北領地防疫戦1.0 ―― チェンジマネジメント
───【本話のウォークスルー対象】───────
■ Section 01 ナナシノ視点:北領地行馬車
■ Section 02 ナナシノ視点:北領地・現状分析
■ Section 03 ナナシノ視点:北領地・デリバリ開始
■ Section 04 ナナシノ視点:北領地・意識改革
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─── ■ Section 01 ──────────────
◆ ナナシノ視点:北領地行馬車
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今自分はニコラウス様とフェルトルン家の北領地訪問に向けた最終調整を話し合っている。昨日は学院でお坊ちゃま軍団に絡まれた結果、脳震盪で気絶したままこのお屋敷まで運んでもらった。(後で聞いたが)シズお嬢様とイーダ先輩の手厚い看護のおかげで無事に目が覚め、しばらくは安静にすべきということで自宅待機を命じられた。
生来の性分なのか、ワーカホリックだった頃の癖が抜けないのか、ベッドの上でじっとしていられなかった。どうしても仕事がしたくてニコラウス様とブリーフィングをしているわけだ。カルトング商会のトレディン氏から以前災害復旧工事の依頼があった村で疫病が流行っていることを手紙で知った。どうしてもその村を訪問したくなってニコラウス様に相談していたのだ。
その村は御三卿筆頭のフェルトルン家の北領地と呼ばれるところにある。この村の近くを流れるヴィータニーレン川の堤防補修工事に参加する一団に紛れ込ませてもらえるよう調整してもらった。フェルトルン家とニーブルン家の関係は良好だったので、賢者様経由で先方に打診した所、フェルトルン家から派遣する土魔法師部隊に飛び切り優秀で名の知られている土魔法師のニコラウス様の参加は諸手を挙げて歓迎された。
自分はニコラウス様のおまけの従者枠で同行できるよう手配してもらった。北領地への「旅のしおり」が作れそうなくらいの密度で話を詰めていると、トレディン氏の突然の訪問があり、彼も北領地行に同行すると言い出した。
トレディン氏いわく、①災害対策で関与があった村のその後が素直に気になること、②自分が動くところ必ずお金のにおいがするから商人として見逃せないこと、③自分が今度は何をしでかすか怖いもの見たさでどうしても興味があること、を理由についてきたいのだそうだ。
理由①②はともかく、理由③はひどいだろう、特に自分に対して。
そういうわけで、商人という駒をこちらも最大限利用させて頂くことに遠慮は全く感じなかったので、荷馬車を1台出してもらってマスクの大量のスペアとマスクの素材(布、裁縫道具)を運送してもらえるよう依頼した。
北領地へ出発する日、トレディン氏は荷馬車3台で登場。3台に増えた理由を聞くと、「ナナシノ様が動くと普通で終らない。絶対想定外のことが起きる。だから、商人として可能な限り被災地で必需品となりそうなものを手あたり次第荷馬車に積み込んだらそうなった」だそうだ。もう勝手にすればいい。
北領地に向う馬車の中で、北領地のあらましをニコラウス様との会話で復習する。首都から北領地への道は比較的整備がされてて、車内での会話にそれほど支障はなかった。
「今から向かう先は御三卿筆頭のフェルトルン家が所有する数多くある「知行地」のひとつでしたね。知行地は家臣が主君から俸禄として与えられた土地の支配権や用益権で、その土地そのものではないと。一方、「封地」とは権力者から臣下へ統治を任された領土で、封建制度においてその土地の統治権を委譲されたものであっていますね。」
「その通りだ」
ちょっとややこしいが、「土地利用権の知行地」「土地所有権の封地」と考えたらいいだろうか。フェルトルン家はフヴドスタード近辺に複数の知行地と封地を有しており、今から行く「北領地」は「知行地」扱いされた土地だ。
「御三卿は正執政官を事実上世襲するデュグドエルヴ家の血族でしたよね。力の強い血族は主家の藩屏として機能すれば主家の権力強化につながりますが、同時に主家から見れば自分の地位を脅かす潜在的な反逆者・簒奪者予備軍にもなり得る存在ですものね。」
「そのように露骨な物言いをされては、にわかには応とは言い難くなるな」
「そうでしょうが、御三卿は藩屏として主家を支えることを期待して強大な軍事力・経済力を与えられるも、主家に対する反乱の策源地として広い領土が持てないよう細切れの知行地・封地としてしかその力を与えられていないのですよね。」
「そう不用意に切り込んでくるな。何が言いたい?」
「これを御三卿から見れば、領地が各地に細分化され過ぎていて、領地への行政サービスをきめ細かく施すことができない不都合となりましょう。行政組織の目が上手く行き渡らないだけでなく、公爵家の知行地は正執政官たる大公家が政治的には最上位になるため、それでは領内の政治的判断は大公家が下すという建前になってしまいます。」
