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メタデータで異世界ウォークスルー  作者: 大森敵幽
1.0.0|第1章 ミクロ編 ―― 生存戦略遂行中
31/42

三姫の悩み ―― 後継者計画(サクセッション・プラン)

 ───【本話のウォークスルー対象】───

 ■ Section 01

 モモ視点:学院・好きなものと大事なお話は、最後に食べる派なの

 ■ Section 02

 イーリス視点:学院・外面と体面と体裁

 ■ Section 03

 アネリー視点:回想・暗闇の中から一線曙光

 ■ Section 04

 クリュティエ視点:公爵邸・三姫の謀議(ティーパーティー)

 ────────────────────


 ─── ■ Section 01 ──────────

 ◆ モモ視点:学院・好きなものと大事なお話は、最後に食べる派なの

 ────────────────────


 曇天が広がる北方の空の下、石造りの学院の中庭を、冷やりとした風が吹き抜けていた。空気は澄んでいるのに、どこか重たい。 胸の奥に沈んでいる“言えないこと”と、同じ色をしている気がした。


 あたくしは周囲の友人たちに倣って木製のベンチに腰を下ろし、ゴンベエから渡された麻布の包みを解く。結び目をほどいて、蓋を開けると、冷たい外気の中に、どこか懐かしいスパイスの香りがふわりと広がった。


「今日は、そういう予感が朝からしていたので、きちんと人数分用意してきましたよ。もちろん、イーダ先輩(セーパイ)の分もありますから、ご安心ください。」


 そう言って、ゴンベエはあたくし、シズ、デイジー、そしてシズの侍女(イーダ)の順に包みを渡していく。


 主食として詰められていたのは、硬めに焼き上げられたライ麦のトゥンブロード(薄焼きパン)に、ポタティスモス(潰し馬鈴薯)、薄切りの塩漬け豚肉とソーセージ、それに水気の少ない固形チーズ。決して華やかな食事ではない。けれど、長持ちすることと腹持ちの良さを優先した、いかにも北国らしい実用一点張りの顔ぶれだ。


「お好みの具材を薄焼きパンで巻いてお召し上がりください。トゥンブローズルッレ(薄焼パン巻)の形ですね。」


 ゴンベエは木製のナイフでチーズを切り分け、皆に配ってくれる。あたくしは薄焼きパンに具材を載せて巻き、口へ運んだ。噛みしめるほどに素朴な穀物の甘みが広がり、少し冷えた胃の腑に、じんわりとした重みが落ちていく。


 ひとしきり昼食を平らげると、あたくしはバスケットの隅に大切に収められていた小さな包みに手を伸ばした。麻の葉で包まれたそれを開く。


 ほんのりとシナモンの香りが鼻腔をくすぐった。カネルブッレ(香辛料の渦巻パン)だ。表面にまぶされた大粒のあられ糖が、曇り空から差すわずかな光を受けて、かすかにきらめいている。しっとりした菓子パンとは違い、バターと小麦の生地はしっかりと焼き締められている。これなら持ち運んでも潰れにくい。


 ゴンベエがお弁当に持ってくるのも頷ける。


「……ん、おいしい」


 小さく呟いて口に含む。ザクッとした砂糖の歯ごたえのあとから、濃厚なバターの風味とシナモンの芳香がじわりと広がった。甘さは控えめで、冷えた紅茶と一緒に味わうにはちょうどいい。


