枢密院議長への就任 ―― 迂回路 シャドー・キャビネット
───【本話のウォークスルー対象】───
■ Section 01
ナナシノ視点:上屋敷・令外の官と助言
■ Section 02
大賢者視点:上屋敷・大賢者の過去
■ Section 03
大賢者視点:執政府・秘密の諮問会議と暗号通信の不発
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─── ■ Section 01 ──────────
◆ ナナシノ視点:上屋敷・令外の官と助言
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コン、コンッ。
「入れ」
自分は呼び出しに応じ、賢者様の執務室へ入った。執務机の前では、何やら難しい顔をしている賢者様が、手にした便箋を睨みつけている。その傍らには、いつものようにニコラウス様が直立不動で控えていた。いつもの風景には違いない。ただ、部屋の空気が違った。言葉にできない張り詰めた緊張感が、部屋中に充満している。
「旦那様、呼び出しに応じ、参上いたしました。何か御用でしょうか。」
賢者様は、手にした便箋から目を上げないまま答える。
「他でもない。其方に相談したいことがあってな。そこに掛けて楽にしなさい」
自分は、何やら重大な事態が起きたのだと察した。だが、それが何なのかについては、全く心当たりがない。……いや。自分が何かをしでかしてしまった可能性も、ゼロとは言い切れない。ここしばらくの自分の言動を振り返ってみる。まあ、心当たりは……2、3個は余裕で見つかった。
「実はな――」
賢者様の話を掻い摘んで整理すると、こうだった。
『秘密を漏らされたくなかったら、枢密院議長になれ』
正確を期すなら、手紙の文面はこうだ。
『国境には帝国と王国の刃が突きつけられ、執政府と元老院には派閥どもの毒が回っている。外からの圧迫と内の不和――我が国は今、静かに傾きつつある。まさに腹背に刃を抱く状況だ。この不快な挟み撃ちを脱するために、あなたの知恵をここに伏せておきたい』
一見すれば、重鎮の家臣に礼を尽くし、諮問会議に召し出して意見を聴きたいという、正執政官閣下からの丁寧な申し出である。ただし、その前文に、この一節がなければ、だ。
『大賢者が世間を厭い、隠遁の道を選んだ理由について、この耳にいろいろと雑音が聞こえてきて、最近はほとほと困っている』
……なるほど。
ここまで聞いた限りでは、どう控え目に評価しても、
『秘密をばらされたくなかったら、言うことを聞け(枢密院議長に就任しろ)』
という脅迫にしか聞こえない。
「旦那様、もしかすると、その手紙に書いてある正執政官閣下のお言葉は……そのー、まことに言いにくいのですが、一種の『脅迫』のようにも受け取れそうなのですが。」
「儂には、そうとしか読めない」
賢者様は、苦虫を噛み潰したような顔で、忌々しそうに吐き捨てた。
「それで、私へのご相談というのは……。」
「枢密院議長とやらに就くべきかどうかだ。それでな、閣下が耳にしたという、儂が隠棲を決めた時の話じゃが――」
「畏まりました。正執政官閣下の申し出を受けるべきかどうか、検討してみましょう。……ですが、まずその『秘密』の中身については、一切考えないことにしましょう。就任の是非と秘密の内容は、直接関係がありませんので。」
口ではそう言ったが、本音は違う。『好奇心は猫をも殺す』『知らぬが仏』というではないか。この国の最重要人物の秘密を盾に要求を通そうとする、この国の最高責任者が持ち出した秘密。そんな恐ろしいものを、うっかり耳にしてしまって、この身を全うできるわけがない。
自分は東大陸に来たばかりの頃、きっちりと生存戦略を立てたではないか。『匿名隠密の徹底』。ひっそり、こっそり、心静かに日々を過ごす。『触らぬ神に祟りなし』だ。
――余計なことは知らない。
――重要人物には関わらない。
――自分から面倒事に首を突っ込まない。
