橋上愛叫 ―― ライフサイクル採算と公共投資
───【本話のウォークスルー対象】───
■ Section 01
トレディン視点:強度設計と工務院の公務員
■ Section 02
トレディン視点:こっちも若人の恋路問題
■ Section 03
トレディン視点:トーマンコンクリートとネーミングライツ
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─── ■ Section 01 ──────────
◆ トレディン視点:強度設計と工務院の公務員
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「ルナリアちゃん、トレディンお兄ちゃんが、今日もおやつを持ってきましたよ~。さあ、神速の御業で、この給与支払台帳の突合を片付けてしまいましょうね」
「……ん――」
蜜菓子とのバーター取引で、たった五歳の幼女に自商会の帳簿を検証させているなんて、この上屋敷の外の人に話しても、決して信じてもらえないに違いない。しかし、ルナリアちゃんのおかげで、カルトング商会は大いに助かっている。兄貴たちは、急に計算が早くなったことに首を傾げているが、別段原因を追究してくる様子もない。このまま黙っているのが一番だ。
さて、大賢者の神屋敷を訪ねた本当の目的を果たすとするか。俺は気を引き締め、表情を作る。
コンコン。
「どうぞ。」
「大変です、ナナシノ様。助けてください!」
「どうしたんです、藪からステックに。」
執務室には、見るからに旅装より少しましな程度の、乱雑な外套をまとった女性がいた。しかも、嬉々として何やら熱弁を振るっている。ナナシノ様が視線をわずかに動かす。それだけで、それまで熱く語っていた女性はぴたりと口を閉じ、そそくさと退室していった。よく調教されている。
しかし、言うべきことは言わねばならない。
「ナナシノ様。今の方は、どちら様なんです?」
「ロセッタ様です。言語学がご専門で、ときどきお話を聞かせに来てくださるんです。」
「ナナシノ様。貴族の女性と、いや、身分がどうあれ、年頃の女性と同じ部屋に二人っきりというのは、外聞が悪いんじゃありませんか?」
「あ、そういう理由付けがあったんですね。ありがとうございます、トレディンさん。これで次からロセッタ様の入室をお断りする口実ができました。次に使わせてもらいます。」
なるほど、ナナシノ様も大変なんだなあ。おっと、本題を忘れるところだった。
「実はですね。市参事会の大講堂の建て替え案件を建築ギルドが受注したんですけど、工務院の査察官から建築基準について徹底した指導を受けていてですね。設計作業が、まったく前に進まないんです」
「それは大変ですね。でも、カルトング商会はどう関係するんですか? それに、私は建築の専門家ではありませんよ。」
「いろんなところから、やいのやいの言われて板挟みになっているのを、こう、いつものように解きほぐしてもらいたいんです。私が、建築ギルド長の甥で、市参事会議員のマーニと友達で、マーニから相談を受けているのを聞きつけた、二番目の兄貴から、真っ先に催促があったんですよ」
「ほう。お兄さんからですか。それで一体どんなことを言われたんですか?」
「次兄は、暗躍好きで、横の人脈をいたずらに重要視するんです。自分が市参事会のメンバーだからと、『発注元である市参事会の要望を叶えるよう建築ギルドに強くねじ込め』と言うんです。大講堂は書類仕事をする場所なので日中は火気厳禁。だから灯火用の火気の代わりに、十分な採光を得られる透明度の高い大きな窓を設置しろと。つまり市参事会からは『とにかく明るい大講堂を造れ』と言われているんです」
「なるほど。利用者・発注元としては、極めて合理的な要求のように聞こえますが?」
「ところが、今度は一番上の兄貴がしゃしゃり出てきましてね。上昇志向が人一倍強い長兄は縦の人脈を重視するんです。だから当然、工務院のお役人とも付き合いが深いらしくて。これまた、どこで聞きつけたのか、私がマーニから相談を受けていることを知って、私に向かって『工務院の検査官からの行政指導を素直に聞くよう説得しろ』と圧をかけてくるんですよ」
「なるほど。それで、どんな内容なんです、その行政指導とやらは?」
「工務院の検査官が言うには、今の設計のままだと、強度計算が基準値を満たさないんだそうです。こんなに大きな窓をいくつも取り付けると、壁の強度が弱くなるから、建設許可は出せない、と」
「それで?」
「基準を満たすには、柱と壁を強化するか、窓の数と面積を減らすしかない、とにべもなく言われまして。ところが窓を減らせば採光が足りなくなって、市参事会の要望に反します」
「じゃあ、窓を増やした分だけ、壁を厚くすればいいじゃないですか?」
「それだと、そもそも今の建築費予算に収まらないんだそうです。なんでも、工務院は、窓材にまで、大変高価な透石膏を指定してきているんです。それには訳があって、どうも透石膏を取り扱っているステンドグラス職人ギルドと、工務院の一部のお役人が癒着しているというのが真相のようで。壁の増強費用に透石膏の代金まで加われば、予算枠に収まるはずがありません……」
「なるほど。つまり、『窓の仕様(調達先)』『規制(強度計算)』『予算』の三つ巴というわけですね。そして利害関係者としては、市参事会が利用者要求、建築ギルドが施工可能性、工務院が規制・安全性、ガラス職人ギルドが既得権益、という利害が絡み合っていると……うん、大体は分かりました。」
基準に準拠した設計書を提出しない限り、建築許可は出せない。予算を守れば強度が足りず、強度を守れば窓が減る。
これでは、いくらナナシノ様でも手も足も出ないのではなかろうか?