「モモお嬢様、どうですか? それ、北方の古い製法のやつなんです。アリンナさん直伝なんですよ。」


 隣に座ったゴンベエが、じっとあたくしの手元を覗き込みながら声をかけてくる。あたくしはできるだけ凛とした態度を保ちつつ、それでいて上品な笑みを浮かべて頷いた。


「ええ。少し焼き締められているけれど、野外で食べるには、これが一番崩れなくていいわね」


 空ではどんよりとした雲が流れている。けれど、口の中に残る温かなスパイスの余韻が、冷たい外気を少しだけ心地よいものに変えてくれていた。


 だが、ゴンベエが、なにやら不思議そうにこちらを見ている。しばらく無言で考え込んだあと、おもむろにもう一つのバスケットを開いた。


「ところで、今日は皆さんをビックリさせる一品を、まだ隠し持っていまして。これです。」


 そう言って取り出したのは、クラッドカーカ(蜜泥黒甘菓)。


 また、あたくしの顔を覗き込んでくる。


「どうしたんです、モモお嬢様。いつもなら我先に自分の分を確保――いや、失礼しました。大好きなものには、すぐに手を伸ばされるのに。」


「ええ、そうね」


 思わず、ぽろりと本音がこぼれた。


「わたくし、好きなものと大事なお話は、最後に食べる派なの」


 今日、この瞬間まで、なかなか言い出せなかった一言だった。先日に続いて、この心の中のもやもやをどうしてもゴンベエに聞いてもらいたかった。


 あたくしが言葉を続けられず、手の中のカネルブッレを見つめていると、おもむろにシズが荷物を片付け始めた。それを見たデイジーも、そそくさと麻布の包みを元に戻して立ち上がる。イーダは二人の様子を見て慌てて残ったパンを包みに戻すと、その後に続いた。


 ありがとう、シズ。

 シズって昔から、よく気がつく子なのよね。こっちが思っていることを、まるで全部わかっているみたい。


 あたくしがゴンベエと二人だけで話したいと思っていることを、あたくしの様子から察してくれたのだろう。


 シズたち(三人)は何も言わず、道と立派なリンデン(菩提樹)を挟んだ向こう側のベンチへ移動したのを見届けると、ゴンベエはこちらの様子を窺いながら、おずおずと口を開いた。


「あのお、ところでモモお嬢様。……何か私にお話があるみたいなのですが? もしかして、また何か私の側に粗相が……?」


「ちがうのよ、ゴンベエ。実は……」


 この前は、出生の悩みまで聞いてもらった。だから、この話を相談することには、前回ほどのためらいを感じなかった。慣れのせいなのか。それとも、別の理由なのか。自分でもよく分からない。


 相変わらず、皆で楽しく過ごしていたお昼(お弁当ランチ)の時間が、いつの間にか二人きりの相談会になっている。それでもゴンベエは、焦った様子も見せず、あたくしの話を最後まで黙って聞いてくれた。


 まったくもう! ゴンベエはあたくしと二人っきりになっても、他の男の子みたいにドギマギしたり、急にカッコつけたりなんかしない本当に不思議な子。もっとも、四六時中顔に面布(マスク)を巻いている時点で、普通ではないのだけれど。


 あたくしが話し終えると、ゴンベエは両腕を組み、頭を直角に曲げた。まるで居眠りでもしているような姿勢だ。これは、ゴンベエが考え込むときに決まってする姿勢(ポーズ)。これが出たら、あとは答えを待つだけだ。


 しばらくして、ゴンベエが顔を上げた。


「モモお嬢様。……という感じでは、いかがでしょうか?」


 いつものように、あたくしの話を一つずつ整理したうえで、無理のない方法を考えてくれたらしい。


「聞いた限りでは、こんな解決策しか思いつきませんでしたが。まあ、参考にしてみてください。」


「ええ、ありがとう。参考にさせていただくわ」


 胸の奥に引っ掛かっていたものが、少しだけ軽くなった気がする。今日も、いい提案を聞かせてくれた。


 ゴンベエには、これからもモモにいっぱい尽くしてもらわなくちゃ。



 ─── ■ Section 02 ──────────

 ◆ イーリス視点:学院・外面と体面と体裁

 ────────────────────


 静寂が支配する図書閲覧室へと足を踏み入れると、壁際には天井まで届きそうな書架が幾列も並び、隙間なく詰め込まれた革張りの背表紙が薄暗い明かりの中でくすんだ光を放っている。


 長机には読みかけの羊皮紙が幾つも広げられたままで、古びた紙とインクの匂いが埃っぽい空気に混じって鼻先をかすめた。時折、椅子を引く音がするだけで、あとは息を潜めたような静けさだ。


 ここ、図書閲覧室にはこれまであまり縁はなかった。大貴族は、こういう場所で調べ物や勉強などはしない。必要な資料があれば、手の者に探させ、借りさせ、公爵邸の私室まで運ばせれば済むことだからだ。