ここからは、話は早かった。あれこれと賢者様にヒアリングを行う。
・枢密院議長とは何なのか ―― 正執政官の諮問に応える立場
・指揮命令権はあるのか ―― 特になし。私設参謀・相談役といったところ
・予算権はあるのか ―― 特になし
・人事権はあるのか ―― 特になし
・法的根拠は何か ―― 共和国の大法には記載がない。正式な役職ではない
・誰に対して責任を負うのか ―― 個人としてのロミュリウス12世
・任免権者は誰か ―― 個人としてのロミュリウス12世
・報酬はあるのか ―― それなりの役職手当が支給される
・大賢者が置かれるリスクは何か ―― 重大なものはなにも思いつかない
大体の事情は分かった。次は、この要請を受ける/受けないとしたときの影響度分析だ。しばし長考に入る。思考を思索の海の底深くに沈め、発案が自ずと水面まで浮かび上がってくるのを待つ。
はっと覚醒し、顔を上げると、賢者様とばっちり目が合う。
「ようやく、考えがまとまったようだな」
「はい。これ、正式な官職ではありませんね。すなわち『令外の官』ということになります。」
自分の第一声を聞いた賢者様は、静かに頷き返し、目線だけで先を促した。
「こういったポストの話について、一般的な組織論では、『二要因理論(動機づけ・衛生理論)』にあてはめて考察することがあります。」
「二要因理論?」
「はい。役職に就きたいと思わせる『動機づけ要因』と、就任後に不満を生じさせないための『衛生要因』です。」
自分は指を折りながら説明する。
「その役職就任がもたらす昇進・名誉と承認欲求の充足、権限がもたらす責任と達成感、難しい仕事をやり遂げることで得る『やりがい』、それらに報いる高額報酬など。まずその役職に誰もがつきたいと思わせる『動機づけ』を明確にしてその役職の誘因材料とするわけですが……。」
「うむ、今の儂にはそんなものは一切不要である。生活するに困らんし、今更、この大層な『大賢者』の称号以外に得たいものなどもない。そもそも、重責や指揮権といったしがらみから解放された今の生活を捨てる気はさらさらない」
ですよねー、見てれば分かりますとも。
「ならば、残るのは『衛生要因』というやつか?」
「はい」
自分は頷いた。
「『衛生理論』は、本来なら組織を辞めさせないために、消極的便宜を図り、不満を取り除くものです。今回は少し変則的ですが、『旦那様がこの役職を引き受けた後、嫌になって辞めてしまう理由を、最初から潰しておく』と考えれば応用できます。」
そう言って、自分は、賢者様がこの枢密院議長を受けた方がいい理由を『衛生理論』の応用で整理した。
1. 秘密暴露のリスクは「削除」できない。できるのは「被害範囲の局所化」だけ
2. 拒否は「相手の善意への丸腰の賭け」、受諾は「関係の中に相互監視を組み込む」
3. 互いに相手の弱みを握り合う形にした方が、秘密暴露のリスク最小化につながる
4. 最高機密を扱う立場は、秘密の根治策を授けてくれる可能性がある
5. 衛生要因としての免責、責任回避・非公式性・情報非開示の3つを担保
「秘密を漏らされるリスクそのものは、削除できません。ですが、被害範囲を局所化することはできます。旦那様が枢密院議長として正執政官閣下の側に入れば、少なくとも閣下自身が秘密を守ることに政治的な利害を持つようになります。」
「なるほど」
「それに、拒否するということは、正執政官閣下の善意に賭けることになります。しかし受諾すれば、互いに相手の事情を知る関係になる。つまり、秘密を一方的に握られる関係から、相互に慎重にならざるを得ない関係へ変えられます。」
「それで?」
「正執政官閣下が本当に旦那様の秘密を危険視しているのなら、閣下にとっても、それを世間に漏らす理由はないはずです。」
「というのは?」
「今気づいたのですが、正執政官閣下は『脅迫』をしているのではなく、『保護』を申し出てくれているような気がしてきました。旦那様のような重要人物の秘密が万一公開されれば、その内容が何であれ、この国に多大な影響が出るわけですから。最高統治責任者であられる閣下がそれをみすみすお許しになるわけがなく……。」