「それ以外に、元老院が政治的最上位となる知行地も共和国内には存在する。もし、御三卿の領地でこの元老院から与えられた知行地があれば、その地の政治的最終判断は元老院にお伺いを立てる必要が出てくる」
先のフェルトルン家の北領地の場合、水害対策の土魔法師派遣を決定するには、
【上申】
代官(北領地)⇒公爵家⇒正執政官(主家)⇒元老院(予算案の承認)⇒正執政官(行政府TOP)
【派遣命令示達】
正執政官(行政府TOP)⇒元老院(派遣承認)⇒(所管部署の)各卿⇒所管部署⇒公爵家⇒代官(北領地)
という多段階の承認・決裁ワークフローを回す必要があるのだ。まるでどこかの国の稟議書制度のようなものじゃないか。
「だからですね、災害発生に対して迅速な対応を可能にするような意思決定システムになっていないのは。所轄の工務院と公爵家が意見対立で災害派遣が遅れてしまい、それで押 っ 取り刀でカルトング商会による民間部隊が先に救援に駆け付ける事態になってしまった。」
「だが今回ようやく工務院と公爵家の間の調整を終え、遅ればせながら土魔法師部隊が派遣されることになった。本来業務の堤防復旧作業ではなく、民間の力で補修された後の堤防の護岸工事を中心に実施することにな。カルトング商会が尽力したあの土嚢堤の表面を強化するだけでよくなった」
しかしよくできているな。「権力と権威の分立」と「職制と家格の分離」ねぇ。執政府の各行政庁の各卿は侯爵家が占め、正執政官の血統を守るは公爵家か。まるでどこかの国が260年の「天下泰平」を享受した仕組みそのものだ。うまくいく仕組みというものはこれ程古今東西同じスタイルをとるものなのか。
ニコラウス様との談義で思いの外時間が早く過ぎて退屈をしのぐことができた。ようやく北領地の集落の入り口が見えてきた。
─── ■ Section 02 ──────────────
◆ ナナシノ視点:北領地・現状分析
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事前に話には聞いていたがこれは相当ひどい。
まずは流民受入の問題。先日の土嚢による応急処置の際、浮浪者崩れの賃労働者を受け入れて作業がはかどった経験から、流民を受け入れてもいいというのが村人の総意だった。
ここに流れ着いた流民は衣類は粗末で女子供も多く、長旅で疲労困憊している彼らは見ているだけでもかわいそうだと。被災者として地元復旧に汲々しているのに、流民をかわいそうと素直に受け入れるのは、お人よしかもしれないけれど、人のやさしさが偲ばれるいい話だとも思った。
流民も元からいた村民も、多くは急遽しつらえた掘っ立て小屋に雑居している感じ。病人もそうでない者も一緒の場所で寝起きしている。身内の看病は身内が優先してやるんだと。人情としてはそうかもだけど、事が疫病だとそうはいかない。何とか生活環境を改善しないと。
自分たちは護岸工事が目的の土魔法師部隊の一員としてここにやってきた。彼らは到着早々、村の要人と挨拶を交わし工事の段取りを打ち合わせし始める。当然ニコラウス様もこれに参加する。
ここに来た理由は自分がアドバイスした現場の事後の推移をこの目で確かめたかったというのが一番大きかった。だけど疫病が心配だったのでせめて防疫の一助になればとマスクを皆に配るためにも来たつもりだった。
土魔法師の一団から離れて、自分一人で、先着していた神殿治癒士の一人に声をかけた。まず疫病の広がり具合と患者の症状について知るために。マスクの配布が有効か、そして配布を受け入れてくれるかも確かめられれば有り難い。
「ちょっとよろしいでしょうか。お仕事中済みません。賢者様の使いでやってきました。疫病についてお知りになりたいとおっしゃっていまして。」
マスク姿の怪しいガキがストレートに質問して、素直に答えてくれる大人は東大陸にはほぼいない。ここは権威付けを利用して、大物の使い走りで来た風を装うのが一番だ。そして、実際の生の声を聞かしてくれる現場の一線で活躍している若手社員に直接ヒアリングする。相対的に権威付けに弱い所も非常に助かる。
まず症状について聞き出す。自分は医師免許は勿論持っていないが、製薬会社と医療機関のコンサル経験はある。自治体の業務継続計画(BCP)もやった。その業種のコンサルを初めてやる場合は、その道の専門書を本屋街に行ってよく漁ったものだ(当時はオープンエンドな質問でも答えを返してくれるAIみたいな便利なものは無かったからね)。
・発熱と腹痛なし
ならば念のため、
・皮膚の変化(黒色)と血痰なし ⇒ ペスト✖
・赤い発疹(バラ疹)なし ⇒ チフス✖
・血便・粘血便なし ⇒ 赤痢✖
じゃあ、これは、
・下痢、嘔吐、脱水症状あり ⇒ やっぱりコレラ?
