閑話―渋谷千里の苦悩
窓辺の席で頬杖をついて、三階の窓から外を見渡す。目を伏せたい程の晴天だ。F組の窓から見る空も、生徒会室の窓から見る空も、案外変わらないものだ。
もっともあの時は、悠長に生徒会室から外を眺める余裕もなかったのだが。
「憂い顔も綺麗とか反則じゃない?」
いつもと同じふざけた台詞とふざけた声音で、彼は声をかけてきた。
俺の隣の席に腰を下ろしたのは、相変わらずの軽薄な笑みを浮かべる薄墨の頭をした男。
高梨恋斗。身を焦がす恋だの深い愛だのとは最も対極にありそうなこの男の名前とは思えないが、それが彼の名前だ。
「うーん、やっぱり千里の顔はキレーだ」
突然手を伸ばしてきたかと思うと、その指はするりと俺の頬を撫ぜる。特に口を挟む気も起きなかったので好きにさせておいたのだが、段々周囲の視線が痛くなってきた。
「うわあ、すげえ。らびゅらびゅ」
「恋斗さんと千里ちゃんってなんかお似合いだよなー」
「美形同士なんだからあったりめーだろ!オレとお前がイチャイチャしてたってあんな風にゃならねーよ!」
「それこそあったりめーだろ!気色悪いこと言うなよ!」
「ばっ、ちっげーよ!物の例えだよ!」
俺とレンが……らびゅらびゅ?冗談じゃない。
ぴくりと俺の眉が動いたのを、レンは見逃さなかった。
「ちょっと君らさー、五月蝿いよ?オレと千里のイチャイチャタイム邪魔しないでくれる?」
「イチャイチャなんてしてないだろうが」
「大体こういうときは空気を読んで出て行くところじゃないの?」
「聞けよ」
軽くレンの鼠頭を叩く。
「なんつう無茶苦茶な理論ぶら下げてるんだお前は。大前提に、今がなんの時間かわかってんのか」
「えー?」
ちらりと周囲のF組生徒たち、もとい自分の子分たちを見やるレン。返答を促された子分の一人は意気込んで挙手した。
「みんなで仲良く喋る時間っす!」
「阿呆め授業中だ!」
わあ、千里ちゃんがキレたー!と上がる歓声。馬鹿だ。このクラスは馬鹿しかいない。
馬鹿しかいないが、いい奴らだった。これは、俺がこのF組に入ってから初めて気づいたこと。
柄が悪いし喧嘩は絶えないが、多少の問題はあれど、F組の生徒たちに根っこから悪い奴はいなかった。
だがこの学園は、そんな生徒を拾い上げることはしなかった。教師すらF組を見放し、授業に来ない。
どうしてこんな酷い状況を在職中に改革しなかったのか。お陰で会長職に心残りができてしまった。
――だからと言って復帰するつもりは毛頭ないが。
『渋谷。俺はお前以外を会長と認めねえ。お前が戻ってきてくれるのを……ずっと待ってるから』
……来宮誠の声は、あの日から頭から離れてくれない。
だけど来宮。俺はもう苦しいんだよ、あそこに戻るのは。
「怒っても千里は綺麗だね、親衛隊を作っちゃうクルミちゃんの気持ち分からなくもないな」
「…………おい」
絶妙なタイミングで地雷を踏み抜いてくれたレンを軽く睨んだ。こいつは心が読めるのではないだろうか。
「あれ?本当に怒っちゃった?」
「さあな」
仏頂面を晒して再び外を眺めるふりをした。今レンと目を合わせると本当に心が読まれてしまう気がした。
「クルミちゃんのこと、気になってるでしょ」
レンの試すような問いかけ。
気になるに決まっている。だって来宮は俺の――
『渋谷様。今日から貴方のことを僕は渋谷様と呼びます』
『他の誰でもない、僕を選んでください。必ずお役に立ちます。僕は貴方の役に立ちたいんです、渋谷様。どうか僕を親衛隊隊長に任命してください』
来宮はずっと傍にいた。傍にいたが、いつも一定の距離感があった。線を引かれていたのだ。
「気にならないな」
強がっていることは見え見えだっただろう。だけどわかった上で嘘をついた。
来宮誠とも、佐瀬紫織とも。本当は近しいところにあった筈なのに、手を伸ばしても届かないくらいに距離感ができてしまったようだ。