「それでは、少々お待ちください。」
そう言って、ナナシノ様は腕を組み、首を直角に曲げ、いつもの長考姿勢に入った。こうなると、俺にできることは、ナナシノ様が次に顔を上げるまで待つことだけだ。二、三分ほどじっと待っていると、ナナシノ様が突然、ガバッと顔を上げた。
「今回は、技術革新でブレイクスルーすることで問題解決をしてしまいましょう。」
「『ぎじゅつかくしん』ですか?」
「はい。」
透石膏は大変高価であるため、予算オーバーになり、発注元である市参事会としては絶対に是認できない。
いくらナナシノ様でも、「技術革新」とやらで、コストと強度基準の両立など本当にできるのだろうか。
「まず、窓ガラスですが、水産ギルドで量産に成功した『ケルプ灰』を使ったガラスを用います。これは大判でありながら、透明度も高い。板厚と寸法を計算して強度を確保することも可能です。ですから、透石膏に比べて、配置さえ工夫しておけば、壁面の強度を著しく損なうことはないでしょう。」
「えっ、あの捌くのに苦労したケルプ灰をここで有効活用できるんですか? それは嬉しい知らせですが、一体どうしてそんな芸当が可能なんです?」
「お話を聞いている限り、従来の窓ガラスは、木灰を使っているはずです。炉の温度が上がりきらないことによる『泡噛み』が頻発して、不良品が多く出ているのではありませんか。ケルプ灰は木灰に比べて原価が十分の一と安価なうえ、原料である珪砂の融点を四割ほど下げる効果が見込まれるんです。それと同時に、炉の温度を維持するための大量の薪も節約できます。それで、大幅なコストカットが見込めるはずです。」
「それじゃ、窓ガラスの透明度のほうはどうです? こっちは安ければいいというものではありませんよ?」
「その質問に直接お答えする前に、ちなみにですが、建築ギルドが利用できるガラス職人は、ステンドグラス職人ギルド以外にはありますか?」
「マーニからいろいろ教わりましたから、知ってます。ガラス職人は、ガラス窯工房で働く者たちと、ガラスを加工する者たちとで、所属するギルドが異なります。建築ギルドは、その職分もあって、ガラス窯工房を自分たちで持っています」
「ならば好都合です。大講堂に使う窓ガラスを、完全内製化できます。そのガラス窯で働く職人に、消色剤として二酸化マンガン――軟マンガン鉱を使うよう指示してください。えっと、『ガラスの石鹸』って言えば通じます。これで、木灰を使ったときによく出ていた緑色を消すことができますし、ケルプ灰で融点も下がるので、気泡も減らせます。透明度の課題は、これでクリアです。」
「強度計算の方は、どんな手がありますか?」
「対策は二つあります。まず、ガラスを木枠に、膠と布くずを混ぜた接着剤で固定します。繊維で補強した複合材は、単体の素材より粘り強くなりますから。そのうえで、従来は強度ゼロとして扱われていた窓枠も、壁の一部として耐力に算入する計算モデルに組み替えてもらいます。ガラスが強いから壁が強くなる、ではありません。窓そのものを一つの構造体として評価できるようにすればいい。『技術革新』というより、構造計算モデルの革新になるでしょうね。」
「もう一つの方は?」
「大判の窓ガラスの取り付けが可能になりますから、窓ガラスと窓ガラスの間の幅を十分に確保できるはずです。その分、丈夫な柱を構造計算に沿って配置しやすくなります。こういう設置幅の自由度の拡大は、思ったより効果があるものですよ。」
「それはそうかもしれませんが、新しい工法になりますと、構造計算というか、強度計算にてこずりそうですね」
「ああ、それも問題ありません。うちのルナリアを貸し出しましょう。それから、忘れないうちに言っておきますが、建築ギルド内のガラス窯工房で生まれる新たな利権については、水産ギルドの知見を応用して、関連ギルドに利を配ることで、トラブルを未然に防ぐことを心がけてくださいね。あのときと同じ轍は踏みたくはありませんので。」
そう言って、ナナシノ様は執務室を出て、ルナリアを呼びに行った。
