××と背中合わせ
「それでまた隊長は、僕の不在中に無茶をしたって訳ですか?」
ざる蕎麦を啜りながらむくれるチカには、会わせる顔がない。
教室で佐瀬紫織を含むクラスメイトや佐瀬の親衛隊たちに宣戦布告を叩きつけた後、俺はその足で食堂へと向かった。
いつもの指定席、生徒会などの役職持ちが特権により占領する二階席からは見えない、死角のテーブルでは、案の定チカが落ち着かない顔で待っていた。そして経緯を話せば、これまた案の定怒られてしまった。
「だから悪かったって、ほんとに」
「それ本当に思ってますか!?隊長には危機感が足りません!そんなアウェイな空気感の中で更に敵を作らないでください!隊長に何かあったらって思うと、僕は……!……ずずずるっ」
「話すか蕎麦啜るかどっちかにしねえか?」
俺に危機感が足りないとすれば、チカに足りないのは緊張感であろう。何処の世界に蕎麦を啜りながら危険を訴える人間がいるんだ。
「つうかチカ、お前の方は大丈夫なのか?」
赤いケチャップの衣を着た黄金色の半熟卵にスプーンを入れながら尋ねる。意図が伝わらなかったようで、チカが咀嚼しながら首を傾げたので、言葉を続けた。
「俺はクラスで浮きまくってるけど、お前は大丈夫かってことだよ」
「……むぐ、んぐっ。……それは大丈夫ですよ。まあ、元渋谷千里親衛隊のメンツとは微妙な関係になっちゃいましたけどね。というか、隊長のクラスが特殊なんですよ。だって佐瀬紫織のお膝元クラスなんですから」
「まあ、それを抜きにしても俺はクラスメイトから引かれる要因ある気がするけどな」
主に百八十度豹変した性格とか、それにより付加された柄の悪さとか。
だが、ひとまず安心した。チカがクラスで辛い思いをしていても、教室どころか学年すら違う俺にはチカを助けてやることができないのだ。
それでも、もしもチカが渋谷千里親衛隊に入っていることで不当な扱いを受けていたとしたら、隊長として俺が直々に首謀者をシメているところだったが。
「でも、このままの状況で隊長があの教室に籍を置いておくのは危険ですよ。……あ!ここは僕が二十四時間警備をするという方向で」
「それはねえな」
そろそろチカのこういう発言もわざとネタとして言っているのではと疑いたくなる。自分で言うのも何だけどさ、チカって俺のこと大好きだよな。
さて。与太話はこれくらいにして、今日の作戦会議を開かなくては。
そうは言っても、この人が多くて何処で誰が盗み聞きているか分からない食堂で相談できることは殆どない。だからここですることは、単純にこれからの動向をチカに伝えることのみである。
「今日の予定だけど、まずもう一度風紀に行くぞ」
風紀というキーワードに、大きな黒目を揺らめかせるチカ。
「……とうとう作戦決行、なんですね」
「まあ作戦の前準備の決行、くらいのもんだけどな」
「それでも、僕たちにとっては重要な一歩です」
ちょうど蕎麦を完食したチカは静かに箸を置いて、ぎゅっと固い握り拳を作った。まるで自分の決意を固めるように。
「確かなことを一つずつこなして行きましょう。そうすれば必ず、目的に到達できるはずです。それがどんな高みだとしても」
あの日、ああでもないこうでもないと散々二人で論議した結果決まった、この計画。正直、勝算なんてものはどのくらいあるか分かったもんじゃない。
それでも、チカのその言葉に背中を押された俺は、どうしてだろう。根拠のない自信がみるみるうちに湧き出てくる。
「……おいおい、そんな意気込むなって」
照れくさくなってしまったのを隠すべく茶化してみたが、チカにはお見通しのようで、優しく微笑まれてしまった。
「と、とりあえず!そういうことだから覚悟しとけよ、チカ」
「はい!」
「あ」
「え?まだ何かあるんですか?」
「いや、そうじゃなくて、あれ」
自分の背後に注がれる俺の視線を追って、チカが振り返る。
人でごった返している昼時の食堂。人混みの中を歩くその生徒は、学食のお盆を持って席を探しているようだった。
「あれ、光岡だよな」
佐瀬紫織親衛隊隊長にしてチカの従兄弟、更に言えばチカに絶賛片恋中の光岡涼が、そこにいた。
俺たちに見られているのを気配で感じたらしい。不意に光岡と視線がかち合った。
「あ、僕らに気付いたみたいです」
「こっちに歩いてきてるな。席空いてるけど相席してもいいか?」
「隊長がそう言うなら。僕としては折角の隊長と二人きりの逢瀬を邪魔されたくないんですけど……」
しれっとほざくチカには、もはや突っ込んでも意味がないと理解した。
「おーい、光岡。ここ空いてるぞー……って」
迷わずこちらに歩いてきた光岡は、てっきり相席するものだと思っていた。片手を振って合図をしたのだが、光岡はそれを華麗にスルーして、ちょうど空いた俺の背後の二人がけテーブル席に座った。
「は?お前どういうつもりだよ」
チカがいるのだからちゃっかりその隣に収まるものかと思っていた俺は、少々拍子抜けである。