 だから、私がこの場所へ足を踏み入れるのは、数年ぶりになるかもしれない。そのためか、目的の少年を見つけるのにも少々手間取った。書架の間を二度、三度と回って、ようやく見つける。少年は今日もいつもと変わらず、顔に異様な面布(マスク)を巻きつけたまま、古い羊皮紙と対峙していた。


「やあ、少年。御取込み中のところ悪いが、少し時間をもらえないか?」


 突然声を掛けられて余程驚いたのか、少年は目を丸くし、手にしていた見たこともないペン(貯墨筆)を机の上へ落とした。


「あっ、ええと……フェルトルン公爵家の、イーリスお嬢様が、こんなところで何用でしょうか? 何か資料をお探しでしたら、すぐにご案内申し上げます。」


「いや、違うのだ少年。キミを見込んで、ぜひとも知恵を借りたい相談があってね。唐突な依頼で恐縮なのだが、私の部下たちを総動員してもなかなかキミを捕まえることができなくてね。シズに連絡するのも何か……そう遠慮してしまって」


「そういうことでしたか。私でよろしければ、今すぐでも構いませんよ。ただ、ここでお話しするのは、少々……」


 少年が周囲を見回す。確かに、図書閲覧室でする話ではない。


「なら、我がフェルトルン家の社交室まで来てもらえないだろうか。ちょうど私が好む茶葉を、王国商人に用立ててもらったところなのだ」


「それでしたら、喜んで。」


 首尾よく少年を確保することができた。図書館棟からカフェテリア併設の社交室までは建物三つ分ほど離れている。その道中、少年には我が学友部隊の最後尾についてもらった。私は彼と並んで世間話でもしながら移動したかったのだが、周囲を固める部下たちがそれを許さなかったのだ。


 閲覧室を出る際、廊下にずらりと整列していた学友部隊の護衛兵を目にして少年は一瞬ギョッとしていたが、その後はおっかなびっくりという風体で最後尾をついてきてくれている。あまり挙動不審に動かれると、まるで私が無理やり連行しているように見えて外聞が悪くなるのだが……まあ良い。


 社交室に到着すると、茶を用意させ、人払いをした。もっとも、男女が二人きりで卓を囲むことは、日中であっても憚られる。当然、お付きのメイドは傍に控えさせる。学友部隊の護衛だけは、隣の控室で待機させた。


 さて、この少年を相談相手に選んだ理由は明確だ。見た目こそ幼いが、古東ノルド語の第一人者であり、早熟の天才でもある。自身の経験年数こそ浅くとも、失われた言葉(古東ノルド語)で書かれた膨大な古代文献に目を通してきた。ならば、既存の常識に囚われない斬新な打開策を提示してくれるかもしれない。


 それが、今回の人選(相談者)の理由だった。


「ふむふむ。そういうことですか。ええ、ご安心ください。守秘義務は厳守いたします。必要であれば、ただちにNDA(秘密保持契約)を締結しても構いませんので。」


 まったく、この少年に相談すると話がトントン拍子に進む。好ましいことこの上ない。ただ、話を聞いている途中で、急に両腕を組み、頭を直角に曲げた時には驚いた。


 居眠りを始めたのかと思ったぞ。


「では、お話を整理しますね。」


 これがいつもの調子なのであろう。少年が、慣れた口調で話し始める。


「イーリスお嬢様は、御三卿としての義務を果たすため、次代の正執政官閣下と目されているヘムスタッド様への輿入れを求められている。しかし、その縁談には躊躇されている。」


「うむ」


「そして、この縁談を断るにしても、誰の体面も傷つけず、フェルトルン公爵家の外面にも遜色なく、ご両親様への言い訳としての体裁まで整えられる方法をお望み、と。」


「うむ。それに加えて……」


「ええ、分かっています。」


 少年は、私が言い淀んだ部分まで先回りした。


「御三卿筆頭のイーリス様のお立場からすれば、ご自身がヘムスタッド様の御相手として最右翼の候補者である。そのイーリス様が降りれば、次に白羽の矢が立つのは、お身内である異母妹様や、身近な親戚であるモモお嬢様になる。そしてお二人に自分が嫌なものを押し付ける形となって目覚めが悪いと。」