ナナシノ様の提案は、いつも通り驚きの連続だった。透石膏を使った従来の窓は、強度ゼロだし、高価なので、構造計算とコスト計算の両面から、ケルプ灰ガラスの後塵を拝することになるだろう。これはこれで、影響範囲も大きくなりそうだ。こうした利害調整こそ、商人の腕の見せ所である。
そんなことを考えているうちに、ルナリアちゃんを伴って、ナナシノ様が執務室に戻ってきた。ナナシノ様はルナリアちゃんに、俺の仕事を計算部分で手伝ってほしいと依頼し、しばらく俺の指示に従うよう言い含める。
俺は飛び切りの笑顔で、ルナリアちゃんに改めてご挨拶だ。
「ルナリアちゃん、トレディンお兄ちゃんが、美味しいおやつを用意するから手伝ってね〜(ニッコリ)」
「……ん――おじちゃん、かお、こわい」
─── ■ Section 02 ──────────
◆ トレディン視点:こっちも若人の恋路問題
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コンコン。
「どうぞ。」
「大変です、ナナシノ様。助けてください!」
「どうしたんです、藪からステックに。」
「ナナシノ様、工務院の公務員が、意地悪をして、ルナリアちゃんに手伝ってもらった新しい構造計算書を受理してくれません。どうしたらいいですか?」
「トレディンさん、まず落ち着いてください。構造計算書を受理しない理由は、何と言われたんです?」
俺はマーニに付き添って工務院まで出向いていたので、そのときのやり取りを、できるだけ忠実にナナシノ様へ伝えた。
「なるほど。事情は察しました。窓枠の強度計算が俄かには信じられない、ということに尽きますね。だったら、窓枠の強度について信頼性を勝ち取ればいいだけのことです。」
「え、そんなことができるんですか。そんなことができたら、誰も苦労しないんじゃないですか」
「だったら、窓枠の強度計算を裏付ける実証実験をすればいいんですよ。」
「え?」
「規定どおりの重砂袋を載せて、実際に荷重に耐えられるか確認する。さらに風圧を想定して、砂袋を叩きつけたり、ハンマーで打撃を加えたりしてみる。それで試験結果をまとめ、構造計算書に添付して再提出すればいいでしょう。」
「なるほど!」
ナナシノ様の口から具体的な実験の手順が聞けたのはありがたい。これなら、やれる。
――
コンコン。
「どうぞ。」
「大変です、ナナシノ様。助けてください!」
「どうしたんです、藪からステックに。」
「ナナシノ様~。教えていただいた実証実験のデータを添付して、構造計算書を再提出したんですけど……やっぱり受理してもらえませんでした」
「一旦落ち着きましょう。それは災難でしたね。それで、今度は何と言われたんです?」
「『実証実験か何か知らないが、こんな書類だけじゃ信用できん』と一蹴されました……」
「なるほど。『書類だけじゃ信用できない』ですか。」
ナナシノ様は、少し考え込んだ。
「それなら、書類だけでなく、強度実験そのものを見ていただきましょう。検査官をお呼びして、目の前で実証実験をするんです。」
「それは名案です!」
「実際に見ていただければ、さすがに納得していただけるでしょう。」
「でもナナシノ様~、私一人だと不安なので、実証実験のときは、一緒に立ち会っていただけませんか?」
「ああ、分かりました。ただ、私はこんな形ですからね。先方の目につくと、かえって厄介なことになりかねません。傍から見守る程度でお願いします。」
「それだけでも十分心強いです。それでお願いします」
そうして、三度目の挑戦となる実証実験の日を迎えた。検査官の目の前で、新開発のケルプ灰ガラスを組み込んだ試作窓枠に、規定の重砂袋を叩きつける。ビクともしない。次はハンマーだ。ガンッ!ガンッ!それでも、ガラスは割れない。俺は内心で拳を握った。これなら、今度こそ――。
ほっと一安心し、俺が胸を撫で下ろしたその時、検査官がぽつりと言った。
「……ふん。実験結果は結構だが、行政指導の文書には、窓枠を強度計算に含めてもよい、と明言されていない」
検査官は淡々と告げた。
「つまり、前例がない以上、受理はできんな」
「……」