しかし予想に反して、今日の光岡は『チカに片思いをする光岡涼』ではなく『佐瀬紫織親衛隊隊長の光岡涼』であった。
「あんまり騒がないで。あと振り返らないで」
俺とは背中合わせになる席に学食を置いた光岡は、低い声で囁いた。
「来宮、君さっき佐瀬様に喧嘩ふっかけたでしょ。お陰でこっちは、人目のつくところではそう易々と君たちと接触できない立場になったんだよ」
「あー……そりゃあ申し訳ないことしたな」
「ほんとにね。もう少し人の心労考えてよね」
こういう場所じゃなかったら怒鳴り散らしたいところだよ、と呆れ交じりの溜息が背後から聞こえる。
「けどな、先に喧嘩売ったのはお前のとこの隊員だぜ。俺はそれを買っただけだ」
尤も、それに乗じて宣戦布告したのは俺のほうだが。
「……そんなことだろうと思ってた。我ながら、うち隊員は小賢しい奴が多くてね、自分に都合の悪いことは報告してこないんだ。そのことに関しては僕の監督不行き届きだ、ごめん」
「おー……光岡の殊勝な態度なんて槍が降りそうだ」
「揚げ足取らないでくれる?」
以前風紀室の前で会ったときはビッチと罵ってきた光岡が、ここまで変わるとは。もしかしたら少しは距離が縮まったのかもしれない。
渋谷のリコールから、解けて離れてしまう縁は沢山あったけれども、新しく結ばれた縁は初めてかもしれない。
いつの間にか笑みが溢れた。光岡が見れば「何笑ってるの?」と睨んできそうだが、背中合わせだからその心配はない。代わりにテーブルを挟んで向かい側に座っているチカが、俺の笑みに釣られて笑っていた。
「ていうか、僕が言いたいのはそんなことじゃないのっ」
「へえ、じゃあお前は何を言うためにわざわざこんなまどろっこしいことしてんだよ?」
「だからそれはっ――」
唐突に言葉に詰まった光岡。俺のオムライスの壁を崩すスプーンを持つ手も思わず止まる。
「……何?」
「――この前、中庭で大原白兎が僕に手を上げようとしたとき。来宮は僕を、助けてくれたよね」
「ああ、そうだったな」
「あの後、大原の相手に手間取って、結局言い忘れたなって。あのときは……………………ありがとね」
「………………かっ」
……可愛すぎかよ光岡。
おかしいな。光岡ってこんなに可愛かったか?それともこれは俺の錯覚だろうか。
「それで?言いたいことっていうのはそれか?」
若干混乱気味の頭を数度振って正気を取り戻して、話の続きを促す。
「ちっ、違うから、お礼のためとかじゃないからっ。……そうじゃなくてさ、あのとき君に助けられて、ちょっと分かったんだ。何でこんな状況になっても春親が君に着いていくのか」
無意識のうちにチカを見てしまった。俺と光岡の会話が聞こえない距離にいるチカは、自分のことを話しているとはつゆとも知らずに瞬きしている。
「僕は佐瀬様をお守りしたい。でも君は佐瀬様が嫌いだと言う。僕と君は今、対立する立場だ。……でも、決めたんだ。僕は君を認めるよ、同じ親衛隊隊長を務める者としてね」
「……光岡」
少しは距離が縮まったのかも、とは思った。
だが、ここまで言ってもらえるとは思わなかった。
渋谷の隊長をしている俺には分かる。“隊長として認める”、それは親衛隊隊長を務めることを誇りとする者にとって、最大の褒め言葉だ。
立場的に光岡は俺を信頼しないだろう。でもきっと、信用はしてくれる。
「ありがとな、光岡」
「……別に。思ったことを言っただけだから。――そういう訳だからっ。とにかく、人目のあるところで僕に話しかけてこないでよね、君と仲良くしてると僕の沽券に関わるんだからっ。あと連絡は取れるようにしておきたいから春親から僕の連絡先聞いておいてね、分かった?じゃあ、それだけだからっ」
追い打ちとしてテンプレートなツンデレを出し惜しみすることなく発揮した光岡は、物凄い速さで自分の学食を平らげて、いそいそと俺たちの前から姿を消した。ちらりと見えたお盆にはざる蕎麦の笊が載っていて、やはりチカと光岡は血縁なのだとしみじみと感じた。
「忙しない奴ですね、あいつは」
チカは呆れとも親愛とも取れる呟きを零した。
チカにとっては従兄である光岡と対立することは、もしかしたらチカに残酷なことを強いているのかもしれないと、俺は少し危惧していた。
でもそれは間違いで、光岡は競争相手ではあるけれど敵ではないのだと、今日、感じた。
光岡涼と渋谷千里親衛隊は、きっと良好な関係を築けるだろう。
「そういえば今、涼とどんな話をしてたんですか?」
「んー内緒だな」
「ええ!?」
「今の光岡はちょっと可愛すぎたからな。あれは俺だけの秘密にしとく」
「そんな!酷いですよぅ、僕も女子力磨きますから涼には乗り換えないでください!」
「大丈夫、最初から乗ってないものからは乗り換えられないからな」
久しぶりに温かな気持ちに包まれながら、昼の一時を俺とチカは楽しむ。
そんな非平穏の中の刹那的な平穏は長く続くものではないと知るのは、もっとずっと後のことである。




