水上艶走 ―― 界面活性のクロスインダストリー
───【本話のウォークスルー対象】───
■ Section 01
トレディン視点:二人の恋路問題ふたたび
■ Section 02
トレディン視点:造船ギルドからの逆潮の枷・第1波
■ Section 03
トレディン視点:造船ギルドからの逆潮の枷・第2波
■ Section 04
トレディン視点:恋の迷走、水上の快走にて無事回漕
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─── ■ Section 01 ──────────
◆ トレディン視点:二人の恋路問題ふたたび
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今日はルナリアちゃんに、蜜菓子と引き換えに得意先元帳の売掛消込の突合作業を手伝ってもらった。無事に確認を終え、こちらは一安心だ。さあ、もう一つの仕事の依頼はこれからだ。一度息を整え、気持ちを作る。俺は気を引き締め、いかにも焦燥に駆られた風を装って、執務室のドアを叩いた。
コンコン。
「どうぞ。」
「大変です、ナナシノ様。助けてください!」
「どうしたんです、藪からステックに。」
『すてぃっく???』……まあいい。俺は、ナナシノ様に事の仔細を説明する。
「実はですね、先日ナナシノ様に助けていただいたあの二人――皮革ギルド長の弟ヴィクトルと恋仲のセルマさん。その親父さんの水産ギルド長が、またヴィクトルに難題を吹っかけてきましてね。『お前も海に生きる女をどうにかしたいなら、海の問題を解決してみせるだけの器量を示してみろ!』だなんて。お願いです、助けてくださいよー、ナナシノ様~」
「えー、またですか。お話を聞くくらいならいつでも伺いますが、それにしてもトレディンさん。いつもながら他人の恋路ばかりに首を突っ込んでおられますね。何度も言いますけど、ご自身の結婚は一体いつになりそうなんですか?」
「ですから、今は仕事に専念したいんですってば。それより、私の話は聞いてくれないんですか?」
「ああ、すみません。話の腰を折ってしまいました。どうぞ、順を追って説明してください。」
ようやく、俺は相談の本題を話せる態勢になった。
今回俺が持ち込んだ相談の背景は、実に根深いギルド間の利権と行政の不手際が絡み合ったものだった。
大河デュープフョルド川の河口付近は、もともと漁業や港湾関係の各種ギルドが協同で管理する場所だった。農商関連を管轄する内務院と、外交・貿易関連を管轄する通商院との間でも、阿吽の呼吸で管理されてきた土地である。
それが最近、とみに職掌範囲を広げている工務院が、土木・鉱工業関連の産業ということで、造船ギルドに新たな乾ドックの建設を許認可した。これが今回の問題の発端だった。造船ギルドは、乾ドックの建設用地を自ギルドの排他的所有権の下に取得した。その代償として、水産ギルドには対岸の浜辺が割り当てられた。
問題は、その後に起きた。
乾ドック建設に伴う水門や堤防、護岸などの構造物が潮流を遮り、潮のよどみや引き込み渦が発生した。そのため、沖合や海中林から流れ出た海藻がよどみに吸い寄せられ、一度流れ着くと沖へ戻らず、一方的に溜まり続けるようになった。その海藻が、水産ギルドの管理する浜辺に大量に打ち上げられ、異臭を放って周囲の環境を悪化させているという。
さらに悪夢は重なる。
さらに、工務院と造船ギルドは、乾ドックの突貫工事にあたり、労働力を広く外部に求めた。その際、昔から造船ギルドとつながりの深い「海の民」の激烈王配下から、大量の労働者を受け入れたのだ。乾ドック完成後も、「海の民」出身の建設人夫たちは母国へ帰国しようとせず、この地に留まった。そして港湾近辺に住み着いた者の一部が無頼の徒となり、付近の治安は一気に悪化。今や夜間には誰も近寄れない危険地帯と化していた。
「ふーんなるほど。大体のところは分かりました。時に、トレディンさん。この辺の人は海藻を食べたりしないんですか? 結構おいしいですし、健康にもいいですよ。」
「え゙っ? あの、豚の餌か畑にまく肥料をですか? またいつもの冗談でしょ!」
「ああ、その反応で大体見当がつきました。そうですね、浜に打ち上げられて時間が経ったものは病原菌が繁殖していますからお腹を壊しますしね。あっ、その前に食べ慣れていないということは、そもそも複雑な多糖類を分解できる特定の消化酵素や腸内細菌を備えていないということで……どっちみち、激しい下痢を起こしてしまいますね。」
