24.最後の一人
神官長が約束してくれたように、門のところに行くと、二人乗りの小さな馬車が停まっていた。可動式の幌はあるが、座席と御者台の間には壁はなくかなり近い。
御者台に座っているのはもちろんエヴラールだ。彼はかなり戸惑っているようだった。
「俺がミキ様の護衛として南の町へ連れていくと聞いたのですが、モイーズ先輩はいいのですか? 昨晩、モイーズ先輩がミキ様のところへ呼ばれて、あの……、ミキ様は聖女の力を失ったのでしょう?」
モイーズとエヴラールは同じ牢へ入れられていたし、聖女のままではここを出ていくことができないというのは、皆が知っている常識かもしれないけれど、直接的にこんなことを訊かれると本当に恥ずかしい。
「私がこの世界に呼ばれた途端に、モイーズは他の女の名を呼びながら私を抱いたのよ。とても辛くて、悲しくて。だから、上書きしてもらったの。あのままじゃこの世界を好きになれそうになかったから」
「だったら、モイーズ先輩を連れて行けばいいんじゃないですか?」
エヴラールは私と旅をするのが不満なのかもしれない。でも、文句は言わせない。
「聖女だったからとか、被害者だからとか、そんな理由で人を一生縛れると思っていないわよ。それにもう終わったことなの。モイーズを罪人から解放するように頼んでおいたから、彼は自由よ。エヴラールは私と旅をするのは不満かもしれないけど、この旅が終わって落ち着いたら、ちゃんと罪人から解放してあげるから、それまで私を護ってね。私が死ねば処刑されるのでしょう?」
私はちょっと高い位置にある手すりを掴み、体を持ち上げてようやく座席に座ることができた。隣の座席には侍女たちが用意してくれた大きめのカバンが載せられている。荷物はそれほど多くない。エヴラールは浄化魔法を使えるのだ。旅の伴としては最高だった。
「何で俺を選んでくれたのですか? ミキ様を傷つけたのに」
「エヴラールなら、こき使っても文句は言われないと思ったから。私の罪人なのでしょう?」
「そうですか。それでは出発します」
なぜかエヴラールは納得したようだ。手綱を大きく振って馬を走らせた。大きな車輪がゆっくりと回り出す。
「ねえ、ゆっくりと風景を見ながら旅をしたいの。雨の日は宿で休んで、休憩もいっぱいして。少しでもこの世界のことを好きになりたいから」
この世界では辛いことばかりだった。死ぬまでこの世界にいなければならないのに、それでは辛すぎる。大自然や町々を楽しみながら旅をして、少しでもこの世界を好きになりたい。
「了解しました。かなりの金額がミキ様の身分証に振り込まれていますので、費用の心配はいらないし、ゆっくりと行きましょう」
「ごめんね。解放が遅くなるけど」
そう言うとエヴラールは首を横に振った。
地平線まで続く草原はやはり壮観だった。一面の緑の中にも、時折花の色が混じる。黄色だったり、紫だったり。遠くから見るとまるで近代美術のようだ。
それを私が独り占めしている。青い空と澄んだ空気も気持ちがいい。
爽やかな風が頬を撫でていく。
それは贅沢な海外旅行のようだった。
「ミキ様を殺せと命じたカナコを元の世界へ帰して、ミキ様がここへ残られたのはなぜですか? この世界を憎んでいるのでしょう?」
あまりにも同じ風景が続くので、ちょっと飽きてきたところで、エヴラールがそう訊いてきた。彼もさすがに飽きてきたのかもしれない。
「だって、カナコがこの世界に残っても、碌な目に遭わないでしょう? 私なら、こうしてわがままも聞いてもらえるけれど」
「そりゃそうかもしれませんけど、カナコはそれだけのことをしたから。常々ミキ様を虐めていたじゃないですか?」
「カナコをあんな風にしたのは、聖騎士たちにも責任があるのではないの」
カナコを甘やかして、わがままを言い出せば、面倒を見切れないと一人で放置して不安にさせた。カナコは私を憎むことでしか、心の平穏を得られなかったのではないか。
彼女が悪くないとは思わないけれど、こんな世界に残して私が帰っていれば後悔したに違いない。
「それはわかっています。最初にカナコに会った時、とても怯えて泣いていて、見ていられないくらい可哀想でした。それで、俺たちが護らなければと思っていたんです。魔王討伐から逃げるためにモイーズ先輩を誘惑したと思っていたミキ様を俺たちが責めると、カナコは安心したように喜ぶので、いつしか俺たちはミキ様に憎悪を募らせていった。最初の時点で俺たちがミキ様を敬っていたら、カナコだってあんなことをせず、ミキ様と仲良くなったかもしれない。本当に申し訳ありませんでした」
沙耶という女性と私を同一視して恐れ嫌っていたカナコが、私と仲良くしたかはわからない。けれど、あの聖女のために存在する場所の隅々まで私への悪意が行き渡ることはなかったと思う。
「謝られたって簡単に許せないわよ。本当に死ぬくらい辛かったから。聖騎士たちは用済みの元聖女など、死んでも構わないと思っていたのかもしれないけれど」
悪意を受け続けるのは本当に辛かった。私だって毎日泣き暮らしていたのだから。
「そんなこと、俺たちは……」
「この世界の女性は、男性から性的な悪口を言われ続けても、いきなり桶の水をぶっかけられたり、夜中に襲われたりしても、耐えなければいけないの? それとも、私が違う世界から来たから、何をしてもいいと思った?」