「……そこまでは言っておらぬが、まあ、言いたいこと(ニュアンス)は大体合っている」


「これは言葉の選びが不適切でした。申し訳ありません。」


 少年は素直に頭を下げた。


「ですが、事の本質だけは、表現を曖昧にぼかしても仕方がありません。婚姻に伴って発生する後継者問題は、夫婦間の私事でありながら、皆さまのお立場からすれば、高度に政治的な問題でもありますからね。」


「うむ。その通りだ」


 私は頷く。


「まだ正式には『魔力合わせの儀』は執り行っていない。しかし、風評によれば、御病弱でいらっしゃるヘムスタッド様のご様子からして、『魔力合わせ』、すなわち『魔力感知』が成功する可能性は薄い。」


 少年の言葉に、私は黙って耳を傾けた。


「そもそも、成功の見込みがない『魔力合わせの儀』を執り行えば、ヘムスタッド様ご自身の体面まで傷つけることになる。かといって、儀式を避け続ければ、今度はイーリスお嬢様のお立場が難しくなる。八方塞がりですね。」


「うむ」


「ええ、四の五の言わず『魔力合わせの儀』で後継者は望めませんと、公にできたら白黒ついて何の問題もないのですがね。」


 そうすれば、白黒はつく。だが、それではヘムスタッド様の体面を傷つける。しかし、私が身を引けば、今度は別の誰かに話が回る。自分だけが責任から逃げるような真似もしたくない。


「うむ、その通りだ。しかし、なんだ、私も年頃の乙女であることを斟酌し、もう少し言葉を慎んでもらうと助かるのだが」


「あ、これは失礼しました。以後、気を付けます。」


「うむ、そうしてくれ。こちらから相談しておいてすまない」


 頭が、ゆっくりと直角に傾く。先ほどと同じ姿勢だ。どうやら、これが少年の考える時の癖らしい。


 私は黙って、その答えを待つ。


 やがて少年が顔を上げた。


「イーリスお嬢様。少し整理して考えてみましょう。」


 その言葉を聞いて、私は小さく頷いた。


「うむ。それなら、二人にも迷惑は掛からぬな」


(やはり、この少年に相談して正解だったようだ。数多の古典に触れている早熟学者の言葉には説得性があるな。やっぱりこの人選に間違いはなかった)



 ─── ■ Section 03 ──────────

 ◆ アネリー視点:回想・暗闇の中から一線曙光

 ────────────────────


 天蓋から垂れる薄絹のカーテンが、微かな風にふわりと揺れた優しい音。羽根布団の重みと、いつも焚かれているヘリオトロープの淡い香りが、いつもなら安心して眠りに落ちるはずの寝室を、今夜だけはやけに広く感じさせた。


 ああ、またクリュティエを悲しませてしまったわ。


 私はベッドの中でさっきまでかしづいてくれていたクリュティエ(揺り籠)の声を思い返していた。


 目に聖布(ホーリークロス)を巻いたままお屋敷まで戻ったから、お屋敷に着いてすぐにクリュティエに泣きつかれてしまった。枕元には、クリュティエが用意してくれた水差しと薬湯が置かれている。


「アネリーお嬢様、患者を思いやる心も大切ですが、どうか御身を大切にしてください。アネリーお嬢様の身に万一のことがあったらと思うと、このクリュティエ、我が身が切られるように辛うございます」


 赤ん坊の頃から私を守ってくれているクリュティエに、泣きながら叱られると、もう何も言えなくなる。


 本当に心配かけてしまってごめんなさいね。


 いつものように反省する。

 ええ、本当に、いつものように。

 だけど、病に苦しむ患者さんを目の前にしてしまうと……。


 私は巡回先で、高熱にうなされていた幼子の姿を思い出した。そして、ふと、今まで忘れていたもう一つの大事なことを思い出した。


 ―――


「ちょっといいかしら?」


「ええ、どうなされたのです。人を呼びましょうか? 多分、私では役に立ちそうにはないので。」


「いいえ、是非、あなたに聞いてほしいことがあるの」


 私は以前、この方に、お父様と今は亡きお母様のことで相談して、心を救われたことがある。少し図々しいかもしれないけれど、こういう時でもなければ、滅多にお会いできないお方だから。


