↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
world hack @  作者: ものび
PR
3/13

第3章 こんにちは、テストです

「森、ですか?」

 朝食の席で切り出すと、リタは目を丸くした。

「北の森に、薬草を探しに行きたいんだ。病み上がりの体にいいって、本で読んだから」

「駄目です! 北の森は、領民も近づかない場所なんですよ」

「どうして?」

「出るんです」

 リタは声をひそめた。

「森に入った人が、同じところをぐるぐる回って出られなくなったり、鳥がずっと同じ調子で鳴き続けていたり。村の年寄りは、あそこは神様に見捨てられた森だって」

 同じところを回る。同じ調子で鳴く鳥。

 俺の頭の中で、二つの言葉が結びついた。

 ループ処理。それに、移動判定の不具合。

「……やっぱり行く。昼までには戻るよ」

「アルト様っ!」

 リタは最後まで渋ったが、結局、昼食の包みを持たせてくれた。父には「薬草探し」で通した。黄金色の麦畑の一件以来、父は俺のすることに口を挟まなくなっていた。

 北の森は、屋敷の裏手から半刻ほど歩いた先にあった。

 一歩踏み込んだ瞬間、違和感が首筋を撫でた。

 木が、同じなのだ。

 枝の分かれ方も、幹の瘤の位置も、まったく同じ樫の木が等間隔に並んでいる。三本目で気づき、五本目で確信した。一本のモデルを、コピーして貼り付けている。

 鳥の声がした。チチチ、チチ。三秒の沈黙。チチチ、チチ。三秒の沈黙。寸分違わぬ間隔で、同じ鳴き声が繰り返される。

 少し先では、一頭の鹿が木の幹に向かって歩き続けていた。脚は動いているのに、体は一歩も前に進まない。当たり判定に引っかかったまま、足踏みを続けている。

「……ひどいな、これ」

 思わず笑ってしまった。笑うしかなかった。

 これは、俺たちの手抜きの跡だ。

 思い出した。『LOGOS ONLINE』の開発初期、王国の北側には何もない空き地があった。そこを俺たちは、機能テスト用の「サンドボックス」として使っていた。新しい木のモデルを置いてみる。鳥の鳴き声を鳴らしてみる。鹿の歩行を試してみる。

 正式サービスの前に、その区画は「北の森」として背景用のマップに流用された。テスト用のオブジェクトを、きちんと片付けないまま。

 あなたが忘れた子が、そこにいます。

 NUMの言葉が、胸の奥で重みを増していく。

 テスト用の区画に、俺が置いて、忘れたもの。心当たりは、ありすぎた。

◇

 森の奥へ進むと、木々が途切れ、小さな円形の広場に出た。

 地面に、淡く光る円が描かれている。

 スポーン地点。キャラクターの出現位置を示す、開発用のマーカーだ。本来なら、プレイヤーの目に見えるはずのないものだった。

 その円の真ん中に、少女が立っていた。

 両腕を真横にまっすぐ伸ばし、足を揃え、正面を見つめたまま、微動だにしない。

 ──Tポーズ。

 3Dモデルの、初期姿勢だ。

「……嘘だろ」

 少女の髪は、白に近い銀色だった。ただし毛先だけが、目に痛いほど鮮やかなマゼンタに染まっている。

 マゼンタ。ゲーム開発者なら誰でも知っている色だ。テクスチャの読み込みに失敗した時、代わりに表示される警告色。

 白い簡素なワンピースの裾と袖口には、マゼンタと黒の市松模様が入っている。これも、欠損テクスチャの定番の模様だ。

 首元で、小さな金属のタグが光っていた。

 刻まれている文字は、遠目にも読めた。

 《test_07》

 記憶の蓋が、音を立てて開いた。

 十一年前。会話システムの検証用に、俺が作ったテストキャラクター。七番目だから、test_07。見た目は既存の素材の寄せ集めで、台詞は全部仮のもの。正式実装の前に消すつもりで、ここに置いた。