目の前が真っ暗になった。実験は成功した。安全性も確認できた。それなのに、駄目なのか。
気を取り直して、物陰のナナシノ様の様子を窺ったが、面布に覆われた表情から心情を読み取ることは叶わなかった。俺が落胆している最中、すたすたとナナシノ様が俺の傍まで来て、小声で打診してきた。建築許可に関する行政文書が手に入らないか、と。
何か考えがある。
俺はそう察し、マーニに行政文書の入手を頼んだ。
――
――数日後。
コンコン。
「どうぞ」
「ナナシノ様。先日、ご依頼いただいた行政文書をお持ちしました」
「ありがとうございます。そこに置いてください。」
今日は、ナナシノ様のそばに、あのロセッタという娘も一緒だった。
「あーしも見ていいっすか?」
「もちろんです。」
俺が席に着くや否や、ナナシノ様は工務院の法令集の検分を始めた。ロセッタもさも当然のように、ナナシノ様と顔を寄せ合って法令集を覗き込む。おいおい、顔、近づけすぎじゃないか。
「ロセッタ様、この第七条第三項の『開口部』という語が、他の条文ではどう使われているか、法令集全体から用例を拾ってもらえますか。条文の意味は、書いてある言葉の使われ方で決まりますから。」
「任せてほしいっす。古い官庁言葉の癖なら、あーしの得意分野っすから」
ロセッタが頁をめくる速さは尋常ではなかった。やがて、彼女はある頁を指で叩いた。
「見つけたっす。第十二条でも第二十条でも、『開口部』は『窓そのもの』じゃなくて、『窓と枠をひとまとめにした一つの穴』を指す言い回しになってるっす。この時代の役所言葉だと、枠まで含めて開口部なんすよ」
「お見事です、ロセッタ様。これで『開口部係数を壁面強度に換算できる』という文言は、窓枠も含めて換算できる、と読めます。助かりました。」
ロセッタは得意げに胸を張った。ナナシノ様の役に立てたのが、よほど嬉しいらしい。言語学者の本領発揮、というところか。
二人は顔を寄せ合いながら、ああでもない、こうでもないと議論を続けている。その一部始終、俺は黙ってそれを眺めるしかなかった。
――
俺は四度、マーニと一緒に検査官に相まみえた。工務院検査処の応接室。重々しい長机を挟み、マーニを睨みつける検査官の厳しい表情。――いや、ここで気持ちが負けてはいけない。
俺は気持ちを取り直し、法令集を長机に広げ、ナナシノ様から受け売りの議論を検査官にぶつける。
「検査官殿、ここに注目してください。工務院令第七条第三項に、『規定の曲げ強度を超える透明部材を採用する場合、開口部係数を壁面強度に換算できる』と明記してあります。この『開口部』は、同令第十二条や第二十条の用例に照らせば、窓と枠を一体にしたものを指す語です。素直に読めば、窓枠の強度も計算に含めるのは、至って自然かと考えます」
「そんな前例はない」
「前例がないことと、認めてはいけないことは、同じではありません」
検査官の眉が動いた。
「実験結果が安全でも、それを認めるとは書いていない」
「では、認めてはいけないとも書いてありませんね?」
「……」
前例がないのではない。条文が、とうの昔に答えを用意していたのだ。規則の目的は「開口部を弱点にしないこと」であって、「特定の素材を使わせること」ではない。規則はあくまで手段であり、安全性の確保こそが目的なのだ。俺は、ナナシノ様から授かった目的論的な解釈を畳みかけた。
「そもそも、この規則の目的は、開口部を建物の弱点にしないことでしょう。ならば、安全性が確保されている透明部材について、その強度を壁面強度へ換算することこそ、規則の趣旨に適っています」
検査官は法令集へ視線を落とした。
「工務院令第七条、第三項……」
しばらく沈黙したあと、ようやく顔を上げる。
「分かった。この件の安全性はこれで確認でき、法解釈上も瑕疵が無いことを認めよう。しかし……はまだ認められない。もし認めてほしければ……」
検査官がその後に続けた言葉は、にわかには信じられなかった。到底、この場に相応しいものではなかったからだ。しかし、隣に座っていたマーニは、渋々ながらも、その条件を受け入れた。俺は一体、これからどうすればよいのだ?