「私でよろしければ何なりと。内容にもよりますが。」


「この前は、お父様とお母様のお話を聞いていただいたでしょう? 今度は、お義母(かあ)様のお話を聞いていただきたくって」


「ああ、お亡くなりになったお実母(かあ)様の思い出か何かですか?」


「いいえ。御姉様のお義母(かあ)様のことなのだけれど……」


「ん? 御姉様のおかあさま……ああ、合点がいきました、多分。本妻、いえ、失礼しました。お父様の奥方様のことですね。」


「ええ、そうなの。実は……」


 私は、とりとめもなく、お義母(かあ)様のことをこの優しいおじ様に話した。できるだけ、本当の気持ちを。ほんの少しだけ、悪口のようになってしまったかもしれないけれど……。


「なるほど。生(な)さぬ仲というのは、難しいものがありますからね。ええ、私にも経験があります。」


「えっ、そうなの? あなたも義理のお母様のことで悩んでいたの?」


「いえいえ、私自身は逆にとても良くしていただいておりましたよ。逆と言えば立場がですね、義理の娘がおりましたので……いや、私の話はやめておきましょう。それで、お嬢様はどうしたいんです?その……単刀直入に言って、お義母(かあ)様に仕返しがしたいとか?」


「そ、そんな恐ろしいこと、考えたこともないわ!」


 思わず声が大きくなった。


「ただ、避けられるだけならまだいいのだけれど……心底嫌われているのを、どうしたらいいのかって。それがどうしても頭から離れないものだから……」


「そうですよね。お話のご様子から、そんな気がしていました。すみません、試すようなことを言って。」


 おじ様は少し声を落とした。


「それで、ここからが本題なんですが。お義母(かあ)様から嫌われていると仮定して、何が問題なんです? 実際に嫌がらせを受けているとか、生活に何か実害があるとか?」


「いいえ。そんなことは決してなさらないお人だわ」


 私は首を横に振った。


「お父様の留守の間は、家の中だけでなく、ご公務までご立派にこなされるお方だから、これでも尊敬しているの。それに、私みたいな妾腹の娘にも、ちゃんと屋敷を与えてくださって、何不自由なく過ごさせてくださっているわ」


 そこまで話してから、私は少し声を落とした。


「ただ、直接お会いしてお話しすると、目も合わせてくださらないし、いつも厳しいお言葉ばかりで……。それに、周りの方からも、私のことを心底憎んでいるようなお言葉を聞くことが多いの」


「なるほど。念のため確認ですが、その第三者からの伝聞は、本当に確かなものなんですか?」


「ええ。御姉様もそうおっしゃるから、きっとそうなのだと思うわ。御姉様は立派な方で、とても真面目だから、私にそんなことで嘘をおっしゃるようなことはなさらないもの」


「なるほど、なるほど」


 おじ様は頷き返してくれたようだった。


「生さぬ仲で、衣食住や公務についてはきちんとなさっている。直接暴言を吐かれたこともない。ただ、間接的には激しい憎悪を抱かれているらしい、という状況証拠が揃っている、と。」


「それに、御姉様が他家に嫁いだら、私が跡取りになるかもしれないということを、殊更お嫌いになっているみたいなの」


「なるほど。お父様のお子は、御姉様とお嬢様のお二人だけなのですね。」


「ええ」


「それで、これは少々酷な質問かもしれませんが、大事なことなので、改めてお聞きします。」


 おじ様は、殊更真面目な声で言った。


「お義母(かあ)様に心底嫌われているとして、それで何が問題なんですか? お嬢様の生活に、実害はないのですよね?」


「え……?」


 私は言葉に詰まった。


「だって……」


「ええ、そういう反応になるでしょうね、普通は。でもね、よく考えてみてください。お嬢様は、こう言っては失礼ですがまだ子供でいらっしゃる。その年齢で、お義母(かあ)様の内心というか、感情まで背負う必要は一切ないのですよ。」


