顔見世興行2.1 ―― [無邪姫][桃髪傲嬌][真紅の剣舞]
───【本話のウォークスルー対象】───
■ Class 01
ナナシノ視点:学院・デイジーとパン・ビュッフェ
■ Class 02
ナナシノ視点:学院・リストラ兵士の再就職先
■ Class 03
グラディス視点:東宮御所・両天秤と勝馬の目利き
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─── ■ Class 01───────────
◆ ナナシノ視点:学院・デイジーとパン・ビュッフェ
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どうしてこうなった!?
自分は、目の前でお行儀よくお座りをしているアナベルの頭をなでながらひとしきり考え込む。どうしてお昼時になると、いつもあのピンク髪少女はどこからともなく自分の前に現れるんだ?
「まさか、お前がいつも俺を見つけているんじゃないよな。まさかな……」
「ナナシノ、何ぼうっとしているのよ、早くお昼の準備をなさい!」
「お前の御主人様が呼んでいるから行くな。お前も大変だな。あんなご主人が生まれた時から仕えているだなんて。まあ、頑張れよ。はーい、今行きます!」
それにしても、先日の「ゴンベエ」呼びの件は一体どうしたんだろう? 他の人がいる前ではわざと控えているのかな? まあ、公爵令嬢のような貴人の考えていることはよく分からん。
ただ、今朝起きた時になぜかピンときたので、今日のお昼は多めに作ってきて正解だった。シズお嬢様の登院日なのは最初から分かっていたからな。
だから、シズお嬢様と、そのお付きのイーダ先輩、それからご学友のデイジー。この三人分は、最初から想定していた。
こちらとしては、業務命令と、それに伴う付帯費用までは問題ない。
問題は――
不可抗力な自然災害だ。こうも連日続くとねえ~。本来なら、公務ということで公費扱いにして、自己負担を求めたいところなんだけどねえ。
まあ、一平民が公爵家に請求書を回すなんて芸当、できるわけがない。
自分は気を取り直し、身分順ではなく、主家と客分の順に配膳していく。シズお嬢様、モモお嬢様、デイジー、そしてお付きのイーダ先輩の順だ。
「今日はいい小麦を王国の商人経由で仕入れたので、いつものライ麦パンのほかに、小麦の『パン』も焼いてきました。」
「ナナシノ、それ以外のおかずは何なのよ!?」
「今日は、オープンサンド様式でいきます。こちらの北領風肉団子は、ビートサラダと合わせてください。定番のレバーパテ、ファールコルヴもあります。それから、デイジーのお店でごちそうになったお魚が美味しかったということなんで、ニシンの酢漬けと燻製サーモンも少しばかりですが用意してみました。」
配膳を終え、周囲の観察に入る。ここから暫くは一人だけでサーブ役に徹しないといけない。
モモ:「どれも美味しそうね。早くそのパンをひとつ頂戴!」
デイジー:「うち、このゼメルだいすきやわ」
シズ:「……」
デイジー:「ううん、ブレーチェン……」
モモ:「……ブレーチェン? どこの言葉よそれ?」
デイジー:「あっ、えーとパン?」
イーダ:「んん、もぐもぐ、美味しい」
……おいおい、ちょっと待て。
何か一瞬、場が凍り付いたような気がしたんだけど……。
相変わらずシズお嬢様は無表情。けれど、一瞬だけ、その表情が微かに動いたような気がした。モモお嬢様はいまいちピンと来ていない。デイジーは、何やら必死に取り繕っている。
そして、お付きのイーダ先輩は――通常運転か。
んー……。
何か引っかかるな。
自分の「ワールド・トーカー」が変な先回り意訳をしていなければ、「ゼメル」は帝国南部訛の「パン」で、「ブレーチェン」は帝国北部訛だったはずだ。
『東大陸のパン巡り』という文献で読んだ記憶が正しければ、間違いなくそうだ。
(まあ、正式な料理名なら『ブレートヒェン』もアリだが。)
今のは、とっさに普段使いの「南部訛」が出てしまい、慌てて「北部訛」に訂正しようとして、さらに焦って「深層心理」に戻ってしまった……そんな風に聞こえた。
いや。
それだけなら、単なる言い間違いだ。しかし、本人――デイジーは、明らかに焦っていたような……。やっぱり、こっちでも『方言が恥ずかしい』とかあるんかなー? んーよく分からん。
それに、シズお嬢様の反応も、ほんの少しだけ引っかかる。
「……」
……いや、考えすぎか。
そもそも、「ワールド・トーカー」の仕様を知らないはずの東大陸人が、どうして自分と同じような違和感を持てる?
