因果律の綻び3.0 ―― 非同期パケット
───【本話のウォークスルー対象】───
■ Section 01
間諜侍女視点:リヴスフレーデ私宅・三寧人の自治放談―内憂外患
■ Section 02
コーネリアス視点:長城・東部戦線返事なし
■ Section 03
大司教視点:地下聖堂・宿願の聖地奪還と魔導遺物と秘儀復活
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─── ■ Section 01 ──────────
◆ 間諜侍女視点:リヴスフレーデ私宅・三寧人の自治放談 ― 内憂外患
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ことり。
私は細心の注意を払って、温めた茶を三人の前へ置く。
陶器が卓に触れる音さえ、今は妙に大きく感じる。三人の会話が途切れているせいだ。こういう時こそ、余計な動きをしない。視線を上げず、ただの侍女として振る舞う。だけど、耳だけは常に研ぎ澄ましている。
「それにしても、やってくれたな、あの誠実さだけが取り柄だと思っていたフェルトルン家の公爵様がな」
トローゲンが右手でカップを口に運びながら、嘆息交じりに呟いた。彼の声はいつも大きく、どこか自信家の響きを帯びている。
その横顔を苦々しげに眺めていたロヤレーリットが口を開く。
「しかも、レンヴァッテン公爵家、エンブロ公爵家と御三卿全部をひっくるめての画策だ。温厚篤実を絵に描いたようなフェルトルン家の柳腰だと思っていたが……まさか己の次女をエンブロ公爵家へ養女に出したうえ、三家揃って『実娘・養女』の女子を跡取りに据えるとはな」
「ええ、全くだわ」
当家の主、リヴスフレーデが眉をひそめて言葉を継いだ。
「でも、エンブロ公爵夫妻のお考えの方がわからない。お二人に実子がないことは前々から分かっていたことでしょう。ご兄弟には男子もいらっしゃるのに、傍系から男子を迎えるでもなく、わざわざ他家から——それも娘を養女に迎えるだなんて」
「そこなのだよ、リヴスフレーデ」
「何がよ、ロヤレーリット」
「つまりこうだ。エンブロ公爵夫妻が実子に恵まれなかったからといって、早々に甥や大甥、従甥を後継に指名してみろ。途端にエンブロ家の行く末に対して、その親の発言権が大きくなってしまう。他家から娘を迎えたのは、己の家中統制に自信がないことの裏返しよ」
「なるほど、そういうことね」
リヴスフレーデが頷く。
「傍系を早く後継に据えれば、その親に主導権を奪われる。かといって後継を曖昧にしておけば家中が荒れる。ならば他家から養女を迎えて後継に据える。これなら当分、自分たちの手元に主導権を残せる……そういうことね」
「その通りだ」
ロヤレーリットが満足げに頷いた。
「だが、さらに悪いことに、フェルトルン家もレンヴァッテン家も、長女を後継に立てた。わしらのヘムスタッド様のお相手を、フェルトルン家の姉妹のどちらかから迎えようというこちらの目算が、これで完全に潰えた。」
共和国の大法のひとつである『男系相続』の裏を突かれた形ね。一代限りの女性当主となった娘たちを、よもや大公家に輿入れさせろとは、いくら図々しい三寧人でも口が裂けても言えないわけね。
「我らにとって痛恨なのはそこだな、ロヤレーリット。振り出しに戻ってしまった。また一から出直しだな」
「いや、痛恨なのはそこではないぞ、トローゲン」
「では何だと言うのだ、ロヤレーリット?」
「誰がこの絵図を描いたか、だ」
ロヤレーリットの声が一段低くなる。
「エンブロ家がフェルトルン家の嫡流から養女を迎える。御三卿が申し合わせたように同じ時期に次期当主を指名する。公爵家の次期当主となった娘を、大公家が『嫁にくれ』などと言えるはずもない。つまり、ヘムスタッド様への御三卿からの輿入れを、どうしても避けたい御仁がどこかにいるということだ」
「まあ。それはいったい誰なの?」
「それが分かれば苦労はしない」
ロヤレーリットはそう言ってから、リヴスフレーデへ顔を向けた。