「えっ、感情を背負う……?」


「お義母(かあ)様の感情はお義母(かあ)様ご自身のタスク(お仕事)なんです。決して、お嬢様がどうこうできる問題ではありません。それは、お義母(かあ)様ご自身がうまくハンドリング(対処・操縦)すべきことなんです。実害がないなら放っておきましょう。そして、お義母(かあ)様は常識ある大人の分別を示されている。まあ、嫌悪感を周囲にまき散らしている点に関しては、良識があるとまでは申せませんけどね。」


 私は、おじ様の言葉を聞いて、ただ驚いて、二の句が継げなかった。これまでそんなふうに言ってくれる大人は居なかった。嫌われているのなら、自分がもっと良い子にならなければ。もっと気を遣わなければ。そう思っていた。


 でも落ち着いて考えると、おじ様の言う通りかもしれなかった。


「ただ、大人の知恵として、お嬢様にできることも探してみました。そうですね、一度御姉様とご相談されて、御家のお世継ぎの件を話し合われては如何です? きちんと御姉様が後継者となる旨を家族内でお決めになられるのです。もし必要でしたら世間に公表するでも、公証人を立てるでも、何でもやり方はありますって。その辺は御姉様とか周囲の大人を頼ってもいいと思いますよ。」


 周囲の大人を頼っていい。その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。


「そしてお嬢様ご自身は、早々に他家に養子に入ることをお勧めします。これからの養育費については、実家と養子先の家とで、十分にかつ慎重にお話合いになればよろしい。まあ、平民の私から言わせて頂くと、養ってくれる可能性がある家族がもう一つ増えるのですから、これは忌避するどころか大歓迎すべきことですけどね。あ、最後のは失言でした。取り消してお詫び申し上げます。」


「くすっ」


 おじ様の言い方がおかしくて、笑いが止まらない。きっと私を励ますために、わざとおどけてくださったのね。


 さっきまで胸の中を覆っていた暗闇に、ほんの一筋だけ、光が差し込んだような気がした。



 ─── ■ Section 04 ──────────

 ◆ クリュティエ視点:公爵邸・三姫の謀議(ティーパーティー)

 ────────────────────


「今日はこのお茶会(ティーパーティー)に参加してくれてかたじけない」


「いやだわ、お姉さまったら。『かたじけない』だなんて。アネリーからも何とか言ってあげなさいよ」


「そうですわ、イーリス御姉様。ここにはモモ御姉様と私しかおりませんもの。いつもの御姉様でいらしてくださいな。うふふ」


 私――クリュティエの目から見れば、これこそが『共和国の三姫』のいつもの日常(通常運転)でございます。アネリーお嬢様がこれほど心を許して楽しそうになさるお茶会は、他には滅多にございません。それに、ここはフェルトルン公爵家の別邸。入会林野の深い緑に囲まれた、とても静かで穏やかな場所でございます。


 そして何より、ここはアネリーお嬢様がお住まいになっているお屋敷。お嬢様にとって、いわば聖域(ご自分のお庭)なのです。このお庭はアネリーお嬢様が最も気を落ち着けることのできる場所のひとつなのです。


 本妻の娘であるイーリス様が、妾腹のアネリーお嬢様のお住まいで、お茶会を主催なされている。それには理由がございます。奥様が、アネリーお嬢様を殊の外お嫌いになっている――そう皆が承知しているからです。奥様の厳しい目を盗んで、本邸の大庭園で三姫が揃うようなお茶会を催すのは至難の業ですから。