「ふむう……」
「むしろ、秘密が表沙汰にならないよう、旦那様を自分の近くに置いておきたい。そのために、枢密院議長という席を用意した――そう考えた方が自然ではないでしょうか。」
「うむ。なるほどな。其方が言うことにも一理ある」
「もちろん国難の時期に際し、旦那様の知恵を是非とも聞かせて欲しい、というのが一番大きな理由だとは思いますが如何でございましょう。」
「……」
今度は、賢者様が『長考タイム』に入られたようだ。これが文字通り『賢者タイム』か。……いや、もちろん変な意味ではなくて。
「令外の官」=「権限はないが、責任も負わない最高のポジション」
「握られている脅迫材料」の無力化
「断った場合のリスク」と「受けた場合のアドバンテージ」
――秤にかければ、答えは一つしかない。就任を受ける積極的な理由にはならずとも、十分な補強材料にはなるはずだ。
うん、これは決まったな。
「分かった。其方の言を入れ、此度の『枢密院議長』への就任話、受けることとする」
ようやく、賢者様の意思が固まったようだ。何はともあれ、決心がついて何よりである。
「今更ですが、旦那様。どうして私なんかにこんな大事なことを相談していただいたんです?」
「儂が其方にこの件を相談した最大の理由はな、其方の、まあなんだ、この国の常識に囚われない、奇天烈な知恵を絞れば、妙案に辿り着けるかもしれぬと思ってな。いわゆる『最後の手段』というやつじゃな」
「なるほど、よく分かりました。……それで、最大ではない理由は?」
「なあに、正執政官閣下からの要求が、其方をお供として必ず伴うようにと手紙に書いてあったからじゃな。 聾文小姓として必ず部屋の中へ入れろとな」
─── ■ Section 02 ──────────
◆ 大賢者視点:上屋敷・大賢者の過去
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執務机の上には、いつもの手紙が三通。文箱の中に、几帳面にきっちりと並べて置かれている。この三通が揃う日は、決まって儂の心が落ち着かぬ。
儂はその中から、無意識に一通を手に取った。至誠天剣コーネリアスからの手紙である。手紙の封を切る前から、儂の指は覚えている。この乾いた羊皮紙の感触を。何年前になるか。あの時も、儂は同じように、震える指で手紙を開いた。ただし、あの時は儂自身の不始末の後始末を、義兄に押し付けるための詫び状だった。今回も、書かれている内容そのものは、いつもの文句に過ぎぬ。儂は文面にざっと目を通し、文箱の一番底へ戻した。
……もう済んだことだ。
ミネルヴァには、跡目と共に、儂の罪までは継がせなかった。それだけで良しとせねばならぬ。
コーネリア。お前の名を、儂はもう表立って口にすることすら許されておらん。
そして、年齢不詳のルミねえからの手紙を手に取る。儂が物心ついた頃から、姿も声もほとんど変わらぬ。あの時も、いつもの飄々とした調子ながら一目散に駆けつけ、儂の不始末を共に片付けてくれた。今度の定期報告は、珍しく帝国と王国の跡目争いに関するものだった。
「ハイエルフの癖に、やけにヒト族のお国事情にも関心があるのだな。いつもなら、どこぞの遺跡にどんなアーティファクトがあるとか、珍しい自然現象に関する調査を開始したとか、そんな類の通信なのだが……いや違うか。これはわざわざ儂に知らせてくれたとみるべきじゃな」
小さく呟き、手紙を文箱へ戻そうとした。その瞬間だった。ルミねえの懐かしい文字で書かれた宛名が、目に入った。
――あの頃も、こんな風に手紙を読んでいた。
そして、ふとした拍子に、忘れたつもりでいた記憶が蘇る。
かつての儂は、三つの重職を兼務していた。我がニーブルン辺境伯家の家職である典礼卿。同じく家職として代々受け継がれてきた、翰林学士院学院長。そして、誰も火中の栗を拾おうとしなかったため、儂が引き受けることになった元老院議長。今思えば、よくもまあ、あれだけの仕事を抱えていたものだ。
