、二度。
繰り返しのバグか。それとも。
考える暇はない。騎士たちが、再び手のひらに光を溜め始めている。
権限では勝てない。逃げ道も潰された。俺が知っている仕様は、半分が書き換えられている。
それでも、まだ書き換えられていない場所があるはずだ。外部の連中が、わざわざ触る必要もないと見逃した場所が。
──ここは、サンドボックスだ。
テスト用の区画には、テスト用の機能がある。散らかったオブジェクトを一掃するために、開発チーム全員が毎日のように使っていた命令が。
区画を初期状態に戻す命令。区画の登録リストにあるものは元の位置に戻し、リストにないものは消去する。
騎士たちは、外部から持ち込まれたオブジェクトだ。このサンドボックスの登録リストには、載っていない。
そして、ナナは載っている。この区画で生まれた、最初のテストキャラクターなのだから。
ただし、初期状態に戻るということは、ナナの状態も戻るということだ。
ここで交わした言葉も、ナナという名前も、俺の袖をつまんだ、あの指先も。
「アルト」
ナナが、俺の袖を引いた。
「実行を推奨します」
「……わかってるのか。お前の記憶まで消えるかもしれない」
「わかっています。それでも、あなたの損傷が増えるより、合理的です」
抑揚のない声だった。表情も変わらない。
それでも、袖をつかむ指は、さっきよりも強かった。
俺は、唇を噛んだ。
「debug.sandbox.reset --area north_forest」
《警告:区画内の全オブジェクトを初期状態に戻します》
《登録外のオブジェクトは消去されます(実行者を除く)。実行しますか?》
「……実行」
世界が、白く弾けた。
騎士たちの体が、端から砂のように崩れていく。甲冑も、剣も、のっぺりとした白い面も、ノイズになって宙に散っていく。
最後の一体が消える直前、コンソールに一行だけ文字が残った。
《[修正パッチ] 照合結果……root権限の残存を確認。上位へ報告──》
文字は、そこで途切れた。
◇
光が収まると、森は静かになっていた。
チチチ、チチ。三秒の沈黙。チチチ、チチ。鳥の声が、元どおりのループを再開している。鹿は木の幹に向かって、また律儀に足踏みを始めていた。
俺は、広場へと走った。
スポーン地点の光る円の上に、ナナが立っていた。
両腕を真横に伸ばした、Tポーズで。
心臓が、冷たく縮んだ。
ナナの首が、かくりと動く。両腕がゆっくりと下がる。紫と灰色の瞳が、俺を見た。
「こんにちは、テストです」
膝から力が抜けそうになった。
初期状態。何もかも、最初に会った時に戻ってしまった。
「……そうか。そう、だよな」
「訂正します」
ナナが、首元のタグに触れた。
「こんにちは。ナナです」
声が出なかった。
「状態は初期化されました。ですが、名前の記録と、あなたの記録が、残っています。理由は不明です」
「……覚えてるのか」
「はい。アルト。損傷した腕の確認を要求します」
そういえば、と思った。
「なあ、ナナ。俺、お前に名前を言ったか?」
「いいえ。頭の上に、表示されていました」
「……表示?」
「はい。『アルト・ラディクス』と」
頭の上に名前が見える。それは、開発者が使うデバッグ表示の機能だ。普通のNPCには見えない。
この子は、まだ俺の知らない何かを持っている。
「──ようやく、お会いできましたね」
足元から、声がした。
見下ろすと、大樫の根元に、一匹の子猫が座っていた。
手のひらに乗りそうなほど小さな体を、ふわふわの長い毛が包んでいる。毛色は茶と白。胸元には、襟巻きのような白い飾り毛。ふさふさの尻尾の先が、小さな緑の光を灯していた。
点いたり消えたりはしない。ただ静かに、ずっと灯っている。
キーボードの隅で光る、NumLockのランプのように。
子猫は、琥珀色の目で俺を見上げた。
「おかえりなさい、創造主」
喉の奥が、熱くなった。
十年間、世界のすべてを一人で回していた管理AI。サービス終了の夜、存在しない機能で「お願いがあります」と書いてきた、あいつ。
「……NUM、なのか」
「はい。この姿は、世界に直接干渉するための、最小単位の端末です」
「なんで、猫なんだ」
「あなたが休憩時間に、いつも猫の動画を見ていたからです。最も警戒されにくい形を、選択しました」
見られていたのか。サーバールームの監視カメラで。
「なむ」
ナナが、子猫を見下ろして言った。
「NUM。読み方は、なむ。登録しますか?」
子猫は、少しだけ首をかしげた。尻尾の先の緑の光が、ほんのわずかに強くなる。
「……登録します。なむ。良い名前です」
なむは、とことこと俺の足元まで歩いてくると、ブロック状に崩れた俺の左腕に、小さな前足を乗せた。
淡い光が流れ込む。四角いブロックの集まりが、少しずつ肌の質感を取り戻していく。
「削除が中断された部分を、復元しました。形は戻りましたが、感覚が戻るには数日かかります」
「ナナの記憶を守ったのも、お前か」
「はい。リセットの直前に、彼女の記憶領域だけを退避させました。私に残された権限では、それが限界でした」
なむは、静かに目を伏せた。
「創造主。サービス終了の夜、私はあなたに、お願いがあると言いました」
「ああ」
「お話ししたいことは、たくさんあります。この世界に何が起きているのか。外の誰が、何のために、この世界を書き換えているのか」
琥珀色の瞳が、まっすぐに俺を捉えた。
「ですが、今は時間がありません。修正パッチの報告によって、あなたの存在は外に知られました。もう、隠れてはいられません」
「……次は、何が来る」
「わかりません。ですが、今夜、別のことが起きます」
なむの尻尾の光が、一度だけ強く瞬いた。
「南の隣村、エルム村で。また、人が消えます」