まあ、『憶測でものを言っちゃいけないよ』って、宮廷医官の「おやじ」も言っていたっけ。
……ああ、ここなら、ムリクリ族の旅人が言った、あの言葉のほうがしっくりくるか。
『なんでも自分のものにして、持って帰ろうとすると、むずかしくなっちゃうんだよ』
そうそう。
自分の身の丈に合わない悩みなんて、最初から持たないことだ。
ん、忘れよう、それが一番だ。
─── ■ Class 02───────────
◆ ナナシノ視点:学院・リストラ兵士の再就職先
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今日は完全に不意打ちだった。
シズお嬢様は学院へ来ていないし、自分も登院する予定はなかった。ところが朝になって、賢者様のところへ秘密通信だか暗号通信だか知らないが、誰ぞから手紙が届いた。賢者様は苦虫を噛み潰したような顔をされたまま、執政府へ出かけてしまわれたのだ。
本来なら今日は、賢者様と一緒に翼竜便で、月一回のお務めに向かうはずだった。
「ですから、あのー。今日は本当に学院まで来る予定ではなかったので、お昼はそんなに準備していないんです。」
「そんなのはいいのよ、ゴンベエ」
「えっ、お昼はいらないんですか。じゃあどうしていつも、たかりに……いえ失礼しました。どうしていつもお昼時になると、こうしてお会いするんでしょうね。」
「たまたまよ。偶然、成り行き、不意に突発で突然の思いがけない、予想外で予期せぬ不測の事態なのよ。そう、行き当たりばったりのその場しのぎ、かしら」
(いや、もう最後の2つは完全に違うだろ……)
「はあ、分かりました。でも今日は本当にふつーなんですよ。はい、ジャガイモ団子です。今日はこれだけです。」
「そうなの。ありがと。それじゃ、一つ頂くとするわ、ゴンベエ」
「はい、どうぞ。」
(いや、大貴族の令嬢ってやつは、誰でも皆こんな感じなんだろうか? これじゃまるで『わたくしの物はわたくしのもの、お前の物もわたくしのものですわ、おほほ』を地でいっているよな。)
「それでね、ゴンベエ」
「あのー、何の前置きもなく、いきなり何ですか?」
「前みたいに相談に乗って頂戴。ちょっと、わたくし困っているのよ」
「はあ。今度は何ですか? 私はあんまりお貴族様のことはよく分からないんですが。お役に立てるかどうか。」
「ゴンベエが悪いんじゃないの。でもあんなこと言うから」
「えっ、私が何と言ったんです? 何か気に障ることでも申してしまっていましたか? それはすみませんでした。訂正してお詫びいたします。」
「ううん、ゴンベエは何も悪くないのよ。モモが、いいえ、わたくしが、ちょっとできもしないことを引き受けてしまっただけなの」
あらまあ、めずらしく、しおらしいピンク髪少女だこと。初めて見たよ、こんなの。
「それで、何があったんです? 私でよければ、話だけは聞きます。」
「ええ、ありがと。ゴンベエに言われたから、わたくしなりに頑張ったのよ。でも、ゴンベエが言ったのよ。『間接部門で自分の職責を全うしたうえで、人の役に立つ方が、よっぽど大貴族らしい生き様』だって。だからなのよ」
「あのー、それで何が『だから』なんでしょうか?」
「だから、モモ……わたくしが『魔法師団師団長付き副官』で、『後方支援連隊隊長付き副官』を兼務しているからなのよ」
「まあまあ、まずは落ち着いてください。そして順を追ってご説明いただけますか。でないと、どうにも要領を得なくって……本当に察しが悪くて済みません。」
「えっとね。だからね、最近、税収が不足気味でね。それでね、うちの組織もね……」
まあ、ピンク髪少女の話をまとめると、こういうことだった。
魔法師団の予算削減が決まった。
↓
師団長が人員整理を決断した。
↓
整理対象となった兵士の再就職先が必要になった。
↓
後方支援連隊への転属を提案した。
↓
ところが、対象者たちが転属を嫌がって話が進まない。
なるほど。
「分かりました。それでは、人員整理対象のスキルセットはどうなっています?」
「ええと……」
「ご存じとは思いますが、私は平民ですので、魔法・魔術の詳しいところは分かりません。下々の者にも分かるように説明してくださいね。」