自分は医者じゃないから勝手な診断はしちゃいけない。土魔法の工事の見学と持ってきた資材の提供だけして帰ろうと思った。
「お聞きしたところ、私の国でも見られる疫病に近いみたいです。私の国では、患者や患者の排泄物に触れると病が移ると言われています。病の元が口から体の中に入るので、私が今付けているようなマスクで口を覆うとよいと聞いています。賢者様から持っていくように言付かっておりますので皆さまでお使いいただければと。もちろん数に限りはございますが、できれば患者を看病する家族にも配ってほしいのですが。」
「そうなのか、かたじけない。賢者様がおっしゃるのなら間違いないのだろう。今人をやるからどこにあるのか教えてくれ」
「かしこまりました、それでは……」
「何をしている小僧」
あっ、何か偉そうな物言いの老人発見! これは治癒術士グループの責任者と見た。責任者に話すのが手っ取り早いか。
「実は、賢者様から言付かりまして……」
「ならぬ。ここは儂が公爵閣下から直々に任された場だ。大賢者の使いの者であろうと誰であろうと、勝手な真似は許さぬ」
賢者様は共和国では名の通った偉人だが前ニーブルン侯爵様で、こちらは現フェルトルン公爵閣下か。権力ではこちらが完全に下だね。権威の方は「大賢者」の肩書と現役の公爵閣下か。自分には東大陸の貴族事情に精通していないからこれは判断難しいな。
「しかしですね、団長、これは疫病の感染を防ぐための物でして……」
「黙らんか、これは我ら聖救治癒院、巡回治癒団のお役目である。神殿と治癒院の関係者ではない第三者が勝手に口を出せるものではない」
うん、団長がおっしゃるのも当然だ。プロの現場をかき乱されたくない気持ち、よく分かるよ。それじゃ、看病する家族にだけ配布してから帰るとするか。
「では、看病に当たられているご家族の方にだけ配布させて頂きますね……」
「それもならぬ。我らが現場で勝手な真似はするなと先ほど言ったばかりであろう」
困っていると、いつの間にかニコラウス様とトレディン氏がこちらに近づいてきた。ニコラウス様に助け舟を出してもらおうとこれまでの仔細を説明する。特に、自分の国では医師免許を持たないものが治療に当たるのは御法度で、これに触れると刑罰の対象になるということを強調しておいた。
ニコラウス様はしばらく考え込んだ後、
「ナナシノの国では、家庭で子供が風邪を引いても母親は自分は医師免許がないからと、子供をそのまま放置するのが正しいとされているのか」
と切り込んできた。
それについても議論がされ尽くされている。自分の国では、医師の指導・管理の下であれば家族が行っても適法(正当行為・違法性阻却事由)とされる医療行為は厳しく制限される。踏み込めるのは一般市販薬の投与周辺までだ。それが疫病の防疫であってもだ。緊急避難が適用されるケースを除き、防疫行為もまた厳格に制限されている。
言い淀んで下を向いてしまった自分を見て、ニコラウス様はしばらく考え込んだ後、
「では、いつものようにナナシノが助言する形をとるのはどうでしょう」
ニコラウス様の提言にすかさず、
「私もそれがいいと思います。いつも通りの『頓智』で、どうかこの難局を救ってくれませんか。わたしはそれが見たくて来たんです!」
とトレディン氏。後半微妙に引っ掛かりますけど。
─── ■ Section 03 ──────────────
◆ ナナシノ視点:北領地・デリバリ開始
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トレディン氏にまんまと乗せられたわけではないが、イシューを目の前にして、ソリューションを考えるのは嫌いではない。仕方がない。人の命がかかっている。「義を見てせざるは勇無きなり」とも言うしな。自分は腕を組んで目を瞑り頭を下げて長考に入る。
【ゴール】
▪北領地の疫病(コレラの疑い強し)の流行を終息させる
【ソリューション】
▪トリアージ
‐治療の迅速化
‐医療資源の適正配分
‐感染拡大の防止
▪治療
‐失われた水分と電解質の補給
├ 〇経口補水液(ORS)
└ ✖点滴
‐✖抗菌薬の投与 ⇒ 治癒術士の施術で代替可能か?