「だから、相変わらず意味の分からない冗談を言うのはやめて、もっと真剣に考えてくださいよー」
「分かりました。それで、件の水産ギルドと皮革ギルドというのは、この前のスケート場でお世話になったところで間違いないのですよね?」
「そうです。スケート場兼フットサル会場でしたっけ。あの時にお世話になった水産ギルドのセルマと、皮革ギルドのヴィクトルで間違いありません」
「では、少々お待ちください。」
そう言って、ナナシノ様はいつもの姿勢になった。両手を組んで深く顎を引く。この、一見すると居眠りしているような姿勢になった時は、しばらく待っていれば、必ずとんでもない頓智を披露してくれる。俺は息を殺し、ナナシノ様が頭を上げる瞬間を今か今かと待ちわびた。
「うん、閃きました。こんなんでどうでしょう。」
そう言って、ナナシノ様はいつものように立て板に水で、水産ギルドとヴィクトルの苦難を救う良案を示してくれた。
問題は二つ。
一つ目は、環境悪化の原因になっている、浜辺に打ち上げられた大量の海藻。
二つ目は、治安悪化の原因になっている、『海の民』出身の元労働者たち。
「海岸に打ち上げられる大量の海藻と、海岸付近にたむろする元労働者を排除したいということですが、これらを別々に排除することは難しいでしょうね。」
「そこを何とかしてくださいよー、ナナシノ様~」
「ですから、別々に対処するのではなく、いっぺんに解決してしまいましょう。」
「え゙っ?」
こういう突拍子もないことを言い出す時に限って、それが良案なのがナナシノ様なのだ。もう騙されませんよ。いくら俺でも、ここまで付き合いが長くなると、大抵のことでは驚きませんから。
ナナシノ様の提案はこうだ。
水産ギルドが管理する浜辺に打ち上げられた海藻を、水産ギルドが賃金を出して回収させる。回収作業を頼むのは、現在無職で暇を持て余している「海の民」出身の元建設人夫たちだ。日雇いでも仕事になれば、日銭が確保できる。当座の食住に困らなくなれば、悪さをする者も減るはずだ。必要なら、彼ら向けの日用品や食事を販売する出店を浜辺に設けてもいい。浜辺の管理者は水産ギルドなのだから、水産ギルド所有地で営業すること自体には問題がない。
「でも、ナナシノ様。その労賃の出元はどうするんです? それじゃ、水産ギルドの支出だけが膨らんで、ヴィクトルがセルマの親父さんを納得させるどころか、逆効果じゃないですか」
「それも抜かりありません。」
そう言って、ナナシノ様は説明を続ける。
回収した海藻は浜辺で天日干しして水分を除いた後、焼成する。そうして得られた「海藻灰」と、水産ギルドが従来から扱ってきた「鯨油・魚油」を合わせれば、石鹸が作れる。海藻灰を使った石鹸は、獣脂独特の臭いを抑えやすく、洗浄力も高い。都市部の富裕層や貴族向けの高級品として、あるいは紡績業者の羊毛脱脂用として、高値で売却できる。その販売益から、海藻回収の手間賃を十分に捻出できる、という寸法だ。
「ヴィクトルさんは、皮革ギルド所属でしたよね。たぶん、皮なめしの工程で、獣脂や灰汁の扱いには慣れているはずです。石鹸づくりに必要な知識も、きっと応用できます。『原皮の水戻し・脱脂』『加脂工程での加水分解・乳化』『油なめしでの自己鹸化』、辺りの知識ですかね。ああ、トレディンさんに聞き覚えがなくても大丈夫です。ヴィクトルさんには、『石鹸づくりのために、獣脂と灰汁の知識を応用してください』と言えば、きっと通じますから」
『きっと通じますから』というナナシノ様の言葉をそのままヴィクトルに伝えると、ヴィクトルは身を乗り出して、俺のとっておきの計画を目を輝かせて聞いてくれた。
――それから一ヶ月後。
ヴィクトルのセルマの親父さんへの必死の説得も功を奏し、水産ギルドの取り扱い商材である鯨油・魚油と、海藻から作ったケルプ灰を使った石鹸は、無事に商品として形になった。販売益は海藻回収の賃金を補って余りある利益を生み、水産ギルドにとっても新たな収益源となった。
これで、海藻問題と無頼者による治安問題は、ひとまず解決。ヴィクトルもセルマとの交際継続を、親父さんから渋々ながら認めてもらった。
これで一件落着――と思いきや。
今回の諸悪の根源、造船ギルドから、いちゃもんが入った。
――そっちの浜辺でごみを焼いている煙が風に乗ってこっちへ流れてきて、空気が悪くなった。今すぐごみを燃やすのをやめろ!
――俺のところに、『石鹸職人ギルド』から、職分を侵すなと苦情が届いた。隣のギルドとして、『海のギルド』から悪評が立つのを見逃すわけにはいかん!