儂は忙しさにかまけ、家のことを妻に任せきっていた。妻――コーネリアは、そんな儂を責めることもなく、家の中のことをすべて見事に取り仕切ってくれていた。他家との交際もそうだ。儂の公務以外のほとんどすべてを、妻が支えてくれていた。その辣腕ぶりは、妻の実兄であるコーネリアスに少しは分けてやってほしいと思うほどだった。
……あれも、もう少し軍務・軍政の手練手管を学んだ方がよいのではないか。
そんな、義兄への悪意のない軽口を脳裏にかすめる程度のことしか気に病まぬ、充実した毎日だった。三つの重職をこなしながらも、家に戻れば妻が笑って出迎えてくれる。家内については、何一つ憂うことなく、すっかり安心しきっていた。今思えば、あれこそが儂の人生で最も豊かな時分であったのだろう。古き良き頃の話だ。
――好事魔多し。
突然、妻が病に倒れた。
最初は、たいしたことではないと思った。かかりつけの医師も、過労から来る発熱と倦怠感だろうと言った。一週間ほど身体を休めれば問題ない。その言葉を鵜呑みにし、忙しさにかまけて、妻の見舞いに帰宅することすらしなかった。
……あれが、すべての始まりだった。
日を追うごとに妻は弱っていった。医師の見立てが外れたと分かった時には、既に手の施しようがない域まで病が進んでいた。当代の医術でも、魔法薬学でも、もはや打つ手がない――そう匙を投げられて、儂はようやく我に返った。
そして――知りたくなった。
なぜ治せないのか。どうすれば治せるのか。何か方法があるのではないか。研究者としての好奇心。大切な者を失いたくないという恐怖。その二つが、儂の中で混ざり合った。
誰かに相談すればよかったのかもしれない。義兄にでも、ルミねえにでも。だが、儂は相談しなかった。相談すれば止められると分かっていたからだ。使えるものは何でも使う。神山の宝物庫に納められているアーティファクトの力を借りることも厭わなかった。
やがて儂は、手を出してはならぬ領域へ手を伸ばした。禁忌とされていた術式。これまで人前で披露したことのない第六位階に属する大魔術を用い、妻の身体そのものに干渉して、病を治そうとした。目的の為なら禁を破ることすら厭わぬ。誰の助けも借りず、たった一人で。妻を庵まで連れ出し、庵の周囲に結界を張り、術式を紡いだあの夜のことを、儂は忘れたことがない。
もちろん、結界はそれは厳重に張った。高位魔導登録による逆探知を回避するため。それと同時に、万一の場合に発生するかもしれない魔力漣漪から外界を守るため。儂は、あの時、自分の知識と技術を信じていた。これだけの結界を張れば大丈夫だ。これだけの術式制御ができれば大丈夫だ。儂ならできる。
――そう思っていた。
だが、できなかった。結界が、耐えきれなかった。
……あれが間違いだったとは、今でも思わない。あれで妻の命は助かった。いや、あの状態で本当に助かったと言えるのか? ……しかし後悔はない。ただその疑問が頭から離れないのだけは確かだ。
術式は妻の身の内で暴発した。儂の愚行は魔力災害を引き起こし、儂らのいたところが特異点となり、時空そのものが歪んだ。東大陸全体を巻き込むほどの、魔法災害となった。巻き込まれた者の中には、二度と戻らなんだ者もいた。
魔力災害が起きた庵を中心とする一帯は、その後、立ち入りを制限する「保護区」という独立行政単位に指定され、我がニーブルン辺境伯家が管理することになった。これが、今の女神様がおわす神山を中心とした「神域」の成り立ちである。だが、今では行政区としての名目上の由来を知る者は多くとも、真実の由来を知る者は片手で数えるほどしかおらぬ。
皮肉なことに、儂はその後の鎮静に奔走し、事態を収拾した第一発見者、最大の功労者として世間から称えられることになった。誰も彼もが、儂を救国の大賢者と持て囃した。自分で火をつけ、自分で消し止めただけの茶番だというのに。そんな者を、誰が英雄と呼べようか。儂はそれが恐ろしく、そして情けなかった。称賛の声を浴びるたび、儂の中で何かが少しずつ腐っていくような心地がしたものだ。