――
コンコン。
「どうぞ。」
ナナシノ様の傍らでは、ロセッタが法令集を片付けていた。
「ナナシノ様。本日、工務院まで出向き、例の市参事会の大講堂の件、ナナシノ様の事前の作戦通り、上手くいきまして、無事に建築許可が下りました」
「それはおめでとうございます。それにしては、顔色が優れないようですが、どうかされましたか? これまでの心労がたたったのでしょうか?」
「はあ……そう見えますか」
「何か、まだ問題があるんですか?」
「問題というほどでは……いや、問題ですね」
俺は深く息を吐いた。
「実は、あの検査官。かなりの頑固親父らしいんです」
「頑固親父?」
「テレーザさん、えっと、検査官の娘さんから聞いたんですけど、親父さん、『上司の命令は絶対だ。最近、ギルド間の秩序と調和を乱す一部の不届き者が跋扈しているらしい。綱紀粛正のため、いつも以上に厳正に対処すべきと訓示が出ている。自分の信条としても大いに賛成できる』という趣旨のことを言っていたそうです」
俺は肩をすくめた。
「誰ですかね、調和を乱す一部の不届き者は。こんな大事な時に迷惑千万ですよね。一度顔を見てみたいです」
「はあ、それは災難でしたね。」
ナナシノ様は苦笑した。
「でも言い換えれば、職務に忠実な方なんですね。それにしても、そんな不届き者がいたら、私もその人の顔を見てみたいものです。」
そう言って、ナナシノ様は眉間にしわを寄せる。
「うーん、でも、本当にそれだけですかね、あの粘着質は。何か過去に怨恨でもあったとしか思えない素振りでしたが。」
「……鋭いですね。実は、その通りなんです。検査官の娘のテレーザさんに、建築ギルド長の甥のマーニが結婚を申し込んでいたそうで」
「……なるほど。」
「ところが父親の検査官は、結婚はおろか、付き合うことすら認めていない。それが、殊更に建築ギルドへ厳しく当たっていた背景だったんです」
「ああ、やはりそういうことですか。規則だけでここまで厳しくするものかと、私もおかしいと思っていました。」
ナナシノ様は呆れたように額へ手を当てた。
「それで、建築許可は取れたのに、どうして顔色が優れないんです?」
「実は、その前にマーニが結婚の許しを請うたところ、『老朽化したステーネン橋の架け替えを、無事に建築ギルドでこなしてみろ』と、無謀な条件を突きつけられてしまいまして……」
「……。」
ナナシノ様が黙った。
「ステーネン橋」。かつて、大貴族ステーネン家がパトロン制度に則って私財を投じて架けた由緒ある橋だ。しかし、家が没落して帝国へ亡命して以来、維持管理を担う者はおらず、今や崩落寸前の有様である。架け替えの費用は、一ギルドや市参事会の予算でどうにかなる額ではなく、工務院にも予算がない。どのギルドも忌避してきた厄介な案件なのだ。
「あ、それ、あーしの実家の奴ですね。あーしが謝ってどうなるもんでもないっすけど、ご先祖様がご迷惑をおかけしているみたいで、どうもすみません」
ああ、この娘、どこの貴族家のお嬢かと思ったら、あのステーネン家の係累だったのか。
「いやいや、ロセッタ様が悪いわけではありませんから、どうぞ気になさらないでください」
「それにしてもトレディンさん、もしかして、その案件……引き受けちゃったんですか?」
「……(目を逸らす)」
「はあ……。また、他人の恋路問題に首を突っ込んだんですか?」
「……だって」
俺は小さくため息をついた。
「友人に『助けてください』って言われたら、普通、ほっとけないですよね」
─── ■ Section 03 ──────────
◆ トレディン視点:トーマンコンクリートとネーミングライツ
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検査官が次に突きつけてきた課題は、老朽化した「ステーネン橋」の架け替え工事を成功させることだった。橋の架け替えは、大貴族のパトロンでもいなければ資金の目処が立たない大事業で、一ギルドがどうこうできる金額ではない。ここはナナシノ様の頓智の出番だ。
「ナナシノ様~、助けてください!」
「分かりました。それでは、少々お待ちください。」