「なんで問題が増えるんですか、この手の案件は? ナナシノ様、助けてください~」
─── ■ Section 02 ──────────
◆ トレディン視点:造船ギルドからの逆潮の枷・第1波
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せっかく順風満帆な石鹸づくりに棹さして、打ち上がる海藻も街の治安もまとめて一さらいしたと思ったら、これだ。日頃から水産ギルドと角突き合わせている造船ギルドから、煙害の苦情と石鹸事業への横やりが入った。
あの頑固親父――水産ギルド長から、ヴィクトル経由でこの報せを聞いた瞬間、俺の頭の中の警報が鳴り響いた。うん。これは間違いなく、ナナシノ様案件だ。俺個人の手腕でどうこうできる領域を、遥かに超えている。
俺はまず食料品倉庫へ足を運び、ルナリアちゃんへの「賄賂」となる極上の甘味を首尾よく物色。その足で、意気揚々と大賢者の上屋敷へ直行する。
ルナリアちゃんに甘味を献上し、その引き換えとして仕入先元帳の買掛消込の突合作業を片付けてもらった。さて、今日もとっておきの「演出」で、この先に向かおう。
コンコン。
「どうぞ。」
「大変です、ナナシノ様。助けてください!」
「どうしたんです、藪からステックに。」
また『すてぃっく』か。毎度毎度、本当に意味不明なことを。ナナシノ様も飽きないなあ~。
俺は、ナナシノ様に事の仔細を説明する。
今回の海藻問題と治安問題の生みの親でもある造船ギルドから、
1. 藻灰焚きによる煙害の訴え
2. 「石鹸職人ギルド」による職分侵害の訴え
さらに現場を仕切るヴィクトルからは、
3. 大量の海藻持ち込み問題の報告
があった。
つまり、当初は「海の民」が母国へ帰らず、治安問題の火種となったための窮余の一策だった海藻回収の仕事が、思わぬ方向へ膨らんでいた。「割のいい賃仕事が浜辺にある」という噂が周囲に広まり、今では「海の民」の元建設人夫だけではなく、多数の貧困層までが海藻を大量に持ち込んでくるという。
「なるほど。理屈は合っていますね。」
ナナシノ様は、少し考えるように首を傾げた。
「人は損得に聡いですからね。儲かる仕事があると聞けば、そりゃ人手は自然と集まりますよ。」
「だから困っているんですってば。何とかしてくださいよー」
「では、少々お時間を頂いてもよろしいですか?」
「もちろんですとも!」
ナナシノ様は腕を組み、首を直角に曲げ、いつもの長考姿勢に入った。この後、俺がすべきことは一つ。ナナシノ様の発案に驚くこと。いや、別に心掛けなくても、自然に驚くことになるのだが――。
「トレディンさん、閃きました。こんなんでどうでしょう?」
来た。
「これはSCM……いいえ、サプライチェーン管理」の一点突破で、三つの問題を一挙に解決してしまいましょう」
ナナシノ様の一連の解決策は、こうだった。
まず、大量の海藻持ち込み問題は、問題として扱うことをやめる。
「やめる?」
「はい。むしろ、全部受け入れます。」
聞けば、海藻を持ち込む人が増えたところで、ケルプ灰の増産に回せばよい。つまり、他二つの問題解決のためにケルプ灰の増産を図りたいから、海藻が余るのではなく、原料が増えたと考えればいいのだ。むしろ、周辺の海岸の環境改善につながる歓迎すべきことだとか。なんなら、環境美化につながるということで、担当の役所から補助金をもらう好機にしてもいいくらいだとか。
いやあ、ナナシノ様のその発想、こっちは着いていくのがやっとです。
さらに、石鹸の増産投資が間に合わない場合には、乾燥海藻そのものを肥料として農家へ販売する。ケルプ灰が余れば、土壌改良剤として販売する。これは軽量でかつ効果も絶大できっと需要も大きいから、遠隔地の販売先まで輸送賃をかけても採算が合うそうだ。
「酸っぱくなった土を、ひと振りで蘇らせる即効性の薬……くらいに考えてください。」
「海藻って、そこまで使い道があるんですか?」
「ありますよ。」
と、さらりと言う。はい、ここまで来ると感心のため息しか出てこない。
次に、本題の煙害対策とケルプ灰の増産投資案。ここからがナナシノ様の本領発揮だった。口からすらすらと、聞いたこともない設備や技術の提案が次々と飛び出してくる。
1. 「蒸し焼き(炭化窯 / レトルト炉)」への移行
2. 「高煙突 + 水スクラバー(水洗煙道)」の設置
3. 「乾式焼成」から「湿式抽出(浸出法)」への転換
4. 「魔石による無煙加熱」
5. 「風結界」
1. 「蒸し焼き(炭化窯 / レトルト炉)」への移行
ます、直火で燃やすのではなく、海藻を耐火煉瓦や土で固めた窯に詰め、空気を遮断して炭化にする方法で煙を極限まで減らす方法。一番初期投資にお金がかかる方法だが、蒸し焼きの際に出るガス・木酢液状の蒸気を冷却して回収すれば、酢酸やメチルアルコール、タール成分という副産物が得られ、防腐剤や木材塗料の原料として乾ドック側に売ることで、初期投資を回収することもできる。
