勝利の彗星
「うう……ううう………」
望が丘高校剣道部主将の東条玲香は、泣きそうな顔で試合をしていた。
今日の試合は勝ち抜き戦。
先鋒、次鋒、中堅、副将、大将と順に試合をしていくルールだが、勝てば試合場に残って次の相手選手と対戦する。負ければ下がって次の選手と交代する。
そして自分は副将だが、いま相手の先鋒の選手と試合をしている。
望が丘高校剣道部は相手の先鋒選手にあっさりと三人倒され、四人目である自分も既に一本取られており、今にも負けそうなのだ。
(スイ〜……)
玲香はただ一人、未だに現れない大将に望みを託していた。
顧問の田中先生も、先に負けた3人も、後ろで応援している控え部員も。
全員が諦めている。
その証拠に最初は少しだけあった声援はなくなり、今はため息しか聞こえない。
(でも私が粘ってたら、もしかしたら間に合うかも……)
そんなことを考えているのは自分一人だろうとわかっていたが、それでも玲香は諦めたくはなかった。
「あぐっ!!」
彼女は相手選手に押されて仰向けに倒れ、大会会場の天井を見上げた。
(みっともない……)
昨日、田中先生から相談された。
スイを大将に置くか、替えるか。
スイは見るからに調子が悪そうだったし、剣道どころじゃなかった気もする。
それでも自分は、スイ以外が大将をやるのは嫌だと思って田中先生を突っぱねた。
親友を信じた。
その結果が、この有様。
中村水は試合会場にすら現れなかった。
(あーあ……もうこのまま寝ていようかな……)
天井を見上げていれば、強い対戦相手も、諦めた部員たちも見なくて済む。
もう一人で戦うのは、疲れた。
「えっ……?」
そんな玲香は試合会場の天井付近に──
「なに……あれ……?」
──ひと筋の、彗星を見た。
その彗星は観客席の方へと飛んでいき、消えた。
(屋内で彗星……流れ星を見るなんて……)
「私ももうダメだな」と思って玲香は立ち上がり、試合を再開した。
心が折れた彼女は勝てるはずも、それ以上粘れるはずもなく、あっさりとポカンと面を打たれて負けた。
(はあーあ、もういいや。大将戦は不戦敗だし、さっさと帰ろ……)
玲香は対戦相手に礼をして、コートから出た。
「お疲れ。あとは任せて」
「へっ……?」
玲香が振り向くと、そこには一人の少女が立っていた──
「えへへ、ごめん。ちょっと遅刻しちゃって。急いで防具付けるね」
──ずっとずっと待っていた、親友のスイ。
髪はボサボサ、胴着袴には着替えているけど防具も付けていない。
「もう!!何やってたの!!!」
「えへへ、ごめんね。寝てた」
玲香は目尻に涙を浮かべながら、彗の頭をパンと叩いた。
しかしその顔は笑顔で、彼女が安心しきっているのがわかる。
中村水の突然の登場は他の部員にとっても予想外のことであり、一気に彼らの顔つきと空気が変わった。
そしてそれは望が丘高校だけでなく試合会場全体にも伝播する。
「中村水だ」
「遅刻か?」
「あいつヤバいらしいぞ」
「それよりなんかさっき天井に流れ星飛んでなかった?」
「そんなわけないだろ。ここ屋内だぞ」
「中村水」はこの地域最強の女子高生剣士で、スーパースター。
公式戦ではないこの大会では、周囲のチームも中村水を一目見ようと、そしてできれば戦いたいと考えてここに来ていたのだ。
緊張と期待の視線が、中村水に集中する。
「試合、今どんな感じなの?」
彗は自分の防具を付けながら、後ろで髪を結んでくれている玲香に声をかけた。
「相手の先鋒に四人抜きされた。あなたが負ければ終わり。引き分けもダメだからね」
「えーと、どういうこと?」
「あなたが五人全員倒せば私たちの勝ち!!わかった!?」
「おー、分かりやすくていいね!」
彗は面紐を結び終え、立ち上がった。
そして準備運動がわりに、空中で三回転するバック宙返りを何度か行い、コートの淵に立った。
彼女のあり得ない「準備運動」に会場中がどよめいたが、望が丘高校の部員たちはいつものことなので気にしていない。
彗は試合会場に入り、相手選手と向かい合って膝を曲げて腰を落とし、蹲踞をした。
「始めっ!!!」
審判の声が響いた瞬間──蹲踞していた中村水は、消えた。
そして中村水が再び姿を現したとき、彼女は相手選手の面を竹刀で叩いていた。
パァンッ!!