眉をへの字にしながら、ピンク髪少女なりに話を整理して伝えてくれる。
なるほど。
貴族の魔法体系は、そんな具合になっているのか。
「それで、何で対象者たちは、後方支援部隊への転属をそんなに嫌うんです? 軍籍が維持されて雇用が継続されるなら、何も問題がないじゃないですか。」
「それが大ありなのよ。痩せても枯れても貴族でしょ。貴族が『魔力なし』から構成される部隊に配属って、貴族として屈辱以外の何物でもないわ!。あっ、ごめんなさい。今の取り消し。『魔力なし』じゃなくって、『平民』ね」
ああ、それで事情が分かった。そして、「魔力なし」という言葉が持つニュアンスもね。たぶん、最大の問題はそこにある。これまでの経験則からすると、解決策もそこに潜んでいるんだな、これが。
「分かりました。これまでのお話を、いったん整理しますね。」
自分は頭の中で論点を並べ直した。
魔法師団で需要が高いのは、四大属性――火・水・土・風――のいずれかを持ち、攻撃魔法や防御魔法など、直接的に戦闘へ貢献できる放出系に優れた魔法師・魔術師。
次いで、身体強化で硬質化や視力向上などの異能持ち。
そして、そのどちらにも該当しない者がいる。いずれの魔法適性も無い者、「師」「士」の称号すら与えられない。だから古風な「使い」をつけて蔑まれている「無系統魔法使い」。
(結構、ここの貴族社会にも『言霊信仰』っぽいものがあるのね。これは親近感湧くね、自分としては。)
「それでは、逆の視点から問題を見ていきましょうか。その人たちにも、当然ながら魔力はあるんですよね?」
「ええ。もちろんよ」
「では、『無系統魔法使い』でしたっけ。彼らにもできる、『魔力持ち』の貴族の端くれなら、当然誰でもできることは?」
「ええと……」
モモは少し考えてから答えた。
「貴族なら大なり小なり、誰でも『魔力探知』はできて当然よ。特に配偶者を探すときだけは、『魔力感知』と言い直されているけれど。『魔力感知』でお互いの魔力が感知できた者同士でないと結婚しても……って、これ以上言わせないでよ、もう!」
そこで顔を赤くして俯かれても、見ているこっちが気恥ずかしくなるんですけど……。
でも、大体分かった。そして、自分には絶対分からない事も。
貴族なら、魔力を使って情報を伝達できる。
魔力思念派。
魔力テレパシー。
ならば――。
一度、ブレイクスルーしてしまえば、あとは早かった。
問題は「魔力の有無」ではない。魔力を持つ者だからこそ担える軍務を、後方支援部隊の中に作ればいい。
条件は三つ。
一つ。貴族の矜持を保てる「名誉ある使命」を軍籍のまま与えること。
二つ。人件費が確保されている後方支援部隊で実行可能な業務であること。
三つ、代替がきかず、継続的な訓練と改善が必須な専門職務であること。
これを満たす仕事ならいい。実に簡単なことだった。
「いいですか、モモお嬢様。これは現状にない仕組みなので、突飛な話に聞こえるかもしれません。でも、軍にとってはとても大事なことです。モモお嬢様が本当に理解できるまで、何度でも説明しますから、根気よく聞いてください。」
「分かったわ。望むところよ……違うわよ。ずっとお話していたいという意味なんかじゃないんだからね」
(ああ、これ、いちいち反応していると面倒なことになりそうだ。ここはスルーするのが一番。)
「それでは――」
自分の献策はこうだ。
一つ。
「通信兵」という兵科を新設する。
二つ。
通信兵は、魔力思念派を使って遠距離通信を担当する。
三つ。
通信方法そのものではなく、通信プロトコルを標準化する。
平文通信、暗号通信、必要ならモールス信号のような符号体系も使えばいい。
四つ。
一つの通信手段に依存しない。
指向性を持つ者、受信に優れた者、広範囲へ高出力で思念派を放てる者。それぞれの適性を組み合わせ、腕木通信、狼煙、駅伝制なども併用する。
つまり、通信網そのものに冗長性を持たせる。
そして五つ目。
さらに通信網は、主要拠点をハブ&スポーク型に接続する。ハブ的ノード同士は複数の通信方式で結んでおく。
そうしておけば、一つの通信手段が途絶えても、別の経路で情報を届けられる。
そこまで説明したところで、モモお嬢様の顔が、いわゆる「ポカン顔」になっているのが見て取れた。