▪防疫(経口感染防止)
‐消毒(煮沸、アルコール、手洗い)
‐マスク
‐汚染物処理
‐清潔な飲み水の確保
‐生水・生食禁止
‐ゾーニング
【リソース】
▪マスク(大量のスペアと素材)
▪トレディン氏の荷物(中身は?)
▪治癒術士(巡回治癒団)
▪土魔法師部隊
▪患者の家族
▪村落の建屋と瓦礫
【イシュー】
▪細菌という未知の存在と細菌感染症のメカニズムを説明できない
▪聖救治癒院の独占的利権と巡回治癒団の手柄・業務権限を犯せない
▪よってここの治癒術士の協力を得られない
やっぱり、ボトルネックは巡回治癒団の説得になるか。
「トレディンさん、荷馬車にはアルコール消毒液とか石鹸とか積んであります?」
「消毒液はありませんが、石鹸なら木箱一箱分あります。高級品ですが被災地には必要だと思いまして。もちろん全部買い取ってくれるんですよね」
「消毒液は残念ですね、私が持ってきた1瓶を大切に使いましょう。石鹸は勿論全部買い取ります。今は現金の持ち合わせはありませんけど。」
「支払は全く心配していません。ナナシノ様の所在も紙製品の知財権も押さえてありますから」
さすがやり手の商人のことだけはあるね。アランビック蒸留器による蒸留技術は既に知られているけど、流石に道具はここには無いから消毒液の増産は諦める。
「なにか騒いでいるようだがもう忘れたのか。儂はお前がここで何をやろうとしているか分からないが、それが何であろうと許した覚えはないぞ」
「では、どうすれば患者を救うお手伝いをお許し頂けるのでしょうか? 是非、条件をおっしゃっていただけませんか。まさかかの高名な聖救治癒院の巡回治癒団団長様ともあろうお方が、何の理由もなく頭ごなしに協力者の申し出を断るような不見識なことはされないですよね。しかも多くの患者が苦しむのを目の当たりにしているこの現場で。」
「むむ……、ではあれだ、瀕死の重体になっているあそこの流民のガキをお前の手で治してみろ」
団長が指差す先には、年端のいかない幼女が無造作に地面に寝ころがされてぐったりとしていた。どうせ、村人の身分が上の者から順に治療に当たるから、流民のそれも子供は一番後回しになって何の手当もせず放置していたのだろう。
「それは治癒術士ではない私がここでこの子を治療することをお許しいただけると解釈してもよろしいのでしょうか?」
「いやだめだ、お前は治癒術士ではない。治癒術士ではない者が儂の目が届く範囲で治癒を行うなど認められない。そうだ、代わりにこいつを使え」
といって団長様は、自分が最初にヒアリングし、団長との会話の途中で自分をかばってくれようとした若手治癒術士を幼女の治癒担当に指名した。自分は雑な挑発に簡単に乗ってくれた団長に心から感謝した。バディとなる若手治癒術士も指名してくれたおかげで、医師免許を持たない自分が治療の手助けができる免罪符も与えてくれたからね。
指名された若手治癒術士と共に幼女の元に近寄り、幼女の容態を診る。一目で目と頬が深くくぼみ、皮膚全体が土気色にくすんでいるのが分かる。若手治癒術士に頼んで幼女の指先を見せてもらい、腕の皮膚を軽く摘まんでもらう。
指先の皮膚に激しいシワが寄り、摘まんだ皮膚はスッと戻らずに摘まんだ形がそのまま残る。極度の脱水症状を引き起こしているのが分かった。貫頭衣の下部分はしっとりと水分を含んでおり、辺りには何とも言えない異臭が漂っていた。水様便と吐瀉物はそのままにされていたのが分かった。
若手治癒術士に治癒術のこれまでの効果を聞いてみた。この疫病(多分コレラだ)の症状に対して直接的な改善は見られないとのこと。病原菌を特定したり、症状を和らげ、菌の排出期間を短縮させたりするなどの効果はないが、患者の生命力を回復させることで重篤な状態から脱することができた患者なら若干いるそうだ。