「はい」
2. 「高煙突 + 水スクラバー(水洗煙道)」の設置
つぎに、窯から伸びる長い煙道を地面に這わせ、最後に高い煙突を建てる方法。煙道の途中に水噴霧あるいは濡らした海藻や砂利の層を通す「簡易スクラバー」を挟む。煙を水にくぐらせることで、悪臭と煤の大部分を水に溶かし込んで捕集できる。そのうえ、陸風・海風の影響を受けない程の高層まで届く煙突から排気すれば、乾ドックへの煙害はほぼ防げる。
「はい……」
3. 「乾式焼成」から「湿式抽出(浸出法)」への転換
もしも仮に、煙を全く出さない方法をとらねばならない場合、そもそも海藻を燃やすのをやめ、乾燥させた海藻あるいは生海藻を細かく砕き、水や熱湯につけ込んでアルカリ成分を水側に溶かし出す。その液を煮詰めて固形分を取り出す方法。
「……はい」
4. 「魔石による無煙加熱」
5. 「風結界」
ここまでは、平民の職人にもできる方法。もし、魔法師/魔術師の力を借りることができるのなら、薪や直火を使わず、「火の魔石」や「熱線魔法」で窯の内部を一気に高温加熱し、不完全燃焼による煙を一切発生させない方法、高い煙突を設置する代わりに、風結界を張って、そもそも乾ドックへ煙がいかないように煙を誘導する方法もある。
「……はあ~」
いつの間にか、俺の返事が生返事になっている。
しかも、ナナシノ様はまだ続けようとする。
「ええとですね、生産技術的難易度は……の順で、初期投資額の大きさは……の順で、準備期間の長さ順だと……、人的資源の確保の観点からだと……。」
「ちょっといいですか、ナナシノ様」
「はい?」
「私は高名な技官でも熟練の職人でもないので、複数の選択肢があるだけでもお腹いっぱいなんですが……」
ナナシノ様が、ぴたりと止まった。
「評価軸を何個も持ち出して『どれが何番目』だの『留意事項はこれ』だのと一気に言われても……」
「……。」
「私には判断できません」
しばしの沈黙。
「あっ。」
ナナシノ様が、何かを思い出したような顔をした。
「失礼しました。昔も、選択肢を並べすぎて怒られたことがありました。」
「昔も?」
「ええ。思いついたものは全部しゃべってしまわないと気が済まないという、悪癖がありまして。」
そう言って、ナナシノ様は少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
ああ。やっぱり俺だけじゃなかったのか。それなら、なんとなく安心した。
(でも、ナナシノ様、地精の国にいらっしゃった時もこんな風に相手を困らせていたのか……こっちに政治亡命せざるを得なくなった原因はもしかしてこの悪癖に関連するものだったりして……)
魔法/魔術を使う解決策については、一ギルドがお貴族様を常時雇うことができないこと、ナナシノ様自身が魔法/魔術の実証実験の結果を検分できないことから、今回は採用見送りとした。
「では、今回は一番現実的な案に絞りましょう。」
そうして選ばれたのが、高煙突と水スクラバーを備えた水洗煙道だった。
「これなら初期投資も比較的抑えられ、準備期間も短い。まずはこちらで煙害を抑えましょう。」
「ありがとうございます!」
ようやく話が分かるところまで降りてきた。最初からお勧め案だけ言ってくれればいいのに。
最後に、石鹸職人ギルドへの対応である。
こちらも単純だった。ケルプ灰を増産し、余剰分を割安で供給する。原料不足が発生した場合には、従来から石鹸を作ってきた職人ギルドへの優先的な割当を認める。水産ギルド側が増産すれば単位当たりの原価も下がるから、思ったほどの損失にもならない。
「なるほど……」
俺は、ようやく理解した。
・大量の海藻は原料になる。
・原料が増えればケルプ灰を増産できる。
・ケルプ灰が増えれば石鹸も増産できる。
・その一方で、余剰分は肥料として売れる。
・煙害は設備投資で抑える。
・石鹸職人ギルドには安価な原料を供給する。
「さすがナナシノ様。物資供給連鎖のカイゼンで、一石三鳥ですね」
こうして俺は、ナナシノ様の提案を持ち帰った。
ヴィクトルと水産ギルド長の了解を取り付け、高煙突と水洗煙道の設置工事に取り掛かる。同時に、石鹸職人ギルドとの交渉も始めた。結果は上々だった。うず高く積まれていた海藻の在庫は、目に見えて減っていく。煙害も収まり、石鹸の生産量も増えた。
これで一件落着。
――この時は本気でそう思っていた。
一週間後。
造船ギルドがギルド連合を引き連れて、またぞろいちゃもんを唱え始めた。
一体どうしたものか。こういう時こそ、いつものアレだ。
助けてー! ナナシノ様ぁ〜!