「それより、閣下のご様子はどうだった? 御三卿そろっての後継指名の一報を受けて、何か色をお見せにはならなかったか?」
「いいえ、何も。第一報をお耳に入れた時も、いつものように落ち着いていらっしゃったわ」
リヴスフレーデは少し寂しそうに微笑んだ。
「政務を離れて、少しくらい実の父親らしい顔を見せてくださるかと思ったのだけれど」
その言葉を聞き、トローゲンが得意げに胸を張った。
「何、我らがしっかり政務を見て差し上げているからこそ、正執政官閣下も落ち着いていられるのだろう。守旧派と急進民衆派の勢力を調整し、大公家が御三卿や五摂家のどこを次に近づけるか。時機を見ながら順に回してきた、我らの手腕あってこそだ。そうだろう、ロヤレーリット」
「うむ。それに帝国の欲の皮が突っ張った聖職者や、王国の自尊心ばかり高い若僧もな」
ロヤレーリットが口角を上げる。
「わしらが、共和国に放たれた密偵どもに見張りをつけたうえで、あえて泳がせていることなど夢にも思うまい。こちらとしても、我らに都合のよい情報を二国へ流すのに便利に使える。せいぜい利用させてもらうまでだ」
そう言って、ロヤレーリットは意地の悪い笑みを見せる。分かっていても、間近でその顔を見るのは精神衛生上よろしくない。私は手元の盆を握り直した。
「そうだな。翰林学士院の学長室に仕込んだ仕掛けに、いつ気づくものか——今から楽しみだな、ロヤレーリット」
「まったくだ」
ロヤレーリットは愉快そうに笑い、それからふと思い出したように続けた。
「それで思い出した。恐らく今回の御三卿の後継指名の件も十中八九、あの老いぼれの仕業だろう。これほど老獪に立ち回れるのは、あの爺しかおるまい。しかも御三卿に直接物申せる立場でもあるからな」
トローゲンが眉をひそめる。
「でも、どうして老いぼれがという疑問は残るであろう、なあロヤレーリット」
ロヤレーリットは愉快そうに笑い、ふと思い出したように続けた。
「おそらく、外孫の娘がいただろう。前ピニャプラート侯爵の忘れ形見だ。そいつを押し込もうという気かもしれぬ」
リヴスフレーデが小さく息を呑む。
「そうね。やっぱりあのご老人には、もっと警戒した方が良さそうだわ」
なるほど。
三寧人の見立てでは、今回の件――共和国の三姫の後継指名――は大賢者の画策ということらしい。
盆を抱えたまま、私はそっと息を整える。
この話は、この後すぐに御屋形様へ報告しなければならない。
─── ■ Section 02 ──────────
◆ コーネリアス視点:長城・東部戦線返事なし
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薫風が頬を撫でる。若草の匂いが鼻腔をくすぐる。
やはり、俺にはここの風が性に合っている。フヴドスタードの元老院の議場などより、こちらの方がよほど息がしやすい。あの息苦しさは、淀んだおっさんの匂いのせいばかりではないのだろうがな。
城壁の上に登り、遥か遠くに見える王国軍の陣地を眺めやる。旗が幾本も風になびいている。狸親父の言う通り、俺がここを離れている間も、王国軍が動く気配は微塵もなかった。結果として、我が共和国が誇る諜報網「王の目王の耳」の能力は、少なくともこの東部戦線においては万全に機能していると証明されたわけだ。
であれば、その狸親父から内々に相談された事案についても、そろそろ真剣に考えねばなるまい。共和国軍が抱える、兵力不足と練度不足の問題だ。この問題は厄介だ。潜在的には病が進行しているのに、自覚症状がない。しかも、気付いたときには手遅れになっている。内臓を静かに蝕む慢性病に似ている。さらに始末が悪いのは、他人に理解してもらうことが難しいことだ。そもそも、やたらめったら他人に相談できる話でもない。
我が共和国の根幹を支えるのは、有産市民による自前調達のレショーンだ。そして今や共和国軍では、同盟に参加する諸都市から兵を集めている。 兵が退役する際には、フヴドスタード市民権と同等の共通市民権を与える。さらに、自ら耕作できる土地も与える。いや、むしろ、目の前にこの二つの権利がぶら下がっているからこそ、諸都市から血気の盛んな若者が集まってくる。だが、もはや退役軍人に与える土地がなくなりつつある。
