鏑木幸次郎の××談義
四角い檻のような庭にいた。
俺はその狭い場所からどうすれば出られるかを、毎日毎日考えていた。
でもある日、考えることをやめた。そんなことよりもっと楽しいことを発見したからだ。
二つの背中を見つけて嬉しくなる。
なんだ、こんなところにいたのか!ほら、早く一緒に遊ぼうぜ!
駆け出した途端、夢から醒めた。
***
「寝坊した!?」
飛び起きてまず視界に入ったのは、ベッドサイドのデジタル時計。時間は十時。余裕で二限が始まっている。
何故、目覚ましが鳴らなかったのか。そもそもどうして同室者のあいつは起こしてくれなかった!
完全なる八つ当たりを脳内でぶちまけながらも、身体は素早く身支度を整えている。ワイシャツ、スラックス、ネクタイ。鏡の前で軽く髪をチェック。寝癖もなし。身嗜みは完了、いざ出陣!
ガチャと勢いよく部屋を飛び出したその拍子である、俺の鼻腔を芳ばしいコーヒーの匂いがくすぐった。
「あ。来宮、起きたの」
共同リビングスペースのソファにゆったりと腰掛けてテレビを観ていたのは、我が同室者。
「…………は?」
コーヒーの入ったマグ片手に寛ぐそいつが着ているのは、身体のラインを隠すようなルームウェア。
銀縁眼鏡をくいと上げつつ、そいつはにっこりと微笑んだ。
「ちなみに教えてあげるけどね、来宮。今日は日曜日だよ」
「………………あ、そう……」
とりあえず、同室者が俺の分のコーヒーを淹れてくれている間に、私服に着替えることにした。
――さて、気を取り直して、日曜日である。久しぶりのゆっくりできる休日の朝、俺はそいつの向かい側のソファに座り、遅めの朝食としてコーヒーと一緒にトーストを食べることにした。
「それにしてもさっきの来宮の動揺っぷりは凄かったな。いやあ、傑作傑作」
「お前な……」
からかい混じりの笑みを浮かべるのは、銀縁眼鏡がトレードマークの同室者。髪型はスポーツをやっているのかと思わせる爽やかさだが、眼鏡がインテリっぽさとインドアっぽさを演出し、どちらとも言えない雰囲気を持っている。
俺の同室者兼クラスメイトのこいつの名前は鏑木幸次郎。ちなみに昨日、実行委員として学園祭のクラス有志を盛り上げていたのはこいつである。
「そういやお前、昨日のあれはなんなんだよ」
「あれって、何のこと?」
「クラス有志の話し合いの時だよ。こっちに振るんじゃねえよ。俺はなるべく、教室内では目立たず騒がずに行くって決めてんの」
下手に何かをして佐瀬の腰巾着、もとい佐瀬親衛隊の隊員に絡まれたら何かと面倒くさい。光岡にも申し訳ないしな。
ふと、ジトッとした鏑木の視線を感じたので、何かと思い首を傾げる。
「なんか言いたそうな顔だな」
「いや、うん、まあね。つい最近、盛大に佐瀬と親衛隊の奴らに喧嘩ふっかけて宣戦布告した人の発言とは思えないな、と」
「喧嘩ふっかけたのは向こうだっての」
「宣戦布告は否定しないんだね」
ぐうの音も出ない。勝手に向こうを挑発したことに関しては、チカにもだいぶ怒られたばかりである。
「でも確かに、不用意な発言だったね。悪かったよ。でも一応、俺も学園祭には本気を出さなきゃいけない理由があるからさ。建設的な話し合いがしたかったんだ」
「理由って、どうせ学食だろ……」
「学食を馬鹿にしちゃいけないぞ!」
ぐっと拳を握り締め、決意を新たにする鏑木。
金持ちボンボンの多いこの学園には珍しい、一般家庭出身の特待生。それが鏑木幸次郎である。学費免除の特待生といっても、まさか食事や嗜好品まで面倒を見てくれるという訳ではない。さらに、うちの学園の学食は結構な値段がする。さらにさらに、鏑木の趣味は、何かとお金が掛かる。
そういう理由から、鏑木は売り上げ一位の優秀賞クラスに授与される「学食一ヶ月分」に目が眩んでいるのである。
「そもそも、お前は趣味に金を掛けすぎだと思うぞ。あれをもうちょっと自粛すればさ……」
「来宮?何言ってんの?BLをやめろってそれ、俺に死ねって言ってるのと同義だよ?俺の脳内でマワすよ?」
「真顔で眼孔かっぴらくなよ怖いんだよ!分かった分かったから!」
そう、そして鏑木は何を隠そう腐男子であった。マワすってナニ?と思った奴、大丈夫だ。知らなくても生きていける。
「それよりさあ、ねえ聞いてよ来宮」
「あ?」
朝食を食べ終わったので皿を下げて洗っていると、ソファでだらりと全身を弛緩させながら、鏑木が話を切り出した。またいつものBLトークか……と思いきや、溜息が深いところを見るに、もうちょっと真面目な話のようだ。
「2年B組シンデレラ。王子は佐瀬紫織。魔法使いは俺。で、肝心のシンデレラ役なんだけどさ……」
「あー、それか。……戦争だな」
「だよね」
今度は二人揃って仲良く溜息をついた。
シンデレラ役を立候補で募ったとき、なんと挙手をする者は誰もいなかった。でも、それは決してシンデレラ役をやりたい人がいないのではない。
水面下では恐ろしいほどの火花がバチバチと散らされ、互いに牽制し合っているのである。最初に行動を起こした人間がまず滅多打ちにされるような緊張状態だ。
「てかね、俺も別に魔法使いやりたい訳じゃなかったんだよ?今から来宮が代わってもいいんだよ?」
「やるわけないだろが」
「ですよねー」
ちなみに鏑木実行委員が自ら役者になったのも、立候補したからではない。佐瀬に憧れを抱く奴が皆、シンデレラ争奪戦に身を投じ、そうではない奴らは練習量の多い演劇を避け、誰も魔法使い役をやりたがらなかったからである。
「じゃあ来宮がシンデレラを勝ち取ってくっていう展開は?」
「あり得ないっつうかやめろ、鳥肌立つわ」
「ですよねー」
俺が女装して佐瀬と踊る?それはいけない、舞台でゲロして倒れそうだ。
まあ、主観でも自意識過剰でもなく、客観的に考えて、シンデレラが一番似合うのは俺だろうけどな。だってクラスで一番見た目が可愛いのは俺だし!