三人の審判のうちの一人、主審を務めていた東条忠雄が最初に赤い旗をあげ、遅れて副審の二人が旗をあげた。
東条はこの地域で有名な剣士の一人なので、この大会には審判として来ていた。
「面ありっ!!」
彼女の「面」は素晴らしい速さと強さであったが、誰も歓声をあげなかった。
人は「見えないもの」に対しては、「すごい」とは声をあげられないからだ。
「二本めっ!!」
パァンッ!!
東条の声が響いて試合が再開すると、彗は先ほどと同じように超スピードで相手の面を叩いた。
中村彗が一本目とほぼ同じ動きをした結果、それを見ていた観客たちはようやく彼女の動きを目で追うことができて、歓声をあげた。
「面あり!勝負あり!!」
中村水の一戦目が終わった。
彼女の動きは電光石火というよりは、神速と呼ばれるほどの素早さであった。
──────────────────
「いやー、まさかあそこまで崖っぷちの一回戦から優勝するなんて!望が丘高校剣道部初の『団体優勝』だ!」
顧問の田中は小さな優勝トロフィーを持って、嬉しそうに歩いていた。
結局、二回戦以降も望が丘高校は先鋒から副将までは全員負けて、大将の彗が相手チーム全員を倒すという動きを決勝戦までやった。
「ねえ、これで望高の『団体優勝』って変じゃない?私の『超個人優勝』とかじゃないの?」
「いいのいいの!ほら、遅刻した分だよ!ねっ!」
そう言って笑う玲香は嬉しそうに彗の背中をバンバンと叩いた。
玲香は優勝したことも嬉しかったが、親友が元気を取り戻したことも嬉しかったのだ。
「私、主将を任されたときに『団体戦で優勝したい』って抱負を立ててたんだけど……今日達成できてよかった!」
「ねぇ、もう一回聞くけど私たちが今日勝ったのは『団体戦』なの?なんか私以外の四人、全員10秒ぐらいで負けてたよね?」
「いいのいいの!ほら、賞状に『望が丘高校剣道部 優勝』って書いてあるもん。学校の武道場に飾ろ!!」
玲香はそれを大切そうに持って走り、どこかに行ってしまった。
「彗、お疲れ」
「あ、お兄ちゃん」
彗が観客席で防具の片付けをしていると、宵が声をかけてきた。
「試合……すごかったな。でも決勝の大将戦だけは少し危なかったか?」
「まあそりゃ、25戦目だからね。私の気分はマラソンランナーだったよ。相手もマウンテンゴリラみたいなおじさんだったしね」
彗が決勝戦で戦った相手は「山御理」という20代の剣士で、少し老け顔な彼の鍛え上げられた腕は彗の腰ほどの太さであった。
「ああ、あの人が持つと竹刀が爪楊枝みたいに見えるな」
彼はこの辺りの地域では東条忠雄に次ぐほどの実力者であったが、彗は最後に捨て身の上段構えで彼から一本を奪い取り、なんとか勝利した。
「今日はお祝いのケーキといくか」
「え!?ほんと!?お金は大丈夫なの!?」
「ああ。それぐらいならな」
「やった!じゃあチョコケーキね!切り分けはいつもの通りね!!」
「はいはい、お前が80%一人で食うんだよな」
「そうそう!」
「あれは切り分けというより、俺がもらえる分だけを切り抜いてる気がしてるよ俺は」
「やったやった!早くケーキ屋さん行こ!」
彗は嬉しそうに笑いながら、宵の腕を掴んだ。
兄妹は幸せだった。
玲香は目標であった団体優勝を達成し、他の部員たちも幸せだった。
「中村水」に密かに思いを寄せている山御理も、彼女と試合ができて幸せだった。
そしてこの試合会場で中村水の奇想天外な剣道を見ることができた者たちも、みんなが幸せだった。
──その幸せな日常が、今日で終わるとも知らずに。