仕方がない。できるかどうかわからないが、この幼女を助けよう。でないと医学知識チートの王道パターンを踏み外してしまう。
医学知識チートの王道パターンは、
①最初は「見習い」や「落ちこぼれ」の治癒術士しか信じてくれない
②手柄の横取り等、頑迷な現地医師グループ上層部との政治的闘争
③魔法で治せない重症患者を現代医学の知識だけで回復させる
④こちらの常識に合わせた病理や治療法の説明をして理解を得る
⑤最終的には一致団結して治療に当たり患者の命を救う
という感じで大体合っているか。今は①②をクリアしたところだから、ちょうど③だね。
「トレディンさん、早速で悪いですが、砂糖・塩・穀物(小麦でも何でも)・できるだけ清潔な水を用意してください。この娘に飲ませる経口補水液じゃない、えーと聖水ぃゃちがっ、んーポーションでもない、いー、飲み薬を2種類作ります。それと申し訳ありませんが、ニコラウス様は火の準備をしてお湯を沸かして頂けませんか。」
自分はぐったりしている幼女を屋根があるバラックまで連れていき、汚れた貫頭衣を脱がせ、たった1瓶だけ携行していたアルコール消毒液で全身をきれいにしていく。着替えを済ませ横にしたところで、経口補水液の準備に取り掛かる。まずは水ベースのものを、容体が回復してから重湯ベースのものをという段取りで作り始める。
何はともあれ、清潔で体温を失わない状態にして、脱水症の治療法として水と電解質を口から補給してやることを優先する。沸かしたお湯に砂糖と塩を溶かして十分に冷ましてから、若手治癒術士に頼んで、彼女が喉に詰まらせないように慎重に流し込んでもらう。さすが手慣れた手つきだ。
彼女の容態が安定したところで、持ってきたマスク素材を使ってマスクを村民に増産してもらうようトレディン氏にお願いした。本当は団長からの許可を得てからでないと、この娘の治療以外のことをやってはいけない。
でも現場判断というものがあるんだよね。プロジェクトマネジメントでも、後続アクティビティの開始を前倒しする調整のリードをうまくはめて全体の工期短縮を図るのはプロマネの醍醐味のひとつだ。もし見つかっても「ごめんなさい」で済ませられるからね、今回のは。
一晩中の寝ずの看病が続いた。夜が白々と明ける頃、幼女の血色が戻り、意識も戻った。これで一安心。後はゆっくりと回復を待つだけだ。そろそろ重湯ベースのものに切り替える頃合いだろうか。
─── ■ Section 04 ──────────────
◆ ナナシノ視点:北領地・意識改革
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巡回治癒団団長様にこの娘の回復度を見てもらい、自分が助言した治療法が有効だと認めてもらった。これで③のステップはクリアした。鉄は熱いうちに打て。この場でできるだけ治癒術士たちのメンツをつぶさないように言葉を選びながら畳みかけて、一気にステップ④も終わらせておこうか。
「この種の疫病は瘴気が患者の体に入り込んで引き起こされます。一旦取り込まれた瘴気を体の外に出すのはとても難しく、皆さまのような高位の治癒魔術士が患者の体力回復に努めて頂いている間に瘴気が抜けていくことを待つしか方法がありません。
しかし、この瘴気が悪さをするのは、体中の水を抜いて脱水症状を引き起こして患者を死に至らしめる所です。私にできるのは、失われた水を口から補ってやることだけです。それだけでもかなりの命を救うことができましょう。
私の国には、このような病について、次のような話が伝わっております。海の底にいる死の女神が娘のひとり、血まみれ髪の乙女が瘴気を水に紛れさせて人々の口から取り込ませると。血まみれ髪の乙女の瘴気は強力で、これを打ち消すには人々の体に入る前でないと無理なのだと。