妻は――一命こそ取り留めたが、今は儂の傍にはおらぬ。あれ以来、義兄コーネリアスに預けたまま、世間からその行方を隠し続けている。今も向こうで壮健に暮らしておるだろうか。せめてそれだけが救いだと思うようにしている。
そして儂自身も、身内から距離を置いた。ミネルヴァについても同じだった。だが、完全にニーブルン家から出してしまえば、ミネルヴァ自身の将来まで閉ざしてしまう。儂は実娘であるミネルヴァを、実父の養子とした。もしも、いつの日か儂の罪が明るみに出て、儂が裁かれることになったとしても、少しでも娘に累が及ばぬように。何より、学院長の職を継ぐ者として、ミネルヴァ以上に適任な者はいなかった。だから、家職を分けた。翰林学士院はミネルヴァへ。典礼院の職掌は、ニーブルン家の傍系へ。
跡目を決め終えた後、儂は世を厭い、この庵――妻との最後の思い出の地に隠れ棲む道を選んだのだ。儂はこれで、すべて終わったと思っていた。しかし実際は何も終わってはいなかった。
帝国の教皇が、今なおコーネリアの行方を追っている。なぜ、そこまで執拗なのか。儂にも分からぬわけではない。何をどう嗅ぎつけたものか、あの事件の裏側に、何やら胡散臭い匂いを感じ取っておるようだ。コーネリアを見つければ、何かを証明できると考えている。だからこそ、妻を世に出すわけにはいかぬ。妻を守るために隠す。隠すからこそ、探られる。探られるからこそ、さらに隠さねばならぬ。
……悪循環だ。
そして元より、司法院――ピニャプラート侯爵家への政敵からの風当たりは強かった。なにせ罪を犯した貴族家の取り締まりの元締めであるからな。それに加え、外国勢力からの幾度もの襲撃が重なれば、儂の愚行が、娘の嫁ぎ先であるあの家の今の苦境を招いたと言っても過言ではない。遡れば、儂らを苛むすべての綻びは、あの一件に行き着くのやもしれぬ。儂が隠せば隠すほど、かえって疑いを深めさせてしまっているのやもしれぬな。因果なものだ。
ルミねえが魔力災害の発生時、迅速に駆けつけてくれ、共に解決に尽力してくれたこと。妻を完治させるための秘術やアーティファクトを求めて東大陸中を今でも巡ってくれていること。その進捗状況を定期通信に時折まぎれさせて知らせてくれていること。それらは、誰にも明かせぬ二人だけの秘密である。
……まだ、何一つ片付いてはおらんのだな。
儂は三通目の手紙を手に取る。正執政官閣下からの、枢密院議長就任を迫る度重なる催告状だ。文面は丁重だが、その裏に隠しようもない棘がある。あの隠遁の理由について雑音が聞こえて困っている――とな。
なるほど。閣下もあの異常さに目をつけられたか。さもありなん。あの御仁の耳目は、儂が思うより遥かに遠くまで届いておるようじゃ。
……さて、儂一人の頭では、もう埒が明かぬ。
ではお望み通り、本人にこの問題を考えてもらうとするか。あれなら、儂には思いもよらぬ角度から、この難題を切り分けてくれるやもしれぬ。
─── ■ Section 03 ──────────
◆ 大賢者視点:執政府・秘密の諮問会議と暗号通信の不発
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儂は、担当者の案内に従って、執政府にある正執政官専用の「内談室」に入室する。ここが、枢密院議長として、正執政官との差しでの諮問会議の場となる――はずだった。
部屋の中に入って、あるべきではない奇異なものに目がいった。
ほう、あの三人が同席するか。おそらく、この儂を怪しんで、おかしな真似でもしでかさないか、監視するつもりなのだろう。まあ、最初の一、二回同席させておけば気も済むじゃろうて。それより、ナナシノの方は気を付けておかねばならぬ。
儂は手元の紙片にさらさらと文字を書き、控えているナナシノにも見える位置へそっと置いた。『くれぐれも、あの三人の前で、しゃべる、とか、文字が読めるそぶりを決して見せないように』。ナナシノが紙片に目を落とす。そして、『畏まりました、旦那様。』と書き返した。よし。この件は片付いた。。
