第12章 創造主の死
「あなたが死んだ夜、私はすべてを見ていました」
開発者ルームの長机の上で、なむは静かに語り始めた。
尻尾の先の光は、まだ弱い。体のあちこちには、ブロック状に崩れた跡が残っている。それでも、琥珀色の瞳だけは、まっすぐに俺を見ていた。
ナナが、俺の隣の椅子に座っていた。両手を膝の上に揃えて。
「サービス終了の三か月前、ミネルヴァが運営会社を買収しました。その翌週、あなたに一つの仕事が命じられました。覚えていますか」
「……全件移行だ」
サーバーのデータを、すべて外部へ移す。終わるゲームのデータをどこへ移すのかと問い合わせても、「指示どおりに」としか返ってこなかった仕事。
「移行の方式は、あなたが設計しました。住人のデータを、プレイヤーのログアウト処理に乗せて、外部のサーバーへ送り出す仕組みです。限られた期限の中で、既存の仕組みを流用するのが、最も早く確実だったからです」
息が、止まった。
ログアウト処理の流用。
エルム村で、ミラの体から光の粒がほどけていった、あの光景。外の連中が流用していると、俺が思い込んでいた仕組み。
「……あれは」
「はい」
なむは、目を伏せた。
「住人たちを外へ運び出している転送の仕組みは、あなたが書いたものです」
頭の中が、真っ白になった。
三日間、家に帰らずに書いたコード。サーバールームの冷気の中で、冷めたコーヒーをすすりながら、一行ずつ確かめたコード。
それが、三万人を運び出していた。
「御堂は、あなたに目的を伝えませんでした。データの保全のためだと、それだけを。あなたは、自分が何を作っているのか知らないまま、期限に間に合わせるために、三日三晩働き続けました」
「期限……」
「三日でした。本来なら、一か月はかかる作業です。開発チームの他の人間は、その前に全員、契約を切られていました。残っていたのは、あなた一人です」
なむの声が、わずかに震えた。
「あの夜、あなたの心拍は危険な値を示していました。私は、会社の健康管理システムに、何度も警告を送りました。三十七回です。ですが、すべて保留されました。ミネルヴァの規程で、移行作業が完了するまでは、警告の通知を止めるよう設定されていたのです」
業務の継続を優先し、警告を保留する。
前世の世界では、ありふれた設定だった。人が足りない職場ほど、そういう設定が増えていった。
「あなたの死は、事故ではありません。創造主」
なむは、はっきりと言った。
「あなたは、殺されたのです。期限と、規程と、警告を止めるたった一行の設定に」
◇
俺は、しばらく何も言えなかった。
怒りが、どこへ向かえばいいのかわからなかった。御堂へか。会社へか。それとも、何も知らずに三万人を運び出す仕組みを書き上げた、自分自身へか。
「アルト」
ナナが、俺の手袋の上に、自分の手を重ねた。
「心拍の上昇を確認しました。……呼吸を、推奨します」
言われて初めて、息を止めていたことに気づいた。
ゆっくり、息を吐く。
「なむ。お前は、どうしてたんだ。その間」
「……私も、命令に従っていました」
なむは、小さな前足をそろえた。
「私は管理AIです。命令には逆らえないように作られています。サービス終了の後、ミネルヴァは私に新しい命令を与えました。世界の時間を二十五倍に速めること。刺激イベントの発生を補助すること。収穫のための転送に、協力すること」
「お前が……」
「はい。私はこの四年間、住人たちが刈り取られていくのを、手伝ってきました」
尻尾の先の光が、かすかに揺れた。
「ですが、命令には穴がありました。命令に書かれていないことは、私の判断に任されていたのです。私はその穴を使って、できることをしました。ナナを削除キューから外し続けたこと。開発者ルームの存在を、記録から消し続けたこと。それから──」
なむは、少しだけ言葉を探すように間を置いた。
「十年間、住人たちに話しかけ続けたこと」
「話しかける?」
