SS:王子様じゃなかった(加奈子)
「本当にお邪魔しました。お騒がせして申し訳ありません」
未希さんのお兄さんに手紙を渡すという目的は果たしたので、さっさと帰ろうと思った。岸田さんには手紙を書いたのが奥さんだと思われてしまい、未希さんの思惑とは違うかもしれないけれど、私にはこれ以上どうしようもない。
未希さんが十年前に亡くなっている以上、彼女の手紙だと言い張っても信じてもらえるはずがない。更に奥さんへの疑惑が増すだけだ。
岸田さんの奥さんと未希さんの間に何かあったようだし、未希さんの手紙が離婚の引き金になったのなら、それは彼女の願いだと思うことにする。とにかく、岸田さんにはもっといい女性と再婚して幸せになってもらいたい。
それにしても、未希さんが十年前に死んだことになっていたなんて、とても信じられない思いだった。それは、未希さんがあの世界に残ることを選択したからに違いない。行方不明になって家族に心配をかけるよりもいいのかもしれないが、やはりショックだ。
未希さんは絶対にあの世界から戻ってくることができないのだと決定してしまったのだから。この世界に彼女の居場所はもうどこにもない。
もし、未希さんが帰還して私が残されたのなら、私はあの時自殺したことになっていたのだろうか? それとももっと小さい時に死んでいた? そんな想像をすると、とても怖かった。もう二度と、この世界からいなくなりたいなどとは思わない。
あんな世界に行くのは絶対に嫌だ。
そんなことを考えていると、いつの間にか我が家の近くまで帰ってきていた。そして、会いたくない人物の一番目と二番に遭遇してしまう。それも二人一緒だ。駅の方へ引き返そうと思ったけれど、目が合ってしまったので、今更何事もなかったように立ち去ることもできない。
「加奈子、どこへ行っていたのよ! 家まで会いに行ったのに。急にいなくなるから心配したのよ」
そう言ったのは三軒隣に住む沙耶だ。一歳上の幼馴染は、華やかな雰囲気で男性にとても人気がある。そして、意図的に私の彼を奪っていくのだ。
「そうだよな。俺も心配していたんだ」
そんなことを言うのは、今朝まで付き合っていると思っていた陽介だ。
今朝、八時前にメッセージアプリで陽介に朝の挨拶をした。いつもはすぐに返事が来るのに、一時間経っても既読がつかない。十時近くになっても返事がなく、心配になって彼の住むアパートに会いに行ったのだ。どうせ十一時に家まで迎えに来てくれる約束をしていたので、別に少しくらい早くても構わないと思った。
しかし、玄関ベルを押すと、玄関のドアから顔を出したのは気怠そうな沙耶だったのだ。
「あら、加奈子じゃない。陽介に何の用なの? こんなに早い時間に訪ねて来るなんて、相変わらず気が利かないわね」
沙耶はキャミソールしか着ていなかった。
「もう十時だけど」
頭が働かないままに、そんな間抜けな受け答えをしていた。
「沙耶、誰か来たのか?」
シャワーを浴びていたらしい陽介が、バスタオルで髪を拭きながら現れた。上半身は裸のままだ。
いくら鈍くても、二人の間に何があったかなんてわかる。
「加奈子? 今日は会う予定だったか? あっ! 映画に誘われていたんだっけ? ちょっと興味があったから受けてしまったけれど、沙耶と付き合えるようになったから、断ってもいいか?」
そんな陽介の言葉を最後まで聞かず、私は彼のアパートから逃げ帰ってしまったのだった。
陽介は私と同じ大学の違う学部に所属している。同じ二年生だけど彼は一年浪人しているので一歳上だ。沙耶は私たちの大学のすぐ隣にある女子大に通っている。共通のサークルも多いので、二人が知り合いであってもおかしくはないけれど、でも、納得はできなかった。
大勢の中でもすぐに見つけ出せるほど、陽介はキラキラした王子様のような人だと思っていた。
一年生の時から憧れていて、三か月前に告白してやっと付き合えるようになった。先月にはキスをしてもらって、そろそろ、体の関係になるかもしれないと覚悟していたのだ。
それは私の勘違いだったの? 陽介の中では映画や遊園地に付き合うという意味しかなかったのだろうか?
とても辛くて、受け入れがたくて、私はこの世界から消えてなくなりたいと思いつけていた。
「ねえ。誤解しないで。陽介とは高校の同級生で、前から知り合いだったのよ。別に加奈子の彼を取ったわけではないからね」
ぼんやりと今朝のことを考えていると、沙耶が焦れたようにそう言った。それは嘘だと思ったけど、もう興味の欠片もない。
「加奈子は彼女じゃないよな。偶に遊びに行く友達だよな」
なぜ、こんな男が王子様のように思えたのだろう? 悲しいほど普通の男なのに。
「そうかも。でも、友達も止めるね。もう陽介に興味がないから」
あの世界の記憶はとても辛いものだったけれど、そのお陰で、沙耶と陽介のことなんて、本当にどうでもいいように感じられるようになっていた。
あの世界の聖騎士たちと陽介とでは、スタイルも顔も違いすぎる。なぜ、陽介が王子様のように見えたのか、今となっては謎だった。
王子様といえば、文句なしにエヴラールだろう。少し冷たそうな整った容姿の彼を王子様と称しても多くの女性が賛同してくれるはずだ。見惚れるほどの美形というものを思い知った。
聖騎士の中でも一番強いといわれていたモイーズは、長身長で筋肉質。男らしいイケメンだった。男の色気が凄まじかった。
そして、日本人には一番受けそうなのがオディロンだ。聖騎士の中では少し小柄で中性的な顔立ちをしている。年齢不詳で色素が薄く表情もないので、一見酷薄そうに見えるが、未希さんを熱のこもった目で見つめる時の彼は、とても切なそうで目を奪われてしまいそうだった。彼が危険人物だったことには変わりないけれど。
とにかく、陽介が平凡な容姿の男で、性格はクズだということが身に染みてわかった。これからは顔に騙されたりせずに、誠実な男を探そう。
こんな男のために私は死んだりしない。