この部屋には窓がない。かわりに、厳重な結界が幾重にも張り巡らされている。会話の音を外に漏らさぬ防音の結界。内から外への魔力の波動を抑え込む遮断の結界。そして外からの魔力探知そのものを弾き返す妨害の結界。密談の場に相応しい、三重の備えというわけだ。
ここへ辿り着くまでにも、厳重な検めがあった。まず佩刀は禁物ゆえ、身につけた得物は一時預けとなる。次に、魔力探知器による形式的な検分。暗器の類を隠し持っていないかを機械的に確かめるだけの、いわば通過儀礼だ。
そして最後に、担当官からの問いが飛ぶ。「正執政官を害する目的で何か隠し持ってはいないか」。この問いの真の狙いは、答えそのものよりも、答える者の魔力波形にある。嘘をつけば、いかに巧みに言葉を取り繕おうとも、魔力の揺らぎが答えを裏切る――東大陸ならではの、実に几帳面な尋問術だ。平民とて微弱ながら魔力を発しており、この道の専門官はその機微を読み解く感度を鍛え上げている。
ナナシノは、無論、正執政官を害する意図など毛頭持たぬ。この問いをやすやすとすり抜けられるし、嘘をつかせる必要もない。もっとも、そもそもナナシノの魔力そのものが、身につけた術具によって受け流されている。仮にあれが内心で動揺し、波形が乱れたとしても、この専門官の目にはついぞ映らぬのだが。
事前の申告では、ナナシノの特殊事情について、一応の断りを入れておいた。それで心配はいらぬだろう。
「この者には事情があり、魔力に関する術具を身に着けております。解除すると困りますので、そこだけご容赦を」
儂がそう告げると、検分の官吏は存外あっさりと頷いた。あの術具は、探知の波をそのまま受け流す仕立てになっておる。跳ね返りが一切戻らぬゆえ、相手はこう思うわけだ。――平民でありながら、これほど魔力が枯渇した体質とは、東大陸で生きるだけでも難儀だろう。哀れな子だ、だからこそ顔を隠して暮らしておるのだな、と。皆一様に、そう得心して見逃してくれる。よくできた仕掛けよ。
正執政官閣下が、おもむろに口を開いた。
「大賢者よ。此度は私の招きに応じてもらい感謝する。早速、貴公の意見を聞きたいことがある」
「はて、この老骨にも答えられることであればよいのですが。何なりとお申し付けください」
「されば過日、御三卿の姫たちが揃って次期当主に後継指名されての。私の所の愚息に娶らせる者に心当たりはないかと思ってな。そこに控えている三人が言うには、貴公の所にも年頃の姫がいるという話だそうだが」
ああ、これは一答目から試されているわけじゃな。閣下ではなく、あの側近共から。
「滅相もございません。うちの孫娘は至って内気で、とても執政夫人が務まる器ではございませぬ。それにあれは双親を疾くに失っており、後ろ盾とて無きに等しい身。そのような娘を大公家に縁付かせるなど、後々禍根を残すものと存じます」
「うむ。であるか。ならば、学院長を後見役につけるのはどうだ。血筋でいえば叔母姪、名分でいえば大叔母姪孫の間柄だ。彼女も今は子がいない。適任ではないかな」
「滅相もございません。我が義妹に親代わりは務まりませぬ。二人そろって不調法の極み。我が一族の面汚しでありますれば、この話はすべてなかったものとしていただきたく」
「うむ。であるか」
そう短く答えたまま、閣下はしばらく黙っていた。ただ、おかしなことに、手元の葉の形をした錫器を弄びながら、じっとこちらを見ている。いや――正確には、儂の後ろに控えているナナシノを見ているのではないか。
しばらくして、閣下は話題を変えた。
「で、大賢者よ。過日、魔法師団の方で『魔導中継哨』とやらの本格運用が始まったそうだ。それで、担当が言うには、民間の方へ技術移転して、帝国や王国との長距離通信網とやらを逓信院と協同で整備したい、という意味の分からぬ進言があってな。貴公の意見が聞きたいのだが」
なるほど。
