来宮誠と安寧の体温
「ここまで来れば、もう追ってはこないはずです」
チカに連れられてきたのは、校内に点在する資料室のひとつ。しかし、ここは滅多に使われない資料ばかりが埃を被って眠っているところなので、寄りつく生徒は皆無に等しい。
チカは細く開いた隙間から辺りを窺ってから、用心深く扉を閉めて、ご丁寧に鍵まで掛けた。
「で、お前はなんで中庭にいたんだ?」
この部屋には今、俺とチカのふたりきりで、大原はいない。だから猫を被る必要もないと、素を曝け出し腕を組んだ。
するとチカは溜息交じりの呆れ顔を浮かべた。その唇から吐き出された吐息には憂いの色が滲んでいる。
「それはもちろん、心配だったからに決まってるじゃないですか」
「心配?」
「そうですよ。隊長遅いなあって何気なく窓の外を見たら、中庭に大原と涼がいて、うわあ嫌なもの見たなーって思ったら、そこに隊長が飛び込んで来るんですもんっ」
「飛び込むとなんか都合悪かったか?」
「悪いですよ!副会長様も会計様も庶務様も、バスケ部エースも一匹狼と名高い不良も、みんな大原白兎に籠絡されちゃったんですよ?あいつは危険です、近づくべからず、です!」
「いや、そう言われてもな……」
先ほどの様子からすると、大原白兎はちょっと持て囃して思わせ振りな態度を取れば、簡単にいい気になる性分だ。つまりは、使いやすい駒。
もしかすると、大原を利用すれば佐瀬に痛い目を見せることも可能かもしれない。
だが、そんな俺の考えは、チカにすぐ見破られてしまう。目の前には、チカの怖い顔。
「ダメですからね、大原白兎は」
「……絶対?」
「ダメ、ゼッタイ。です」
「えー……」
大きくバツ印を作られてしまっては仕方がない。
とはいえ、チカは本気で、俺があのいちいち煩い無礼な転入生に落ちると思っているのだろうか。もし本当に思っているならそれ、俺の美的センス馬鹿にしてないか?
「俺、大原好みじゃないんだけど」
ぼそりと呟くと、チカはふっと頰を緩ませた。チカの、はにかんだような笑顔と、聡明な双眸。
「当然です。もしあんな奴が隊長の好みだったなら、僕が嫉妬します」
――思わず目を奪われた。
チカは可愛い隊員だと、いつも思っていた。綺麗な顔とは似合わない、元気でお茶目な言動とのギャップが、チカを可愛らしくしているのだと。
でも今、その考えは改めるべきであると俺は強く感じた。
チカの可愛らしさは見た目だけじゃない。その直向きさだ。
「いつだったか、隊長は言いましたよね。渋谷千里親衛隊の隊員が可愛いのは顔じゃないって。渋谷様に好きになってもらいたいと努力するから可愛いんだって」
チカの大きな黒目に、彼に見惚れる俺の姿が映って見える。
「来宮隊長、僕はね。その言葉を一度だって忘れたことはありません。どんなに報われないような努力でも、隊長は必ずそれを見つけて、救い出してくれる。だから隊員たちは渋谷様のために頑張ってきたんです。もちろん、僕もそうでした。隊長の目に留まりたくて努力を積み重ねてきたんです」
まっすぐな誠実さに、心が揺さぶられる。心臓が跳ねてしまう。
今目の前にいるのは、本当にチカなのか。俺が自分の庇護下にいると思っていた関春親は、もしかしなくても幻想か?
「……俺の、言葉?目に留まりたい?……おいおい、やめろよチカ。ありがたいけどさ、俺はそんな大した人間じゃないっての」
自分は何かを成せる人間だと思っていたときも、なかったと言えば嘘になる。でもそれはただの勘違い、思い上がりだった。
親衛隊の統率ができず、隊員は散り散りになった。
渋谷の無実をどれだけ叫んでも、俺の声は誰にも届かなかった。
そして何より、渋谷が選んで必要としたのは、俺ではなかった。代わりに選ばれたのは、高梨恋斗。渋谷の役に立ちたいと思っていたのだけれど、どうやら俺は、もう要らないらしい。
沈鬱な思考に沈む俺を、チカは静かに眺めていたが、やがて小さく頷いた。
「隊長がそう思うなら否定はしません。でも、僕が貴方に救われたのは事実なんです。どうか忘れないでください」
「…………チカ」
「隊長は渋谷様のために“可愛く”なったと言いましたね。それなら僕は」
チカの大きな目がすぅっと細められて、優しげな表情が浮かんだ。
「――僕は、隊長のために“強く”なります。渋谷千里親衛隊の副隊長として、絶対に隊長を守り抜きます。貴方や他の隊員たちが渋谷様のために変わったというのなら、僕は他ならぬ貴方のために強く生まれ変わりますから!」
ああ。眩しい、なあ。
チカの黒目は黒曜石のようだ。キラキラと反射しては輝いていて、目に痛いくらいに眩しい。
光岡がチカを好きだと思う気持ちが、少しわかった気がした。
それと同時に、関春親という人間に、このまま『渋谷元会長のセフレ』という不名誉極まりないステッカーを貼って校内中に晒し者にしている自分の不甲斐なさを恥じた。
馬鹿だろ、俺。自己否定を繰り返す暇があるんなら、チカを日の当たる場所へ戻してやるための策でも練りやがれ。
なあ、チカ。情けない隊長でごめんな。
でも俺、俺なりに頑張ってみるからさ。だから、
「ついて来てくれるか?」
たった一言、そう尋ねれば、黒曜石の瞳に星が煌めく。
「もちろんです!その言葉を待ってました、隊長!」
チカは俺の手を取ってにっこりと微笑んだ。俺が不安定になったとき、いつも繋いでくれるその手の体温は、やはり温かかった。
お久しぶりです、随分と間が空きました。
間が空きすぎて来宮隊長のキャラが迷子です……。
チカは安定の来宮クラスタなのですらすらと書けました。書きやすく動かしやすい、チカはよい子です。