ナナシノ様は腕を組み、首を直角に曲げ、いつもの長考姿勢に入った。ほんと、いつもすみません。
しばらくして。
「閃きました。」
来た。
「今回の案件は、技術制約と資金制約を、ライフサイクル採算という計算技法でつなぐことを目指しましょう。」
「らいふさいくる……採算?」
「ええ。まず技術的に橋を造れることを示す。そのうえで、建設費だけではなく、橋が使われ続ける期間の維持費まで含めて採算を計算する。そして、その橋が生み出す経済的便益を算定する。そこまでできれば、必要な資金を誰に負担してもらうべきかが見えてきます。」
「なるほど……」
「技術面は建築ギルドの皆さんにも納得してもらう必要がありますから、関係者を招集して……と言いたいところですが、私は目立つわけにはいきません。当事者であるマーニさんだけ、こちらに呼んでいただけますか?」
――後日。
マーニを交えて、改めて話し合いが始まった。
最初は技術の問題だ。
「ステーネン橋には、トーマンコンクリートを使います。」
「トーマンコンクリート?」
「ええ。一般的な工法よりも原料調達が難しく、品質を均一にするのも大変です。その分、初期費用は高くなるでしょう。」
ナナシノ様は、橋の設計図を指差した。
「しかし、トーマンコンクリートは長期的な強度保持と耐久性に優れています。火山灰などに含まれる成分と石灰が長期間反応し、時間をかけて内部が緻密になっていく。」
「つまり、古い橋に使われている理由も、そこにあるわけですか?」
「そういうことです。さらに、急焼石灰を用いた熱間混合によって、反応性の高い石灰塊を内部に残します。将来、微細なひび割れが生じて水が入り込んだとき、その石灰が再び反応し、自己修復に寄与することも期待できます。」
「なるほど……」
「もちろん、万能ではありません。原料調達も難しいし、品質管理も大変です。」
ナナシノ様は、そこで少し笑った。
「だから、そこはお金と手間をかけて解決します。」
俺とマーニはお互いの顔を見合わせた。
「問題は、初期強度です。」
トーマンコンクリートは、長期的には強い。しかし、固まったばかりの段階では、それほど強くない。そこでナナシノ様は、二つの方法を提案した。
ひとつは材料。
「水産ギルドのケルプ灰を、練り混ぜ水に少量加えます。アルカリ成分による刺激で、初期の硬化反応を促進する。」
「ああ、あの水産ギルドのケルプ灰が、コンクリートの硬化促進剤に……!」
もうひとつは施工方法。
「橋を、一気に完成させようとしないことです。」
基礎。橋脚。養生。上部構造。そして開通。
「初期強度が弱いことを欠陥と考えるのではなく、養生に時間が必要な材料特性として、工程そのものに織り込むんです。」
さらに、アーチの下には木材と鍛鉄を組み合わせた仮設補強構造を残す。開通直後は歩行者と軽車両だけ。養生が進めば、徐々に大型馬車の通行を認める。
「橋が完成した日と、橋が最大荷重に耐えられる日は、同じである必要がありますか?」
マーニはしばらく考え込んだ。
「……確かに、その必要はありませんね」
「そういうことです。」
ナナシノ様は設計図を閉じた。
「技術的な問題は、これで解決できます。」
「はあ……」
俺は思わず息を吐いた。
「はあ、ナナシノ様。ここまでで既にお腹いっぱいですが、まだ提案の三分の一なのですよね」
「そうです。もう少しお付き合いください。次は、採算を測る計算技法のお話です。」
――そこで、俺はさらに頭を抱えることになった。
橋の工事には、最初に大きな建設費が必要になる。しかし、橋は完成した瞬間に役割を終える商品ではない。使われ続ける限り、補修費も維持費も発生する。だからナナシノ様は、建設費だけではなく、橋が存在する期間全体の費用を計算することにした。
ナナシノ様が紙に数字を書き並べていく。
初期工事費。
毎年の維持費。
将来の補修費。
耐用期間。
「橋の採算は、工事費だけで測ってはいけません。橋は、使い続ける限り、毎年お金がかかります。『初期工事費+毎年の維持修繕費』を、橋が存在する期間すべてで合計して比べる。これがライフサイクル採算の考え方です。」
