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23.別れ

 モイーズはとても温かかった。目を閉じた私をそっと抱きしめて、何度も『愛している』や『幸せにする』と囁く。それだけで、あの辛い記憶が置き換わっていくような気がする。

 今夜だけはこの温かさに縋ってもいいと、私は自分に許した。

 明日になれば彼を自由にしなければならない。



 かなり疲れたためか、私はすぐに寝入ってしまったらしい。目が覚めると、窓から日の光が入ってきていた。庭に小鳥がやってきているらしく、小さな鳴き声が聞こえてくる。

 温もりを感じたので横を向いてみると、モイーズと目が合った。彼は既に起きていたようだ。

「おはよう。ミキ」

 彼の目は嬉しそうに細められる。

「おはよう」

 昨夜のことを思い出すと恥ずかしくて、私は目線を逸らした。


「あの、着替えるからあっち向いていて」

 そう言ったのに、モイーズはまっすぐ私を見ている。

「今更恥ずかしがらなくても、昨夜はミキの全てを見せてもらったのに」

「もうすぐオディロンさんがやってくるの。早く用意をしないと。ほら、モイーズを罪人から解放してもらうから」

「そうだな。ミキ本当にありがとう。ミキが許してくれるなんて思わなかった」

 そう言いながらモイーズは背を向けた。すると、痛々しい焼印が目に入ってくる。

「また、解放の焼印を押されてしまうんだよね」

「俺のことを心配してくれるのか? 今度は小さな焼印だから心配しなくても大丈夫だ。すぐに治るから」

 考えただけでも痛そうだけど、焼印を押さなければ彼はいつまでも罪人のままだ。


 私は毛布を巻いたままベッドを降りて、チェストの中から下着とワンピースを取り出し身に着ける。

「もういいよ」

 そう声をかけると、モイーズも起き上がり服を着た。


「モイーズ、私を優しく抱いてくれてありがとう」

 そして、さようなら。私の初めての人。

「俺の方こそ、俺を選んでくれて本当にありがとう。ミキのこと、一生大切にするからな」

 モイーズの言葉からすっかり敬語が消えていた。元々敬語が不得意そうだったから、これが普段の話し言葉なんだろうと思う。

 モイーズはにっこり笑ってから、迎えに来たオディロンに連れられていった。

 私はこれから先、彼の手を離したことを後悔するかもしれない。それとも、聖女の力を失うためとはいえ、私をレイプした男に身を任せたことの方を悔やむだろうか。

 それでも、この世界に一人残された喪失感をモイーズは埋めてくれた。



 それからしばらくすると侍女長がやって来た。

「私にもっと力があれば、ミキ様はあれほど苦しまなくても良かったのに。申し訳ありません。それなのに、この世界を救っていただいて、本当にありがとうございます」

 私が今日ここを出ていくと知っている侍女長は、私の手を握りながら涙を浮かべている。

「いいえ。侍女長には本当にお世話になりました。侍女長に守っていただかなければ、私はこの世界で生きていけなかったと思います」

 カナコに嫌われて、ここの人たち、皆が私に冷たく接している中、侍女たちだけはずっと優しかった。もし、彼女たちからも冷遇されていて、誰も味方のいない状態になっていたら、私は死を選んでいたかもしれない。

 

「そう言っていただいて嬉しいです。ところでミキ様、護衛にエヴラールを選んだとのこと。大丈夫なのでしょうか?」

 侍女長は井戸に身を投げようとした時のことを知っているので、心配してくれているようだ。

「あいつのこと、こき使ってやるつもりなのよ。何もしないで許すのもむかつくもの」

「そうですね。あんな顔だけの暴行魔、精々酷使してやればいいのです」

 やっぱりこの世界でもエヴラールの容姿は良いと思われているらしい。カナコにも随分と気に入られていたし。

「そうしてやります」

 そう笑うと、侍女長は寂しそうにしながら頷いていた。



「神官長がいらっしゃっています。どうぞ、こちらへ」

 一瞬で仕事中の顔に戻った侍女長に連れられ、神官長が待つ部屋へ行く。最初に神官長に会った部屋だ。あれから、もう五か月近くも経っている。長かったような、それでいてあっという間だったような時が過ぎていた。


「ミキ様。聖女の力を失くされた貴女に、神の祝福が与えられています。貴女が得た祝福は害意ある者を排除する力ですね。我々の結界ほど強い力ではありませんが、貴女を護る手助けにはなるでしょう。これからもずっとお健やかに暮らせますよう、ここの者一同が祈っております。それでは門のところで小さな馬車とエヴラールを待たせています。ミキ様、本当にありがとうございました」

 神官長には神の祝福がわかるらしい。それがどれほどの効力なのかわからないけれど、一人で生きていくには有難い力だ。


「モイーズには私の行き先を言わないでください。彼には私のことを忘れて幸せになってもらいたいの」

「モイーズと幸せになろうとは思わないのですか? この世界の者は、誰だって貴女を幸せにしたいと思っているのですよ。モイーズだって同じ気持ちです。彼を選べば本当に喜ぶ筈です」

 私は黙って首を横に振った。

 望めば私を幸せにしようとモイーズは努力するだろう。でも、それが怖い。彼にとって、この世界を救った私を幸せにするのは義務でしかない。重荷にならないはずがない。

 肉親である兄でさえ、愛する人ができた時、彼女の言葉だけを信じた。

 モイーズだっていつかは愛する人ができるだろう。その時見捨てられるくらいなら、今離れた方がいいと思う。


「わかりました。モイーズを含め、皆には貴女の行き先は内緒にしておきます。それでは、お幸せになってくださいね」

 そう言って、神官長は立ち上がり私の手を握った。柔らかい光が私を包み、浄化魔法をかけてくれたのだとわかった。


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