まだ救いだったのは、軍の維持費そのものだった。属州や同盟都市に対して、フヴドスタードが安全を保障する。その代わりに軍役を課し、軍役を負担できない場合には、その代納金を徴収する。この軍役代納金によって、共和国軍の維持費は賄われてきた。ところが今、本来なら軍団の装備や食糧費に充てられるべき「軍役代納金」が、いまや退役軍人に与えるための民有地の買い上げ資金へと大量に流出している。
これは由々しき事態だ。いずれ買い上げられる土地はなくなる。そうなれば、いくら金を積んでも土地を買えなくなる。土地がなければ、退役後の生活を保障できない。そうなれば、新兵を集めるための魅力も失われる。新兵が集まらなければ、兵力が減る。兵力が減れば、一人の兵士にかかる負担が増える。負担が増えれば、練度も士気も維持できなくなる。そして、退役しても土地がもらえなくなるという話は、どれほど緘口令を敷こうとも、いずれ軍内に広まる。そうなれば、新兵募集はさらに難しくなる。
悪循環だ。
そうなる前に、各部隊の練度を維持しながら、兵力補填にも手を打つ必要がある。狸親父が打診してきた「第四軍団の精鋭部隊を引き抜き、各地の中小駐屯地へ配置換えする」という無茶な再編案も、そのための苦肉の策というわけか。
だからこそ、狸親父は、事が顕在化する前に首都から各方面へ伸びる街道を整備している。首都を守るマリウスが指揮する第一軍団の派兵範囲が広がれば、その分、周辺の中小駐屯地が抱える負担を減らせるという計算だ。だが、街道整備にも金が要る。結局、その費用も軍役代納金から拠出せざるを得ない。魔法師団の縮小再編成で経常費を圧縮したところで、焼け石に水だ。
であれば、我が第四軍団の再編が先決だな。
俺は城壁の手すりを爪先で蹴飛ばし、眼下で黙々と訓練に励む部下たちを見下ろした。
問題は、新兵の補充が期待できない今後、減る予定の兵力をどう埋めるかだ。士気と練度の向上だけで補える範囲には限界がある。
ならば――。
中央で試験運用され、すでに効果が認められつつある「感応通信兵」を、ここでも先行運用してみるか。この長城の各城門に配備する。通信が届く範囲が一気に広がるならば、広域の索敵が可能になる。感応通信によって、城門から離れた地点で発生した異常を迅速に把握できるようになれば、城門と城門の中間に置いている詰所の間隔を、もっと広げられる。つまり、同じ範囲を監視するために必要な兵力そのものを減らせる。
うむ。
これは悪くない。
中央から派遣されてくる感応通信兵の数が足りなければ、第四軍団の中から魔力適性のある者を募って自前で育成すればいいだけだ。
俺がこの前首都へ行ったとき、狸親父から投げつけられた意地悪い宿題が、これでようやく解けた。博識で悪知恵の働くあいつほどではないが、俺も得意分野なら、それなりの案を思いつくことはできる。まあ、あいつより結構時間はかかるがな。
ここ二週間ほど頭から離れなかった宿題が解け、ほっとしていた、そのときだった。
伝令が慌てた様子で近づいてくる。俺は目線だけで、側まで来ることを許した。だが、どうにも様子がおかしい。怯えているというより、足取りが重い。見るからに「言いにくいことを言いに来た」という顔をしている。
おいおい。戦場でそんな感情をむき出しにするな。敵に付け込まれるぞ。何をそんなに恐れることがある。
「軍団長、今、少しお時間よろしいですか?」
俺は目線だけで返事をした。
「実は、その……」
「何だ。早く用件を言え」
「魔法師団師団長兼信連隊長、逓信院魔導通信庁設営技監の連署で、試験運用に関する報告が届いております」
「言ってみろ」
「『東部戦線から首都への緊急通信の試験運用は、点検項目をすべて満たし、万事問題なく終了した。試験運用にご協力いただき感謝する』とのことです」
「うむ。了解した。それだけか?」
それだけの伝言に、なぜここまで緊張する?