「従来工法は、初期費用が安いかわりに、維持費が高く、耐用年数が短い。トーマンコンクリートは、初期費用が高いかわりに、維持費が低く、耐用年数が長い。工事費だけ比べれば高くつきますが、橋が存在する全期間で比べれば、こちらが有利になる可能性が高いんです。」
俺にも、ようやく意味が分かってきた。
「つまり、目の前の工事費だけを見て『高いから駄目だ』と判断してはいけない、と」
「そのとおりです。」
「確かに、橋の工事を、初期費用だけで判断すると大きく間違う、という理屈は理解できました。ですけど、それだけ分かったところで、資金が集まりませんよね?工務院が付けてくれた予算では、初期工事の全額すら賄えませんし、毎年の維持費なんてなおさらです」
「ええ。」
ナナシノ様は、今度は別の紙を取り出した。
「それは分かっています。ですが、毎年の必要コストが具体的な数字で弾けると、その金額をどう集めるかという作戦が立てられるようになるんです。最後は、その資金制約の話です。」
俺はそのままナナシノ様の説明を聞く。
「従来は、大貴族のパトロンを見つけて、橋に家名を付ける、という方法しかありませんでした。お金を出せるのが大貴族に限られていたことと、初期工事費ばかりが注目されて維持費・修繕費が置き去りにされていたことが、従来の制度の欠点です。ここに、『ネーミングライツ』という概念を持ち込みます。」
「『ねーみんぐらいつ』……?」
「橋の所有権を売るのではありません。橋の名前を、一定期間使う権利を売るんです。維持費は計算で分かっていますから、それを負担できる額の使用料を取ればいい。期間も五年や十年に区切れば、『永久に大金を出せ』ではなく『十年間、商号を橋に掲げられる』になって、スポンサー側も投資判断がしやすくなります。」
「ふむ……。有期限の『パトロン制度』みたいなもんですか」
「貴族には『名望対価命名権』、大商人には『寄進命名権』、工務院には『公共貢献命名権』と、相手に合わせて呼び名を変えて説明しておけば、受けがいいはずです。」
「なるほど……それで名前を、売る、ですか」
「そして、これはおまけの概念ですが、初期工事費は原則として公費で負担し、公費で足りない分の補填と維持修繕に、民間の資金を入れます。これをPPPといいます。」
「ぴぃーぴぃーぴぃー、ですか。何か面妖な暗号のようですね」
「さて、心当たりを片っ端から当たっても、スポンサーはなかなか見つかりません。そこで、探し方を効率化します。」
「どう効率化するんですか?」
「まず、ステーネン橋の便益を計算します。渡河時間の短縮、遠回りの解消、荷馬車の飼料の削減、商人の輸送回数の増加、市場へのアクセス改善、周辺の地価上昇……こうした経済効果を、金額に換算するんです。橋そのものは利益を生みませんが、橋を通る経済活動が利益を生む。それが公共投資の基本構造です。こうすることで、『この橋は赤字だから造らない』ではなく、『建設費と維持費を払っても、社会全体で得られる便益のほうが大きい』と、スポンサーに説明できるようになります。」
「はあ、数字の裏打ちがある説得材料、というわけですね」
「はい。さらに、『この便益を誰が受け取っているのか』を掘り下げます。商人、工房、市場、旅人、運送業、周辺の住民……そして、橋が再び使えるようになって感謝され、嬉しがる会社を探すんです。」
「なるほど。橋の復活で利用者に喜ばれて、自分の商売が上手くいく商会に、スポンサーの話を持っていく、という寸法ですね。しかし、便益計算ですか。大変そうですね」
「大丈夫です。ネタだけしっかり探してきてください。計算は、うちのルナリアに任せます。」
「それなら安心です」
「以上が、ライフサイクル採算をハブにして、技術制約と資金制約を同時に解く、今回の計画の肝です。あとは実行あるのみです。それから、橋そのものの価値を高める隠し技を、もう少し私の方で仕込んでおきます。」
「価値を高める?」
「まあ、それは完成してからのお楽しみです。」
いやに思わせぶりなナナシノ様の言葉を尻目に、俺たちはその場を解散した。
――
一か月後、「ウルル・エヤシュロック橋(通称ウルル橋)」の開通式の日を迎えた。無事、スポンサーが見つかったのだ。名を連ねたのは、トーマンコンクリートに必要な良質の火山灰の集積場を持つエヤシュロック工房と、橋に通じる大通りに店舗をいくつも構えるウルル商会。いずれも、便益計算が示す新橋の経済効果と宣伝効果を高く買ってくれた。