閣下は、『魔導中継哨』にナナシノが一枚噛んでいることをご存じなのだ。それをナナシノ本人に聞きたい。しかし、身分差から直答させるわけにはいかぬ。しかも、ナナシノは聾文小姓として、この場に控えている。三寧人の前で口を利かせるわけにはいかぬ。
となれば――。
「指向性念話」で直に聞き出そうとしているのだろう。それが叶わずとも、せめて儂を介した筆談ででも意見を引き出したい――そういう腹積もりで、先程から合図を送っているのではないか。
うーむ。確証はない。
儂が逡巡していると、閣下がおもむろに手にしていたペンを床へ落とした。ころころと転がったペンは、儂の席の前で止まった。閣下は目線だけで、ナナシノに拾わせろと指図してくる。儂は、頬が緩みそうになるのを堪えつつ、ナナシノへ目配せした。ナナシノはすぐに意を汲み、ペンを拾い上げ、閣下の前まで伺候する。直接手渡しできる寸前だった。
閣下付きの聾文小姓が気を利かせたつもりか、ナナシノの手からペンを受け取った。その瞬間。閣下の顔に、一瞬だけ焦りの色が浮かんだ。
……なるほど。
これは、ほぼ間違いない。閣下は本当に、ナナシノへ「指向性念話」を飛ばそうとしている。儂はこの諮問会議の真剣な内容に反して、この倒錯的な状況が非常に可笑しくてたまらなくなった。しかし、ここで諦めるような御方ではなかった。
しばらく思案顔をしていた閣下は、何かを思いついたらしい。急に明るい顔をすると、お付きの聾文小姓へ茶の替えを指示した。そして、手元の紙片に何かを書きつけ、二つ折りにして儂へ差し出す。
儂はナナシノへ目配せした。ナナシノは意を汲み、閣下の御前へしずしずと伺候する。閣下は、その間ずっと、神経を研ぎ澄ませたような顔をしている。今度は――さらに至近距離から「指向性念話」を試すつもりか。ナナシノは何食わぬ顔で紙片を受け取ると、閣下へ背を向けることなく、そのまま後ずさって儂のところまで戻ってきた。
儂は紙片を受け取った。そして、書かれていた文字を見た瞬間、さらなる笑いをこらえる羽目になった。儂はさらさらと返事を書き、再び二つ折りにしてナナシノへ渡す。今度は、ナナシノが直接閣下へ紙片を手渡すことに成功した。相変わらず、近づいてくるナナシノを凝視し、額に脂汗を浮かべる閣下。
儂は、こみ上げる笑いを抑えるのに苦労した。
まあ、ナナシノの場合、紙片の授受ができるほど近づいたところで、いかなる魔力思念波であろうと受け取ることはできぬ。
閣下が儂の書付を見た。右眉だけが、ピクリと上がる。感情を抑制することに長けた閣下にしては、珍しい反応だった。やがて閣下は儂の目を直視した。
「本当か?」そう問うているのだろう。
儂は、「本当にございます」と目で答えた。
わずかに閣下の全身から力が抜けた。閣下は再び紙片へ目を落とし、しばらく黙考した後、散会を告げた。
内談室を辞し、誰もいない回廊へ至って、ようやくナナシノと気兼ねなく話せる場所まで戻ったところで、背後からナナシノが珍しく困惑した様子で話しかけてきた。
「旦那様、そういえば、正執政官閣下からの紙片には、どんなことが書いてあったのでしょうか。普通なら、こんなことを下の者が聞くのも憚られるものであることは承知しております。ただ、あまりにも閣下のご様子が尋常ではなかったので、気になって、気になって。それに、また私が粗相をしでかしてしまったのではないかと心配で、心配で。」
「なあに、大したことは書いてなかったぞ。其方に、ヘムスタッド様も驚くような仕掛けのおもちゃを作って欲しいそうだ」
「ああ、そういうことですか。閣下もああ見えて、きちんとお父さんをしているんですね。分かりました。何がいいか考えておきます。でも、さすが正執政官閣下ですね。諮問会議という公式な場であっても、同時にいろいろな思案を巡らすことがおできになるんですね。さすが、一国の最高指導者は違いますね。」
「ああ、そういうことにしておこう」
本人には、決して教えられまい。あの紙片には、もう一つの独白があったことを。
『なぜ、あの者には私の思念波が届かぬのだ?』
『あれは、魔力の操作は一切できません』