─── ■ Section 03 ──────────
◆ トレディン視点:造船ギルドからの逆潮の枷・第2波
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俺は急いで取るものも取らず、蜜菓子と在庫管理台帳だけを手に、大賢者の上屋敷へ駆け込んでいた。
コンコン。
「どうぞ。」
「大変です、ナナシノ様。助けてください!」
「どうしたんです、藪からステックに。」
今度はナナシノ様のおふざけに付き合っている余裕もなかった。
「造船ギルドが、また難癖をつけてきました!」
今度は造船ギルドだけではない。
造船ギルドに焚きつけられた沖仲買ギルド、農仲買ギルド、ろうそくギルド、精肉・油脂ギルドまでが、それぞれ不満を訴えてきた。沖仲買ギルドからは、自分たちの領分を犯して、海藻の買取を横取りしている。農仲買ギルドからは、自分たちを飛ばして農家へ肥料を卸している。ろうそくギルドと精肉・油脂ギルドからは、既存の石鹸市場を荒らしている。
どれもこれも、言われてみれば一理ある。
だが、それを全部まともに相手にしていたら、こちらが先に潰れてしまう。
俺が一気に説明すると、ナナシノ様は黙って聞いていた。そして、腕を組み、首を直角に曲げる。いつもの長考姿勢。
やがて――。
ガバッ。顔を上げた。
「分かりました。」
「はい」
「各ギルドには、それぞれ利を配って味方になってもらいましょう。」
「はい」
「そして、最後に造船ギルドには――。」
ナナシノ様は、にっこり笑った。
「この際、同じ船に乗ってもらいましょう。」
「……船?」
「『呉越同舟』、いいえ『一蓮托生』ってやつですね。」
「『ごえつどーしゅー?』もう解読不能な冗談はいいですから、とにかく提案内容を教えてください」
ナナシノ様の案は明快だった。
1. 沖仲買ギルドと農仲買ギルドには、それぞれ海藻買取と肥料販売の仲介に入ってもらう。その代わり、当然ながら仲介手数料を支払う。
2. 既存の石鹸市場を奪われたろうそくギルドと精肉・油脂ギルドとは、市場を住み分ける。既製品は従来通り一般市民や農民向けの普及品市場へ。一方、水産ギルドの石鹸は皮革ギルドから新たに塩析技術を導入し、不純物や臭気を取り除く。香料やハーブを加えた貴族向けの高級美容石鹸と、船体清掃などに用いる産業用石鹸へと、高付加価値化する。
3. さらに石鹸職人などの職人ギルドとは、繁忙期の職人融通、新人教育、技術監修、生産委託などで業務提携する。
「そこまでやれば、各ギルドもわざわざ敵に回る理由がなくなります。」
「なるほど……」
そして、最後の一手。
ナナシノ様は、一拍置いてから、改まった口調で言った。
「最後の関門である造船ギルドとは、正面から対立しません。」
「と、言いますと?」
「コンビナートを作ります。」
悪魔のようないやらしい笑みが浮かんだ。
前回見送った炭化窯――レトルト炉の建造に着手する。海藻を蒸し焼きにすれば、灰の品質と歩留まりが向上する。しかも、それだけではない。炭化の際に発生するガスや木酢液状の蒸気を冷却して回収すれば、酢酸やメチルアルコール、タール成分などの副産物が得られる。それらを防腐剤や木材塗料の原料として造船ギルドの乾ドックへ供給する。さらに、炭化炉から出る排熱を乾ドックの木材曲げ蒸し釜や、塗料・ピッチの加熱に導管で供給する。水産ギルドの「煙害」は、造船ギルドにとっての「熱源」と「原料」へ変わる。
敵対関係だった二つのギルドが、同じ設備を使い、互いの副産物を利用する。
「煙害の敵対関係を、熱源・資源の協調関係に変えてしまうわけです。お互いが操業している間に、相互依存関係がどんどん深まっていきます。これで敵対するのがばからしくなって、文句をいう気力も失せてしまうという寸法です。」
「……」
俺はもう、驚く気力もなかった。
ただ、ナナシノ様がぽつりと呟いた言葉だけが耳に残った。
「それより、グリセリンの精製工程を、どうやって出入りするギルド関係者から秘匿するか……工房内の動線を上手く制御しなければ……」
また、何か難しいことを言っている。
気にしない。気にしない。
そうして、俺たちはまた一つ問題を片付けた。
――今度は、たった三日だった。
