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SS:元の世界へ(加奈子)

 ここはどう見ても私の部屋だった。あの時のまま何一つ変わっていない。着ている服も記憶にあるのと同じだ。

 机の上にカッターが一つ置いてある。あの時、死のうと思ったけれど、怖くて手首を切ることができないで泣いていると、見たこともない世界へと召喚されてしまったのだった。

 あれは悪い夢だと思った。辛い現実から逃れるために長い夢を見ていたのだと。


 でも、一番上の便箋に書いておいた母に向けた短い遺書を破り捨てると、何も書いていないはずの二枚目の便箋に文字が現われていた。それは私の字じゃない。

 そして、三枚目には住所と岸田聡という名が書かれていた。差出人名は岸田未希。私をこの世界に帰してくれた人だ。


 その便箋の文字はあの経験が現実だと私に突き付ける。

 震えるほどに怖かった。あの世界のことは思い出したくもない。

 それでも、忘れてしまうことなどできそうにもなかった。


 あの世界で、私は未希さんを殺してしまおうとした。そうしないと、オディロンという不気味な男に殺されると思ったから。

 聖女としての力も、聖騎士たちの信頼も、未希さんが全て奪っていくのだと思うと、本当に怖かった。

 そんな利己的な私をあざ笑うように、未希さんは聖女として覚醒して、魔王討伐を果たした。


 私は聖女を殺そうとした罪人になってしまったのだった。そして、最後の町で牢へ入れられる時、

『聖女を殺そうとした者は、通常ならば処刑でしょうね。でも、貴女さえ望むのならば、私が一緒に逃げて、一生守って差し上げますよ。それが隊長の役務ですから。魔王討伐が終わっても私が生きていればですけどね』

 オディロンはそんなことを言ったが、私にひとかけらの興味もないのが良くわかる物言いだった。

 彼は笑顔で人を殺しそうなほど不穏な空気を纏っている。それでも、私を助けてくれるのなら、彼の手を取ろうと思っていた。


 でも、魔王討伐が終わった時、オディロンは変わってしまっていた。私も含め何にも興味がなさそうだったのに、未希さんを見つめる眼差しに熱が含まれていたのだ。

 もう無理だと思った。愛しい女性を殺そうとした私を一生許すはずがない。そう思うと彼のことが怖かった。


 そんな絶望の中、未希さんは私を帰還させたのだ。

『お兄ちゃんに会いたい』

『お兄ちゃんに謝りたい』

 未希さんはそう言って泣き喚いていたのに。



 彼女の手紙なんて無視してしまいたい。せっかく帰って来られたのだから、あんな世界のことは忘れて、この世界に居場所を作ろうと思う。

 でも、それならば前と一緒だ。傷つけられて、戦わずに逃げて、どうしようもなくなって死んでしまおうとした弱い私と。


 私は変わらなければならない。面倒ごとから逃げては駄目だ。私のためにあの世界に残る選択をした未希さんの願いくらい聞き届けなくては。

 人の手紙を読むのは抵抗があったけれど、彼女の家族へ説明をしなければならないかもしれないので、内容を知っておこうと手紙を手に取った。


『お兄ちゃんへ


 お義姉さんとお腹の赤ちゃんは元気でしょうか? 私はお義姉さんを傷つけるつもりなどこれっぽっちもありませんでした。でも、ぶつかってしまったのは事実ですから、それは謝ります。

 あの時、家を出て行けとのお兄ちゃんの言葉がとても辛く感じ、何も持たずに家を飛び出してしまいました。

 お金もスマホもなく本当に困ってしまいましたが、そんな私を助けてくれた男性がいたのです。彼がいなければ私は死んでいたかもしれません。そんな命の恩人である優しい彼に、私は一瞬で恋に落ちてしまったのです。

 でも、彼はとても困難な状態にあり、急遽この県を離れなくてはなりません。本当に悩んだけれど、私は彼について行くことにしました。

 絶対に幸せになりますので、どうか、しばらく私を探さないでください。

 それと、会社に退職届を出しておいてもらえませんでしょうか。ごめんなさい、手間ばかりかけて。

 今まで本当にありがとう。お兄ちゃんのご恩は絶対に忘れません。


 お義姉さんと、そして、無事ならば赤ちゃんと幸せになってください。

 遠い土地からご多幸を願っています。


     未希より』


 宛先の男性は彼女の兄のようだ。

 この手紙の内容で本当に納得するのだろうか? 詳しく書けないので仕方がないが、これでは余計に心配かけてしまいそうだ。

 最初は郵送で済まそうと思ったけれど、直接届けてみることにした。

 顛末を詳しく聞かれたらどう答えたらいいのかわからず不安になる。それでも、お兄さんを少しでも安心させたいと思う。


 幸い、未希さんの家は電車で二駅の近さだった。今日は日曜日なので岸田聡さんは家にいるかもしれない。もし留守ならばポストに手紙を入れて帰ろう。そう思って封筒に手紙を入れた。


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