「俺は本当に馬鹿だった。あの井戸のところでミキ様が死のうとするまで、俺は貴女がそれほど辛い思いをしていると思わなかった」
「本当に馬鹿よね」
あんなことされても辛くないと思っていたなんて、信じられない。
「それは自覚しています。俺は本当に大馬鹿だ。それなのに、ミキ様は俺たちをあんな方法で治してくれました。ミキ様に何もしていないフィルマン先輩たちだけではなく、貴女を傷つけた俺たちのことまで。あんなに辛そうにして。憎んでいる俺たちのことなんて放っておけば良かったのに」
エヴラールの声はどこか悔しそうだった。
「あんな方法って、傷を直接押さえたこと? やっぱり痛くて嫌だった? 私は普通の治療方法を知らなかっただけで、怪我人に痛い思いをさせるつもりはなかったのよ。誰か本当のことを教えてくれたら良かったのに」
オディロンはあれで良かったと言ってくれたけど、エヴラールには放っておけと言われてしまった。相当痛かったのに違いない。
「ミキ様があまりに辛そうだったから、俺たちは本当のことを話そうとしたんです。でも隊長が止めました」
やっぱりオディロンは腹黒だ。確かに私も辛かったけど、怪我人の痛みを放置するなんて。自分が痛みを感じないからって酷すぎる。
「正式に力の使い方を学んでいない貴女に、違う方法を伝えても混乱するだけだって隊長が言いました」
「確かに接触しないで治せと言われてもできたかどうかわからない。そんな余裕はなかったから。でも、皆黙って痛みに耐えていたの?」
私はあの時、本当にギリギリだった。何か要求されても応えられなかった可能性が高い。でも、努力くらいはしたのに。
「違います。ミキ様の治療が凄すぎて、俺たちは本当に助かっていました。確かに最初はとても痛いのですが、体の中に直接力が入ってくるようで、すぐに楽になるのです。あんな無茶な治療を続ければ、何時かは貴女が壊れてしまうのではないかと、皆心配していたのです」
エヴラールは私を責めているわけではないのだろうか?
「でも、カナコは手をかざしただけで怪我を治していたから。彼女の方が凄いのではないの?」
最後の治療の時以外、私は触れずに治療したことがなかった。最後は疲れすぎていて何をしたのかもわからない。それなのに、カナコは簡単にやってのけたのだ。
「違います。あれは表面が治っただけで、中の傷は治っていなかった。かなりの期間痛い思いをしていました。ミキ様の治療とは全く違う」
「私のために触れずに治せと言ってくれようとしたの? 自分たちのためではなく」
エヴラールは首を縦に振った。
「でも、隊長はなるべく早く魔王を討伐することがミキ様のためになるからって。そして、ミキ様のお陰で痛みが消えたのなら、その痛みの分、ミキ様への感謝を心に刻めって。だから、俺たちのミキ様への感謝は、心から溢れそうです」
相変わらず、オディロンはよくわからない人だ。
確かにあの状態が長引くと辛かったから、オディロンの言うことも一理ある。
「だから、皆が私に求婚してきたの?」
「確かに感謝の念はありましたが、貴女の気高きその御心に聖騎士たちは惹かれたのだと思います」
気高い心って、それは誰のことだと思う。私は自分のために治療していた。目の前で人が死ぬのが嫌だったから。
うっかり彼らのプロポーズを受けなくて本当に良かった。そんなハードルが上がった状態で結婚して、後でがっかりされたら悲しい。
「あっちの方向に大きな滝があるので、行ってみますね」
話題を変えたかったのか、エヴラールが右の方向を指差した。
何時の間にか少し風景が変わって、岩が増えてきていた。そして、大きな川が見えてくる。
川沿いにしばらく走っていると、本当に大きな滝が見えてきた。白い水しぶきがもうもうと舞い上がり、綺麗な虹までかかっている。これは瀑布と呼ばれるやつだ。
「すごーい。こんな大きな滝は初めて見た」
水の音がもの凄くて、叫ばないと近くのエヴラールにも届かないくらいだ。
「降りて近くで見ますか?」
「せっかくだから、降りてみたい」
そう言うと、エヴラールは御者台から飛び降りて、私が馬車から降りるのを補助してくれた。
近くで見る滝は本当に壮観で、この世界が少し好きになりそうな気がした。
「俺はミキ様の罪人だから、ずっと側にいます。絶対にミキ様を裏切りませんから。職を得ることも結婚も認められていない俺は、ミキ様の側にいるしかありませんので」
水の音にも慣れてきた頃、まるで滝に向かって宣言するようにエヴラールが叫んでいる。
「何を言っているの? 無事目的地へ着いて、家の掃除や家具の配置変えを手伝ってもらったら、それで罪人から解放だと言っているでしょう」
私も負けずに滝に向かって叫んだ。
「解放は嫌ですから。ミキ様が一人で大丈夫と思うまで、俺は側にいると決めました」
「馬鹿なことを言わないで。罪人のままだと、もし私が死んだら処刑されてしまうのよ」
「ミキ様を護れなかったのなら、処刑されても仕方がない。絶対に護ってみせますけどね」
「事故や病気で死ぬこともあるのよ」
「それなら、俺はミキ様に殉じますから」
「そんなに簡単に死ぬなんて言わないで」
まるで怒鳴り合いのようだった。
「それがミキ様の願いなら、もう口にしません。でも、側にはいますから。もし追い出したりしたら、騎士団にわざと捕まって逃げたと言いますからね。逃げ出した罪人は即処刑です」
「脅すつもり?」
エヴラールはにやりと笑った。
彼の気持ちが私にはわからない。