「大変です、ナナシノ様。造船ギルドからの嫌がらせが終わりません。助けてください!」
「どうしたんです、藪からステックに。」
「今度は、それどころじゃないんです!」
造船ギルドが、なぜここまで執拗なのか。その理由が、ようやく分かった。造船ギルド長の息子。彼は、セルマの幼馴染だった。そして――セルマに、横恋慕していた。
「つまり、今までの嫌がらせは……」
俺が言葉を失っていると、ナナシノ様が静かに答えた。
「恋愛問題、ですか。」
「はい」
「それは、私には難しいですね。」
「ですよね……」
ナナシノ様は、経済問題なら、いくらでも解決策を思いつく。ギルド間の利害調整もできる。供給網を組み替え、敵対者を利害関係者へ変えることさえできる。
だが、人の恋心だけは――。
「ところがですね」
俺は恐る恐る続けた。
「造船ギルド側から、対決の申し込みがありまして」
「た、対決?」
「海の男なら、ボートレースで決着をつけろ、と」
ナナシノ様が黙った。
「……それで?」
「ヴィクトルが、乗ってしまいました」
「……なぜ問題を一つ片付けると、別の難題が増えてくるのでしょう?」
「だから、なんでそうなるんですか――!」
─── ■ Section 04 ──────────
◆ トレディン視点:恋の迷走、水上の快走にて無事回漕
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「ほう、スヴァルティク・トレング・トルスケルですか。」
「ええ、セルマの幼馴染だそうで。どうも小さい頃からセルマのことが好きだったみたいで……。あの頑固親父をうまく挑発して、親父さんからヴィクトルに、『海の女を勝ち取りたかったら、海の男らしい手段で手に入れてみろ』と、またヴィクトルを煽り立ててしまいまして……」
「それで、ヴィクトルさんは引くに引けなくなった、と。」
「ええ、その通りです。どうしたらいいでしょう、ナナシノ様~」
「『BSS』ですか――。」
「ん? 『びーえすえす?』また新しい冗談ですか?」
「いえ、何でもありません。」
(小声で……『僕が・好きだった・セルマ』……なんちゃって。)
「どうしたもんですかねえ、ナナシノ様。いつもの頓智で、こうババッーと、すごい必勝法なんか考えついてくれませんか?」
「分かりました。これも『乗り掛かった舟』というやつですからね。」
ナナシノ様は、なぜか急に目を輝かせた。
「ということは、完全に海の男であるスヴァルティクさんの得手で勝負する。つまり、最初から不利な状況で始めて、そこから逆転勝利を狙うという超難易度の高い挑戦に臨むわけですね。これはやり甲斐があります。」
変に気合の入ったナナシノ様から尋ねられるまま、俺はレースの細かい規定を説明した。
会場は、大河デュープフョルド川の河口部。乾ドックの水門付近からスタートして下流へ進み、河口の流心を避けるために設置された指定ブイを左回りで回航して、再び上流へ戻る。先に水門をくぐった方が勝者だ。審判は両ギルドと関係の薄い沖仲買ギルドの幹部。水門の上から旗を振って勝敗を判定する。
「つまり、船は一艇一人。船体の構造や形状に制限なし。動力について唯一にして最大の禁止事項は魔法・魔術の使用のみ。積荷や携行品も、魔導具さえ持ち込まなければ自由。つまり、魔法に頼らない物理的な工夫や、風力・道具の利用は一切制限なし。指定ブイさえ回れば、航路も自由……と。」
「ええ」
ここで、ナナシノ様の眉がピクリと動いた。
「伴走船や陸上からの手出しは禁止、と。」
「そこだけは厳格です」
「でも、船同士の接触や進路妨害については?」
「規定なしです。海の男同士の勝負ですから。小競り合いくらいはお互い様、ということで」
「なるほど。ずいぶん豪快なルールですね。」
最後に、落水や転覆で艇が動かなくなった場合は失格。救助船が引き揚げることになっている。
「うーん……ルールが結構雑ですね。それだけに工夫のし甲斐があります。」
ナナシノ様はしばらく考え込んだ。
「船種はシングルスカルにしましょう。」
「カヤックじゃなくて?」
「はい。旋回力、小回り、視野の広さを捨てて、推進力一本に絞ります。相手は力自慢の海の男ですから、恐らくカヤック系で来るでしょう。」