 しばらくは、紅茶と焼き菓子を楽しみながら、学院での出来事や最近読んだ本の話など、なんでもない世間話が続いておりました。


 ところが。


「さて――」


 イーリスお嬢様が、カップを静かに置かれ、急にお顔が険しくなりました。


「ここにこうして集まってもらったのは、他でもない。私たちのちょっとした将来について、もう一度、話をしておきたいと思ってな」


「まあ、お姉さまったら」


 モモお嬢様が、ころころと笑います。


「ここは軍議でも元老院の議場でもございませんわよ。手紙で事前にいくつかやり取りもしているのですから、もっとざっくばらんに参りましょう」


「うむ。かたじけない」


「……」

「……御姉様」


 どうやら、イーリスお嬢様の生真面目さは、妹君たちには今さらのことのようでございます。


「では、確認させてもらおう」


 イーリス様はアネリーお嬢様へ向き直りました。


「アネリー。モモもいるこの場で再び問いたい。先日の話の通り、エンブロ公爵家への養子入りについては、異存ないのだな?」


「ええ、イーリス御姉様。私の方は全くそれで構いませんわ。うふふ」


 アネリーお嬢様は、素直に頷かれます。


「でも、本当に可笑しいですわね。私がエンブロ家へ行かなければ、この計画そのものが成り立ちませんのに。わざわざ私の意思を確認してくださるなんて……ふふ。イーリス御姉様らしいですわ」


「当然だ。これはアネリー自身の人生に関わることなのだからな」


「まあ……ありがとうございます」


 アネリーお嬢様が、嬉しそうに微笑まれました。


 するとモモお嬢様が、待っていましたとばかりに身を乗り出します。


「そうですわ、お姉さま。アネリーがエンブロ家へ養子に入って、そこで後継者に指名される。そして、お姉さまとあたくしも、それぞれフェルトルン家とレンヴァッテン家の後継者になる。三人揃って、というところが大事なのですわ」


「うむ」


 イーリスお嬢様が頷かれました。


「共和国では、ヴェヴニング=オーケル侯爵家を除き、貴族家の後継は男系男子を原則としてきた。そして女性当主が立った場合、自らの子をそのまま後継者にすることはできない」


「ええ。ですから、女性当主になれば、傍系男子を養子として本家へ迎える必要があるのですわ」


 モモお嬢様は、得意そうに続けられます。


「その通りだ」


 イーリスお嬢様は、妹君を見つめました。


「私は御三卿筆頭としての責任を果たしながら、軍務を続けることができる。モモやアネリーの人生を犠牲にして、自分だけが逃げる必要もない。三人ともが大公家に嫁ぐことを回避でき、御三卿それぞれの一代当主になることで、比較的自由に婚姻相手を選ぶことができる」


「ですから、あたくしは……」


 モモお嬢様が、少しだけ頬を緩めます。


「たとえ政略結婚になったとしても、子供を持つことを諦めずに済むかもしれませんもの」


「あら」


 アネリーお嬢様が目を丸くされました。


「モモ御姉様、赤ちゃんが欲しかったのですか?」


「な、何を言っているのよ、アネリー!」


 モモお嬢様の顔が、見る見るうちに赤くなります。


「そ、それは……欲しいでしょう? 普通は!」


「ふふ。そうですわね」


「笑わないでちょうだい!」


 仲の良い従妹たちのやり取りに、思わず私まで笑みがこぼれます。


 そしてアネリーお嬢様は、少し考えてから静かに口を開かれました。


「私は……お義母(かあ)様のことを、もう少し気にせずに暮らせるようになれば、それで十分ですわ」


「うむ」


 イーリス様が頷きます。


「だからこそ、アネリーにはエンブロ家へ移ってもらう」


「はい」


 三人とも、それぞれ違うものを望んでいらっしゃいます。


 イーリスお嬢様は、序列二位のフェルトルン公爵家の跡取りとして、妹たちの将来を犠牲にすることなく、ご自身が望まれる軍務を中心とした人生設計を可能にする選択です。もちろん、ご両親様(公爵夫妻)の体面を一切傷つけることもございません。


 モモお嬢様は、大公家(デュグドエルヴ家)に嫁がれるよりも、誇りに思うレンヴァッテン公爵家の跡取りとしてご当主の地位に就かれることを望まれておりました。そして今日、可愛い願いも耳にすることができました。赤ちゃんが欲しいんですって。


 そしてアネリー様は控え目におっしゃいましたけど、要は奥様からの敵愾心というか悪意をできるだけ遠ざけたいということでございましょう。その点では他家に養子に出られるというのは最も近道だとこのクリュティエでもそう思います。ええ、エンブロ公爵家でも他家であっても、アネリーお嬢様が行かれる先ならどこまでもお供しますとも。


