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22,上書き

 こんなに広いお風呂へ入るのは、これが最後になるのだろう。私はゆっくりと楽しむことにした。

 女神像の持つ水がめから流れ出ているのは温泉らしい。少し硫黄の匂いがする。

 大きく伸びをして、なるべく緊張をほぐしておこうと思う。今晩のことを考えると、ものすごく緊張するけれど、これから幸せな初夜を迎えるのだと自分に言い聞かせた。


 ちょっと長風呂しすぎたかもしれない。体は火照っているし喉が渇いた。風呂場を出て、脱衣場に用意されていた水差しから水を汲んで飲む。水は本当に美味しいけれど、氷を入れて冷やせばもっと美味しそうだ。今度エヴラールに頼んでみようか。

 

 侍女の勤務時間はとっくに過ぎていて、ここには誰もいない。一人で着替えようとカゴを漁ると、ネグリジェが用意されていた。いつもの白い綿のパジャマとは違い、透き通るほどに薄い。これを着るのはちょっと恥ずかしいけど、ウラリーの心遣いだと思うので素直に着ることにした。

 


 風呂場と聖女の部屋は専用の短い廊下で繋がっているので、一人で部屋に戻ることができる。

 居間に戻って待っていると、ドアの外から話声が聞こえてきた。

「モイーズ。聖女であるミキ様を泣かせるようなことをすれば、次は確実に処刑だからな。言動には気をつけろよ」

 そんな苛立ったようなオディロンの声が聞こえてくる。いつも笑顔を見せていたオディロンは、最近感情を揺らすようになってきた。彼は私を心配してくれているらしい。

「聖女様を泣かすようなことなど、俺がするはずないだろうが!」

 モイーズにとって私は未希という女性ではなく、あくまでも聖女なのだ。彼が優しいのは、私が聖女だからに他ならない。


 エヴラールは私に価値がないと言った。モイーズだって私に抱く価値があると思うかわからない。

でも、彼は私を抱くだろう。聖女の望みなのだから。


 コンコンとドアをノックする音がする。

「モイーズさん、入って」

 そう言うと、モイーズがおずおずと入って来た。

「俺に用だと聞きましたが、侍女もいなくなったこんな時間にどんな用なのですか?」

 モイーズは部屋を見渡して、侍女がいないことを確認していた。そして不思議そうな顔をしながらそんなことを訊いてくる。オディロンは彼に何も伝えていないようだ。

 私から頼むのは恥ずかしいけれど、躊躇っていると夜が明けてしまう。このままではここを出ることができないので、覚悟を決める他ない。


「私の初めての経験はね、他の女の名を呼ぶ男に無理やりされたのよ」

「本当に申し訳ありません。ミキ様を苦しめたのは俺です。今日、カナコが帰還したと聞きました。カナコのためにミキ様が苦渋の選択をされたのだと。俺が魅了などされなければ、こんなことにならなかったのに」

 モイーズは両膝を床につけて謝罪を始めた。その声はまるで今にも泣き出しそうだった。

 オディロンはカナコのことを話したらしい。それなら、私がここへ呼んだ訳も伝えておいてくれたらいいのに。


「ねえ、初めてがあんなだったなんて、可哀想だと思うでしょう? だから、上書きしてよ。私が欲しかったと思わせて。私の名前を呼んで。あの時より、もっと優しくして」

 モイーズは驚いたように顔を上げた。そして、信じられないようなものを見る目を私に向けてきた。

「何をおっしゃっているのですか?」

 両膝をついたままだが、大柄なモイーズの目線は私とそれほど変わらない。その目には欲情など全く浮かんでいないように見える。あの時の蕩けるような眼差しと大違いだ。


「お願い。あの時の記憶を忘れさせて。そして、愛されていると信じさせて」

 あの時、モイーズは何度も愛していると言い、優しく私を抱いたのだ。他の女の名を口にしながら。

 あの記憶を書き換えてしまいたい。

 だから、私はモイーズを選んだ。彼は私の初めての相手で、やはり特別だと思うから。

 無理やり処女を奪った彼のことは憎い。でも、辛い時に側にいてくれたことは感謝している。そして、魅了されていて記憶がないのにも拘わらず、罪人とされ大きな焼印を押された彼が哀れだと思う。

 だから、あの時のことを幸せな記憶に塗り替えて、もう終わりにしたい。


「ミキ様を無理やり奪った俺を選んでくれるのか? もう一度貴女に触れる機会を与えてもらえるのか?」

 モイーズの問いに、私は黙って頷いた。


 ゴクリと彼の喉仏が上下するのが見えた。そして、ゆっくりと立ち上がる。背の高い彼の目線はかなり上になった。

「本当にいいのですか?」

 恥ずかしくてとても答えることができない。誘惑するつもりだったけれど、いざとなれば膝が震えそうだ。


「優しくしてください」

 私はそれしか言えなかった。顔は真っ赤になっているはずだ。それも恥ずかしくて顔を上げていることができない。

 全てが恥ずかしくて俯いていると、ふわっと体が宙に浮いた。モイーズが私をお姫様のように抱き上げたのだ。


 モイーズは思った以上に優しくしてくれた。本当に私を愛しているかのように。

 こうして私はあの辛い思い出を上書きしてもらい、聖女の力を失った。


「モイーズ、明日になれば、あなたを罪人から解放してもらうから。これであなたは自由よ。就職も結婚もできるわ」

 そして、私も一人で生きていく自由を得る。


「ミキ、本当にありがとう。俺は良い夫になるから。一生ミキを護るし、絶対に幸せにする。今まで辛い思いをした分、ミキには幸せになる資格があるからな。子どもはたくさん欲しいな。どっか地方へ行けば、魔法剣を使える俺は騎士の職を得るのは容易い。ミキの行きたいところへ連れていくぞ」

 モイーズは幸せな未来を語っていた。

 彼が嘘をついていると思わない。だけど、私はこの世界を共に救った聖女で、彼の被害者でもある。私が望めば一生護ってくれるだろうけれど、それは愛ではない。

 彼からは一度も欲を含んだ目を向けられたことなどなかった。彼が私を抱いたのは私が望んだから。

 感謝とか罪悪感とか、そんなものでモイーズを一生縛るつもりはない。


「そうね。小さな町で家族一緒に暮らせたら幸せよね」

 それは私も夢見た未来だった。

 今の私はその未来を望んでしまいそうになる。


「お願い。浄化魔法をかけて」

 浄化魔法には避妊の効果もあったのだ。最初の時、神官長からそう教えられて、魔法をかけてもらった。

「でも、浄化魔法をかけてしまうと子どもができない。体が気持ち悪いのなら、風呂へ連れて行ってやるぞ。何なら洗ってやるから」

 モイーズは躊躇っているけれど、受精してしまえば浄化魔法では消滅しないので、早くしないと避妊効果がなくなってしまう。


「お願い。まだ子どもを産む自信がないから」

「そうだよな。これから住む場所や職を探さなければならないのに、ミキが妊娠すれば移動もできなくなってしまう。ミキ、済まない。俺は舞い上がってしまっていた」

 モイーズ素直に浄化魔法をかけてくれた。相変わらず彼の魔法は暖かい。そして、私の体はさっぱりときれいになっていた。

「モイーズ、ありがとう。このまま朝まで一緒にいてくれる?」

「当然だ」

 私はモイーズを抱きしめる。今夜は一人になりたくなかった。寂しくて、心細くて、泣いてしまいそうだったから。


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