 そして、消し忘れた。

 少女の首が、かくりと動いた。

 両腕がゆっくりと下がる。左右で色の違う瞳が、俺を捉えた。右は深い紫。左は、色が設定されていない初期値の灰色だった。

 少女は、抑揚のない声で言った。

「こんにちは、テストです」

 ……そうだ。そういう台詞を入れた。

「この台詞は、正しく表示されていますか?」

「……表示されてるよ」

「確認しました。ありがとうございます」

 少女はぺこりと頭を下げた。下げすぎて、額が膝につきそうになった。角度のパラメータを、たぶん間違えて入れている。

「テスト、テスト。音声の再生テスト中です。聞こえていますか?」

「聞こえてる」

「確認しました。ありがとうございます」

 また、深すぎるお辞儀。

 俺は額を押さえた。笑えばいいのか、謝ればいいのか、わからない。

 手袋をはめた手を握り、小さく呟く。

「@root」

 時間が延びる。手袋の縫い目から、回路の光がかすかに漏れた。

「look test_07」

 《object: test_07(テスト用NPC)》

 《HP: 1 / 防御力: 99999》

 《所持品: テスト用の剣 ×99、テスト用のりんご(食べられません) ×1》

 《役割(role): null》

 《好感度: 未設定》

 《状態: 待機中(命令元: @root)》

 《削除キュー: 登録済み ── 登録元: [external]》

 最後の一行で、笑いが引っ込んだ。

 削除キュー。外部の何者かが、この子を消す予定に入れている。

 役割を持たないNPC。どの物語にも、どの仕事にも属さない存在。この世界を書き換えている「外部」から見れば、彼女はただのバグだ。

◇

 そして、もう一つの行が、俺の胸を刺した。

 待機中。命令元、@root。

 俺だ。

 テストの最終日、俺はこの子に「ここで待機」というコマンドを打ち込んだ。翌日に続きをやるつもりで。だが翌日は仕様変更の対応に追われ、そのまま忘れた。

 俺は「exit」と呟いてコンソールを閉じ、少女に向き直った。

「……ずっと、ここで待ってたのか」

「質問の意味を確認します。待機時間についての質問ですか?」

「ああ」

「待機時間を測定する機能は、実装されていません」

 少女は首をかしげた。かくり、と、少しだけ角度が大きすぎる動きで。

「ですが、空が暗くなって明るくなる回数を、数えていました。数える機能もありませんでしたが、数えていました」

「……何回だ」

「十万を超えたあたりで、数字が桁あふれしました」

 息を呑んだ。

 十万日。三百年近い。

 現実では、俺がこの子を置いてから、十一年しか経っていない。

 広場の端に、見上げるほどの大樫がそびえていた。幹は、大人が五人で囲んでも足りないほど太い。

 覚えている。あれは、俺が成長アニメーションのテストのために置いた、苗木だった。

 この世界の時間は、現実よりもずっと速く流れている。

 誰かが、時計の針を回している。何のために。

 手帳に書き留める指が、わずかに震えた。

 《世界の時間:現実より大幅に速い。苗木→大樹。test_07の待機:十万日以上》

 《時間を加速しているのは、外部か》

 俺は手帳を閉じ、少女の前に立った。

「ごめん」

「謝罪の意味を確認します。謝罪の対象は、何ですか?」

「待たせたことだ。ここに置いて、忘れたことだ。……全部、俺のせいだ」

 少女は、しばらく俺の顔を見ていた。紫と灰色の瞳が、何かを読み取ろうとするように、まばたきもせずに。

「該当する返答が、登録されていません」

 そう言って、少女は首元のタグに触れた。

「代わりに、質問します。待機命令は、まだ有効ですか?」

「……いや。解除する。もう待たなくていい」

「待機命令の解除を確認しました」

 少女の肩から、ふっと何かが抜けたように見えた。気のせいかもしれない。表情は、少しも変わっていないのだから。

「次の命令を、ください」

「命令はしない」

 俺は首を振った。

「代わりに、名前を呼ばせてくれ。test_07だから……ナナ。仮の名前だ。本当の名前は、いつか自分で決めればいい」

「ナナ」

 少女は、その音を確かめるように繰り返した。

「ナナ。……登録しますか?」

「君が嫌じゃなければ」

「嫌、という感情パラメータは、未設定です」

 そう言いながら、ナナは俺の上着の袖を、指先でつまんだ。

 離さないように。もう、置いていかれないように。

 その仕草は、俺が書いたどの動作データにもないものだった。

 その時だった。

 チチチ、チチ。三秒ごとに繰り返されていた鳥の声が、ぷつりと途切れた。

 森が、静まり返る。

 木々の隙間で、何かが白く光った。一つ、二つ、五つ。

 白い甲冑をまとった騎士たちが、音もなく森の中に立っていた。兜の奥には、顔がない。ただ、のっぺりとした白い面があるだけだ。

 視界の端に、呼んでもいないコンソールが勝手に開いた。

 《[修正パッチ] 削除対象 test_07 を捕捉》

 《[修正パッチ] 不明な権限保持者を検出。照合を開始します》

 ナナが、俺の袖を握る指に、ほんの少し力を込めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。