「いえ……あの、実は、もう一文だけ『追伸』の伝言がありまして。それがその……」
「何だ?」
「魔法師団師団長付副官兼魔導中継哨整備特命担当官の、えー、その……レンヴァッテン公爵令嬢からです」
「おお、次期当主になられたモモ嬢か。早く用件を言え。何があった?」
「では、そのままお伝えします」
伝令が一度、深く息を吸った。
「――『第四軍団長へ。秘密通信の内容として、【お元気ですか、私は元気です。たまには手紙をくれ】は不適切です。賢者様からのご返事も当然ございません。なお、以後の本番運用では、通信の私用は厳に謹んでいただくよう切にお願い申し上げます』……以上です!」
「…………」
静寂が、長城の上に降り積もった。薫風が、俺の頬を寂しく撫でて通り過ぎていく。
俺は青空を見上げ、ぽつりと呟いた。
「ふむ、東部戦線、返事なし……か」
─── ■ Section 03 ──────────
◆ 大司教視点:地下聖堂・宿願の聖地奪還と魔導遺物と秘儀復活
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「所詮、『教皇は太陽、皇帝は月』である」
「はい。まこと、その通りでございます、教皇聖下」
薄暗い地下聖堂の片隅で、獣油ランプの炎が二人の顔を蜂蜜色に照らしていた。油の煮える、パチパチという不快な音。煤けた黒煙。そして、何かの肉が焦げたような、鼻につく臭気。ここには聖堂の華やかさはない。石造りの丸天井は幾重にも重なる歴代教皇の棺を戴き、その沈黙が地上のいかなる玉座よりも重い権威を発しているようだった。
教皇アレクセンティウス9世。
帝国旧教界の頂点に君臨する『第184代大司教座聖堂最高教皇』である。
痩身で驚くほど背が高く、針金のようにしなやかかつ引き締まった身体。病的なまでに白い白皙の肌に、獲物を狙う鷹のごとく鋭く澄んだ琥珀色の瞳。
「神は過ちを犯した羊をも愛される。……故に、その魂が異端の汚濁に染まりきる前に刈り取り、天主の元へ回収して差し上げることが、我らにできる最大の慈悲なのだよ」
聖下の御声は、驚くほど穏やかで低い。耳に心地よく染み通る上質な鐘の音を思わせるその声音は、たった二人しか存在しないこの地下聖堂の静寂によく通った。荒らげた大声を出すことは絶対にない。敵を破滅させるときほど、聖下は慈悲深い表情で祈りの言葉を捧げる。
「はい。所詮、諸侯から権力闘争の結果に基づいてただ選出されただけの世俗の皇帝など、『教皇聖下の命令で戦争を行うだけの名誉職』に落とし込むだけです」
私から見れば、聖下は『神の威光』と『現実政治の冷徹さ』を完璧に併せ持つ怪物で、帝国全土の諸侯をひれ伏させた圧倒的政治力・教義的権威を持っている。それと同時に、裏では毒薬・買収・暗殺・密約を平然と使いこなし、皇帝すら自らの盤上の駒として扱う冷酷な現実主義者でもあらせられる。
「神がそう思召しなさるのだ」
聖下は静かに宣たまった。
「はい。その通りでございます。それで聖下の御意志として、今後はどのような指針で下の者を動かしましょうや」
聖下は、派手な金糸の法衣を嫌い、白銀と深紅を基調とした洗練された最高級シルクの法衣を着用。指には教皇の象徴『漁夫の指輪』と、毒薬が仕込まれた黒瑪瑙のリングを嵌めている。そのリングを聖下は細い指で優しく撫でながら言葉を継がれる。
「うむ、まずは、皇帝を『教皇の剣』へ貶めることであった。そしてふたつめ。『聖遺物』による奇跡をこの手に独占すること、である」
常に微笑みを絶やさず、静謐で神聖な気を纏う。だが、その視線に射抜かれた者は「己の魂の価値を天秤にかけられている」ような錯覚と不気味な威圧感を覚える。
「はい。重畳でございます」