異常な食いつきでレース規則を検証したかと思えば、ナナシノ様はあっさり船種を決めた。てっきり、いつもの蘊蓄から「速い船体の設計方法」でも飛び出すのかと思ったのだが――。
「船底を少し改造しましょう。」
そこから先は、ヴィクトルとセルマを交えた作戦会議になった。まず船底の摩擦抵抗を減らすため、魚油などを使って表面を滑らかにする。オールの支点や軸受けにも油脂を塗り、余計な摩擦を減らす。船体は不要な部材を削って軽くする。ただし、船尾に仕掛けを取り付けるため、重量バランスは慎重に調整する。そして皮革ギルド特製の滑り止め革手袋まで用意する徹底ぶりだった。
時折見せる黒い笑い顔が怖い。
「……これだけですか?」
「いえ。もう一つあります。」
それからのナナシノ様は、日中はセルマと何度もレース予定地の下見検分を繰り返すか、さもなければ船体そっちのけで石鹸工房に通い詰めていた。その間、ヴィクトルとセルマの二人は、夜な夜な二人仲良く並んで船底に流体摩擦低減剤を塗りながら、実に楽しそうにいちゃついている。
――やってられない。
そうこうしているうちに、レース当日がやってきた。
くじ引きで、ヴィクトルは外側のスタート位置になった。審判が魔力探知器を使って、乗員と船体を検分する。魔法や魔導具を使っていないことを確認し、ようやく二人は乗船した。
その直前、ヴィクトルがセルマの前に立った。
「セルマ……俺、このレースで一着を取って帰ってきたら、セルマとセルマの親父さんに聞いてほしいことが――」
「ダメです、ヴィクトルさん!」
ナナシノ様が慌ててヴィクトルの口を塞いだ。
「ダメ! それ以上言ったら負けます! 完全な死亡フラグです!!」
「ナナシノ様、『しぼうふらぐ』って何です……!?」
「今は気にしないでください。ヴィクトルさん、余計なことは言わず、ただ勝つことだけ考えてください。……よし、がんばっていきまっしょい!」
「は、はい!」
ヴィクトルとスヴァルティクがそれぞれの船に乗り込み、出発前の最後の点検をする。
「ところでナナシノ様。セルマに頼んでレース開始時刻をこっちの都合で決めたり、二人で何度もコースを下見したりしていましたよね。何を企んでいるんです?」
「全ては勝利のためですよ。」
「船体改造そっちのけで石鹸工房に籠もっていたかと思えば、今度は船尾にヘンテコな器具まで取り付けてにやにやしちゃって……。いつも以上に怪しすぎます」
「まあ、見ていてください。スタート直後から見物ですから。」
審判が旗を大きく掲げた。観客の視線が、一斉に旗へ集まる。そして――旗が振られた。
二艇が同時に動き出す。
その瞬間、ヴィクトルが足に括りつけた紐を手前へ思い切り引っ張った。紐の先は船尾の装置につながっている。蓋がパカッと開き、中からドロリとした液体が水面へ流れ出した。
次の瞬間。
ヴィクトルの艇が、すうっと前へ滑り出した。
「おおっ!」
「よしっ、そこだ、『イン絞り』だ。外から被せろ!そのまま絞りまくりだ!引き波に沈めろ!」
ナナシノ様が思わず身を乗り出す。
「ナナシノ様、それって何かの作戦の符牒か何かですか?」
「……失礼しました。気分を上げただけです。実は、その昔ボート遊びに凝った時期がありまして……汗。」
「それより何なんですか、あれ? 急にヴィクトルの船が考えられない加速で先行していきましたけど?」
「『マランゴニ効果』です。石鹸と灰汁甘油を混合したものです。いやあ、ヘムスタッド様に献上したおもちゃの自走船に使った技術の応用ですよ。」
「まらんごにこーか?」
「水面に広がった石鹸によって表面張力に差が生じ、その力で艇を前へ押し出すんです。」
「そんなことが……」
「実験済みです。」
あっさり言う。
「あッ! ナナシノ様、見てください! スヴァルティクが力任せに猛追してきますよ!」
「やっぱり、海の男は侮れないですね。」
「頑張ってー、ヴィクトル!」
「あっ、スヴァルティクがとうとう並びましたよ」
二艇が並んだ。その瞬間、スヴァルティクが下卑た笑みを浮かべ、オールの柄を突き出した。狙いはヴィクトルの肩口。
「来るわよ、ヴィクトル!」
岸からセルマの声が飛んだ。
「今よ! 左の水面を叩いて! 右! ブレース!」
