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SS:未希の兄に会う(加奈子)

 スマホの地図アプリに住所を入れると、方向音痴の私でも『岸田』と表札のかかった一軒家を探しだすことができた。

 岸田家はそれほど大きくないけれど、庭にはカモミールやエキナセアが植えられていて、とても幸せそうな家庭に見える。

 表札には姓しか書かれていないが、未希さんの家に間違いないと思った。


 恐る恐る玄関のベルを押してみる。この期に及んで、ここまで来たことを少し後悔していた。こんな手紙を見せると、未希さんのお兄さんにいきなり怒鳴られてしまうのではないか。誘拐犯の仲間だと思われて警察に突き出されてしまうかも。そんな心配が過る。

 ポストに手紙を入れてこのまま帰ってしまおうかと思っていたのに、玄関のドアが開いてしまった。


「どなたですか?」

 ドアの隙間からこちらを覗いているのは、不審そうな目をした三十歳前くらいの男性だった。普通の人のようで少し安心する。

「岸田聡さんでしょうか?」

「そうですが」

 やはり間違いなかった。この男性は未希さんのお兄さんに間違いない。

「未希さんからの手紙を預かっております、江藤加奈子と申します」

「未希からの手紙? 君は何を言っているのか! 悪ふざけにも程がある!」

 岸田さんは手紙を見せる前に怒り出した。なぜ? 未希さんは行方不明になっているのではないの? 少しでも情報が欲しいところにあんな手紙を持ち出せば怒られるもと思ったけれど、未希さんの名前を出しただけで怒り出すとは想定外だった。


「私は本当に未希さんから岸田聡さんへの手紙を渡すように頼まれたのです。ふざけているわけではありません」

 そう言うと、岸田さんは益々不機嫌になった。

「悪ふざけではないというのであれば、家へ上がってください。ここでは何ですので」

 見ず知らずの人の家に上がり込むのは抵抗があった。玄関でこんなやり取りをしていても誰も出てこないので、家の中には岸田さん一人かもしれない。そう思うと、やはり少し怖い。

 でも、このまま帰るわけにはいかない。私に手紙を託すしかなかった未希さんの心情を思うと、少しでも岸田さんを安心させてあげたいと思う。


 玄関を上がりすぐ横のドアを開けると、そこは六畳の和室だった。長方形の座卓と、立派な仏壇が置いてある。そして、その横の鴨居に三枚の写真が飾られていた。右側から岸田さんに似た中年の男性、未希さんより年上の女性。そして、制服を着た中学生らしい女の子だ。

「妹の未希は、十年前に両親と一緒に交通事故に遭って亡くなっている。妹はまだ中学生だったんだ」

 岸田さんは悔しそうに制服の少女を指差した。確かに未希さんに似ているかもしれない。でも、そんなはずない。あるわけない。


「そ、そんな馬鹿な! 私は確かに未希さんに会いました」

 そう主張すると、岸田さんの表情が少し柔らかくなった。

「妻の嫌がらせだと思ったのだが、君は何も知らないのだな。その未希から預かったという手紙を見せてもらっていいか?」

 岸田さんは座布団を座卓の前に置き、座れと勧めてくれた。その座布団に座ってトートバッグから封筒を取り出し、同じく座布団に座った岸田さんに渡す。


「ここまで病んでいたなんて。もう無理かもしれない」

 そんな風に怒りながら、岸田さんが手紙を座卓に叩きつけたので、慌てて回収する。未希さんからの最後の手紙なのだから大切にしないと。

「あ、あの? どういうことなのでしょうか?」

「僕たち夫婦の事情に君を巻き込んでしまったみたいだね。本当に申し訳ない。未希だと嘘をついて、この手紙を君に渡したのは僕の妻だと思うんだ」

「そんなことはありません!」

 私は慌てて否定した。本当に未希さんから預かってきたのだから、それだけは信じてほしい。


「最近、僕の妻はこの家に妹がいると言い出してね。妹に虐められて怖い。だから、この家を売って他の家に引越したいと言うんだ。この家は両親が遺してくれたもので、僕には思い出の詰まったとても大切な場所だ。売るなんてとてもできない。それで、夫婦仲が上手くいっていなくてね。先日も、家に帰ると、妹に押し倒されたので流産したと妻が泣き喚いていた。病院に連れて行っても妊娠などしていなくて、ただの妄想だった。少し距離を置いた方がいいかもと思って、今は妻と別居中なのだが、実家へ帰っておとなしくしていると思っていたら、こんな手紙を書いていたなんて。こうすれば、この家からミキがいなくなるとでも思ったのだろうか? こんな手紙で僕が妹を忘れてしまうと」

 岸田さんはこの手紙を書いたのが奥さんだと思っているらしい。


「本当に未希さんは亡くなっているのですか?」

「こんな冗談を言うはずないだろう!」

 それはそうだ。冗談でも家族が死んだなんて言うはずない。

「失礼なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした。未希さんとは仲の良いご兄妹だったのですね」

「いや、妹は中学生で僕は大学生だったからね。あまり仲が良いとは言えなかった。祖父の従兄が死んで、両親がその葬式に参列するため田舎に帰ることになった時、母は面識のなかった妹を置いて行こうとしたんだ。でも、三日間も妹の世話をするのが嫌で、僕は未希を連れていけと言ったんだ。サークルとバイトで忙しいからと。僕は本当に馬鹿だった。あの時、未希だけでも引き留めていれば、今頃元気で生きていたのに」

 岸田さんは悔しそうに膝の上で手を握りしめていた。その手が小刻みに震えている。


「僕は罪悪感のため妹を忘れることができない。その想いが妻を追い詰めたのだろう。こんな馬鹿な小細工をして、無関係な君まで巻き込んでしまった。僕も悪かったと思うけれど、これ以上一緒に暮らすのは無理だ。妻とは離婚しようと思っている。君には本当に迷惑をかけて申し訳ない」

 岸田さんは何度も私に謝った。

「いいえ、私は、迷惑だなんて思っていませんから」

 私がここに来たことで岸田さんに離婚を決意させてしまったみたいだ。本当にこれで良かったのだろうか?

 でも、この家には未希さんの思い出も詰まっているはずだ。ここを売るのは未希さんだって嫌なはず。


「この手紙はいただいて帰ってもいいですか?」

 後で奥さんが用意したものでないとばれるのは不味いし、未希さんの最後の手紙を偽物だとぞんざいに扱われるのも可哀想だ。せめて、私が大切に持っていてあげようと思う。

「ああ、そんな手紙を持ち出して離婚を有利に進めようとは思わない。妻の恥になるから、処分しておいてくれ」

 そうお願いされたけれど、もちろん処分はしない。


「心の中の未希さんを大切にして差し上げてください」

 未希さんはあれほどお兄さんに会いたがっていた。その想いを潰したのは私。そして、不思議なことに未希さんが生きていた十年分が消えていた。せめて、お兄さんの中に残っている未希さんの思い出を大切にしてもらいたい。

「わかっているよ」

 硬かった岸田さんの表情が少し柔らかくなった。

 それは私が言うまでもないことかもしれない。


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