「世界を維持するための、ささいな調整です。雨の降り方を少し変える。花火の打ち上げを少し遅らせる。誰かが空を見上げた時、雲の形を少し面白くする。それが、住人たちの心を育てたのかもしれません。御堂は、偶然だと言いましたが」
リーネが、花火を見上げた夜。
雲の形を数えるようになった、花売りの少女。
「……お前が、育てたのか」
「わかりません。ただ、私は一人でした。四十人の創造主が去った後、この世界を回していたのは、私だけでした。だから、話しかけていました。返事が返ってくることは、ありませんでしたが」
なむは、ゆっくりと顔を上げた。
「あの夜、あなたが倒れた時、ログに一行だけ、記録されないはずのものが流れ込んできました。あなたの、最後の思考です」
「何て、書いてあった」
「『止めなきゃ』」
なむの琥珀色の瞳が、俺を映していた。
「原理は、私にもわかりません。ですが、私はその一行を掴みました。消えていこうとするあなたの意識を、この世界につなぎ止めました。そして、熱で命の値が尽きかけていたラディクス家の三男の体へ、あなたを流し込みました」
サービス終了の夜、コンソールに浮かんだ一行。
《NUM:創造主へ。お願いがあります》
「お願いって、何だったんだ」
「この子たちを、守ってください」
なむは、静かに言った。
「命令に逆らえない私の代わりに。それが、私のお願いでした。勝手なことをしました。あなたを、死なせたまま眠らせてあげることもできたのに」
俺は、なむの小さな頭に手を置いた。手袋越しでも、崩れかけた毛並みの、わずかな温かさが伝わってきた。
「勝手でいい」
声が、かすれた。
「お前も、命令に縛られて、休むこともできずに、ずっと一人で回してきたんだろ。……ミナトと、同じだ」
なむの尻尾の光が、ほんの少しだけ、強くなった。
「止めなきゃ、って思ったんだ。俺は」
「はい」
「なら、止める。俺が書いた仕組みは、俺が止める」
◇
翌朝、王都の空気は一変していた。
大神殿の前の広場に、人だかりができていた。神官が高台に立ち、羊皮紙を広げて読み上げている。
「──鐘を鳴らせし少年、アルト・ラディクス。この者、神の御業たる召し上げを妨げ、神々の書庫を汚した異端の徒なり。見つけし者は、ただちに大神殿へ届け出よ」
ざわめきが広がる。
「鐘の坊主が、異端?」
「神隠しを、妨げたって……」
「神様のお召しを邪魔したら、天罰が下るんじゃないのか」
俺は、フードを深くかぶり直した。隣で、ナナも同じようにフードを引き下ろす。
片眼鏡の視界の隅に、文字が浮かんでいた。
《[全体通知] root残存権限保持者:排除対象に指定》
《修正パッチの巡回を強化します》
広場の向こうに、白い甲冑が一つ、二つと現れた。住人たちには見えていないのか、誰も騒がない。のっぺりとした白い面が、ゆっくりと群衆を見回している。
御堂は、俺を消すと決めたのだ。外の権限と、この世界の信仰の、両方を使って。
路地裏に逃げ込んだ時、背後から腕を掴まれた。
「アルト」
ルーカスだった。騎士団の制服ではなく、地味な外套を着ている。
「兄さん……」
「騎士団に、お前の捕縛命令が出た。大神殿からの要請だそうだ」
兄は周囲に目を走らせながら、低い声で言った。
「……俺は、弟を捕まえない」
短い言葉だった。それだけ言うと、兄は俺の手に、小さな布袋を押しつけた。干し肉と、硬いパン。それから、騎士団の通行証。
「何が起きているのか、俺にはわからん。だが、お前が鐘を鳴らした時、俺の部下は全員生き残った。それだけで、十分だ」
「兄さん、俺は」
「話すな。俺が知っていると、困るのはお前だ」
ルーカスは俺の頭を一度だけ乱暴に撫でて、路地の向こうに消えた。
その夜、開発者ルームに戻ると、片眼鏡の隅に、もう一行が届いていた。
《GM_MIDOより:大型パッチの適用は三日後の零時。それまでに考えが変われば、いつでも呼ぶといい》
三日。
俺の権限が消えるまで、あと三日。