先の「ヴォルムシュタット協約」以来、叙任権は我ら旧教派の手に認められている。皇帝がいかに強大な軍を持とうとも、その臣下たる諸侯を誰が任命し、誰が正統な地位を認めるのか。そこを押さえればよい。
後は、旧教の権威を永遠のものとするため、古代のアーティファクトを教皇庁の地下聖堂へ集積。科学や新教のふざけた理性主義(rationalism)を「異端」として圧殺し、人類の精神を半永久的に真理に導かんとする目論みだけである。
「いま一度確認する。聖地に眠る『聖遺物』は?」
「はい。現在確認されている魔導遺物は、『至宝の四器』と呼ばれているものでございます」
『神権開眼』
『先王降臨』
『神罰顕現』
『聖脈再編』
「して、調べの方は?」
「はい。聖域管理者の大賢者については、現在も監視を継続しております。彼らが『庵』と呼んでおった隠居屋は、従来から高度な魔法結界が張られており、内部を窺い知ることは叶いませぬ。忍ばせた者も次々と無力化されては放逐される始末。しかしながら、たった五人の年老いた使用人ばかりでしたから、それ程の脅威になるものが隠されているとは思いませぬ」
「それで?」
「はい。最近になって、顔に布を巻いた風変わりな子供が出入りを始めたようですが、そちらもただの平民の小僧だったという報告でございます」
「して、上屋敷の方は?」
「はい。現在は『庵』よりこちらの方に滞在することが多いと。週の大半を首都で過ごしているようで、例の孫娘を翰林学士院に通わせていることと関連があるものと思われます」
「それで?」
「はい。ただし、特に身辺警護に当たる護衛は見当たらず、侍女と例の小僧を連れている程度。こちらについては、必要とあらば、いつでも確保可能かと」
「翰林学士院といえば、例の仕掛けは?」
「大賢者が首都へ足繁く通うようになってしばらくして、一斉点検がございました。盗聴器、潜入員ともに大量摘発されております。こちらの囮機器の方は万事抜かりなく摘発されるがままにしております。例の学院長室へ忍ばせた者はそのまま無事でしたので、彼を通じて今でも情報は得ております」
「して首尾は?」
「はい。学院長には目立った動きは見当たりませぬ。実母とも連絡を絶っているようです。あの女の足跡は今も途絶えたまま。ただし、潜伏先候補のいくつかまでは絞り込んではおりますが」
「うむ。であれば、もう一枚、大賢者の動向を探るべく手を増やすか」
聖下は、異端審問官を改組した密偵・暗殺組織を直属に置く。暗殺・脅迫・偽造文書作成を平然と命じ、痕跡はすべて「神罰(または病死)」として処理する。
「はい。それでしたら、すでに適任者を見つけてございます」
「うむ。それで?」
「はい。共和国を僭称する北辺自治都市から、政治亡命してきた元貴族の子女です。御家再興を手助けしてやるとの交換条件で、大賢者周辺の情報を探らせます」
「国境はどうやって越えさせる?」
「はい。今や、かの通商卿の手の者との連携は万全です。身分証の方も問題ありません。むしろ、ノルトデンブルクの曲者の網の目をかいくぐって向うに辿り着くことの方が大事になっておりますれば。例の送達方法を用いさせます」
「そうか。であるなら、巡礼者の方も」
「はい。あちらの通商院に働きかけて、巡礼者には便宜を図ってもらうことで手筈は整っております。それにしても聖下。あちらで、異常魔力の観測間違いを『吉兆、僥倖の印だ』ということにして、聖戦よりも聖地巡礼熱の方を高めるという神意を体現されたご慧眼には、感服いたしました」
「うむ」
「民衆がこぞって聖地巡礼に向かえば、こちらの手の者が遺物巡礼に向かったしても、目立つことは万に一つもございません」
「そして、時が来れば聖戦巡礼もな」
「はい。左様でございます」
――誠に、敵を破滅させるときほど、慈悲深い表情で祈りの言葉を捧げられるお方だ。その御声は、まるで鐘の音のように静謐で、心の蔵へ深く染み込んできた。