まあ、最初はそんな反応になるよね。これまで何度も見てきたからね。もう、こっちは慣れっこだけどね。
暫くの間、一問一答が続いた。
「……という理解でいいかしら?」
「ええ、いいと思います。」
「そうでしょう!」
急に元気になった。
「さらに、この通信インフラは逓信院、場合によっては工務院とも協力して整備すればいいです。軍用だけでなく、民間にも使える部分はデュアルユースとして開放する。そうすれば、民間資本からも運営費を回収できます。」
「……」
「まあ、細かい制度設計はこれから詰めればいいでしょう。」
「……ゴンベエ」
「はい?」
「あなた、やっぱり変よ」
「えっ?」
何が変なのか、自分ではよく分からなかった。
―――
あれから数日経った。
ようやく、師団長の了解を得て、段階的に「通信兵」という兵科の充実を図っていくことになったらしい。
「らしい」というのは、師団長への説明は、準備段階から全て賢者様とモモお嬢様の実家に丸投げしたからだ。
いやあ、ニーブルン家とレンヴァッテン家が、逓信院を所管するファルケネラーレ侯爵家と、とりわけ親密で助かった。
レンヴァッテン家のほうは、愛する一人娘のお願いだったから、とても協力的だった。
まあ、ニーブルン家のほうは、ニコラウス様から回ってくる仕事量が倍になったけど……。
いつか、あのピンク髪少女に、これまで立て替えているお昼代と一緒に精算してもらおうか。
いつになるか分からないけど……。
─── ■ Class 03───────────
◆ グラディス視点:東宮御所・両天秤と勝馬の目利き
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「では行ってくるわね。後は宜しく」
「はい、グラディス様、お気をつけて」
私は宝物をそっと乳母のネリスに預けて子供部屋を後にする。
商人としての戦場に赴く前のいつもの儀式。商談成立の験担ぎは絶対に欠かせない。
表に待たせておいた馬車に乗り込む。私が席に落ち着いた頃を見計らっていつものように馬車が静かに動き出す。いつもと同じ。
今日の行き先は東宮御所。
皇太子殿下は、どうにも私に色目を使っておいでになるから、あまり気が進まないのだけれど……帝国との朝貢貿易に関してだけは、ここを外すわけにはいかない。
今度の使節往来には、是非とも我が剣蘭商会も一枚噛ませていただきたいものだわ。ここが踏ん張りどころね。一商会がしゃかりきになるくらいですもの。裏ですべての商人から蜜を吸う殿下の所には随分と大金が転がり込んでいくのでしょうね。
殿下も欲と帝国恭順派に絡めとられて、身動きが取れなくなっていなければいいのだけれど。
とりとめもなく、ぼんやりとこれからの商談について思いを馳せていると、いつの間にか東宮御所の馬車寄せへ到着した。案内の者に促されるまま進み、私は何の滞りもなく皇太子殿下の御前へと通された。
「『真紅の剣舞』であるか。直答を許す」
お人払いを済ませていらっしゃる。今回は、どんな無理難題を吹っ掛けられるのかしら。それとも……。
「勿体なき仰せ、感謝に堪えません。殿下にあらせられては、お変わりなく――」
「……不要である。無駄な挨拶も虚礼も不要。本題に入るがよい」
相変わらず、余裕のない物言いなこと。
「はっ。有り難き仰せ、痛み入ります。では早速、本題に入らせて頂きとうございます。ときに、次の帝国への使節往来の件でございますが……」
「剣蘭商会も興味があるか」
「はい、仰せの通りでございます。是非、手前どもも一団にお加え頂きとうございます」
「そうだな。剣蘭商会を加えてみるも一興だ。何しろ東大陸随一の大国との取引だからな。商売上の利も破格のものであるらしいからな」
殿下は右手を顎に当て、最近伸ばし始めた顎髭をしきりに扱いておられる。
……ふん。まだまだ様になっていなくってよ。貫禄不足もいいところね。
ひとしきり考え込むふりをしてから、殿下はおもむろに口を開かれた。
「ときにな、『真紅の剣舞』よ。蛍狩りには興味はないか。今度、夏の離宮で蛍観の舟遊びを楽しもうと思ってな」
あら。
それが今回の使節団への参加の交換条件というわけね。
それにしても、最近は余裕も余韻も楽しまず、直接的な物言いが増えてきたわね。何か心境の変化でもあったのかしら。