 けれど、不思議なことに、その三つの願いは一つの枠組みの中に、きれいに収まっていたのでございます。


 誰か一人が犠牲になるのではない。

 誰か一人だけが得をするのでもない。


 三人が、それぞれ自分の人生を選びながら、三家の後継者問題まで同時に片付けてしまう。まさに、見事な後継者計画《サクセッション・プラン》です。今日の謀議(ティーパーティー)の首尾は上々でございますね。


 それにしても、このような見事な策を一体どのように三姫は思いつかれたのでしょう。三者三葉の願いをたった一つの枠組みで果たすだなんて。


「それにしても――」


 モモお嬢様が首を傾げられました。


「あたくし、ずっと気になっていたのですけれど。お姉さま、どうやってこの計画を思いついたのですか?」


「うむ。実はな、これは私が最初に考えたものではない」


「まあ」


「私には、少年……古東ノルド語の研究者の家系に連なる知り合いがいてな。これが実に早熟な天才で、この献策をいともたやすく捻り出してくれたのだ」


 イーリス様は、少し誇らしそうにお話しになります。


「歴史をよく知る者というのは、我々が当然と思っていることを、まるで違う角度から見るものらしい。私たち三人が、それぞれ望まぬ相手へ嫁ぐことなく、それぞれの家の責任も果たせる道を、あっさりと示してくれた」


「まあ、そうでしたか。あたくしもゴンベエ――ええと、よくお弁当をご馳走してくれる(私が強奪している)友人が学院にいるのですけど、彼から同じような策を聞いていたので、すぐにお姉さまが持ちかけて下さったお話を理解することができましたわ」


「モモ御姉様も同じなのですね。実は、私もおじ様――いつもご助言を下さる方がいらっしゃって、その方から、同じ提案を頂きましたの。それで、イーリス御姉様からのお手紙の内容にすぐに反応できたんですの。本当に優しい方で、それでいてとっても博識なのです。娘さんもいらっしゃるんですって」


 アネリーお嬢様がよく口にされるあのお方ですね。一体どんな方なのかしら。一度、ニーブルン家まで出向いてイーダに訪ねたのだけれど、確か該当する方を見つけることはできなかったのよね。まさか、ニコラウス様でもないですし……。なんて言ってたかしら、確か、大陸南部からこちらに来た、食品関係の行商人の息子だったかしら。イーダより年若(としわか)の男の子なら最近入ったけど、おじさんは新しく入ってきていないって。


「それにしても、不思議な偶然ですわね」


 モモお嬢様が、楽しそうに笑われます。


「イーリス御姉様も、あたくしも、アネリーも。それぞれ別の人から、同じ策を授けられたのでしょう?」


「うむ。時を同じくして、三人が三人とも同じ結論に至るとはな」


「お姉さま。全然違う人が偶然同じ策を講じてくるだなんて。もしかするとこれって誰にでも思いつける簡単なことだったのかしら」


「実は私も同じようなことを考えてしまいました。おじ様の提案と同じことを考えつく人が他にもいるだなんて。俄(にわ)かには信じらせませんけど」


 本当に、不思議なこともあるものです。三人の姫君が、それぞれ別の道から相談した相手。その三人が、同じ一つの献策を授かっていた。私はその偶然を思いながら、ふと胸の内で呟きました。


 ――きっと、女神様のお導きなのでしょう。


 ええ。そうに違いありません。


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[STATUS: EXTERNAL_ROUTING_ACTIVE]

⇒ 【中央サーバー漏洩ログ】隔離セクタ(スピンアウト第3作第1話)へ論理接続

※クリックするとデータバンク(翰林学士院秘庫:動的目次)へダイブします

[STATUS: GLOBAL_CORE_ROUTING_ACTIVE]

⇒ 【常駐】[dnc_physical_table_v1.0.1]ルミねえの動的目次(物理レイヤー)

※「活動報告」で稼働中の実URLリンクへ直行する専用転送ゲートです

[STATUS: EXTERNAL_ROUTING_ACTIVE]

⇒ 【中央サーバー漏洩ログ】隔離セクタ(スピンアウト第2作目次)へ論理接続

※クリックすると『東大陸システムの3次元監査証跡』へダイブします

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