太陽神のお恵みによって、瘴気に汚染された衣服や寝具を太陽の光にさらすことで瘴気の力を押さえることができます(本当は紫外線による殺菌だけど)。また、炎の巨人の加護によって、生水を一度沸騰させてから飲んだり、瘴気に汚染されたりしたものを煮沸するだけでも瘴気を払うことができます(100℃で1分間以上煮沸消毒すればOK)。
手を付けられないほどの大量の瘴気に侵された汚染物なら、炎の巨人に捧げるために全て焼却すれば炎の巨人もお喜びになられるでしょう。」
まあ、コンサルタントのプレゼンテーションってやつは、アジテーターによるプロパガンダと紙一重だからね。クライアントの説得や納得のためには手段を選ばない奴も多かったよな。
「動機善ければ苗良し」「破邪の顕正」の問題は自分も当時は相当悩んだよなあ。
最後の仕上げと行こうか、ステップ⑤のミッションコンプリートまであと少しだけだ。
1. トリアージ
重症度や緊急度に応じて治療の優先順位を4色(赤・黄・緑・黒)で識別する手法だが、ここでは鮮明な色の端切れがなかなか見つからなかったのでアリモノで代用した。皆が一度使ったものをもったいたがって再利用しようとするのを止めるのが大変だった。
2. 治療
身分によらず重症者には治癒術士の回復魔法を優先的にかけてもらった。中度・軽度の患者には症状の重さによって、水ベース・重湯ベースの経口補水液(ORS)をとってもらった。
3. 防疫(経口感染防止)
煮沸消毒、石鹸での手洗い、どうしてもの場合はアルコール消毒を徹底した。治癒術士や看病する家族にはマスクを優先的に配った。「木をかくすなら森のなか」というように、マスク姿は北領地では当たり前となり、自分のマスク姿があまり目立たなくなったのは好都合だった。生水・生食の禁止、清潔な飲み水の確保にはてこずった。一部、土魔法師たちと揉めたけど結果オーライだ。
4. ゾーニング
大きく作業場所を4つに分けた。
①入口・トリアージエリア
患者の重症度を素早く判定、適切な治療エリアへ振り分ける
一般の付添人と患者が混ざらないようにするのは苦労した
②中・軽症者エリア
経口補水液による水分補給と経過観察を行う
③重症者エリア
巡回治癒団の治癒術士による体力回復の施術を行う
ここは身分別とか家族単位とかの旧弊との戦いだった
④スタッフ・ロジスティクスエリア
医療資材・薬品の保管、治癒術士の休憩、着替えなどのスペース
汚染エリアから風上になる場所に設置した
これ以外、一方向の動線に従って①⇒②⇒③⇒④の順に移動するを徹底することは最後まで上手く機能しなかった。
しかし、死体安置所と廃棄物処理場は、土魔法師の独壇場で、これはすぐに完成できうまく機能させることができた。さすが、公爵家から派遣されただけのことはあると感心した。
北領地を辞する日、馬車に乗り込む寸前にトレディン氏がしみじみとした表情で語りかけてきた。
「ナナシノ様は、常日頃から血まみれ髪の乙女の瘴気に用心してマスクを外されないのですね。常に外からの脅威に備えていらっしゃるとは、さすがです、ナナシノ様」
いやあ、可愛い妹でもないトレディン氏から「さすおに」的に言われてもちっとも嬉しくないよ。
お屋敷に戻ったら、不足していると感じたもの、石鹸や消毒用アルコール等については、必要数確保と迅速な疫病対策地への配送について、賢者様やトレディン氏を巻き込んで相談させてもらうつもりだ。
巡回治癒団や土魔法師団、村民や流民ともいい感じに協力関係を築け、疫病対策も一段落したので、ここ北領地を辞して首都のお屋敷まで帰ることにした。疫病対策で忙しくしている間、またあの目が不自由な少女と思わぬところで再会したり、最初に看病した幼女に懐かれてお屋敷まで連れていく羽目になったりしたが、全体的にはうまくいったと思っておこう。
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も思い出せたしな。