残念ね。
それほどお手頃な品ではなくってよ。
「これはこれは、殿下ともあろうお方が。このような武骨な者が殿下のお側に控えておりましても、他の佳人の引き立て役にもなりはいたしますまいに。お戯れにも程がございます」
「……」
「そうでございますね。それでは、夜香歌劇団をお手配申し上げるのは如何でしょうか」
「……ふうむ。夜香歌劇団か」
あらあら、まあまあ。
心の揺らぎが丸見えでしてよ。
ふふっ。もう一押しかしら。
「月下の双咲を蛍火と共に愛でる、というのは如何かしら。それで殿下の興が乗れば、という話ではございますけれど」
「……うむ。悪くない。悪くないな、それも。よし、仕方がないな。其方の案に乗ってやろうではないか」
「はっ。仰せのままに」
殿下はこの申し出が大層お気に召したらしい。相好を崩しておられる。
……ちと、みっともないわね。
「ときにな、グラディスよ」
「はっ、なんでございましょう?」
(今度は何? しかもグラディス呼びで)
「其方、手長婆の許にも足繁く通っておるようだな。もうそろそろ、落ち着いてもよい時分ではないかな」
ああ。
切り崩しというか、足場固めというか。どうやら、気が急いていらっしゃるご様子ね。
皇太子派が、この時期に焦らなければならない理由。
……さて、何かあったかしら?
「畏れ多くも、わたくしめは一介の商人でございますれば、政の難しいことは存じません。利になるお話を頂けるとのお声がかかれば、どこへとも馳せ参じる悲しい性の商人根性しか持ち合わせておりませんもの。幸運なことに、こちらでのお声がけを頂いておりますので、喜んで参上している次第です」
「物は言いようじゃな」
ふふ。
だって、まだどちらも決定的な立場を確立しているわけではないじゃない。后妃様は後継者を明確にお立てになっておられない。皇太子殿下に至っては、未だ正式な立太子の儀すら終えていらっしゃらないのですもの。
そんな状態で、どちらか一方にだけ肩入れするほど、私はおめでたい頭をしていない。
一つの籠に、すべての卵を盛るほど愚かではないのよ。
「殿下、何をお悩みになっておられるのです? しがない商人ではございますが、殿下のお話を伺うぐらいでしたら、できましてよ」
「そうか。余の気持ちが分かるか。では、聞かせて遣わそう」
殿下のお話は、こういうことだった。
先皇王は帝国との戦に敗れ、国号を「皇王国」から「王国」へ、君主号を「皇王」から「国王」へと格下げされた。かつて周辺の蛮族に朝貢させていた国が、今や帝国へ朝貢する側になったのだ。
けれども、殿下が憤っておられるのは、そこではないらしい。
先皇王は国威回復を目指して漠北の「草原の民」を討ち、北大平原の完全支配を取り戻した。その勢いのまま共和国へ侵攻したものの、今度はこちらが苦杯を嘗めることになった。
共和国は北大平原を南北に分断する長城を築き、穀倉地帯も牧草地帯も、その良質な部分を押さえた。
以来、現皇王は先皇王から託された失地回復の命を果たせぬまま、時を過ごしている。
殿下は、それが気に入らない。
名分がどうあろうと、さほど痛痒を感じていない。たとえ帝国の力を借りようとも、自らの手で失地を回復したい――そういうことらしい。
(それでも「北大平原」という無味乾燥な地名より「霜華広野」の雅称の方を好まれているのは少々可笑しかったけれど)
そして殿下は、名分の回復を至上命題とするがゆえ、殿下の望みを邪魔立てする独立派と、そこへ取り込まれているように見えるヴェルヴェーヌ后妃の派閥を、目の上のたん瘤として警戒している。
なるほど。
帝国との朝貢貿易を拡大する。
その先に、帝国の力を借りた失地回復がある。
だからこそ、今のうちに商人を囲い込みたい。
そして、后妃様の側にも商人が集まっている。
……殿下が焦る理由は、これか。
はあ。
この皇太子殿下、思った以上に脇が甘いわね。これが本心なら、こんな一介の出入り商人に明け透けに話す内容ではないでしょうに。それとも、私をすでに自分の側の商人だと思っていらっしゃるのかしら。
これで殿下の底が知れたのかしら。
どちらにしても――。
これは思ったより早い時期に、旗幟を鮮明にした方が良策かもしれないわね。
もちろん、私自身が勝馬だと見定めた方へ、ね。