ヴィクトルは反射的に身体を左へ捻った。同時に、右のオールを水面へ叩き込む。次の瞬間――艇が大きく傾いた。
「うおっ!」
『ガチャン!』
鈍い衝撃音。
スヴァルティクのオールが艇にぶつかった。ヴィクトルの艇が猛烈に左へ傾く。だが、ヴィクトルは慌てなかった。事前にセルマから何度も叩き込まれた通り、反対側の水面へ全力でオールを差し込む。
『バシィィィン!!』
激しい水しぶき。ブレードが水面を掴み、艇が水平へ戻った。
「馬鹿な、倒れない……!?」
逆に、思い切り小突いた反動を受けたスヴァルティクは体勢を崩した。
「ト、トレディンさん、な、なんですかあれ?」
「海の男の勝負ですから。ここではあれくらい当たり前らしいですよ」
俺も正直、見ているだけで胃が痛い。
「でも、ヴィクトルが耐えきったのは見事でしたけど……あれ?急にスピードが落ちたような……大丈夫なんでしょうか?」
「ええ、これも作戦通りです。ブイの手前では、体力温存の意味も込めてスピードを落とすようにあらかじめ決めてありましたから。」
「そういうものですか?」
「そういうものです。」
そのとき、ナナシノ様が突然叫んだ。
「あっ、そこだー、『まくり差し』だ!!だーっ!なにアウトに膨らんでんだバカ野郎!内を空けるな、インを締めろ!」
「……」
「ヴィクトル、もっと右、右よ。まだ足りないわ。大丈夫、私を信じて」
セルマの指示も、どんどん具体的になっていく。
「あのー、ナナシノ様。セルマの指示が、ずいぶん細かくなってきましたけど」
「ああ。実はこの時間帯、この辺りは潮汐の関係で、逆潮と順潮の境目が出てくるんです。」
「はあ」
「それに、往路で撒いた界面活性剤が水面に広がってきています。そこへ突っ込むと、オールの動きにも影響が出ますから。」
「なんか、ズルしているみたいですけど……」
「だから事前に入念に規則を確認したじゃないですか。何も規則違反していませんよ。相手をオールで小突いてもいませんし。」
ナナシノ様は得意げに笑った。
「戦場では、地形や自然現象を十二分に活用する。弱兵が強兵に勝つ際の鉄則ですからね。」
「ヴィクトルー!オールは規則正しくよー!そこは力任せじゃダメー!」
セルマの声が響く。
んー、セルマの一方的なこの応援の仕方。スヴァルティクからしたら、レース中に思いっきりモチベーションがそがれるなー。敵役で他人事ながら少しだけスヴァルティクが気の毒になってきたよ。
復路ではスヴァルティクが先行していた。だが、徐々に差が縮まっていく。きっと、セルマのコース取りの指示が功を奏しているのだろう。
――これはもしかすると、もしかするか?
「よし、最後の上げ漕ぎだ。」
「やったー!」
「ヴィクトルー、素敵―!」
「刺せ、刺せ、そこだ、差し切りだ~!」
ヴィクトルがゴール前でわずかにスヴァルティクを抜き去り先にゴールした。計画通りかと思いきや、潮の還流で石鹸が予定より復路全体に広がり、最後はヴィクトルのオールまで滑り出すアクシデントもあった。両者泥仕合の末、船底コーティングの摩擦抵抗の差だけで「スーッ……」と滑り込み辛勝だった。
「見たか!これが俺たちの水上の『格闘技』だ!!」
妙に熱くなったナナシノ様は、しばらく放っておくことにした。
レース終了後、茫然自失のスヴァルティクを尻目に、俺たちはてきぱきと後片付けをして会場を後にした。水産ギルドの石鹸工房へ戻る途中、まだ興奮冷めやらぬナナシノ様に、俺は最後の疑問をぶつけた。
「ところで、ナナシノ様。ヴィクトルとセルマの二人、あれだけ熱い所を周囲に見せつけたんですから、もうこれで波乱は起きないですよね?」
「そうですね。あの盛り上がりは『ロミジュリ効果』か『吊り橋効果』のなせる業でしょう。」
また意味不明なことを……話題を変えるか。
「でも、ナナシノ様。どうして石鹸なんです? ナナシノ様ならもっと簡単に勝てる方法をいくらでも思いつくんじゃありません?」
「ああ、固定帆とか凧とかも頭には浮かびましたよ。」
「やっぱり……」
「でも、今回のお話はそもそも『石鹸』から始まったわけですよね。」
ナナシノ様は、少しだけ笑った。
「だったら、『石鹸』で勝敗に決着がついて、相手の企みもろとも、きれいさっぱり洗い流して終わる方が爽快じゃありませんか。」