大貴族が私財を投じて家名を刻み、名誉を得る。スポンサーが資金を出して橋を維持し、名前を掲げる権利と宣伝効果を得る。古代の公共奉仕を、現代的なスポンサー制度へ見事に翻訳したものだ。
いやあ、ナナシノ様の頓智は、いつ見てもすごい。
そして最後に、ナナシノ様の隠し技が光る。橋の中央の記念碑の台座に相手を立たせ、皆に聞こえるよう大声でプロポーズすると、そのカップルは幸せな結婚生活を送れる――という噂だ。ネーミングライツの価値を高めるために、ナナシノ様が流した。
その台座に据えられたのが、ルミねえが東大陸中を探し回って見事引き当てた『愛の結晶石』。二つの鉱石が接合して、一つの石になっている天然石だ。ナナシノ様が最初に「ルミナス様に探してもらう」と言っていたので、誰のことか一瞬分からなかったが、あのルミねえだと聞いて合点がいった。共和国でも名高い、ハイエルフの冒険者だ。
石が届いた時、ナナシノ様は得意げに言っていた。
「橋そのものに物語を付与するというマーケティング。公共インフラ、企業広告、観光資源、恋愛スポットの四毛作が、ここに実現します。名前だけでは、十年も人の記憶には残りません。名前と一緒に、物語を売るんです。」
いつものことだけど、一人悦に入っている時のナナシノ様の言葉は、いまいち、何を言っているのか分からない。
開通式の最大演目、橋上誓約第一号は、建築ギルド長の甥のマーニと、工務院検査官の娘のテレーザである。
ちなみに、頑固一徹だったあの査察官の父親を最終的に撃沈させたのは、マーニの熱弁ではなく、妻のリッカさんの一言だったという。
「ねえ、あなた、娘のことをもう少し信用してはどうかしら。テレーザがいいと思う相手なら、私たちもお相手を信用してあげなくっちゃ。二人の結婚を親として見守ってあげるのも愛情よ」
頑固親父は泣く泣く折れたらしい。母親強し、である。
衆人環視の中、ウルル橋の中央に立つマーニとテレーザ。マーニの手には、色とりどりのダリアを束ねた、大きな花束が抱えられている。その季節を彩る、華やかな花だった。
「テレーザ――」
マーニは、花束を彼女へ差し出した。
「この花の言葉を、知っているかい?」
「……ううん」
「『感謝』、『威厳』、『気品』。そして――『確固たる誓い』」
マーニは少し照れながら笑い、それから、まっすぐ彼女を見つめた。
「君が苦難の中にいるときも。どんな暗闇に包まれることがあっても、僕は君のそばにいる」
そして、二人の間を流れる川へ目を向けた。
「荒れ狂う川が、僕たちの前に立ちはだかるなら――僕が、その川に架かる橋になろう」
一歩、テレーザへ近づく。
「君が一人で渡るためじゃない」
「二人で、向こう岸へ渡るために」
テレーザの瞳が潤んだ。
「これから先、どんな川が僕たちの前に現れても、僕は君と一緒に渡っていきたい」
マーニは大きく息を吸った。この橋の上では、皆に聞こえる大声でなければ、誓いは届かない。
「テレーザ! 僕と、結婚してください!」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
「はい!」
大きな歓声が、橋の上に響き渡った。
それは川面にまで響き渡る声。テレーザは涙をこぼしながら、花束ごとマーニの胸に飛び込んだ。群衆の歓声と祝福の拍手が、夕陽に染まる橋の上に湧き起こる。二人は、固く抱き合っていた。
夕陽を浴びたウルル・エヤシュロック橋の向こうで、川面が黄金色に輝いている。かつて、大貴族の庇護を失って崩れかけていた橋。誰も引き受けたがらなかった、古びた公共インフラ。
それが今は――。
二人の若者が、これから一緒に渡っていく未来への橋になっていた。
そして俺は思った。
なるほど。
橋っていうのは、案外――。
人と人を結ぶために、あるものなのかもしれない。
――
後日。
ウルル・エヤシュロック橋は、共和国有数の名所になった。
そして、橋上で愛を叫ぶ若者が急増した結果、
周辺住民から、
「夜までうるさくて眠れない」
という苦情が工務院に殺到したらしい。