「休日まで嫌な話するのはナシナシ。ほら、鏑木お得意のBL談義でもなんでも聞いてやるからさ、もっと楽しい話しようぜ」
「え、言ったね?」
アニメかマンガのようにキランと眼鏡のレンズを輝かせた鏑木にたじろぐが、すぐにふんぞり返ってソファに肘をかけた。どんと来い。俺はBLというか、ゲイセクシュアルに偏見はないし、むしろ鏑木の話す妄想なのにちょっとリアルすぎるカップリングトークは嫌いじゃない。というか面白い。
「じゃあ鏑木、最近の推しカプ?だっけか。それは何なんだ?」
「ふふふ。よくぞ聞いてくれましたねー。俺の最近の最推しカプは、ジャジャン!『来宮誠×渋谷千里』!」
「え、マジかよ」
意外すぎる。何が意外って、自分の名前が挙がったことではなく、渋谷千里を受けに持ってこれる鏑木の度胸が、だ。“元”とはいえ、渋谷は完全無欠の生徒会長様だ。そんな恐れ多いことができるとは。
俺の微妙な表情に、鏑木はちっちっち、と舌を鳴らす。
「この萌えポイントが分かるかな。いい、渋谷が完全無欠っていうところが、絶好の受けポイントなんだよ」
「……と、言うと?」
「リコールされてF組にされても、渋谷は平然としてるじゃない?多くの生徒たちから見放されても孤高であり続ける渋谷、そしてそれを支え続ける親衛隊隊長の来宮。渋谷は来宮の前でだけは弱っている姿を見せるんだ。そしてそれを包み込む来宮。抱擁攻め×強気受けとも言う。あー、来宮が三年生だったら歳上×歳下っていう年齢差もあってより萌えるんだけどね。まあ全然今のままでもありだよ。うん、凄くいい」
――事実とは程遠い話なんだけどな。
本当に、渋谷が寄りかかれる存在になれたら、良かったよなぁ。
「……あれ。来宮、何笑ってんの?」
「別に。ただ、相変わらず妄想激しい奴だなー思っただけ」
何だか今日は、いつもより肩の力が抜けているみたいだ。いつもなら考える度に心に暗い影を落とす渋谷についてのことも、何故か心穏やかに聞くことができる。もしかしたら俺は、自分で思っていた以上に、相当参っていたのかもしれない。
鏑木は、急にお喋りな口を閉じて、しばらくの間俺を眺めていた。そしてにっと歯を見せて笑った。
「来宮はさ、考えすぎだからしんどくなるんだよ。『一緒にいるところ見られたらお前評判が落ちる』って言って、来宮は俺に校内での接触を避けるように言ったじゃん。でも、俺的には全然そんなことしなくていいって思うんだよ」
そうなのだろうか。
俺は自分のことを全く思慮深いと思わないから、あまりよく分からない。むしろ無鉄砲な方だと自負している。
「俺も関くんみたいに来宮の傍にいてやりたいよ」
「馬鹿にすんなよ。おんぶ抱っこの子供じゃないだから。……まあ、ありがたいとは思ってるよ」
頰の緩みがバレないようにぱちんと叩いて誤魔化した。ここにも、俺を気にかけてくれる奴がいる。忘れないでおこう、自分が一人で立っているんじゃないってこと。
「ちょっと、散歩行ってくる。昼飯までには帰ってくるな」
「おけ。なら、今日は俺が作るね」
少し照れた俺に鏑木は気付いたのだろうが、あえて気付かないふりをしてコーヒーを啜った。




